光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

強風、南風で向かい風、降りそうにない、雨。

2017-04-29 14:03:20 | 散策
  なかなか出来ない洗濯物がある。

  まずは毛を落として。ようやく、その段階に。風があると、元気が出るか、そうゆうことはないけど。

  いつまでも、髪の毛の付いたシャツを袋に入れておくわけにゆかないので、ついに洗濯することに。

  あちこち動かすものはあるけど、あれ、こんなところに、ジーパンがあったのか。そういえばそうだな。

  3本あるはずで、いずれもむかしはすっと入って、ベルトが必要だったが、いまはベルトはいらない。

  靴のサイズは変わらない。靴下も何とか履ける。ただ、足首よりは下が弱っている。

  正座もなかなか大変。もっとも他も大変で、今日は靴下も脱いで、それを洗濯機の中へと。

  膝より下があって、それよりも上というと、股関節辺りかな。考えても無駄だけど。


  雨は降りそうにない。乾燥に弱い、と思う。もともと、あまり乾燥しているという状況にないところ。

  これが、太平洋側だとわからないでもないけど。そうゆうところにも住んでいて。この乾燥、意識することは

  あって、あちこちコロコロと移動したが、転がって来て、結局、親のいるところに来てしまった。

  もともと、親、父も母も、この越中の国に縁はあって、しかし、そう簡単に歩いていける距離にはなかった

  ところに、私の知る限りご先祖様はいる。近くではない、という認識である。


  ときどき思うが、という年齢になってということは、もう両親とも亡くなって、かなり時間はたつ。

  これを始めて、2年くらいで、そう簡単には死なないだろうと思っていた父は、この世からいなくなった。

  それから面倒なことばかり続いているが、地縁、血縁ということをたまに思う。後者は純粋に、生物学的な

  意味合い。地縁は、おまつりごとである。


  父の両親も、もともと養子であるが、しかし、祖母はここのいえのご先祖様と血の繋がりがある。これは致し方

  ないものだが、祖父もすぐ近くにあったいえから、ここに来ている。その後、こうゆう問題はある程度親密な

  話が出来るような状況にならないとわからないものだが、あるとき他のことでそれがあって、実は私のところも

  お宅と同じいえから、来ているのですよ、というポロリ話が出る。何代か差はあるが。これに驚くが、もう少し話は

  進んでまったく血の繋がりのない人同士が、いえを継ぐことになるのは当たり前のことらしい。

  今ごろそうゆうものかと思うのだが、血の繋がりより、重要なものは「いえ」がなくなるということ

  らしい。私自身、いえのことについて、別段興味もなく、どうでもいいものだと思っているので、それ以上考える

  ことはないが、問題は、どこにでも自由に行き来できる時代でなかったときという条件に当てはまる時期は

  そうはむかしではない。

  ここで、血が濃くなるという問題が出る。戸籍というものも、どのくらいのときまで正確なものであったのか

  というのは必ずある問題で、戦争があって、空襲があって、紙は燃えてなくなったという時代を経ているか

  ら、ドサクサ問題は必ずある。これはいまでもあることだが、書く必要性はない。


  いまでこそ、国際結婚は当たり前の話で、それでも異国の国、あるいは同じ列島の、島々の、半島の国でも、住む

  ところによってどうゆう形で新しい家庭が誕生するか、違いがあるように私は思っている。

  ヒトは、ヒトとしてはあるいは、「種」としては同一なもの。一種しかいまのところこの地球上には存在しな

  い、という認識ゆえ、国は違っても、子孫はもちろん続いてゆくわけ。血そのものにどうゆう問題があるか

  というのは、もともとおぼろげなものだが、物理的な距離の違いがあるのは、好ましいと思う。

  こうゆうことをたまに思う。


  4月29日。朝。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。画像、間違えたが、特に問題はないので。これだけ少し時間的に遅い。



  地球は一つだが、どうもなーと思うことが多すぎる。


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