いつかは行きたい。。そんな場所の1つ。仁徳天皇陵。ご縁を頂き目と鼻の先、天候も午前中位は晴れ、、これ逃したら駄目だと思い行って来ました。
ますば、全貌が見える堺市役所21階展望フロア。一般開放されてます。
お~見えた見えた!こんもりとした森がそうです。特徴的な前方後円墳は分かりません。
この辺りには30程の巨大な古墳が集まっています。
さ、間近に向かいます。
来たよ~!
スケールが違う。
1番外側の堀を進みます。一般人はここまで。
ならば、記念じゃ。
ボランティアの方に色々説明していただきました。展望フロアからはこの角度で見てたんですよと。なるほど~。
完成当時は石積。その後は草木が生え土壌が出来て、小高い丘のようになっていたそうですが、明治に入り植林したそうです。
では、埋葬品など展示している堺市博物館へ。
いらっしゃいました、仁徳天皇。
入館すると古墳コーナー。付近の古墳からの出土品が展示しています。しかし、仁徳天皇陵からの出土品は明治に調べられた後に埋め戻されたそうです。
当時のスケッチ複製がありました。
甲冑です。仁徳天皇本人のでしょうか。。
復元された甲冑です。
墳墓は独特な形です。
当時詳細な採寸をしていたようです。復元墳墓です。
古墳を取り巻くように埴輪が設置。堀や土の中から出土した本物。これだけが実物でした。
本当に巨大な古墳です。ピラミッドや始皇帝陵との対比モデルがありました。
古墳が出来た当時、日本は倭と呼ばれていました。大陸から海を渡って来た人々はこの巨大な墳墓を見て、巨大な権力を持った大王が倭には居ることを嫌がおうでも目に入った事でしょう。
突如として巨大な権力が日本全土に影響を与えたのは想像に難しくない事です。
縄文時代から大陸文化の弥生時代に入り更に、古墳時代と猛烈な文化的な変革期を私達の先祖は勇敢に戦い、また、柔軟に対応していったのでしょう。
現在、大阪はこの古墳群を世界遺産登録に向けての活動をしています。
近い将来。世界遺産となり世界中の方々が訪れ驚くはずです、地球歴史上、最大の墓が堺市に存在して事に。。
今日は良かった。
では。
paikaji