ぶらぶら人生

心の呟き

新年・落日の景

2014-01-01 | 身辺雑記
           

  

  

 無事、新しい年を迎えた。
 昨日(昨年)と全く変わることなく、ひっそりとした片田舎での日常が始まった。
 人影を見ることもなく…。

 賀状が届いたのは、昼前だった。
 
 長年賀状で消息を得ていた、一人の知己からの賀状が、理由のわからないまま、昨年途切れた。
 こうして、次第に有縁の人が減ってゆくのだろうと、寂しく思った。
 間もなくして、痴呆症らしいとの噂が耳に入った。
 私より一つ年下だが、年齢的に、そうした病状が出ても不思議ではないと思いつつも、寂しく思っていた。
 それから数か月後に、スーパーで、偶然、姿を見かけた。
 が、声をかけにくい雰囲気があった。
 買い物の決断がつきかねるのか、じっと商品に注がれる視線がなんだか異様に感じられ、噂が信憑性の高いものに思えた。

 ところが、今年は、その人からの賀状が届いたのだった。
 しかも、私よりはるかにしっかりした文字で、<脳梗塞を患ったけれど、快復に向かっている>と自筆が添えてあった。
 誤字がないうえ、力強ささえ感じられる。

 ああそうだったのかと、安堵した。
 スーパーでの買い物姿から、病気のために、持ち前の豪快で快活な性格まで影を潜め、判断能力にもかげりが出たのかと心配したが、全くの思い過ごしだったと喜んだ。
 予備の賀状に、お祝いの言葉を記し、お見舞いにもいかなかったことを詫びた。

 新しい年の喜びの一つとなった。

 その賀状を投函するため、日暮れ前、ポストまで歩いた。
 そのとき、新年の落日の景(上の写真)に出会った。

 帰途に見た東の空の方が、不自然なほど、明るさを残していた。(下の写真)

  


 昨日(大晦日)、アマゾンに注文した加島祥造さんの本{ 『ひとり』 『伊那谷の老子』)2冊が、お正月の今日、早くも届いた。

       


 読書が楽しめるのは、嬉しいことだ。
 が、このところ、昼間でないと、文字が読みにくい。
 今日、賀状を読むのに、老眼鏡では読みにくいものもあった。
 拡大鏡をプラスして賀状を読んだのは、今年が初めてである。
 今、ブログを書いているPCの画面も、少々見にくい。
 (今月末の手術で、どこまで視力は回復するのか?)

 目と頭の老化で、文意の通じかねる文章を書いたり、誤字脱字などの多い、恥ずかしい文章を投稿することもあるだろう。
 それでも、気の向いたときに、気ままな文章を、私自身の楽しみとして、今年も書き続けようと考えている。
コメント
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