亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

大草一男氏と堕落したお坊さまたちの恐るべき邪義とは

2017年05月23日 11時21分55秒 | 亡国の坂道 
暁鐘編集室から発刊された「摧破異流義考」(P.13~14)に記された邪義の第二弾として「一、戒壇の法義の開き方について」と題して、妙観講の大草一男氏と邪義で固まったお坊さまたちは、次のようなとんでもない頭破七分の戒壇義を書き連ねています。そうした一連の邪義は、顕正会が宣揚する国立戒壇論を誹謗したものでありますが、彼らの展開する理解しがたい言語明瞭意味不明な邪義には、読者の便を図るため数字と太文字を用いて記すことにしました。

大草氏とお坊さま云く

①「まず、浅井等は、『三大秘法のうち本門(事)の戒壇は、広宣流布の暁に初めて建立されるものであり、それ以前に大御本尊が安置せられる処は、その意義が本門事の戒壇に通ずるというだけであって、本門事の戒壇とは称さない。したがって、“大御本尊まします処(※当時は富士大石寺正本堂)は、いつ何時なりとも本門事の戒壇”とする。大石寺の立場は大聖人の仏法に違背している」等と主張する。そして、大聖人の『三大秘法抄』に〝国主ほか一国の大衆が妙法に帰伏した時に本門事の戒壇を建立すべきである〟等と示される御金言や、この御金言を引いて、そのまま本門事の戒壇の説明に代えられた二十六世日寛上人の御指南、さらに日寛上人の御指南を基として示された後代の上人方の御教示を、自説の根拠として挙げるのである。仏法の道理に暗い初学の人々は、ほとんど、これに引っ掛かって迷いを起すようである。しかしながら、この主張には、基本的に大きな誤まりが存している。」について

それではこれから拙者が、大草一男氏と偉いお坊さまたちが垂れ流す邪義を破折する事にします。

①に対する破折

大草一男氏や堕落したお坊さまたちは、顕正会が、御本仏大聖人様から御開山日興上人へ賜った「一期弘法付嘱書」や富士門流が御相伝書として七百年のあいだ最も大切にしてきた「三大秘法抄」あるいは、日寛上人の御指南、歴代正師の御筆記を自説の根拠にていることが間違いだと言っています。 彼らは恐ろしいことに、大聖人様が一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄で仰せの本門事の戒壇を真っ向から否定して、宗門七百年来の伝統教義を歪曲しておきながら、ニセ戒壇正本堂を広宣流布の事の戒壇としたことが正しかったと言っているのであります。ニセ戒壇正本堂こそ邪義の根源なのであります。それほど正しい正本堂ならば何故に解体撤去しなければならなかったのでしょうか! 宗門は、後年、修羅と悪竜の合戦を繰り広げ週刊誌の餌にされた後、袂を分かち、あの建物は似非信徒池田大作氏の怨念がこもっているという理由で、ニセ戒壇正本堂は解体撤去しましたが、正本堂以来の邪義は依然として、現在もそのまま生き続けてさまざまな弊害をまき散らしているのであります。

それに「仏法の道理に暗い初学の人々は、ほとんど、これに引っ掛かって迷いを起すようである。しかしながら、この主張には、基本的に大きな誤まりが存している。」などと誹謗していますが、国立戒壇のどこが誤りで、「仏法の道理に暗い初学人々」とは、いったい誰人のことを指して誹謗しているのでしょうか! そもそも出家僧侶たる者、すべての世俗の執着を捨てて、迷える一切衆生を救わんと護法の為には身命をなげうって殉教の精神に立ち、世のため人のため僧道をまっとうしなければならない立場の者が、欲望肥大と不勉強と堕落の故に、あろうことか、大聖人様の究竟の御本頑たる国立戒壇に異を唱え、富士門流の七百年来の根本教義を歪曲した揚げ句、宗門を未曾有の混乱に陥れた末に、未だに取り返しのつかない大きな誤りを犯しながら太平楽を決め込んでいるのであります。 

つづけて云く、「この主張には、基本的に大きな誤まりが存している。」などと大上段から振りかぶって、たいそう御慢心のご様子ですが、彼らは、大聖人様が相伝書としてお顕わしになられた一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄、日寛上人の御指南、あるいは歴代先師の御筆記等が間違いだと言っているのであります。もはやこうなったら気違いに刃物で手が付けられません。御開山日興上人は今日のような富士門流の法門に乱れが生ずることを慮られて「富士の流義些かも先師の御弘通に異せざる事」と、二十六ヶ条の遺戒置文の冒頭に厳戒せられているのであります。

そもそも富士門流の本門事の戒壇に関する邪義の発端は、六十六代を継いだ細井日達管長がエセ信徒の池田大作氏に阿諛迎合した姑息な解釈から始まったのであります。すなわち“大御本尊まします処(※当時は富士大石寺正本堂)は、いつ何時なりとも本門事の戒壇”とする。邪義はここから始まったのでありますが、それはあくまでも「事の御本尊」であって、たとえ本門戒壇の大御本尊様がおわします所と雖も、決して「事の戒壇」とは言わないのであります。大聖人様・日興上人の御在世には、本門の本尊と本門の題目は確立したと雖も、時至らず、本門事の戒壇だけは、広宣流布の暁を待って、後世の末弟に託されているのであります。そのことを一期弘法付嘱書に「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇建立すべきなり。時を待つべきなり。」と仰せられているのであります。

また、「事の戒壇」とは、広宣流布の暁に時の天皇陛下の勅宣を奉戴し、国家意思の公式表明によって建立される最終の国立戒壇を、唯一「事の戒壇」と称するのであります。そのことを三大秘法抄に「勅宣並びに御教書を申し下して」と御教示なのであります。すなわち「事の戒壇」とは、こうした「勅宣並びに見教書」という二つの国家的手続きを経て、事相に建立される本門寺の戒壇=国立戒壇のみを「事の戒壇」と称するのであります。

したがって堕落したお坊さまたちが宣伝する、本門戒壇の御本尊の在所は、「いつ何時なりとも本門事の戒壇」とする解釈や説明は、完全な間違いであり、とんでもない邪義なのであります。そもそも、このような邪義を構えるに至った発端は、創価学会の政治進出を助けるた為の、戒壇義の歪曲に端を発しているのであります。その元凶が池田大作氏であり、池田氏に諂って創価学会の振りまく邪義に追従した六十六代を継いだ日達管長であり、ニセ戒壇正本堂だったのであります。

日達管長以来堕落したお坊さまたちが展開する上記の邪義を破折するために、日寛上人が法華取要抄文段で仰せられた、本門の戒壇義についての御教示は次の如くであります。

云く、「当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ即ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。初めに義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、是れ塔の義」等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり。亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処皆是れ義理の戒壇なり」と。御教示であります。

「次に正しく事の戒壇とは、秘法抄に云わく、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり等云々」と。御教示であらせられます。

要するに、日寛上人は広宣流布以前の事の御本尊の御座所は「事中の理」と定義せられ、道理としての義理の戒壇、即ち「義の戒壇」とせられ、広宣流布の暁に日本国の名山、富士山の最勝の地たる天生ヶ原に、事相に建てられる本門寺の戒壇=国立戒壇を「事中の事」即ち「事の戒壇」と御教示なのであります。

序に申し上げますが宗門は現在、あのニセ戒壇正本堂以来、依然として堂々と邪義を垂れ流しています。平成29年5月16日付の大白法によれば、教学欄の「基礎講座29」には(宗旨の三箇)三大秘法の本門の戒壇義が取り上げられていますが、その解説はニセ戒壇正本堂以来の邪義が述べられています。云く、「戒壇の大御本尊の住処は、現時における事の戒壇に当たります。現在の奉安堂は、戒壇の大御本尊が安置されている故に、現時における事の戒壇」等と決めつけていますが、これが正本堂以来日達管長が吹聴した邪義の根源なのであります。

もう少し解り易く説明するなら、日寛上人は義理の戒壇を説明するに当たり、天台の法華文句十の文を引かれ「仏其の中に住す、是れ塔の義」と釈されていますように、広宣流布以前の本門戒壇の御本尊の御座所は、塔の中にお住まいであるから、あくまでも秘仏なのであって、たとえ正宗信徒と雖も見世物のように、軽々に御開扉してはならないとの御意であります。

然ればどのように拝するかと申しますと、戒壇の大御本尊は広宣流布するまでの間は、御宝蔵の奥深くに秘蔵厳護申し上げ、遠くから閉扉のまま、遥拝申し上げる姿が正しいのであります。

その理由を申し上げますと、私達が毎日朝夕の勤行の際に寿量品を読んでいますが、その中に、「若見如来。常在不滅。便起憍恣。而懐厭怠。不能生於。難遭之心。」と説かれています。この文を要約しますと次のごとくであります。

「若し如来、常に在って滅せずと見ば、便(すなわ)ち憍恣を起こして、而も厭怠を懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わず」とありますように、毎月毎月当たり前のような顔をして御開扉を受けているうちに、戒壇の御本尊様に対する恋慕渇仰の想いがうすくなり、慣れを生じて怠惰な心を起こさしめ、厳粛な御開扉に於いても緊張感のない、欠伸の出るような崩れた勤行になってしまうということであります。

今日の大欲不知足の堕落したお坊さまたちは、未だ、秘仏であるところの本門戒壇の大御本尊を営利の具として利用し奉り、お金儲けに狂奔し、内拝と称して怨嗟の起こるような御開扉を繰り返して不敬を重ねているのでありますが、そのような不敬冒涜を重ねて平然と構えるなら、信徒は信徒で即物的な功徳をおねだりする信心に堕し、疑問を持つ者は一人としてい居ない。このような崩れた信心は根本的に間違いであり、何等の功徳は生じなのであります。

それに対して広宣流布の暁に本門寺の戒壇堂に御出ましの御本尊は、「三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり。」と仰せられていますように、日本、印度、中国の三国ならびに全世界の人々のために、広く開かれた本門事の戒壇となるのであります。まさしく本門事の戒壇とは、日本だけのもの、また日本国を閉鎖してしまう意味ではなく、しかも人界ばかりでなく、天界まで利益する未曾有の戒壇となるのであります。日本国は大聖人様の御出現の根本の妙国なるゆえに、全世界を代表して戒壇の大御本尊様を御守護申し上げる使命と責務が存するのであります。  

②「すなわち浅井等は、本門(事)の戒壇を論ずるにあたって、まず、未来広宣流布の暁に建立される建造物を根本として、そこから、広宣流布の以前は、いまだその戒壇が存在していなけれども、大御本尊安置の処が戒壇の意義に通ずるのである、という論の開き方をしているわけである。が、もとより本門の戒壇は、本門の題目と共に、三秘総在の大御本尊の一事に具わり収まっているのであり、これこそが日蓮正宗の宗旨の根本なのである。つまり、大御本尊のまします処、そこが本門(事)の戒壇であり、これを根本として、さらに将来、広宣流布が達成した時には、世の中の信仰の中心・根本を象徴する戒壇の建造物を建てる(これを大聖人はあらかじめ「本門寺の戒壇」と名付けられている)、と開くのが、法門の正しい筋道であり、大聖人の御誠意であるとも申せよう。」について

②に対する破折

堕落したお坊さまたちが上記のようなくだらない邪義を展開する理由は、戒壇の大御本尊様は、事の一念三千の御当体そのものでありますから事の本尊となる。その大御本尊のお在す所は、即「事の戒壇」とする短絡的な発想に依るものです。不勉強の大草氏と堕落したお坊さまたちには日寛上人の御教示に理解が及ばないのか、広宣流布以前の「大御本尊のまします処、いつ如何なる所と雖も本門(事)の戒壇である。」などとした前代未聞の邪義を真顔で振りまいてるのであります。そして「将来、広宣流布が達成した時には、世の中の信仰の中心・根本を象徴する戒壇の建造物を建てる(これを大聖人はあらかじめ「本門寺の戒壇」と名付けられている)」そですが、二度目に建てる事の戒壇とは、本山の何処に建てるのでしょうか? 「これこそが日蓮正宗の宗旨の根本」であるとしいますが、 今の堕落したお坊さまたちは、日達管長以来富士山天生ヶ原の戒壇は絶対反対なのであります。

それを代弁して阿部日顕教学部長云く、「天母山の問題もありますけれども、かえって天母山でなく、この大石寺でいいんだと、ここに戒壇を建立すべきであると、いう事が現在、御法主上人猊下の御指南であったわけでございます。」(大日蓮 昭和49年8月号)等と。最近世間を騒がしている日達管長の教義逸脱を、忖度したような邪義が述べられています。

それにしても、現在の大石寺境内に合計二度も本門事の戒壇を建てなければならないのですから、騙されている信徒はまだしも、いい加減辟易しますよね。大聖人様は一期弘法付嘱書にも三大秘法抄のいずれにも、二度にわたって本門事の戒壇を建てなさいとは仰せ遊ばされてはいないのであります。

大聖人様から御開山日興上人が賜った一期弘法付嘱書には「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」と御下命遊ばされ、三大秘法抄には「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か、」の御文こそ、広宣流布の暁に日本の名山たる富士山の天生ヶ原に本門寺の戒壇建立の勧奨であり、本門戒壇の大御本尊様が永遠にお住まいになられる戒壇堂、すなわち〝建造物〟を建立せよという御命令であります。その戒壇と雖も、あくまでも広宣流布の暁に建立される国家的戒壇である故に「時を待つべきのみ」と厳誡せられ、その戒壇を「事の戒法・事の戒壇」と仰せられるのであります。それ以前の戒壇は、どこまでも「義の戒壇」とする立て分けが、七百年来の富士門流の正しい戒壇義なのであります。

堕落の極みにあるお坊さまたちは、大聖人様以来の富士門流の教義を正しく展開する浅井氏にとんでもない誹謗を加えていますが、一期弘通付嘱書並びに三大秘法抄で仰せられる広宣流布の暁に国家的に建立される「本門寺の戒壇」とは、戒壇の大御本尊様が末法万年尽未来歳まで、お住まいになられる富士山天生ヶ原に建立される御座所のことでありますから〝建造物〟のことであります。

そもそも三大秘法抄は、一期弘法付嘱書の助証と謂われているほどの御相伝書であります。大聖人様から二祖日興上人が唯授一人の血脈相承として賜った御相伝書が、一期弘法付嘱書のみで終わっていたものなら、末代の多くの弟子たちは「本門寺の戒壇」について迷いや争いを生じ、大聖人様に対して、「どうして大聖人は『本門寺の戒壇』とは如何なるものなのか、はっきりと書き遺して置いて下さらなかったのだろうか、一期弘法付嘱書なんて偽書ではないか」などと邪智を逞しゅうして、さまざまな誹謗する者が出てくることを慮られ、その時の備えとして、三大秘法抄を在家代表として下総在住の太田金吾殿を選ばれ、本門寺の戒壇=本門「事の戒壇」について将来過ちを起こさぬよう、戒めを籠めて賜った重書なのであります。よって此の三大秘法抄が、一期弘法付嘱書の助証と謂われる所以がそこにあるのであります。

その御文を本抄の末文に次のように記されています。

「予年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間、貴辺に対し書き遺し候。一件の後は秘して他見ある可からず。口外も栓無し」と。

「此の法門」と仰せられる御文こそ、本門寺の戒壇=国立戒壇のことであります。その国立戒壇について異議を生じ、宗門がただならぬ状況に置かれている今日、我ら末弟に書き遺し置かれたものとして拝すべきでありますが、堕落した今日のお坊さまには、それが理解できていないのであります。

ここで改めて一期弘法付嘱書と三大秘法抄でお示しの「本門寺の戒壇」についての御教示を拝見したいと思います。

はじめに一期弘法付嘱書、「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

第五十六世日応上人は御付嘱状について斯く仰せであります。「日蓮一期の弘法」とは、この戒壇の大御本尊は宗祖日蓮大聖人様出世の御本懐なるがゆえに『日蓮一期の弘法』と云うなり。これを白蓮阿闍梨日興に付嘱し、事の広宣流布の時、富士山に本門戒壇を建立すべし、なかんずく我が門弟たる者、この状を守り、少しも違背すべからず、と制誡し給うなり」(御宝蔵説法本)と御指南されています。 

次に三大秘法抄、「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪に未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」と。

大聖人様は一期弘法付嘱書には「事の戒壇」について、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり。」と御教示せられ、また三大秘法抄には「事の戒壇」について、「勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。」と仰せ遊ばすのであります。

依って富士門流の歴代血脈付法の御正師方は、広宣流布の暁の本門「事の戒壇」=「国立戒壇」について夫々次のように仰せであります。

第二十六世日寛上人

「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法乃至国主此の法を立らるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』云々」(報恩抄文段)と。

第五十六世日応上人

「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって-----」(御宝蔵説法本)と。

第五十九世日亨上人

「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天公布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華 11号)と。

「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の1ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)と。

「宗祖所弘の三大秘法は難信難解なり。(中略)何に況んや、天下一同他事を捨てて、専ら此の本尊に向かって此の題目を唱うべき本門戒壇国立は、至難中の至難に属するものをや」(富士大石寺案内)と。

第六十四世日昇上人

「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり、国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と。

第六十五世日淳上人

「この元朝勤行とても(中略)二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布の祈願の勤行を伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく広宣流布を待つべし』とあるのが、それであります」(大日蓮 昭和34年1月号)と。

つづけて「真に国家の現状を憂ふる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(日淳上人全集)と。

第六十六世日達上人

「真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行にに徹底邁進せられんことを願うものであります」(大日蓮 昭和35年1月号)と。

つづけて「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華 昭和35年1月号)と。

さらに「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立戒壇であります」(大日蓮 昭和36年5月号)と。

ところが、このお方は信徒団体の金力と奢侈に溺れ、後に次のように豹変するのであります。

云く、「日本の国教でもない宗教に国立戒壇なんてあり得ない。」(昭和45年5月3日総会)と。

つづけて「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります。」(大白蓮華 201号)等と、ニセ戒壇正本堂が建設されれば、教化の儀式も定まり、王仏冥合も成って、広宣流布も達成するんだそうです。

ここで言う「教化の儀式が定まる」とは、ニセ戒壇正本堂の邪義が定着するという事であります。呆れましたね。これだけは日達管長の予言が見事に的中しました。

かつての創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたから、当然の如く国立戒壇を高々と宣揚して折伏戦を展開していました。

第二代会長戸田城聖氏

「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(大白蓮華 昭和31年3月号)と。

「我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華 昭和31年8月号)と。

第三代会長池田大作氏

「『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是れなり』の御予言こそ遺された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華 昭和31年1月号)と。

「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華 昭和31年4月号)と。

こうして創価学会が御本仏大聖人様の究竟の御本願であるところの国立戒壇を前面に掲げ、老いも若きも国立戒壇建立に向けて、燃えに燃え全学会員が火の玉となって国立戒壇建立に寝食をなげうって闘ったからこそ、全員が身に余る功徳を頂戴し、昭和20年7月、戸田城聖氏の学会再建から池田大作氏が国立戒壇から決別する昭和45年5月までの僅か25年足らずの間に、じつに八百万世帯という前人未踏の驚異的な折伏を達成しているのであります。

ところが、この頃から創価学会の政治進出が本格化するに連れて、宗教団体が政治に関与する事に批判が強まり、藤原弘達氏の著書「創価学会を斬る」に対する言論出版妨害事件が勃発、併せて、日本共産党の谷口善太郎氏からの創価学会の政治進出に対して、憲法違反ではないか等の質問主意書が国会に提出されるなど、世間はようやくさわがしくなり、池田会長を国会に呼んで、国立戒壇の意義について問い質そうという動きになってまいりました。

それに驚いた学会は、4月23日国会に対して次のような回答を寄せて、世間を欺き難局を乗り切るのであります。

1. 本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。

2. 既に現在、信徒八百万人の参加によって、冨士大石寺境内に、正本堂の建設が行われており、昭和47年10月12日は完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。

3. 一時、本門戒壇を〝国立戒壇〟と呼称したことがあったが、本意は1で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である。

等という邪義を以って、国会を欺いたのであります。

そうして昭和45年5月3日、創価学会は日大講堂で第33回本部総会を開催し、国立戒壇を全面否定するに至るのであります。来賓として出席した第六十六世日達管長は、学会の池田会長に諂い、次のような歴史的な発言をするのであります。

云く、「日本の国教でもない仏法に『国立戒壇』なんてあり得ないし、そういう名称も不適当であったのであります。明治時代には『国立戒壇』という名称が一般的に理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。今日では『国立戒壇』という名称は世間の誤解を招くし、かえって布教の邪魔になるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」等と世間に約束してしまったのでありますが、この時の日達管長の公式宣言を分岐点として、富士門流、すなわち日蓮正宗の信心が根本から狂いはじめるのであります。

大聖人様は立正安国論の中で、仏法と国家の関係、すなわち邪法乱国・正法治国の根本原因を金光明教、大集経、仁王経、薬師教等の四経の経文を引かれて、災難興起の原理を説き明かされています。また立正安国論の題号が示すとおり、唯一の正法たる三大秘法を国家的に立てて、国家安泰の原理をお示しでありますように、国を安んずることを究極の御本願と為されているのであります。したがって、日達管長が吹聴するような「明治時代には『国立戒壇』という名称が一般的に理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります」などという話は世間を欺くための詭弁であって、無知な信徒を騙すための邪義だったのであります。決してこうした悪質な諛言に騙されてはならないのであります。

立正安国論には国家安泰の原理を「謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下太平ならん」とお示しになられ、個人に対しては、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。此の言、信ずべく崇むべし」と仰せられるのであります。個人が身の安全を約束されて幸福を享受できる最大の条件は、国家が平和である事が絶対の条件とされていますように、個人の幸福はその中に包含されるからであります。

よって立正安国論で仰せられる眼目は、念仏・真言・禅・律等の熟脱の仏法、あるいは間違った思想を撲滅して、唯一の正法たる三大秘法を国家的に信奉して、国家・国土を永遠に安穏ならしめることを勘奨為されています。仏家の通軌から立正安国論の文意を衣文判義して名称を付するなれば、国を安ずることを目的とした立正安国論の趣旨は、国立戒壇ということに集約されるのであります。したがって日達管長が取って付けたように垂れ流す「明治より前には、そういう名称はなかったのであります」という話は、宗教に無知な大衆と信徒を騙すための完全なまやかしであることが解ります。

また大聖人様は別な角度から、常忍抄には次のように仰せであります。「日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず、所詮末法の今に譲り与えしなり」と。

ここで仰せの第三の法門に対する第一とは、第一の権実相対の法門のことであります。次の第二の法門とは、本迹相対の法門のことであります。次の第三の法門とは、種脱相対の法門を指しています。この種脱相対の法門こそ第三の法門なのであります。よって、この三大秘法を「日蓮が法門」と仰せなのであります。

また、四十九院申状には「第三の秘法今に残る所なり。是れ偏に末法闘諍の始め、他国来難の刻、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と仰せられ、同じく申状に「夫れ仏法は王法の崇尊に依って威を増し、王法は仏法の擁護に依って長久す」と御教示であります。

日本国の国教とすべき、末法万年の尽未来歳までの国家と人々を救いきっていく、法華経本門寿量品の文底に秘沈された事の一念三千の御本尊であれば、広宣流布の暁の戒壇は、本門寺の戒壇=国立戒壇でなければならないのであります。

③「浅井等の主張は、この辺の筋道を理解できずに、逆転した法門の開き方に固執し、かえって大聖人の御誠意を誹謗するのである。これでは、大御本尊の当体に三秘が闕減なく収まるという、三秘総在の法義に乱れを生じ、どこまでも大御本尊を根本として一切の法義を開いていく、本宗の教義と信仰を狂わせることとなってしまうのである。なお、付言しておくならば、本宗上古の時代においては、謗法者からの法難も多かったため、大御本尊はあくまでも秘蔵の扱いで厳護されてきた。それ故、『三大秘法抄』にせよ、日寛上人の御指南にせよ、文の面に、大御本尊安置の処が本門事の戒壇、というような直接的表現を用いられることはなかったものと拝せられる。が、一方、内々の御弟子に対する口述の中では、こうした配慮は当然のことながら無用であった筈で、事実、日寛上人の講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと「戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と仰せられているのである」について

③に対する破折

まさしく邪義の塊のようなお坊さまたちが振りまく邪義を代弁した大草一男氏の言辞は言語明瞭意味不明ですね。「この辺の筋道を理解できずに、逆転した法門の開き方に固執し、かえって大聖人の御誠意を誹謗するのである」とは、いったい何を言わんとしているのか理解に苦しむのであります。大草一男氏が強調している「大御本尊の当体に三秘が闕減なく収まるという、三秘総在の法義に乱れを生じ、どこまでも大御本尊を根本として一切の法義を開いていく、本宗の教義と信仰を狂わせることとなってしまうのである」とは、まるで逆さの論理ではありませんか! 戒壇の大御本尊様には当然の事として三秘が闕減なく揃っているからこそ、富士の流義そのままに法義を展開すれば、けっして法義に乱れは生じないのであります。それを、大草一男氏と堕落したお坊さまたちは、三秘を六秘に開いたら(義)と(事)ではなく、(事)と(事)になるという邪義を振りまくから法義が乱れてしまったのであります。

大草氏と大石寺のお坊さまたちが「大本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇である」とする邪義を破折するのに、難しい論理は、まったく必要ないのであります。それは本門戒壇の大御本尊様を、三秘・六秘と開いていった場合、三秘総在の本門の本尊は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三大秘法となります。それを更に開いた場合、本門の本尊は「人」の本尊と「法」の本尊になり、本門の題目は「信」の題目と「行」の題目になり、本門の戒壇は「義」の戒壇と「事」の戒壇となって、六大秘法となるのであります。これが正しい三大秘法開合の相であります。

ところが大草氏とお坊さまたちは、本門の戒壇は「の戒壇」と「の戒壇」だけだと云って「義の戒壇」は存在しないと言って、胸を張って、邪義を垂れ流しているのでありますが、ちゃんちゃら可笑しいではありませんか! 謗法充満の広宣流布もしないうちから、本門事の戒壇が存在するのだそうです。笑ってやってください。

お坊さまたちのいう「『“大御本尊まします処(※当時は富士大石寺正本堂)は、いつ何時なりとも本門事の戒壇”とする大石寺の指南は真正』」とする解釈は完全な間違いであります。これを「大聖人の仏法に違背している」と指摘した、顕正会の批判は全く正しいのであります。

そこで「義の戒壇」は如何にと問い質せば、歴代書写の御本尊を他所から持ち出して来て、それが「義の戒壇」だと言うのでありますが、それはまんざら間違いではないものの、三秘・六秘の開合の相を論ずる時には、本門戒壇の大御本尊様のみに限定して論ずる法門なのであって、他所から別の御本尊を持ち出して来て、是れが「義の戒壇」だとするのは大きな誤りなのであります。

こんな莫迦なお坊さまたちが袈裟の権威を笠に着て、邪義をどんどん垂れ流しているのであります。したがって、お坊さまが展開する三大秘法開合の相は、五大秘法か、あるいは下手をすると七大秘法となってしまうのであります。

繰り返しますが、本門「事の戒壇」とは、日本国の広宣流布の暁に全世界の人々の為に、日本国が、国家の威信と経済と信徒の浄財を以って、戒壇の大御本尊様が永久にお住まいに為られる祭壇、すなわち戒壇堂を建立することであります。それを曲げて堕落したお坊さまたちは、広宣流布の達成に関係なく「事の戒壇」は、元々三秘総在の御本尊の中に存在するといった邪義を展開していますが、広宣流布も達成していない段階で、本門「事の戒壇」が、御本尊の中に備わっているという、邪義を吹聴しているのであります。

それに大草氏と頭破七分のお坊さまたちは空恐ろしいことに「日寛上人の講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と仰せられているのである」などと、とんでもない邪義を書き連ねていますが、これを称して罰当たりの典型を呼ぶのであります。

大草氏と堕落したお坊さまたちは「日寛上人が講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと『戒壇の御本尊在所は事の戒なり』と仰せられているのである」等と御文を改竄した切り文を記載して得意満面の様子ですが、是れを称して純真な信徒を騙すのもいい加減にせよ! と云いたいのであります。

日寛上人が講ぜられた「三大秘法の事」を聴講した当時の某門弟が書き遺した聞書きを、後年、日相上人が筆記されたとする本門戒壇に関する戒壇義は、次のように記されています。

本門戒壇についての原文は「在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也」「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」とあります。

つまり「在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也」とは、広宣流布するまでの長い間、本門戒壇の大御本尊は、ある時は土蔵に、ある時は校倉に、亦ある時は御宝蔵に、奉安殿にと、時代の要請に応じて、お住まいが変わっていらっしゃることを仰せなのであります。すなわち「義理の戒壇」の説明であります。

次に「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」の御文ですが、邪智に長けたお坊さまたちは日寛上人が「『戒壇の御本尊在所は事の戒なり』と仰せられているのである」などと、卑劣にも「富士山」の三文字を切り捨てて御文を改竄し、呆れ返るよな切り文を施した邪義を列記しているのでありますが、こうした姑息な邪義を絶対に許してはならないのであります。

日寛上人こそ、御自身が講ぜられた「三大秘法の事」の御文が、後世の堕落したお坊さまたちから改竄せられて、こんな形で悪用されるとは夢にも思わなかったに違いありません。今日の邪智に長けたお坊さまが悪意を以って垂れ流す卑劣な邪義には、腰を抜かさんばかりに驚かれているのではないでしょうか!

今日の堕落した卑劣なお坊さまたちが書き連ねた「戒壇の御本尊在所は事の戒なり」の御文の頭には、元々「富士山」の三文字が冠せられているのであります。

すなわち原文は「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」となっているのであります。ここで言う「富士山戒旦」とは現在の大石寺の境内を指しているのではありません。大聖人様が三大秘法抄に「霊山浄土に似たらん最勝の地」と仰せられた、富士山麓の景勝地たる天生ヶ原に広宣流布の暁に建立される本門寺戒壇=国立戒壇の御事であって、決して、広宣流布以前の戒壇の御本尊の御座所のことを言っているのではありません。

第二十六世日寛上人は「事の戒壇とは、富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(法恩抄文段)と仰せであります。

卑劣にして救い難い今日の間違った堕落したお坊さまたちから、決して騙されてはならないのであります。

④「以上のことから、大本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇でありそれが、さらに広布の時を持って「本門寺の戒壇」と顕れる、という大石寺の指南は真正であり、これを「大聖人の仏法に違背している」などと誹謗する浅井は、まさに、〝未だ得ざるを是れ得たりと謂う〟増上慢であることが明白である」について

④に対する破折

頑迷なお坊さまたちは何度言っても富士門流の正義が理解できないようです。「大御本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇でありそれが、さらに公布の時を持って「本門事の戒壇」と顕われる」のだそうです。ちゃんちゃら可笑しいですね。

「本門事の戒壇」は、二度に亘って建立しなければならないとは呆れましたね。そんな事は、絶対にあり得ないのであります。ニセ戒壇正本堂以後、こうした今まで聞いたこともない邪義を垂れ流すから、今日折伏は全く進まなくなっているのであります。

大草一男氏やお坊さまに言わせると、現在建っている奉安堂は、「現時における『事の戒壇』」なのだそうです。前出の大白法にも同じ趣旨の邪義が延々と述べられていますが、日暮れて道尚遠しの感を深くしております。それでいて、本門義の戒壇を論ずるに当たっては、他所から担ぎ出してきた歴代嫡々書写の御本尊の在所を義の戒壇だと言ってみたり、下記に示した日寛上人の文底秘沈抄と依義判文抄を引いて、義の戒壇の説明に代えていますが、堕落したお坊さまたちにはその矛盾にまったく気がついていないのです。

始めに文底秘沈抄に云く、「所謂戒壇とは、即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり」(六巻抄 P.61)と。

上の御文を解説するまでもありませんが、日寛上人ははっきりと、「本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり」と仰せられています。その本門の御本尊様は、現在奉安堂に御安置せられてありますが、その本門の本尊の所住の処が、何故に、突如として「事の戒壇」になるのでしょうか、此れを矛盾同着の邪義というのであります。

次に依義判文抄に云く、「本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処、並びに義は本門の戒壇に当たるなり」(同 P.104)と。

此処で日寛上人は、「本門の本尊所住の処、並びに義は本門の戒壇に当たるなり」と御教示せられ、本門戒壇の御本尊様のお在します処は、「義として、本門事の戒壇」と仰せられているのであって、戒壇の大御本尊様の所住の処を直ちに「事の戒壇」とすることを、ずばりと否定されているのであります。

今日の邪義に染まったお坊さまに言わせると、現在の奉安堂は「事の戒壇」であるから、広宣流布した時には、もう一度頑張って「事の戒壇」を建てるのだそうです。こんな間尺に合わない事など叫んでみたところで、富士門流古来の正しい戒壇義を信受している者は、誰が本気で取り組みますか! こんなアホな事ばかりを垂れ流しているから折伏は進まないし、誰も燃える者がいないのであります。

こうして正宗信徒は一番大切な根本教義たる三大秘法の戒壇義に背反しているが故に、一切の功徳を喪失し、成仏を遂げることが叶わなくなっているのであります。

大聖人様は種種御振舞御書に、「此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且く禁をなして、国をたすけ給えと日蓮 がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と。づづけて、「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」と御教示であります。今こそこれらの御文を、今一度深く味わうべきであります。










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浅井会長の腐敗堕落 (旅人)
2016-02-11 01:40:05
浅井会長は唯一正義だという。しかし末法の凡夫が完全な正義であるハズがない。人間誰でも間違いはあるし欠点もある。完全無欠などありえない。
ところで元顕正会員の人が本に書いていたが、浅井会長の長男は犀角独歩氏のレクチャーを受けたいと考えていたと。犀角氏は戒壇の大御本尊は偽物だと主張する人物。この本によると長男は犀角氏と親しい大木氏とは度々本部に招いて面談していたと。これって浅井会長は全く知らなかったの?長男は会長に内緒でやっていたの?到底考えられない。浅井会長の指示監督の下だったハズ。
今や日蓮宗だけでなく創価学会も正信会も本門戒壇の大御本尊は偽物と考えているようだが、浅井会長もその方向で情報収集していた疑いが残る
真実を理解している人はあまりに少ないですね… (太郎)
2017-05-26 14:58:08
亡国さん、初めまして。いつもブログを拝見して勉強させて頂いております、太郎と申します。

まさに亡国さんの仰る通りです。
このブログで書かれておる真実を顕正会員にも法華講員にも学会員にもよくよく見てもらいたく思います。
それにしても残念でならないのは亡国さんがご指摘の通り顕正会まで変節し功徳を失ってしまった事です。
顕正会から法華講に移った大半の方々は、今の顕正会に対する現在の姿の異論だけではなく、御遺命の国立戒壇を否定するまでに至っております。
これも顕正会、浅井会長の責任でありますが、御宗門の責任でもあります。
浅井会長の御宗門における功績は大きかったですが、宗門の方は認めず現在に至っております。浅井会長においても踏ん張り切れずに今のように御遺命守護に立たれた時の一貫する志が折れたのだと推察します。
浅井会長も現在の様々な問題を受け止め、最後動いて頂きたいですし、御宗門こそ学会、顕正会を異流義などと過去の事をなかった事にする発言や行動はやめて、顕正会、学会を導いていくべき使命と責任を果たして頂きたく思います。
主観で誠に恐縮でありますが、亡国さん程今の現状を捉えられている方は宗門にも学会にも顕正会にもいらっしゃいません。
今後とも宜しくお願い致します。

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