た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

桜さくら

2017年04月20日 | essay

 この季節になると、毎年のように感心することが二つある。一つは、日本全国の桜の多さ。ニュースを観ると、桜便りばかりである。日本中が桜の木で埋め尽くされたような感を持つ。近所も然り。犬の散歩でもしようかと路地を歩けば、滑り台一つだけの小さな公園にも一本見事な桜が咲いていたりする。寺にあり、学校にあり、川岸にあり、墓場にある。植えた先人たちは実にご苦労様なことである。

 もう一つは、桜を愛でる日本人の多さ。桜があるところでは大抵誰かが花見の宴を開いている。敷物を広げるまでいかなくとも、近所に住む老人、仕事をさぼった道路工事夫、犬に引き摺られて散歩する住民など、どこでも誰かが、桜を見上げている。珍しくもないのに写真まで撮っていたりする。

 かく言う私も、今年も幾度か花見をした。

 先週末は電車とバスを乗り継ぎ、高遠の桜を見に行った。城址公園行のバスがほとんど外国人で占められていることに驚いた。聞くと彼らは日本人の桜を愛でる習慣が面白くて、わざわざそれを見に来るのだそうだ。こうなると、花を愛でる日本人を愛でる行為になり、ややこしいことになる。まあ日本人も案外、それに似た動機なのかも知れない。つまり自分たちが国民行事のようにこぞって桜を楽しむその姿を見て楽しむために、あちこちの公園へと向かうわけである。

 高遠は酒蔵で試飲ができる。それを心ゆくまで味わいたくて電車にしたのだ。行きの車内で飲み、城址で飲み、下山して酒蔵で飲み、連れと二人、ふらふらになって帰った。

 また昨日は、遊び仲間の男三人で、アルプス公園で花見をした。仲間の一人が寿司職人で、やたら豪勢な弁当を差し入れるのが何よりこの会の特権である。寿司を頬張り、そよ風にさざめく桜を見上げると、これ以上の贅沢はない気がしてくる。ただ惜しむらくは花が五分咲きで、そよ風がときおり北風に変わって肌寒かった。夕方から仕事のある私は、今回はノンアルコールビール。しかし私を除く二人は、へべれけに酩酊して桜が二重にも三重にも見えたことだろう。

 花と言えば桜を意味するようになったのは、いつ頃だろうかと、一人がつぶやいた。おそらく、桜と酒との相性に人々が気付き始めた頃に違いない。

 

 

     夢を出て  また夢に入る  花のみち 

 

 

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