昨日、懐かしい人たちの訪問を受けた。
8月末に開かれた<集い>に誘われながら、体調のことも考え、手紙とお祝いの寸志を送って、欠席した。
その日から、ひと月ばかり経った昨日、集まりに出席した人たちを代表して、3人の知己が来宅してくださった。
出席者の集合写真のほか、たくさんのお土産をいただいた。
形式的な記念品ではなく、老いの日々、しばらく楽しめる、様々な食材を揃えて。
新米・栗・里芋・ブルーベリー・蒟蒻・あとう肉・和菓子(源氏巻・外郎)等々。(写真 上)
大方は、津和野産の品々である。
眺めるだけで、心がひとりでに微笑んでしまう。
さらに、とある参加者からのお土産(静岡竹茗堂の銘茶)と、女性参加者だけに届けられたお土産(小物入れと楊枝差し)も、いただいた。(写真 下)
思い出話や来し方を語り合っているうちに、たちまち3時間が過ぎた。
半世紀前にご縁のあった人たちなのに、時間の隔たりを全く感じないひとときを過ごした。
ただ、いただいた写真を見て、50年前の顔に結びつけるのは、困難な作業であった。
さっそく今朝、いただいたお米でご飯を炊き、里芋と蒟蒻を煮てみた。
米飯も里芋も、大好きである。
平素は、美味しいと評判の仁多米を取り寄せているのだが、新米のご飯は、それ以上に美味しく、幸せな味であった。
里芋も、これぞ里芋! と舌鼓をうちつつ、この上なく美味しくいただいた。
何だろう、あの独特な粘りは!
津和野笹山産の里芋は、格別の味だと聞いてはいたが、噂に違わぬ美味しさだった。
食後には、同じくお土産のブルーベリー(やはり津和野産)をいただいて…。
灰汁で固めた手づくりの津和野産蒟蒻は、<木灰こんにゃく>と呼ばれ、本来、そのまま刺身などで、いただくもののようだ。
昨夕は、少々疲れて、せっかくの<あとう肉>を焼く元気がなかったけれど、今日は夕食にいただこう。蒟蒻も、刺身として。
思いがけぬ贈り物に感謝し、美味しいものを美味しくいただける幸せ!
当然のことが、いずれ当然でなくなる日の来ることを思えば、なおさら幸せである。
8月末に開かれた<集い>に誘われながら、体調のことも考え、手紙とお祝いの寸志を送って、欠席した。
その日から、ひと月ばかり経った昨日、集まりに出席した人たちを代表して、3人の知己が来宅してくださった。
出席者の集合写真のほか、たくさんのお土産をいただいた。
形式的な記念品ではなく、老いの日々、しばらく楽しめる、様々な食材を揃えて。
新米・栗・里芋・ブルーベリー・蒟蒻・あとう肉・和菓子(源氏巻・外郎)等々。(写真 上)
大方は、津和野産の品々である。
眺めるだけで、心がひとりでに微笑んでしまう。
さらに、とある参加者からのお土産(静岡竹茗堂の銘茶)と、女性参加者だけに届けられたお土産(小物入れと楊枝差し)も、いただいた。(写真 下)
思い出話や来し方を語り合っているうちに、たちまち3時間が過ぎた。
半世紀前にご縁のあった人たちなのに、時間の隔たりを全く感じないひとときを過ごした。
ただ、いただいた写真を見て、50年前の顔に結びつけるのは、困難な作業であった。
さっそく今朝、いただいたお米でご飯を炊き、里芋と蒟蒻を煮てみた。
米飯も里芋も、大好きである。
平素は、美味しいと評判の仁多米を取り寄せているのだが、新米のご飯は、それ以上に美味しく、幸せな味であった。
里芋も、これぞ里芋! と舌鼓をうちつつ、この上なく美味しくいただいた。
何だろう、あの独特な粘りは!
津和野笹山産の里芋は、格別の味だと聞いてはいたが、噂に違わぬ美味しさだった。
食後には、同じくお土産のブルーベリー(やはり津和野産)をいただいて…。
灰汁で固めた手づくりの津和野産蒟蒻は、<木灰こんにゃく>と呼ばれ、本来、そのまま刺身などで、いただくもののようだ。
昨夕は、少々疲れて、せっかくの<あとう肉>を焼く元気がなかったけれど、今日は夕食にいただこう。蒟蒻も、刺身として。
思いがけぬ贈り物に感謝し、美味しいものを美味しくいただける幸せ!
当然のことが、いずれ当然でなくなる日の来ることを思えば、なおさら幸せである。
私も、パソコンを買い換えたり、タブレットに挑戦したりして、四苦八苦しています。
いい加減なブログを、まだ続けています。
お元気なご様子、本当に嬉しゅうございますU+1F3B5
ずっとこの欄を閉じていらっしゃったようで。
長年愛用のPCが終了になってしまって、最新型を入れることになって四苦八苦しているところです。
新しくなった方のPCでも、こちらを見つけることができました。ずっといろいろ読ませていただいています。