光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

こんな空があったのか。小さい雲の変化の魅力。

2016-10-19 14:05:07 | 散策
  ときどきひどくいい天気になる。ひどい天気ではなく、ひどくいい天気なので、

  じっとしているわけにゆかなかった。今日のこと。

  ただ、今日は朝は目覚まし時計で起きている。これがどうゆうことか、なかなかわからない。

  いい睡眠だったのか、あるいはそうではないのか。夢は、いくつか見ている。

  大体右向いて眠ることにしている。その次は、左向き。心臓の位置が、少し違う。


  入院していたときは、点滴もしていた。したがって、真上を向いている。

  いま思うと、よくあの状態で眠ることが出来たな、とも思う。入院も「若いとき」に限る。

  このとき、おもしろい体験をしているが、過去に書いているかも知れず、自分でもわからない。


  画像は、10月13日のもので感じとしてはかなり前だ。自分で判断して、困ったときの画像かも、と

  思ったのだろう。

  ただ、かなりまぶしい画像のはずで、見たくなかったのかも知れない。気まぐれである。




  その一。大物の雲のような気もする。実際はどうかわからないが。




  その二。近い雲のような気もする。




  その三。明るい空。





  その四。いまはこうゆう画像を撮るのは止めている。鳥はトビかな。カラスもある、可能性。




  その五。ホワイトバランスを、曇りから太陽光に。最初は上にある丸みのある雲がおもしろそう
  だと思う。ガラス戸に、執拗にくっ付いている綿埃なども、接近して撮ると、この形に。




  その六。画像を少し調整して様子をみる。明るさを主にしている。立体感もわかる。不定形な雲。
  すぐに何かは思い浮かばないが。




  その七。一度カメラの方向を変えて。




  その八。ある程度時間差のあるものを並べている。雲はどうゆう計算をしているのかな。




  その九。


  今日の朝の様子は、割とさわやかで、きれいな雲も出た。ただ、一度、全体的に雲が大空を覆って、また雨かと

  思わせる時間があった。何度か玄関から外に出て、少し片付けもの。玄関の向きとか、たくさんむかしの靴

  なども置いてあるが、気にしない。しかし、ここで滑って転んだことは、忘れられない。


  そのうちに、やけに日が強くなってきた。雲が薄くなって、背中に日が当たる。これはなかなか気持ちは

  いいものだが、それゆえか、洗濯をすることにした。

  洗濯は、大部分は洗濯機にまかせる。すでに洗濯槽に入っているものがある。多く入れないこと。

  でも結局、あれも入れようこれも入れよう、となる。


  洗濯も掃除も、似たようなもので、ほとんどやったということにしか意味はないように思うが、

  あまり悪口はいえない。しかし、掃除をして翌日くらいで、朝、太陽光が入ってきて、そこにもう綿埃

  がある。そうゆうことがわかる。考え方としては、自分にとっては運動だな、といつも思う。

  運動することに、意味はあって、これでも衣類から、あるいは自分の身体から、こぼれ落ちるゴミは

  ある。


  洗濯もやる。掃除機も動かす。きれいになった、としよう、というところ。

  天気しだいと思うが。背中を熱くしてくれるのは、お日様である。


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