た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

『その日』(断片①)

2017年09月02日 | 連続物語

 暑くてやりきれなかった。

 交差点は、あらゆる角度から執拗に照りつけてくる太陽のおかげで、水あめのようにねっとりと揺らぎ、ざらざらとした砂混じりの腐臭を放っていた。辛うじて車や歩行者が行き交うことで、日常の兆しを保っていた。

 いっそのこと車にでも轢かれたい、と俺は思ったが、ふらつく体を抑えることで、なんとか健全なる一市民としての責務を果たし続けた。

 信号がようやく変わった。何色に変わったかなど確かめていない。周りの人間たちが動き始めたから、自分も動き出していいのだろう。

 どこに行くか? そんなことは決めていない。行くあてがないから決めようがない。ちっぽけだが一応スクランブル交差点なので、とりあえず一番距離をかせげる斜め前方に進んだ。

 行くあてがない。

 俺が渡り切るのをじれったく待っていたスポーツカーが、短気な唸り声を上げ、とりわけくさい臭いを残して走り去った。ああいう車に轢かれたらさぞ楽に死ねるだろう。相手の運転手も乱暴に発車したことで、懲役三年執行猶予付きくらいにはなるかも知れない。いいザマだ。

 交差点を渡り終えたところで、俺は立ち止った。

 行くあてがない。

 遠くから、奇妙な格好をした女がこちらに歩いて来るのが見えた。はやりのコスプレというやつか、白いひだひだの覗く黒いドレスを着て、レースの入った黒い日傘を差している。巻き髪に赤いリボン。乙女チックなのかふざけているのか知らないが、およそ現代社会にそぐわない格好である。バロック時代のイギリスの貴婦人でもここまでの格好はしないだろう。そして、それらせっかくの創意工夫を全く無にしてあまりあるほど、デブである。

 俺は笑いをこらえるのに苦労した。実際引きつった笑いが漏れたろう。ああ、狂っているのは自分だけじゃない、あの赤いリボンのデブ女よりは自分はまだマシだ、それどころかこんな女を平気でのさばらせる日本全体がよっぽど狂っているんじゃないか。だいたいあの馬鹿げた太陽をどこかにやってくれ。

 女がこちらに近づいてくるにつれ、おかしみよりも不快感が増し、暑さのせいか嘔吐感すら覚えた俺は、もと来た交差点をまた斜めに戻ろうかとさえ考えた。それでは交差点を行ったり来たりするだけの本物の馬鹿になってしまう。信号はなかなか変わらない。

 向こうから狂ったデブの女。信号は赤。行くあてはない。

 頭上には嘲笑する太陽。

 俺は苛立たしげに足を踏み替え、汗の滲む目を閉じた。

 これが俺の人生だ。俺の人生は、すべて間違っていた。救いようのないほどデタラメだった。この煉獄の暑さを抱えた日本で、まず間違いなく、俺が一番くだらない存在だ。あのコスプレ女でさえ、俺よりは数倍楽しい人生を送っているだろう。

 俺は一人っ子で甘やかされて育った。俺はまず人間形成の時点で失敗した。これは、愛情を注ぐことを自由を与えることと勘違いした俺の両親の責任であるが、まあ結局は俺の性分ということだろう。俺は周りをうんざりさせるほど傲慢で、そのくせ臆病だった。平気で人をおとしめ、しかも人を恐れた。約束は一つとして守らず、全部それを誰かのせいにした。自分が無能だとわかっているのに、自分を矯正してもらうことを激しく拒んだ。俺は孤独で、その解決策すらわからなかった。二つ目の会社を辞めたとき、俺はようやく自分の性格をはっきりと認識した。

 俺はクズだ。クズは死んだ方がいいが、クズだから死ぬこともできない。

 実家に居候してもう六年になる。稼業である寺の手伝いを時々するくらいで、まともな仕事はしていない。親は跡を継げと言うが、その気はない。俺みたいな男が坊主になることを誰も期待しないだろう。阿弥陀様にもさすがに悪い。

 女を抱くことも、もう六年以上していない。いや正直に言えば二度ほどあったが、金を払わずに抱いたことはない。

 俺はこの六年間、死んだも同然の人生を送った。いや、親のすねをかじっているから、無価値より以下だ。最低だ。

 デブ女がますます近づいてくる。信号が青に変わる前に、この交差点に飛び込んでやろうか。

 俺は汗だくの上半身を折り曲げ、顔を手のひらで拭い、再び体を起こした。

 信号が変わった。

 そのとき、強烈な閃光に覆われた。

 

(つづく)

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