無事、新しい年を迎えた。
昨日(昨年)と全く変わることなく、ひっそりとした片田舎での日常が始まった。
人影を見ることもなく…。
賀状が届いたのは、昼前だった。
長年賀状で消息を得ていた、一人の知己からの賀状が、理由のわからないまま、昨年途切れた。
こうして、次第に有縁の人が減ってゆくのだろうと、寂しく思った。
間もなくして、痴呆症らしいとの噂が耳に入った。
私より一つ年下だが、年齢的に、そうした病状が出ても不思議ではないと思いつつも、寂しく思っていた。
それから数か月後に、スーパーで、偶然、姿を見かけた。
が、声をかけにくい雰囲気があった。
買い物の決断がつきかねるのか、じっと商品に注がれる視線がなんだか異様に感じられ、噂が信憑性の高いものに思えた。
ところが、今年は、その人からの賀状が届いたのだった。
しかも、私よりはるかにしっかりした文字で、<脳梗塞を患ったけれど、快復に向かっている>と自筆が添えてあった。
誤字がないうえ、力強ささえ感じられる。
ああそうだったのかと、安堵した。
スーパーでの買い物姿から、病気のために、持ち前の豪快で快活な性格まで影を潜め、判断能力にもかげりが出たのかと心配したが、全くの思い過ごしだったと喜んだ。
予備の賀状に、お祝いの言葉を記し、お見舞いにもいかなかったことを詫びた。
新しい年の喜びの一つとなった。
その賀状を投函するため、日暮れ前、ポストまで歩いた。
そのとき、新年の落日の景(上の写真)に出会った。
帰途に見た東の空の方が、不自然なほど、明るさを残していた。(下の写真)
昨日(大晦日)、アマゾンに注文した加島祥造さんの本{ 『ひとり』 『伊那谷の老子』)2冊が、お正月の今日、早くも届いた。
読書が楽しめるのは、嬉しいことだ。
が、このところ、昼間でないと、文字が読みにくい。
今日、賀状を読むのに、老眼鏡では読みにくいものもあった。
拡大鏡をプラスして賀状を読んだのは、今年が初めてである。
今、ブログを書いているPCの画面も、少々見にくい。
(今月末の手術で、どこまで視力は回復するのか?)
目と頭の老化で、文意の通じかねる文章を書いたり、誤字脱字などの多い、恥ずかしい文章を投稿することもあるだろう。
それでも、気の向いたときに、気ままな文章を、私自身の楽しみとして、今年も書き続けようと考えている。