亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

大草一男氏とお坊さまたちは恐るべき邪義を垂れ流しています

2017年04月22日 13時51分13秒 | 亡国の坂道 
暁鐘編集室から発刊された「摧破異流義考」(P.13~14)に記された邪義の第二弾として「一、戒壇の法義の開き方について」と題して、大草一男氏とお坊さまたちは、次のようなとんでもない頭破七分の戒壇義を書き連ねています。そうした一連の邪義は、顕正会が宣揚する国立戒壇論を誹謗したものでありますが、彼らの展開する理解しがたい言語明瞭意味不明な邪義には、読者の便を図るため数字と太字を用いて記すことにしました。

大草氏とお坊さま云く「まず、浅井等は、『三大秘法のうち本門(事)の戒壇は、広宣流布の暁に初めて建立されるものであり、それ以前に大御本尊が安置せられる処は、その意義が本門事の戒壇に通ずるというだけであって、本門事の戒壇とは称さない』したがって、“大御本尊まします処(※当時は富士大石寺正本堂)は、いつ何時なりとも本門事の戒壇”とする。大石寺の立場は大聖人の仏法に違背している」等と主張する。

そして、①大聖人の『三大秘法抄』に〝国主ほか一国の大衆が妙法に帰伏した時に本門事の戒壇を建立すべきである〟等と示される御金言や、この御金言を引いて、そのまま本門事の戒壇の説明に代えられた二十六世日寛上人の御指南、さらに日寛上人の御指南を基として示された後代の上人方の御教示を、自説の根拠として挙げるのである。仏法の道理に暗い初学の人々は、ほとんど、これに引っ掛かって迷いを起すようである。しかしながら、この主張には、基本的に大きな誤まりが存している。

すなわち浅井等は、本門(事)の戒壇を論ずるにあたって、まず、未来広宣流布の暁に建立される建造物を根本として、そこから、広宣流布の以前は、いまだその戒壇が存在していなけれども、大御本尊安置の処が戒壇の意義に通ずるのである、という論の開き方をしているわけである。

が、もとより本門の戒壇は、本門の題目と共に、三秘総在の大御本尊の一事に具わり収まっているのであり、これこそが日蓮正宗の宗旨の根本なのである。つまり、③大御本尊のまします処、そこが本門(事)の戒壇であり、これを根本として、さらに将来、広宣流布が達成した時には、世の中の信仰の中心・根本を象徴する戒壇の建造物を建てる(これを大聖人はあらかじめ「本門寺の戒壇」と名付けられている)、と開くのが、法門の正しい筋道であり、大聖人の御誠意であるとも申せよう。

浅井等の主張は、この辺の筋道を理解できずに、逆転した法門の開き方に固執し、かえって大聖人の御誠意を誹謗するのである。これでは、大御本尊の当体に三秘が闕減なく収まるという、三秘総在の法義に乱れを生じ、どこまでも大御本尊を根本として一切の法義を開いていく、本宗の教義と信仰を狂わせることとなってしまうのである。

なお、付言しておくならば、本宗上古の時代においては、謗法者からの法難も多かったため、大御本尊はあくまでも秘蔵の扱いで厳護されてきた。それ故、『三大秘法抄』にせよ、日寛上人の御指南にせよ、文の面に、大御本尊安置の処が本門事の戒壇、というような直接的表現を用いられることはなかったものと拝せられる。が、一方、内々の御弟子に対する口述の中では、こうした配慮は当然のことながら無用であった筈で、④事実、日寛上人の講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと「戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と仰せられているのである。

以上のことから、⑤大本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇でありそれが、さらに広布の時を持って「本門寺の戒壇」と顕れる、という大石寺の指南は真正であり、これを「大聖人の仏法に違背している」などと誹謗する浅井は、まさに、〝未だ得ざるを是れ得たりと謂う〟増上慢であることが明白である」等としています。

それでは此処から拙者が、大草一男氏とお坊さまたちが垂れ流す邪義を破折する事にします。

大聖人の『三大秘法抄』に〝国主ほか一国の大衆が妙法に帰伏した時に本門事の戒壇を建立すべきである〟等と示される御金言や、この御金言を引いて、そのまま本門事の戒壇の説明に代えられた二十六世日寛上人の御指南、さらに日寛上人の御指南を基として示された後代の上人方の御教示を、自説の根拠として挙げるのである。仏法の道理に暗い初学の人々は、ほとんど、これに引っ掛かって迷いを起すようである。しかしながら、この主張には、基本的に大きな誤まりが存している。について

①に対する破折

バカな事を言ってはいけません。大草一男氏やお坊さまたちは、顕正会が、御本仏大聖人様から御開山日興上人へ賜った「一期弘法付嘱書」と、富士門流が七百年のあいだ最も大切にしてきた「三大秘法抄」あるいは日寛上人の御指南、歴代正師の御筆記を自説の根拠にていることが間違いだとでも言いたいのでしょうか?

それに「仏法の道理に暗い初学の人々は、ほとんど、これに引っ掛かって迷いを起すようである。」しかしながら、この主張には、基本的に大きな誤まりが存しているなどと誹謗していますが、国立戒壇のどこが誤りで、仏法の道理に暗い初学人々とは、大聖人様の御本頑たる国立戒壇に反対し、富士門流の七百年来の教義を歪曲した揚げ句、一切の功徳を喪失せしめ、宗門を未曾有の混乱に陥れた自分たちの事を言っているのではないでしょうか! 

また「この主張には、基本的に大きな誤まりが存している」などと大上段から振りかぶってきて、たいそう大慢心のご様子ですが、彼らは、よもや大聖人様がお顕わしになられた三大秘法抄や日寛上人の御指南、あるいは歴代先師の御筆記等が間違っているとでも言いたいのでしょうか?

そもそも三大秘法抄は、一期弘法付嘱書の助証と謂われているほどの御相伝書であります。大聖人様から二祖日興上人が唯授一人の血脈相承として賜った御相伝書が、一期弘法付嘱書のみで終わっていたものなら、末代の弟子旦那等は「本門寺の戒壇」について迷いや争いを生じ、大聖人様に対して「どうして大聖人は『本門寺の戒壇』についてはっきりと書き遺して置いて下さらなかったのか、一期弘法付嘱書なんて偽物だ」などと勝手な憶測をはさんで、さまざまな恨み言をいう者が出てくることを慮られ、その時の用心のために、三大秘法抄を在家代表として、下総在住の太田金吾殿に、本門寺の戒壇=本門「事の戒壇」について将来間違いを起こさぬよう、戒めを籠めて賜った重書なのであります。依って三大秘法抄が、一期弘法付嘱書の助証と謂われる所以がそこにあるのであります。

その御文を本抄の末文に次のように記されています。

「予年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間、貴辺に対し書き遺し候。一件の後は秘して他見ある可からず。口外も栓無し」と。

この御文こそ、本門寺の戒壇=国立戒壇について異議を生じ、宗門がただならぬ状況に置かれている今日、我ら末弟に書き遺し置かれたものとして拝すべきであります。

ここで改めて一期弘法付嘱書と三大秘法抄でお示しの「本門寺の戒壇」についての御教示を拝見したいと思います。

はじめに一期弘法付嘱書「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

第五十六世日応上人は御付嘱状について斯く仰せであります。「日蓮一期の弘法」とは、この戒壇の大御本尊は宗祖日蓮大聖人様出世の御本懐なるがゆえに『日蓮一期の弘法』と云うなり。これを白蓮阿闍梨日興に付嘱し、事の広宣流布の時、富士山に本門戒壇を建立すべし、なかんずく我が門弟たる者、この状を守り、少しも違背すべからず、と制誡し給うなり」(御宝蔵説法本)と御指南されています。 

次に三大秘法抄「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪に未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべき乃。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」と。

依って富士門流の歴代血脈付法の御正師は、広宣流布の暁の本門「事の戒壇」=「国立戒壇」について夫々次のように仰せであります。

はじめに第二十六世日寛上人

「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法乃至国主此の法を立らるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』云々」(報恩抄文段)と。

第五十六世日応上人

「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって-----」(御宝蔵説法本)と。

第五十九世日亨上人

「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天公布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華 11号)と。

「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の1ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)と。

「宗祖所弘の三大秘法は南進難解なり。(中略)何に況んや、天下一同他事を捨てて、専ら此の本尊に向かって此の題目を唱うべき本門戒壇国立は、至難中の至難に属するものをや」(富士大石寺案内)と。

第六十四世日昇上人

「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり、国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と。

第六十五世日淳上人

「この元朝勤行とても(中略)二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布の祈願の勤行を伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく広宣流布を待つべし』とあるのが、それであります」(大日蓮 昭和34年1月号)と。

つづけて「真に国家の現状を憂ふる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(日淳上人全集)と。

第六十六世日達上人

「真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行にに徹底邁進せられんことを願うものであります」(大日蓮 昭和35年1月号)と。

「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華 昭和35年1月号)と。

「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立戒壇であります」(大日蓮 昭和36年5月号)と。

かつての創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたから、当然の如く国立戒壇を高々と宣揚して折伏戦を展開していました。

第二代会長戸田城聖氏

「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(大白蓮華 昭和31年3月号)と。

「我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華 昭和31年8月号)と。

第三代会長池田大作氏

「『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是れなり』の御予言こそ遺された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華 昭和31年1月号)と。

「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華 昭和31年4月号)と。

こうして創価学会が御本仏大聖人様の究竟の御本願である国立戒壇を前面に掲げ、老いも若きも国立戒壇建立に向けて、燃えに燃え全学会員が火の玉となって闘ったからこそ、全員が身に余る功徳を頂戴し、戸田城聖氏が豊玉刑務所から出獄した昭和20年7月から、池田大作氏が第三代会長に就任した、昭和45年5月までの僅か四半世紀の間に、じつに八百万世帯という前人未踏の驚異的な折伏を達成しているのであります。

ところが、この頃から創価学会の政治進出が本格化するに連れて、宗教団体が政治に関与する事に批判が強まり、藤原弘達氏の著書「創価学会を斬る」に対する言論出版妨害事件が勃発、併せて、日本共産党の谷口善太郎氏からの創価学会の政治進出に対して、憲法違反ではないか等の質問主意書が国会に提出されるなど、世間はようやくさわがしくなり、池田会長を国会に呼んで、国立戒壇の意義について問い質そうという事になってまいりました。

そうしたところ昭和45年5月3日、創価学会は日大講堂で第33回本部総会を開催し、国立戒壇を前面否定するに至るのであります。来賓として出席した第六十六世日達管長は、学会の池田会長に諂い、次のような歴史的な発言をするのであります。

云く「日本の国教でもない仏法に『国立戒壇』なんてあり得ないし、そういう名称も不適当であったのであります。明治時代には『国立戒壇』という名称が一般的に理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。今日では『国立戒壇』という名称は世間の誤解を招くし、かえって布教の邪魔になるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」等と。

大聖人様は立正安国論の中で、仏法と国家の関係、すなわち邪法乱国・正法治国の根本原因を金光明教、大集経、仁王経、薬師教等の四経の経文を引かれて、災難興起の原理を説き明かされています。また立正安国論の題号が示すとおり、唯一の正法たる三大秘法を国家的に立てて、国を安んずることを究極の御本願と為されているのであります。したがって、日達管長が吹聴するごとく「明治時代には『国立戒壇』という名称が一般的に理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります」などというバカげた話はウソであって、決してこうした悪質な諛言に騙されてはならないのであります。

立正安国論で仰せられる眼目は、念仏・真言・禅・律等の熟脱の仏法、あるいは間違った思想を撲滅して、唯一の正法たる三大秘法を国家的に信奉して、国家・国土を永遠に安穏ならしめることを勘奨為されています。仏家の通軌から立正安国論の文意を衣文判義して名称を付すれば、国を安ずることを目的とした立正安国論の趣旨は、国立戒壇ということに集約されるのであります。したがって日達管長が吹聴するような「明治より前には、そういう名称はなかったのであります」という話は完全なまやかしであることが解ります。

依って安国論には「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。此の言、信ずべく崇むべし」と仰せられるのであります。
                                          
また常忍抄には次のように仰せであります。「日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず、所詮末法の今に譲り与えしなり」と。

ここで云う第三の法門とは、第一の権実相対の法門のことであります。次の第二の法門とは、本迹相対の法門のことであります。次の第三の法門とは、種脱相対の法門を指しています。この種脱相対の法門こそ三大秘法なのであります。この三大秘法を「日蓮が法門」と仰せなのであります。

拠って四十九院申状には「第三の秘法今に残る所なり。是れ偏に末法闘諍の始め、他国来難の刻、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。

つづけて四十九院申状に「夫れ仏法は王法の崇尊に依って威を増し、王法は仏法の擁護に依って長久す」と御教示であります。

日本国の国教とすべき、末法万年の尽未来歳までの国家と人々を救いきっていく、法華経本門寿量品の文底に秘沈された事の一念三千の御本尊であれば、広宣流布の暁の戒壇は、本門事の戒壇=国立戒壇でなければならないのであります。

すなわち浅井等は、本門(事)の戒壇を論ずるにあたって、まず、未来広宣流布の暁に建立される建造物を根本として、そこから、広宣流布の以前は、いまだその戒壇が存在していなけれども、大御本尊安置の処が戒壇の意義に通ずるのである、という論の開き方をしているわけである。について

②に対する破折

大草氏とお坊さまたちは、浅井氏にとんでもない誹謗を加えていますが、広宣流布の暁に国家的に建立される本門「事の戒壇」とは、戒壇の大御本尊様が永久にお住まいになられる〝建造物〟のことであります。

故に、三大秘法抄には「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝に地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」と御教示であります。此の御文こそ、広宣流布の暁の本門寺の戒壇建立の勧奨であり、本門戒壇の大御本尊様が永遠にお住まいになられる戒壇堂、すなわち〝建造物〟を建立せよという御命令ではありませんか! それはあくまでも広宣流布の暁に建立される国家的戒壇である故に「時を待つべきのみ」と厳誡せられ、その戒壇を「事の戒法・事の戒壇」と仰せられるのであります。それ以前の戒壇は、どこまでも「義の戒壇」とする立て分けが、七百年来の富士門流の正しい戒壇義なのであります。

大草氏と大石寺のお坊さまたちが「大本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇である」とする邪義を破折するのに、難しい論理は、まったく必要ないのであります。それは本門戒壇の大御本尊様を、三秘・六秘と開いていった場合、三秘総在の本門の本尊は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇に分かれ三大秘法となります。それを更に開いた場合、本門の本尊は「人」の本尊と「法」の本尊になり、本門の題目は「信」の題目と「行」の題目になり、本門の戒壇は「義」の戒壇と「事」の戒壇となって、六大秘法となるのであります。これが正しい三大秘法開合の相であります。

ところが大草氏とお坊さまたちは、本門の戒壇は「の戒壇」と「の戒壇」だけだと云って、「義の戒壇」は存在しないと言って、胸を張って、邪義を垂れ流しているのであります。

お坊さまたちのいう「『“大御本尊まします処(※当時は富士大石寺正本堂)は、いつ何時なりとも本門事の戒壇”とする大石寺の指南は真正』」とする解釈は完全な間違いであります。これを「大聖人の仏法に違背している」と指摘した、顕正会の批判は全く正しいのであります。

そこで「義の戒壇」は如何にと問い質せば、歴代書写の御本尊を他所から持ち出して来て、それが「義の戒壇」だと言うのでありますが、それはまんざら間違いではないものの、三秘・六秘の開合の相を論ずる時には、本門戒壇の大御本尊様に限定して論ずる法門なのであって、他所から別の御本尊を持ち出して来て、是れが「義の戒壇」だとするのは大きな誤りなのであります。

こんなバカなお坊さまたちが袈裟の権威を笠に着て、邪義をどんどん垂れ流しているのであります。したがって、お坊さまが展開する三大秘法開合の相は、五大秘法か、あるいは下手をすると七大秘法となってしまうのであります。

繰り返しますが、本門「事の戒壇」とは、日本国の広宣流布の暁に全世界の人々の為に、日本国が、国家の威信と経済と信徒の浄財を以って、戒壇の大御本尊様が永久にお住まいに為られる祭壇、すなわち戒壇堂を建立することであります。それを曲げてお坊さまたちは、広宣流布の達成に関係なく「事の戒壇」は、元々三秘総在の御本尊の中に存在するといった邪義を展開していますが、広宣流布も達成していない。未だ戒壇堂も建立していない段階で、本門「事の戒壇」が、御本尊の中に備わっているという、バカげた邪義を吹聴しているのであります。

大御本尊のまします処、そこが本門(事)の戒壇であり、これを根本として、さらに将来、広宣流布が達成した時には、世の中の信仰の中心・根本を象徴する戒壇の建造物を建てる(これを大聖人はあらかじめ「本門寺の戒壇」と名付けられている)、と開くのが、法門の正しい筋道であり、大聖人の御誠意であるとも申せよう。について

③に対する破折

お坊さまたちが上記のような邪義を展開する理由は、戒壇の大御本尊様は、事の一念三千の御当体そのものであから、その大御本尊のお在す所は、即「事の戒壇」とする短絡的な発想に依るものです。しかしながら、それはあくまでも「事の御本尊」であって、決して「事の戒壇」とは言わないのであります。

お坊さまたちが展開する上記の邪義を破折するために、日寛上人が法華取要抄文段で仰せられた、本門の戒壇義についての御教示は次の如くであります。

云く「当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ即ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。初めに義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、是れ塔の義」等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり。亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処皆是れ義理の戒壇なり」と御教示であります。

「次に正しく事の戒壇とは、秘法抄に云わく『王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり等云々』」と。御教示であらせられています。

要するに、日寛上人は広宣流布以前の事の御本尊の御座所は「事中の事理」と定義せられ、道理としての義理の戒壇、即ち「義の戒壇」とせられ、広宣流布の暁に日本の名山、富士山の最勝の地たる天生ヶ原に、事相に建てられる本門寺の戒壇=国立戒壇を「事中の事」即ち「事の戒壇」と御教示なのであります。

もう少し解り易く説明するなら、日寛上人は義理の戒壇を説明するに当たり、天台の法華文句十の文を引かれ「仏其の中に住す、是れ塔の義」と釈されていますように、広宣流布以前の本門戒壇の御本尊の御座所は、塔の中にお住まいであるから、あくまでも秘仏なのであって、たとえ正宗信徒と雖も見世物のように、軽々に御開扉してはならないとの御意であります。

然ればどのように拝するかと申しますと、戒壇の大御本尊は広宣流布するまでの間は、御宝蔵の奥深くに秘蔵厳護申し上げ、遠くから閉扉のまま、遥拝申し上げる姿が正しいのであります。

それに対して広宣流布の暁に本門戒壇堂に御出ましの御本尊は、全世界の人々の「懺悔滅罪の戒法」の根源の戒壇となる故に、この時初めて公開される「事の戒壇」となるのであります。

また「事の戒壇」とは、広宣流布の暁に時の天皇陛下の勅宣を奉戴し、国家意思の公式表明によって建立される最終の国立戒壇のみを、唯一「事の戒壇」と称するのであります。その事を三大秘法抄に「勅宣並びに御教書を申し下して」と御教示なのであります。すなわち「事の戒壇」とは、こうした二つの国家的手続きを経て、事相に建立される本門戒壇=国立戒壇を「事の戒壇」とお呼びするのであります。

したがってお坊さまたちが宣伝する、本門戒壇の御本尊の在所は、何時でも何処でも「事の戒壇」とする解釈や説明は、完全な間違いであり、とんでもない邪義なのであります。そもそも、このような邪義を構えるに至った発端は、創価学会の政界進出を助けるた為の、教義歪曲に端を発しているのであります。その元凶が池田大作氏であり、池田氏に諂って邪義を煽動したのが六十六代を継いだ日達管長であり、ニセ戒壇正本堂だったのであります。

今日の宗門のお坊さまたちは、未だ、秘仏であるところの本門戒壇の大御本尊を営利の具として利用し奉り、お金集めに狂奔し、内拝と称して怨嗟の起こるような御開扉を繰り返して不敬を重ねているのでありますが、そのような不敬冒涜を重ねて平然と構えるなら、信徒は信徒で即物的な功徳をおねだりする信心に、疑問を持つ者は一人としてい居ない。このような崩れた信心は根本的に間違いであり、何等の功徳は生じなのであります。

事実、日寛上人の講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと「戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と仰せられているのである。について

④に対する破折

空恐ろしいことに、大草氏とお坊さまたちは「日寛上人の講ぜられた『三大秘法の事』の聞書きには、はっきりと『戒壇の御本尊在所は事の戒なり』と仰せられているのである」等と御文を改竄した切り文を記載して得意満面の様子ですが、是れを称して純真な信徒を騙すのもいい加減にせよ! と云いたいのであります。

日寛上人が講ぜられた「三大秘法の事」を聴講した当時の某門弟の聞書きを、後年、日相上人が筆記されたとする本門戒壇に関する戒壇義は、次のように記されています。

本門戒壇についての原文は「在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也」「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」とあります。

つまり「在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也」とは、広宣流布するまでの長い間、本門戒壇の大御本尊は、ある時は土蔵に、ある時は校倉に、亦ある時は御宝蔵に、奉安殿にと、時代の要請に応じて、お住まいが変わっていらっしゃることを仰せなのであります。すなわち「義理の戒壇」の説明であります。

次に「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」の御文ですが、お坊さまたちは日寛上人が「『戒壇の御本尊在所は事の戒なり』と仰せられているのである」などと、卑劣にも「富士山」の三文字を切り捨てて御文を改竄し、呆れ返るるよな切り文を施した邪義を列記しているのでありますが、こうした姑息な邪義を決して許してはならないのであります。

日寛上人こそ、御自身が講ぜられた「三大秘法の事」の御文が、後世のお坊さまたちから改竄せられて悪用されるとは夢にも思わなかったに違いありません。今日のお坊さまが悪意を以って垂れ流す卑劣な邪義には、腰を抜かさんばかりに驚かれているのではないでしょうか!

今日のお坊さまたちが書き連ねた「戒壇の御本尊在所は事の戒なり」の御文の頭には、元々「富士山」の三文字が冠せられているのであります。

すなわち原文は「富士山戒旦ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒旦也」となっているのであります。ここで謂う「富士山戒旦」とは現在の大石寺の境内を指しているのではありません。それこそが広宣流布の暁に富士山麓の天生ヶ原に建立される本門寺戒壇=国立戒壇の御事であって、広宣流布以前の戒壇の御本尊の御座所のことを言っているのではありません。

第二十六世日寛上人は「事の戒壇とは、富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(法恩抄文段)と仰せであります。

卑劣にして救い難い今日の間違ったお坊さまたちから、決して騙されてはならないのであります。

大本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇でありそれが、さらに広布の時を持って「本門寺の戒壇」と顕れる、という大石寺の指南は真正であり、これを「大聖人の仏法に違背している」などと誹謗する浅井は、まさに、〝未だ得ざるを是れ得たりと謂う〟増上慢であることが明白である」について

⑤に対する破折

このお坊さまたちは何度言っても解ろうとしない。「大御本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇でありそれが、さらに公布の時を持って「本門寺の戒壇」と顕われる」のだそうです。ちゃんちゃら可笑しいですね。

「本門寺の戒壇」は、二度に亘って建立しなければならないとは呆れましたね。そんな事は、絶対にあり得ないのであります。ニセ戒壇正本堂以後、こうした今まで聞いたことも無い邪義を垂れ流すから、今日折伏は全く進まなくなっているのであります。

少し考えれば解るとおり、現在建っている本門「事の戒壇」を、広宣流布するの為に、もう一度頑張って本門「事の戒壇」建てましょう。などと云って叫んでみたところで、誰が本気で取り組みますか! こんなアホな事を言っているから折伏は進まないし、誰も燃える者がいないのであります。

こうして正宗信徒は一番大切な根本教義たる三大秘法の戒壇義に背反しているが故に、一切の功徳を喪失し、成仏を遂げることが叶わなくなっているのであります。

大聖人様は種種御振舞御書に「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」と御教示であります。今こそ此の御文を、今一度深く味わうべきであります。





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浅井会長の腐敗堕落 (旅人)
2016-02-11 01:40:05
浅井会長は唯一正義だという。しかし末法の凡夫が完全な正義であるハズがない。人間誰でも間違いはあるし欠点もある。完全無欠などありえない。
ところで元顕正会員の人が本に書いていたが、浅井会長の長男は犀角独歩氏のレクチャーを受けたいと考えていたと。犀角氏は戒壇の大御本尊は偽物だと主張する人物。この本によると長男は犀角氏と親しい大木氏とは度々本部に招いて面談していたと。これって浅井会長は全く知らなかったの?長男は会長に内緒でやっていたの?到底考えられない。浅井会長の指示監督の下だったハズ。
今や日蓮宗だけでなく創価学会も正信会も本門戒壇の大御本尊は偽物と考えているようだが、浅井会長もその方向で情報収集していた疑いが残る

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