「重い荷物」をまず誰が最初に持とうとするのか。
その「重い荷物」を自分自身が「持つよ」と率先して言えるのか。
それとも、「それを持ちあげるにはこんな方法があるんじゃない?」と自ら提案してみるのか。
その提案をした途端に「だったらそのやり方で自分でやってみてよ」ということになり、自らが「重い荷物」を背負うこともいくだびとなくある。
まるで自らが「重い荷物を背負うよ」と自発的に言ったがごとく、いつのまにか「重い荷物」を持つ役割を担うことになる。
「君だったら大丈夫」「持ち上げられるよ」と周囲も応援はするが手はポケットの中のままだ。
しかし、中にはそんな荷物でも軽々と持ち上げて走っていく人もいる。
そんな時はおいてきぼりをくってしまった気持ちにもなる。
ひょっとしたら、それはその人にとっては「重い荷物」でもなんでもなかったのかもしれない。
でも、置いていかれた人達のことは気をとめている様子もない。
もしかしたら、もともと「重い荷物」なんてものはなかったのかもしれない。
だって、実際にそれが「重い」のかどうかなんて持ってみなければわかりはしないことなんだから。
そして誰かが「その重い荷物を持つよ」と言ってくれた人がいた時には「それじゃぁ、一緒に持ちましょうか」というのが今の自分のスタンスなんだと改めて思う。
その時にポケットに手をつっこんだままの人や見て見ぬふりをしている人にも声をかけてみる。
ポケットから手を出してくれる人もいるし、そのままあきらめて立ち去っていく人もいる。
いざ「重い荷物」を持ってみるとやっぱり重いこともある。
でも、そんな時こそ独りで抱え込まずに誰かの手を借りる。
「重い荷物」を運ぶ場所さえ間違えず、お互いかわるがわるに交替しながらも目指す方向に「重い荷物」を運べればいいんだから。
その時は辛いけれど、後で笑い合えればいい。
「重い荷物」をいま目の前にしたときにあれこれみんなで悩んだっていい。
みんながみんなそれぞれの都合を口にもする。
そんな時に「自分が持つよ」と自ら率先して手を挙げてくれる人がいる。
私利私欲にとらわれず、純粋にまちのことを想い、自らが動いてくれる人の存在に感謝したい。










