時々雑録

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『「昔はよかった」病』(読書録)

2016年10月11日 | 読書録
半年以上、前に書いて、そのままにしてあった記事をアップします。

久しぶりに本の感想を。パオロ・マッツァリーノ氏の本もひさしぶり。首肯することがおおかったし、おもしろかった。おわり。

で、いいんですが、ちょっと。1章の「火の用心」はうるさいだけで効果がない。夏【2015年・夏のこと】に読んだ『反<絆>論』(中島義道)の、「電車内の放送は余計なおせわでうるさい」を思い出した。どっちも賛成ですが、「火の用心」は娘の幼稚園でやってる、たのしんでたなあ、むーー。

あるあたりの世代は若い頃から(今でも)素行が悪い人がおおい、というのは本で読んだりして聞いただけじゃなくて、目にもする、という気がしますが、「愚連隊」ってのがどんなものなのかは、6章を読んですこし具体的にわかりました。

この本にもう一章つけくわえてくれるなら、子育てや学校のことがいい。娘の幼稚園(当時)に講演にきた医師が「子そだてのレベルがいまほどたかい時代はない」と言ったそうです。同感で、これまでしりあったおかあさんたち(おとうさんも)、ほんとによくやってらっしゃる、と敬服することがほとんど。今の親は…という批判も検証してほしい。

娘が小学校にあがって、みる機会がふえましたが、わたしが小学校だったときより、先生も、学校も、よくなったと感じます。理由もつげられないまま、クラスの前にひっぱりだされて殴られる、クラス全員のまえで(自分だけ)成績をいわれ「これはオマケだな」… ふりかえって、なぜ訴え出ることをかんがえなかったか、と思うような理不尽をうけたおぼえが、何度もあります。いまのこどもは…、いまの学校は…という批判に加担せず、わかい人、学校、学校をささえようとする人たちを支援し、はげましつづけていきたいものだ。それも読後感のひとつでした。

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