亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

またまた邪義を垂れ流している

2017年07月29日 14時31分37秒 | 亡国の坂道 
坊さんらは、摧破異流義孝誌(P.24~28)に、〝一、本門戒壇について〟と題して次のように記しています。

日蓮大聖人の御化導中、三大秘法の名目が初めて示されたのは、佐渡流罪中の文永十一年に御認めの『法華行者値難事』においてであり、以後、重要御書をもって三秘の内容・意義を明かされている。しかし、本門戒壇については、ただ名目のみを挙げられ、その内容・意義については直接に説き明かされることはなかったのである。そして、御入滅間近の弘安五年に至って、初めて『三大秘法抄』に、

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮堤の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり。此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじ」云々(御書1559㌻)と説かれ、さらに日興上人への御付嘱状たる『一期弘法抄』に、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり」(御書1675㌻)と示したもうたのである。

以来、この本門戒壇の意義については、本宗の御歴代上人方が時に応じて分々の御指南を遊ばされてきたが、近年、浅井昭衛らのごとく、この本門戒壇の深義に異見を生ずる誹謗の輩が出来してきたために、第六十六世日達上人は、御相伝の法門によって本門戒壇の意義と内容を整理・体系化され、戒壇に関する教義の詳細を初めて明確にお示しくださったのである。今、その御指南を拝して、本門戒壇の意義を簡略に述べてみる。

戒壇に事義の立て分け

大聖人の仏法における戒法とは、爾前迹門の教法を捨てて独一本門の本尊を受持(この受持とは、むろん受持信行の意である)し、即身成仏を遂げることであり、天台の理の戒に対すれば事の戒となる。それは、天台の説く教法が迹門理の一念三千であるのに対し、大聖人は文底独一本門事の一念三千であり、しかも末法は今時においては、『上野殿御返事』に「今、末法に入りぬれば余経も法華経も栓なし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書1219㌻)と説かれるごとく、いかに法華経に即身成仏の教はあっても、事実として即身成仏の利益を生ずるのは大聖人の南無妙法蓮華経に限られるからである。

さらに第二十六世日寛上人の『文底秘沈抄』に「当流の意は事を事に顕わす」(聖典838㌻)とのお示しの意によれば、天台が理念的に法華経を受持するのに対し、事の一念三千の法体を事相の上に本尊として建立されていることもまた、天台仏法を理、大聖人の仏法を事とする所以といえよう(むろん事理の立て分けの正意は、教法の体そのものに理事の異なりがあることになる)。したがって、大聖人の顕わされた本門の本尊を受持し即身成仏を遂げていくことが、末法における事の戒法となるのである。

また、本門の本尊を受持ということであるが、最初に授戒を受けるのも、以後の修行も、すべて本門の本尊御安置の場所で行なわれる。その場所を戒壇といい、即身成仏の戒法を成就せんとする者は、必ず、この戒壇に詣でて信行に励むのである。

ところで、大聖人一期の御化導は、弘安二年十月十二日の大御本尊に極まる。この大御本尊こそ、末法の一切衆生即身成仏のための事の一念三千の当体にして、本門の本尊の窮極の実態にあらせられる。ゆえに、この弘安二年の大御本尊御安置のところ、すなわち本門事の戒壇であり、これに対すれば、天台宗延暦寺の戒壇は末法に無益な迹門理の戒壇となるのでる。
」と。

此処へ来て坊さんらは、またまた邪義を垂れ流しています。うっかりすると何の疑問もなく読み流してしまいそうですが、坊さんらは、「戒壇に事義の立て分け」と称して、わざわざ表題まで設けています。したがって此処では、本門の戒壇義を論ずる項であるにも拘わらず、俄かに、「天台の説く教法が迹門理の一念三千であるのに対し、大聖人は文底独一本門事の一念三千であり、しかも末法は今時においては、『上野殿御返事』に「今、末法に入りぬれば余経も法華経も栓なし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書1219㌻)と説かれるごとく、」などと、上野抄の一節を持ち出し、あるいは日寛上人の文底秘沈抄の一節を釈するなどして、「天台が理念的に法華経を受持するのに対し、事の一念三千の法体を事相の上に本尊として建立されていることもまた、天台仏法を理、大聖人の仏法を事とする所以といえよう」などと、巧妙に問題をすり替えて得々としていますが、今、「の戒壇」と「の戒壇」の違いを論じている時に、何故に、次元の異なる天台の理の一念三千と大聖人様の文底下種事の一念三千の法体の違いを持ち出して、「この弘安二年の大御本尊御安置のところ、すなわち本門事の戒壇であり、これに対すれば、天台宗延暦寺の戒壇は末法に無益な迹門理の戒壇となるのでる。」となるのか、論理矛盾も甚だしいと指摘せざるを得ないのであります。

すなわち「事の戒壇」とは、広宣流布の暁に、時の天皇陛下から勅宣を賜わり、御教書を申し下して(現代にあっては、国家意思の表明として国会の議決を経る)富士山天母ヶ原に建立される国立戒壇のことを、唯一「事の戒壇」と云い、大聖人様がその御事を三大秘法抄に「事の戒壇とは」「一閻浮堤の人懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。」とせられ、その戒壇を「事の戒法」と仰せ遊ばされているのであります。

日寛上人は、「事の戒壇」について、次の如く仰せであります。

云く、「夫れ本門の戒壇に事あり義あり。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処・義戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に『仏其の中に住す即ち是れ塔の義』と釈するが如し云々。正しく事の戒壇とは一閻浮堤の人懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。秘法抄に曰く『王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり』等云々、宗祖云く『此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜん』云々」(南条殿御返事)と。

亦云く、「本門戒壇に事あり、理あり、理は謂く義理なり。是れ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず、其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。初めに義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理・事の戒壇に当たるなり。経に云く『当知是処即是道場』とは是れなり。天台曰く『仏住其中即是塔義』等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり。亦当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等皆摘々書写の本尊を安置す、其の処は皆是れ義理の戒壇なり。(中略)次に正しく事の戒壇とは、秘法抄に云く『王法仏法に冥じ仏法王法に合して・・・・・事の戒法とは是なり』等云々。」(法華取要抄文段)と。

日寛上人の仰せられる「事の戒壇」とは、大聖人様から二祖日興上人へ賜わった、一期弘法付嘱書にお示しの「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり」と御下命遊ばされた本門寺の戒壇の御事を指し給い、また、三大秘法抄の「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり」と御教示せられた広宣流布の暁の、富士山天母ヶ原に建立される国立戒壇のことを指しているのであります。

したがって、坊さんが説明する天台の法華経文上迹門の理の一念三千と、大聖人様の説かれる法華経本門文底秘沈の事の一念三千との法体の違いを挙げて、天台の教法を「」、大聖人様の三大秘法を「」とする法体の違を持ち出すなんて可笑しな話であります。日寛上人が法華主要抄で仰せられるごとく「是れ即ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず、其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ」と注意を喚起されている意味は、あくまでも、広宣流布以前の戒壇の大御本尊のおわします御座所は、校倉にあっても、土蔵にあっても、御宝蔵にあっても、あるいは奉安堂にあっても、「義の戒壇」と定義づけられているのであります。

思い出して下さい。昭和45年4月3日、本山の対面所で日達管長と浅井昭衛氏の間で交わされた「事の戒壇」について、日達管長は浅井氏の正論にねじ伏せられ、面目丸つぶれの情景を再現して見ましょう。

日達管長、「『大御本尊いま眼前に当山に在します事なれば、此の所即ち本門事の戒壇、真の霊山・事の寂光土』とあるでしょう。だから、戒壇の大御本尊まします所は御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また正本堂であれ、事の戒壇といっていいのです」

浅井、「本宗では従来、広布の暁に建てられる御遺命の戒壇を『事の戒壇』といい、それまでの大御本尊まします御宝蔵・奉安殿を『義の戒壇』と申し上げてきたのではないでしょうか・・・・・」

日達管長、「あんた、二座の観念文になんてあります。『事の一念三千』とあるでしょう。戒壇の御本尊は事乃本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」

浅井、「お言葉ですが、『事の一念三千』の『』とは、文上脱益の理の一念三千に対して『』と仰せられたので、これは法体の上の立て分けかと思われます。したがって、いま戒壇における『』と『』の立て分けとは、次元が異なるように思われますが・・・・・

日達管長、「いや、ここに書かれているように、大御本尊まします所は、いつでもどこでも事の戒壇といっていいのです」

「怒気を含む強い調子で同じ言葉を繰り返された」

浅井、「では、御遺命の事の戒壇はどうなるのでしょうか。正本堂は果たして三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命された事の戒壇なのでしょうか」

「猊下は困惑の色を示してしばしば沈黙されたが、やがて意を決したように、広宣流布の時の事の戒壇は国立ですよと明確に云われた」

日達管長、「正本堂は最終の戒壇ではありません。広布の時は国立戒壇で、天母山に建てられるのです。」

浅井、「猊下の御本意を伺い、こんなに有難いことはございません。しかし学会員も法華講員も、まだ正本堂を御遺命の戒壇と思いこんでおりますが、これはいかがしたら・・・・・」

日達管長、「いや、私から間違わぬよう、よく伝えておきます」

浅井、「猊下は明言された。そして最後に、『妙信講の信心に、私は負けました』とまで仰せられた。」とあります。

次に、この事の戒壇に対し、他の大聖人御認めの数多の御本尊、また日興上人以来御歴代の書写せられた御本尊の所住のところを、義の戒壇と申し上げる。それは、これらの御本尊は悉く根源の弘安二年の大御本尊の分身散体であり、根源に対する枝葉の関係にあたっているから、信行者が各寺院・家庭において御本尊に向かうところ、その意義は事の戒壇にあたり、即身成仏の戒法を成就する、すなわち義理が事の戒壇にあたるところから、あえて根源の事の戒壇と分けて説明するときには、義の戒壇と称するのである。」について

坊さんらは、次に「この事の戒壇に対し」としていますが、そもそも広宣流布以前には「事の戒壇」は存在していないのであります。それにも拘らず、坊さんらは事の戒壇が有ることにして義の戒壇を説明していますが、彼等が言う義の戒壇の説明についてはまんざら間違いではないものの、富士門流七百年の伝統教義の展開の上から説明するならば、正しく「義の戒壇」とは、広宣流布に至るまでの間、本門戒壇の大御本尊がおわします処を「義の戒壇」と称し、広くは、大聖人様が御認めになられた数多の御本尊並びに歴代上人書写の御本尊、あるいは各末寺の本堂に掲げてある御本尊の在所を「義の戒壇」と定義せられているのであります。依ってそれに付随する各家庭に於ける御本尊のおわします所を、富士門流では七百年の間、併せて「義の戒壇」と称して来たのであります。

それに対して、正しく「事の戒壇」とは、広宣流布の暁に、勅宣並びに御教書を申し下して、富士山天母ヶ原に建立される最終の戒壇、即ち国立戒壇を、唯一「事の戒壇」と称して来たのであります。

以上のような事の戒壇・義の戒壇の立て分けは、日寛上人の御説法を四十三世日相聖人が科段に分けてお書きになった『三大秘法・・・・大貳阿闍梨(日寛上人)御構の聞書』にも、「在々処々本尊安置の処は義(理)の戒壇なり」とされ、「富士山戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と示されているのである。」について

日寛上人の御講聞書を後年、日相上人が科段に分けてお書きになられたメモによると「在々処々本尊安置の処は義(理)の戒壇なり」とせられ「富士山戒壇の御本尊在所は事の戒なり」とお示しになられています。それによる「義の戒壇」「事の戒壇」の説明については、富士門流七百年の伝統教義を正しく継承せられたものでありますが、ここで注意を要する問題として「富士山戒壇の御本尊在所は事の戒なり」と仰せられる意味は、広宣流布の暁の富士山天母ヶ原の国立戒壇の御事であって、現在の富士大石寺の奉安堂におわします戒壇の事を指しているのでは決してありません。したがって、現在奉安堂におわします戒壇は「義の戒壇」と称するのでありますが、それを坊さんらは、現在奉安堂におわします本門戒壇の大御本尊を「事の戒壇」と決め付けるから邪義というのであります。

さて、こうした事・義の立て分けによる根源の事の戒壇は、「御義口伝」に「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非らざるなり。(中略)今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。此れを道場と云ふなり」(御書1794㌻)と仰せの意、また御相伝の『戒壇御説法』に「戒壇の御本尊いま眼前に当山に在します事なれば、此の所すなわち是れ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」とお示しであることから拝すれば、何時、いかなる場所であろうとも、根源の大御本尊を奉安格護申し上げるころが即、事の戒壇である。」について

坊さんらは、彼の日達管長が昭和45年4月3日、浅井昭衛との間で取り交わした事の戒壇に係わる対論の中で、卑劣にも、日達管長は、日開上人の御宝蔵説法本の一節を引用しながら、「それは日応上人のものですね。あれには省略されている部分が在る。これがその原本です。大事なものだから人に見せるべきものではないが、この中に、戒壇の大御本尊まします所は『事の戒壇』とあるのです」などと勿体ぶって、大切な御文を両手で隠しながら読み上げたものが「戒壇の御本尊いま眼前に当山に在します事なれば、此の所すなわち是れ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」と記された一節だったのでありますが、その御文の部分のみを見せて、戒壇の大御本尊おわします所は、いつでも何処でも事の戒壇という邪義を垂れ流す根拠にしていたのであります。いま、坊さんらは、まさしくあの時の日達管長の二番煎じをやってのけた卑劣な行為と指摘しておきます。

忘れてはならないのは、その前の御文には「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なること疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る」「戒壇の大御本尊今眼前に当山に在す事なれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光土にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は無始の罪障忽ちに消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜん」云々と記された、大聖人様が南条抄の中で御教示下された御文を切り文にして「事の戒壇」を説明する根拠にしていますが、坊さんらは、今度は、傍線部分の最も大切な御文を切り文にして邪義を垂れ流しているのであります。これを称して、拙者は、日達管長の二番煎じと非難しているのであります。

つづく







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