ぶらぶら人生

心の呟き

むのたけじさんの言葉

2016-11-25 | 心に残る表現・味わいのある言葉
 むのたけじ 『詞集たいまつ Ⅰ』 
(むのたけじ 1915~2016 8月21日 101歳で死去 ジャーナリスト)

シルバーセンタの方3人が、朝から、庭の草取りをしてくださった。
その間、上掲の本を読み、タブレットを使って、心に残る至言を書き留めた。

 (しかし、タブレットの表記法にはまだ戸惑うことが多く、時間ばかりかかって、頭が疲れる。
   むきになって、習得に努めようとするので、疲れは限界を超えてしまう。
   私の悪い癖である。) 




<まえがき>より

 コトバを語るにせよ書くにせよ、人それぞれに自分のコトバに自分の全体重をかける態度が
  大切であって、そのように努力してこそコトバは人と人とがかかわり合うための道具となり、
  種子となり、人間のくらしの中に生きるだろう。 
(略)

<いきる章>より

 夜のおわりに朝がくる。しかし、夜明けの直前の闇は最もくらい。

 芝草の一本を思い浮かべてごらん。足に踏まれ、火に焼かれ、雪につぶされて
  姿を消してしまう季節があろうと、やがて青々と頭をもたげている。


 サカナは、海中にいても店頭におかれてもサカナである。人間は死ねば「故人」あるいは
  「遺体」である。生きているから人間である。しんじつ生きていないなら、しんじつ人間ではあり得ない。  


 木の葉は古くなると、それだけで散るのではない。翌春に萌え出る芽のいのちが葉柄の
  根もとに満ちてうずくとき、枯れ葉は風がなくとも散っていく。

 
 脱皮しない蛇は死ぬ。脱皮しない人間は他人を死なせる。

 白蓮は泥の沼に咲き、ナマズは沼の泥を呑んでふとる。泥を恐れると、清く咲くことも、
  たくましくふとることもできない。泥を見くびると、泥になってしまう。


 ねむるなら目をつぶりなさい。考えるなら目を開けなさい。目をつぶって考える
  中身は大概くだらない。ごらんなさい、決断に向かって思考するとき、目は必ず見ひらかれて輝いている。


 言うのはたやすく、行なうのはむずかしいだけではない。行なうのはたやすく、言うの
  はむずかしい場合だってある。言うのはむずかしく、行なうのもむずかしい場合は、もっとザラにあるのではないか。


 きのうは去った。あすはまだ来ない。きょうというこの日に、全力を注ぎこもう。
  どんなにつまらなく思われる一日であろうと、どんなにつらい一日であろうと、きょうがなければあすはない。


 絵画はどんなに人世を描写しても、人世そのものとは対立している。絵画には許され
  る省略の手法が、人世では少しも許されない。


 人それぞれの一生に自分らしい花や実を望むなら、自分の生活の中の平凡なカスと見
  える部分をカスと見えない部分と同じように大切にしないといけません。 
(略)中国の文学者が
  述べたように「枝葉を取り除いてしまう人は、絶対に花や実を手に入れることができない」のです。 
(以下略)

 顔は正直な名刺である。人はめいめいの顔に責任をもたなければならない。

 花の出る前と後とでは、ずいぶんちがって見える。穂がみのったときと苗のときとでは、
  全く別のものに見える。けれども、むろん同じイネである。ふだん見なれている目ほど、変化を見のがしやすい。
  本質の変化とは、そのようなものである。見ちがえるように進むのではなく、見定めがたく平凡に休みなく進むものである。
  人間の自己変革もそうである。 
(以下略)


    ★ 一つ一つ引用文に、私見を添えたいのだが…、今、少々気力が萎えているので省略する。
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