おもいつくままに

身の回りのことや世の中のことについて、思い付いたことや気付いたことを記す

見ている世界はきっと違う

2017年10月14日 22時54分10秒 | Weblog
フランス出張カーンでの最後の晩は、思いもかけず地元のお店で若い人たちの夕食に混ぜてもらい楽しい時を過ごすことができた。お客さんの親切な老夫婦が話しかけてくれ、Iさんの気遣いのおかげでそのご夫人に母の手作りの栞を渡せて喜んでもらえたことも幸せな思い出だ。

その折に、歳を重ねると視覚聴覚特性が若い時と著しく変わるので、Iさんの見ている世界と私の見ている世界はきっと違うと話した。するとすかさずK君が「そんな寂しいじゃないですか」と言ってくれうれしかった。

とはいえ、実感である。同じ風景や舞台や映画を見て心を動かされることを否定しているわけではない。しかし、その人ごとに立つ位置や座席の位置が変われば見えるものと印象は少しずつ違ってくる。時と場所が大きく隔たれば、世界が違うというぐらいの差になる。

見ている世界は違うけれど、様々な知識や思いを共有できる。職場の理念でもあるが、その違いを共に生きていくのだと思う。
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最近は

2017年10月14日 18時08分13秒 | Weblog
昨年と今年初めの柳家小三治独演会のまくらで
「最近はお客さんと話が合わなくなりました。…。昔はこうじゃなかったんですがねぇー。…。まあ、仕方がないから好きなようにやります」
いうのが印象的だった。

人間国宝の小三治師匠ほどではないけれど、歳を重ね、年代が変わり、立ち位置が変わると、なるほどそういうこともあるなと思う。
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ものには限りがある

2017年05月14日 21時25分02秒 | Weblog
このところ2回ほど小三治の噺を聞きに出かけた。
「最近はお客の年代と離れてしまって話が合わない。仕方がない。好きなようにやります」
と言っていたが、なるほどそういうものだと思う。

自分自身も歳を重ねてみると、見える景色もできることも違ってくる。
若い頃には、そんなこととは夢にも思わなかった。
子供の頃は見るもの聞くものが珍しく面白く、なんでも足し算でいけるような気がしていた。
その後も基本的に足し算で人生を感じていたが、そろそろ先が見えてくると気分が違ってくる。

ものには限りがあると意識することも良いことだと思う。限りがある中でどうしたら一番幸せかを考えたい。
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隆(りゅう)ちゃん

2017年05月07日 23時45分35秒 | Weblog
‪日本橋から浅草までの道中で、駒形どぜう前を通ったときに、隆(りゅう)ちゃん(小林隆一先生)を思い出して切なくなった。当時、隆ちゃんは還暦を過ぎた頃、私も河合塾で生計を立てていて、数学の教員と職員でよく飲みに行ったものだった。‬

‪その晩は田原町駅から歩いて、どじょう飯田屋だった。初めてのどじょう鍋、隆ちゃんの「まるでいこう」で食べたものの、正直苦手だった。‬

‪店を出て、隆ちゃんの生まれ育った町を歩き、母校の西町小学校にも立ち寄った。夜遅くに何の障害もなく敷地内に入れて不思議だった。大好きな池波正太郎が先輩なのが隆ちゃんの自慢だった。‬

‪風情のある小学校だったが、webで調べたら廃校になり今はもうないそうだ。‬

‪10年ほど前、隆ちゃんが亡くなったと、その頃の担当職員が電話で教えてくれた。‬

‪池波正太郎も、隆ちゃんも、西町小学校も過ぎ去って行った。そう思うと30年で世の中ががらりと変わるのは当然だ。そうでないとおかしい。でもちょっと、さびしい。‬
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若い世代

2016年09月17日 08時01分03秒 | Weblog
今回の会議(INPC2016)ではポスドクのT氏とN氏とゆっくり話ができてよかった。院生の頃と比べてすっかり頼もしくなった。10年近く会議には参加していなかったので、世代が変わったことにも驚きを感じた。

N氏曰く、今はwebで何でも調べられるからなんとかなるけど、なかった頃に海外ポスドクに行くのは大変だったでしょうね。メールもなかった頃は想像もつきません。

この会議に初めて参加したのは1992年。私は彼らとほぼ同じ年齢で、メールが使えるようになった時代だった。

なるほど違う世代は違う感覚を持って違う世界を見ているのだ。実感した。
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INPC2016で一区切り

2016年09月17日 07時59分35秒 | Weblog
子どもの頃から体が弱く、こうしなさいと言われれても不器用でろくにできたことがなかった。よくここまで来れたものだと思う。

もう若くない。数年前から人生の次のフェーズに入るのだと強く意識するようになった。

管理業務から解放してもらった今年は大チャンス。これまでの研究に区切りをつけたい。そうしないことには次のことが出来ない。

4月末に今回の国際会議を区切りにしようと卒然と思い立ち参加した。この機会を逃すと多分一生やれない。来週の物理学会までが限度と考えて、初日に発表を終えた後は自分の研究に集中した。なんとか区切りをつけられそうなところまで来た。

博士論文の時にここまでやりたいと考えたところなので達成感がある。私の興味はこのあたりまで。若い人達に役に立つようにまとめたい。
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甘利俊一「脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす」(ブルーバックス)

2016年07月17日 00時03分08秒 | 
傘寿を迎えた数理脳神経科学のパイオニアによる自伝的入門書。
分かりやすくとても面白かった。以下は素人である私の感想。

統計力学からのアプローチにはなんとなく親しみを覚え、最適化という点では脳科学でも自分と似たようなことをしているのだと感じた。

自由意志の発生の可能性として、確率論的過程と多自由度のカオスダイナミックスが介在により、ミクロな物質科学としては決定論に従うものの、予測可能性が損なわれるという。それはもっともと思うものの、何か物足りない気がする。

最後の章の心の議論、
「一回限りの人生を生きる中に、喜びもあり悲しみもある。自分を律してよりよく努力する。人は信念を持ち、自分に誇りを感じる。ロボットにはこれがない」
に深く共感した。自分自身のこれからの年月に限りがあることを自覚するようになったからだと思う。
しかし、その一方で目的意識を持ったロボットを作ることは、少なくとも論理的には不可能ではない。著者の言うように難事業であり、どの程度実現していくかは分からないが、その方向に進んでいくことは間違いないと感じる。

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高橋英夫著「西行」(岩波新書)

2016年05月01日 23時29分24秒 | Weblog
旧東海道を歩いていて西行の歌に何回か出会い、興味を持った。

旧東海道の金谷宿から日坂宿への道中が、小夜の中山という有名な難所であるとは知ずにいて、やっとの思いで中山峠に着いた時に西行の歌碑を見つけた。

年たけてまた越ゆべしと思いきやいのちなりけり小夜の中山

無知ゆえに有名な歌とは知らなかったが、険しい道を歩いた私には素直に体と心に響いた。年老いて再び奥州に旅するとは、さぞ難儀であったろう。西行という人はどんな人だったのだろう。

鈴鹿峠ではこの歌に出会った。

(世をのがれて伊勢の方へまかりけるに、鈴鹿山にて)
鈴鹿山うき世をよそにふり捨てていかになりゆくわが身なるらん

鈴鹿峠の近江側は緩やかだが、伊勢側は険しい。伊勢に行ったらどうなってしまうのだろうというのは、歩いた実感としてもその通りのものだった。

西行については、武士であったが隠者になった歌人という程度のことしか知らなかったので、高橋英夫著「西行」(岩波新書)を読んだ。線の細いイメージをなんとなく持っていたが、なかなかどうしてその逆なのだ。なるほどそうでなければ、二度も奥州に旅することはできまい。政とは距離をおく隠者とはいえ、歌を通して俊成、定家に至るまで、時の権力者とのかなりの関係を持っていたこと、(歌への)一念、自意識の激しさにも驚き、ちょっとと引いてしまうほどであった。
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武井博著「泣くのはいやだ笑っちゃおう 「ひょうたん島」航海記」

2016年04月08日 14時30分53秒 | 
今思うと毎日見ていたわけでもないのだが、心揺さぶられるお気に入りの番組だった。

原作者の一人の井上ひさしが晩年に「あの番組は黄泉の世界を描いていたのです」と言っているのを読んでなるほどと思った。子ども心になんとなく怖いと感じていた。戦争からまだ20年程度。戦中戦後の体験が番組だけでなく時代全体に陰影を与えていたような気もする。

なんとなく怖いけど、見たいし面白い。当時の郵政大臣田中角栄氏の一声で、とはのちに知ったことだが、終わってしまった時にはとても残念だった。

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文庫のラインナップ

2016年03月30日 22時14分35秒 | Weblog
旧街道を歩いているうちに西行に興味を持ち、辻邦生の「西行花伝」(新潮文庫)を読みたくなった。ところが、比較的大きな2つの本屋で探したが、そもそも新潮文庫の棚には辻邦生の本がない。2軒目では北杜夫も1冊だった。

1年半前の2014年10月出版の早野さんと糸井さんの「知ろうとすること。」は、翌年の夏には新潮文庫の100冊に選ばれて平積みになっていた。喜ばしいことだが、文庫の入れ替わりの激しさを象徴しているようにも感じられる。

辻邦生は本屋ですぐ買えると思っていた。これも若い頃の記憶で知識が固定化されている例なのかもしれない。
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