ぶらぶら人生

心の呟き

手縫いの帽子・帽子雑感

2007-11-15 | 身辺雑記

 昨日11時に、友達の来訪を受け、家で暫く話した後、草花舎へ行ってキリム展を見たり、トルコランチをいただいたりした。

 「これ、よかったら被って」
 と、二個の帽子が差し出された。
 友達手製の帽子である。
 以前会ったとき、着ているブラウスを指して、
 「これ、手製。この帽子も…」
 と、事も無げに言って、友達は私を驚かせた。
 そんな才能があるとは全く知らなかったからだ。私は、自分にできないことを難なくやってのける人には、文句なしに畏敬の念を抱いてしまう。<恐れ入りました>という顔をしている私に、
 「今度会うときに、帽子作ってきてあげる」
 と、その時、友達が言ったのを思い出した。
 きちんと自分の言ったことを果たす、その律儀さにも感心してしまう。
 私は先日電話で、友達と会う約束をしたとき、帽子のことなど全く念頭になかったのだ。

 当然どちらか一つを選べという意味だろうと、二つの帽子を眺め、私に似合うのはどちらだろうかと考えた。
 「よかったら二つとも使って。散歩のとき被って、汚れたらゴミにしてね」
 とのことだ。
 帽子好きなので嬉しいけれど、なんだか申し訳ない気持ちだ。
 二つともリバーシブルなので、一度に四つの帽子が増えたことになる。
 最近、帽子を被ることが多少減っている。というのは、中高年、老年の帽子姿が増えてきて、みな同じ格好なのが気に入らないからである。
 それでも帽子は好きなので、先日、山口のちまきやへ行ったときにも、無意識に帽子売り場に佇んでいた。そして、一つ、衝動買いもしてしまったのだ。その日、無帽だったので、帰りには求めた帽子を早速被って帰ったのだった。
 友達にもらった手作り帽子も、世界に二つとない帽子である。
 春先になったら、四種の雰囲気を楽しみ、その日の気分に併せて被ることにしようと思っている。


      ×××××××××××××××××××××××× 


 今朝、散歩の途中、ふっと友達にもらった帽子のことを思い出し、それに絡んで、若き日にも帽子をよく被ったなと、過去に思いを馳せた。と、その証ともなる詩を、遠い昔、詩人のF・Kさんが綴ってくださっていることを思い出した。
 遅遅として進まないけれども、昨年来、書棚の片づけをしている。その折、見つけて読み直した詩集を、今日また改めて取り出してみた。

  白銀にひかる バスの
  縦のポジションのなかに いつしか
  映りはじめた黄の
  アングル!

  旋回する車窓のフォローシーンに
  淡彩の青空と 白い
  石交ビルの風景がよぎって 忽ち
  ストップする 朝の
  シークエンスである

  きょう 山と川のある町の
  接点にきて
  五月の水面に ふかぶかとオヴァ・ラッ
    プする 黄の光角に
  焦点を あわせた すると――
  黄のブラウス
  灰色のスポーツ・ハット
  白絹の頬にみえる 小さなホクロ
           (以下、四連省略 詩題「接点」)

 ここに登場する詩人の眼が捕らえた女は私である。この詩は、詩人のF・Kさんから手紙と一緒に送られ、後にご本人の詩集にも収められている。
 昭和三十年代の始め頃(私が二十歳になったばかりの頃)には、まだ写真がそう普及していなかった。したがって、詩句が帽子を被る女を残してくれているのだ。
 <黄のブラウス>とあるのは、今なお鮮明に思い出せる。黄とはいってもクリーム色であった。まだ物がそうふんだんにある時代ではなく、私の好きなブラウスの一枚であった。
 肝心な<灰色のスポーツ・ハット>の方は、鮮明ではないが、当時も帽子を被っていたことは確かである。
 <白絹の頬>は、詩人の誇張表現である。今よりは色白であったように思うが、昔から取り柄のない醜女(しこめ)であった。<小さなホクロ>は消しようもなく、今も頬に存在する。
 私がコーヒー好きで、当時、勤め帰りによく喫茶店「白鳥」に立ち寄ることをご存知で、F・Kさんは、しばしばコーヒーを送ってくださったりもした。まだ本格的なコーヒーの入手が、困難な時代であった。
 詩のグループに入るよう勧められもしたが、私には詩を書く才能がなく、書くなら小説をと思い、既にその同人誌に属していた。
 折にバス停で、老詩人の視線を感じながら、ついに話したことはなく、送られる手紙と雑誌に、そのつど儀礼的な返信をしたためていたような気がする。
 友達にいただいた帽子が思い出させた、遠い遠い昔話である。

 三十年代半ばになると、カメラが普及し、アルバムに帽子を被った写真が沢山登場する……。 

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求めたキリム

2007-11-15 | 草花舎の四季

 草花舎で行われていた、この秋のキリム展は、昨日で終った。
 私が求めたのは、畳半畳くらいの大きさのキリム。

 今住む家は築22年になる。その間、玄関マットは、お祝いにもらったものを使用し続けている。今回のキリム展を機に、それを取り替えようと決めていた。
 草花舎に赴くごとに、これもいい、あれもいいと迷ったが、前回訪れたときに、ほぼいただくものを決めていた。
 昨日は迷うことなく、それをいただいた。
 友達も玄関マットにと、一枚のキリムを求めた。

 車で来た友達とは、家から草花舎まで散歩がてら往復した。
 帰り道、トルコランチを提供してくださったカヨコさんが、国道の反対側の歩道を歩いてこられる姿に気づいた。
 私は、大きく手を振って合図した。
 カヨコさんも手を振って応じられた。
 実は、既に草花舎で、カヨコさんにはお別れの挨拶を済ませていたのだ。
 今から小学校へ出かけて、生徒にトルコの話をすることになっていると言われて。
 カヨコさんの仕事上、彼女のお嬢さんが、近くのK小学校に一時在籍しておられる縁があってのことである。
 お嬢さんには、今回は会えなかったが、伸びやかで、溌剌とした聡明な少女である。両親の母国が異なることで、いわゆるバイリンガル。振る舞いを見ているだけでこちらが心和む少女である。いろいろ苦労はあると思うが、きっと適応能力抜群なのだろう。自分のお母さんが語る話をくりくりした眼で、頼もしげに聞いている少女の姿が浮かんでくる。

 「また来年!」
 と、国道の向こう側からカヨコさん。
 「ではまた…」
 と、私も答えて、東西に分かれた。
 (来年があるのかな? との思いが、ふと心をよぎる。)

 帰宅後、友達は私の家の玄関マットを見て、
 「まだまだ使える。キリムは別のところに使ったら?」
 と言った。
 私も、廃品にするにはもったいないかなと思いつつ、今使用しているマットの上に乗せてみた。大きさは全く同じなので、重ねて置いても不具合いはなく、とりあえずそのままにして置くことにした。(写真)

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11月14日のトルコランチ 2

2007-11-15 | 草花舎の四季
 トルコランチのデザートは二種類から選べるようになっていた。
 友達は、「アシュレ」(私は前回いただいている)にし、私の方は、まだ味わっていない「セモリナのヘルバ」(写真)にした。 
 これがまた美味しく、友達にスプーンで少し分けてあげた。やさしいケーキのお味。
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11月14日のトルコランチ 1

2007-11-15 | 草花舎の四季
 昨日は友達に会い、一緒に草花舎へ出かけた。
 キリム展を見て、トルコランチをいただくために。

 私にとっては、キリム展開催中、三度目のトルコランチとなった。
 献立の品は少しずつ異なる。(写真 大皿 右上にスープの容器がほの見えている)
 前二回は<温スープ>だったが、今回は、「ジャジュック」(胡瓜とヨーグルトのミント風味冷スープ)であった。
 大皿の内容で、前回と異なるものは、
   モロッコ豆のピラキ
   ローズマリー風味里芋のオーブン焼き
   チキンケバブ
   キノコのピラフトルコ風

 みな、味が吟味されていて美味しい。見栄えよく少量ずつが盛り合わせてあるため、飽きることなく賞味できる。
 昨日は、友達との会話も、食事をさらに楽しくさせた。 
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