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中野重治(近代の詩人たち・3)

2008-11-25 06:55:24 | 文学をめぐるエッセー
中野重治は学生時代から左翼活動に従事して、検察に検挙され、獄中で思想転向を表明して、出獄した。以後、その事実を負って、作家活動に入る。中野重治の小説は私小説の色合いが濃いが、小説『村の家』の中に、父親に向かって、「それでも、やはり、書いていきたいと思います。」という趣旨のことばがある。これが、中野重治の文学的出自を表わす特徴的なことばである。

詩人としての中野重治は、散文作家としての中野重治と重なり、それを補っているようだ。だが、詩人としての中野重治はほとんど忘れられている。

『中野重治詩集』、岩波文庫、を読んだ。ただし、この本は現在絶版だ。

中野重治の詩のことばは平易だ。私の定義では、「平語派」に当たる。
だが、激しいことばが混じる。典型的な詩人(私の定義では、「技巧派」)から見ると、「あれは詩ではない。」と評される、と壷井繁治の解説が紹介している。

「夜明け前のさよなら」と「雨の降る品川駅」が彼の詩の特徴をよく示している。ともに、「別れ」をテーマにしている。

「夜明け前のさよなら」は、官憲の目を逃れながら地下活動をする同士を歌っている。
「僕らは仕事をせねばならぬ そのために相談をせねばならぬ」というフレーズで始まるこの詩は切迫した感情をストレートに表現している。「夜明けは間もない 僕らはまた引越すだろう」と続くと、切迫した感情とともに解放感も感じられる構成になっている。

タイトルは「さようなら」ではなく「さよなら」となっている。卑俗なことばをちりばめるのも中野重治の詩の特徴のひとつだ。

「雨の降る品川駅」の出だしは、「辛よ さようなら 金よ さようなら 君らは雨の降る品川駅から乗車する 李よ さようなら も一人の李よ さようなら 君らは君らの父母の国にかえる」となっている。朝鮮半島に帰る朝鮮人を送る詩だということがわかる。

品川駅は独特の風情をもった駅だ。山の手線や京浜東北線のプラットフォームと東海道線や横須賀線のプラットフォームとの間に、使っているのか使っていないのかわからないプラットフォームがあるのだ。品川終着の列車の降車プラットフォームとして、また、品川始発の団体列車や修学旅行列車の待ち合わせプラットフォームとして、たまに使われるが、普段は閑散としている。

戦時中は召集されて入隊する兵士で混雑したこともあったろうし、戦後は、この詩に歌われているように、朝鮮への「帰国事業」の始発点として、このプラットフォームは役割を果たした。そのような駅の持つ哀愁を、人名と「さようなら」を重ねることによって見事に表出している。

後半の「も一人の李よ さようなら」が中野重治特有のユーモアを表わしている。朝鮮人の姓には「李」が多いことにかけて、親子か兄弟か夫妻かをぼやかして、二人の「李」に呼びかけている。そこに温かさや親しみを込めていることが自ずから伝わってくる。

「夜明け前のさよなら」と「雨の降る品川駅」から感じるのは、作者の鮮烈なリリシズムだ。それは、平語だからこそ表現できたものだと思う。 (つづく。2008/11)

[掃除30分](24日)玄関・たたきと扉の水拭き


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
雨の降る品川駅 (こりゃ)
2022-04-19 02:24:40
雨の降る品川駅は帰国事業とは無関係です。

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