朝の散歩で、海に向かって坂道を下っていると、立ち話中の女性に会った。
一人は顔見知りである。
昨夜は大変な嵐だった、と話し合っておられる。二人が、私にも同意を求めるような表情だったので、歩を緩めて会話に加わった。
「嵐でした?」
「それはもう、ひどい風と稲光!」
「何時頃?」
「真夜中」
私は知らなかった。よほど深い眠りの中にあったのだろう。道理で、今朝、裏庭が汚れていた。木の葉や枯れ草が舞い込み、その狼藉ぶりに不審は抱いた。が、そんな強風や雷光雷鳴が轟いたことなど、露知らなかった。
「よかったですね。私など、それから朝まで眠れなくて……」
と、言われ、われながら不思議であった。わずかな物音や些細な異常にも、敏感な方だとばかり思っていたのだが。神経が鈍磨したのだろうか?
不気味な嵐模様にも気づかず、安眠できたとは幸せなことだ。周囲の、ただならぬ情況に怯える夢も見なかった。耳元に風の吹き荒れる音を聞き、閉じた目に差し込む異様な雷光を浴びれば、少しは怯んで、悪夢にうなされてもよさそうなものなのに、今朝5時のサイレンを聞くまで、ぐっすり眠ったらしい。嵐は、音色もゆかしい音楽に、雷光は、極楽のやさしい光とでも、感じていたのだろうか。
見知らぬ人が立ち去られ、二人だけになった。
昨日より気温が下がっているらしく、浜から吹きくる風が寒い。寒風の中で、暫く立ち話をした。
雑談というのは、話題が焦点なく行き交って脈絡を欠くことが多い。話しているうちに、一つだけ明らかになったことは、私たち二人は、学校こそ異なるが、同級生だということだった。私は勝手に、顔を見知っている人を、少なくとも二つ三つ年上だとばかり思っていた。が、早生まれと遅生まれの差しかないことを知り、急に親近感を覚えた。
「面白いものを見せてあげる」
と、誘われて、反対側の道端に移動した。
「まあ」
と、思わず声を上げて、しゃがみこんだ。
そこには、コンクリートの裂け目に、小さな命が芽吹いているのだった。
自生した花、ビオラだろうか?(写真)
極小の花である。それでも健気に、浜から吹きくる風に花びらを揺らしているのだ。一心に生きている、小さな命に、なんだか心が熱くなった。
こういうものに巡り合えるから、散歩は楽しいのだ。
顔見知りの女性は、
「歩け、歩けと言われれば、余計意固地になって歩きたくないの」
と、おっしゃる。
「分かります、その心境。私もずっとそうでしたから…。でも、今は大儀なときもあるけれど、こんな予期せぬものに出会える喜びがあるから、やはり今日も歩こう、という気になるんです」
「明日も、見てやってね」
小さな隙間から生じた命に、明日も会うため、この坂道を海に向かって下ってゆくことだろう。
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