羊の牧場

羊の暮らし

続 街角コンサート

2014-01-21 17:54:47 | インポート

 翌日のプロムナードコンサートは、いろいろな楽器の共演であった。

 オーボエとチェロとチェンバロで、バッハの「オーボエと通奏低音のためのソナタ」を聴く。

  ここのロビーにチェンバロがあったことをはじめて知った。

 和楽器の筝と、尺八に変えてオーボエで、宮城道雄の「春の海」。こころ和む演奏だった。

 P1110187 「筝」奏者 山野安珠美さん

  宮城道雄が考案したという、「17弦の筝」の演奏も聴く。


鳩と九条

2013-08-28 19:39:20 | インポート

   家の前の畑を鳥に食い荒らされて困っている。朝から見張って追い払うが一苦労である。

   ヒヨとカラスは大きな音とか石を投げると逃げて高い木にとまり、こちらの様子を見ている

  が、人が見張っていると他所に翔んで行く。

      鳩は大きな音でも大声でも、石を投げても、ちょっと首を向けるだけ。

  平和のシンボルの鳩は、日本人は危害を加えないと思っているのだろうか。

      まるで憲法9条を知ってるみたいだ。

  あまりに腹立たしくなったので、石を投げたら 「クー」といって翔んで行った。


迷える羊の一代記 27 日本での生活  ①引揚げ直後頃

2012-11-07 22:46:14 | インポート
 いくら父の実妹といえ、何時までもお客では居られない。3日目から家族8人だけの生活を   始めた。住むところは、叔母の離れを借りることで定まったが、食物は買わねばならない。   手持ちもの現金は、博多で上陸時の一人千円合計8千円だけである。   国は、昭和21年2月に新円切替を行っており、衣服やリュックに縫いこんで持ち帰った    日本銀行券は旧円紙幣となり、証紙を貼らないと使えなかった。  父は食糧配給の手続きや、引揚者更正会の届けなどに奔走した。   妹や弟は地元の小学校に編入入学した。    父は戦争中、朝鮮海峡の連絡船の運行が安全な数年くらいは、年に一度は    この郷里を訪れていたこともあって、親戚や知人は、   引揚げてきたことを聞いて訪ねてきた。   誰もが「よう無事で帰ってきなさったなあ」といわれた。近くに居る父の従兄弟を   訪ねたときなどは、父に連れられて行ったが、挨拶のあとの父との会話は方言なので    よく意味が判らず、推量で聞いていた。  生きていくためには直ぐにでも働かなくてと、従兄弟の口利きで日雇いの仕事に行った。  経験なし、力なしで定まった仕事はなく、塩田の土木仕事や左官の手伝いなど日替わり  で、半人前の賃金しか貰えなかった。  朝出ても仕事のない事もあり、雨が降れば休みとなった。そんな仕事仲間の間で、   「出面(でずら)三分に、濡れ七分」と言う言葉あり、朝出ていれば、その日の仕事がなく   ても日当の3割がもらえ、雨に濡れたときは7割の割り増し日当がもらえるといって、   毎朝仕事場に出ていた。  すべての仕事が初めてで、どうするのさっぱりかわからず、人の見真似でやるしか  なかった。砂や砂利を籠に入れて担ぐ仕事は、肩が赤く腫上がり夜寝てから、その痛さ  と遣る瀬無さで涙が止まらなかった。  食糧は配給で、麦ばかりだったように思う。海が近かったので、アサリ貝を朝や夜にも  採りに行き貝汁とした。夕餉に食べた貝殻は、近くの道のくぼみに捨てるのだが、  その場所が次第と遠くなって行った。食塩は使わず海水で賄った。  仕事に行っても皆昼食時は家に帰っていた。 当時の食糧事情は、どの家でも多少の差はあれ苦労していたのであろうが、今日稼いで  今日を活き、明日を生きていた。家族一人ひとりが黙々と今日を生きていたのだ。  父は、「8千円の金を使わない生活をしょう。使うときは最後のとき」といった。家族で生き   ていくための決意のように聞いた。  今にして思えば、父には、なんとしても家族八人で生き抜くという覚悟の重圧は、  相当なものがあったであろう。当時十六歳の自分が推察できる域をはるかに越えるものが あったはずである。  そして、6畳余りの離れ部屋とはいえ、裸同然の8人の家族を雨風をしのげる場所に  居させてくれたことは有難かった。叔母夫婦には感謝した。 

川 柳

2012-08-18 06:24:53 | インポート

 最近は川柳が盛んなようだ。テレビ番組や雑誌に川柳欄がある。 

   毎朝、新聞の欄は欠かさず読んでいる。

     人生や生活、社会のことなど、裏の又裏を読み得て妙である。

     ニュース性の句は直ぐ判る。若者の句に流行語があったりすると

                               新語辞典の世話にならないといけないが、

        それも頭の体操と、話題のネタになる?

   仲間の集まりで、余りに歳を重ねたことを嘆く者がいると

          「高齢を嘆くな なれぬ人もいる」 という句を詠んでやる。

                                   (作者に断りなく ゴメン)

  


羊の「みちのく二人旅」 8号

2012-04-20 22:01:03 | インポート

 PCのバッグを下ろさずに車を立体駐車場に入れるという失態をしてしまい、

   2日分を8号としてまとめる。

 19日は早朝より鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)を参詣。胎内拝観もする。

 細い目のやや下向きのお顔は、慈しみの深さを感ずる。今まで幾つか大仏を拝観したが、 

 鎌倉の大仏が、とりわけ印象に残る。

 江ノ島に向かう。今日は波は静かだ。サーフィンの姿もわずかだ。

 テレビの天気予報のときに観る風景だ。展望塔までエスカレーターで楽に登れた。

  花公園の花壇も連休を目指して植え替え中。

 これで帰途につくが、御殿場から新東名を走る。

 路面は最高にいい。

   タイヤが路面に吸い付いたように振動は少なく快適な走りで三ケ日まで走った。

   サービスエリアも広く建物のデザインも良いが、商品の価格は高い。

     名古屋で泊まる。

 20日、今日はただ走るのみ。東名阪→新名神→山陽道を通り、18時50分無事帰宅。

     今回の旅 全走行距離4454km レギラーガソリン約330L  

               1L当たり走行距離13.49km

  この旅が無事故で無事に終わったことに感謝! 車に感謝!   

                 後日、この旅行の写真集の整理をしよう