こんばんは。 今日は蒸し暑い一日でした。
少し、お昼過ぎに出かけたのですが、昨日よりもずっと暑く感じました。
さて、皆さんは来年の大河ドラマは何か御存知ですか?
来年は 幕末 坂本龍馬がモデルの 「龍馬伝」です。
よく考えて見れば、うちのホテルの隣の京都御所は幕末の大きな舞台の
一つでもあります。
今の京都府庁は「京都所司代」でありますし、同志社大学は「薩摩藩邸」
だったし、京都ホテルオークラは「長州藩邸」でもありました。
灯台もと暗し、すぐ近くの京都御所へ出かけてみました。
出水口から入って、突き当りの大宮御所に向って進みます。
左手に建礼門を見ながら、京都御所の南東の角を左に行くと、そこに
「学習院跡」の碑があります。

今は、何にもない芝生です。

三条実万が初代の伝奏(学長)として開かれ、孝明天皇が「学習院」の名 前を 与えました。当初は御公家さんの学校として開かれたのだそうですが、やがて
時代とともに、朝廷と尊王攘夷派の折衝の場となり、高杉晋作などの長州藩の
志士や真木和泉らの尊王急進派が攘夷派の公家たちと謀議を巡らす場所と
なったそうです。
やがて、8月18日の政変で、長州藩が破れ尊王攘夷派の公家たちとともに
長州に戻った事により、以降、本来の学問所として発展していきました。
そういう、謀議が行われた場所とは思われないほど、のんびりした空気が今は
流れています。
すぐ近くには、こんな石碑がありました。

昨年の大河ドラマ「篤姫」で、堀北真希が演じた和宮が生まれた
場所であります。
和宮は孝明天皇の異母妹で、幼少の頃は母の実家である「橋本家」で
育てられたそうです。

和宮は皆さんもご承知の通り、幕府の公武合体策により
許婚が居たにも関わらず、徳川家茂へと嫁がされた悲劇の女性であります。
しかし、 実際の、家茂との生活は仲睦まじかったと言われています。
家茂が亡くなった後は、大奥に残り、明治になって「明治天皇」に許され
京都に帰って来ました。京都に戻ってからは、以前ご案内した事のある
「聖護院」で晩年を送ったそうです。
この学習院・和宮の生地から、北へ程無く行くと「猿が辻」があります。
北東は古来より「鬼門」と呼ばれていて、北東の方角に厄除けの木が植えられたり
しておりました。
京都御所のこの北東方角は、丁度L字型に築地塀になっていて、

そこに 猿の人形が置かれています。 一説によると、江戸期の名大工
「左甚五 郎」作と 呼ばれています。
猿が置かれたのは「難がさる」と言うことからだそうです。

幕末には、この猿が辻で 尊王攘夷派の急先鋒姉小路公知が
、何者かによって襲撃されました。 「猿が辻の変」と呼ばれています。
一説には薩摩藩士の田中新兵衛がその犯人と言われていますが、定か ではありません。
猿が辻のもう少し、東に行ったところには「中山邸跡」、「祐井」(さちのい)が
ありますが、それらはまた次の機会に。。。



















































































