ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

ゴジラ「オキシジェン・デストロイヤ」

2017年05月18日 | 映画


オペラ「トゥーランドット」をテレビでみたことがあります。
その中で女奴隷のリューが愛する王子カラフの秘密を守るため自殺します。
プッチーニはここまで作って亡くなったそうです。
このオペラは納得できないし後味の悪い作品です。
どうして悲劇に終わらないのだと思います。


リューはカラフの秘密を決してあかさないために拷問にかかる前に自殺します。
このリューの死のシーンでゴジラの芹沢博士を思い出しました。
彼も秘密を守るために死んでいきます。
悪用をおそれて、大事な研究資料を燃やすのですが、それだけでは足りない。
自分の頭脳に記憶されているものが悪用されたらいけない。
自分がいくら秘密にしても拷問や自白剤とか、いくらでもデータを取り出せる。といいます。
だから博士も死んではじめて完全に研究を消去できるのです。

心血を注いだ研究を廃棄する、それだけでも苦しいのに死ななければ秘密を守れない。
だから彼はゴジラを倒すために研究を利用してくれといわれてもなかなか応じませんでした。

でも最終的に覚悟を決めて研究資料をすべて燃やして研究のただ一つの成果であるオキシジェン・デストロイヤを携えて海にもぐります。
誰にも触らせず、これだけは自分が、といってゴジラを倒す武器を作動させます。
そして避難を拒んで海中にのこってオキシジェン・デストロイヤの威力でゴジラとともに滅ぼされます。
最後に海上の友人と交信して、恋人と幸せになるようにといって笑顔で死んでいきます。
最も感動的な場面です。
映画をみたとき、このシーンでちょっと泣きそうになりました。
友達に話したら、そんな科学者はいないといわれてまあそうだなと思いましたが。

芹沢博士には婚約者がいますが
婚約者は博士ではなく博士の友人を選びます。
博士がかなり気の毒でひどいなあ。と映画をみたときはおもいました。
失恋はまあ仕方がない。
友人も婚約者も裏切ったわけではないかもしれない。
それより研究を捨て、命も捨てなければいけないことが泣けます。
戦争で片目を負傷して、それでも続けた研究を捨て、死んでいく。
なにも報われないようです。踏んだり蹴ったりではないですか。


ただ、今考えると、科学者としての喜びがあったかもしれません。
平和に暮らして幸せな一生を送っても、生きているあいだに研究の成果を目に見える形で確認できなかった学者も多いようです。
死後、何十年たってやっと検証されるとか、理論上は可能でも現実には確認できないとか・・・
芹沢博士は目の前で自分の研究の成功を確認して満足して死んでいきます。
ゴジラがみるみるうちに白骨化するという劇的な成果です。
(博士も白骨化するんじゃないか?と突っ込みを入れる人もいますがそれは無視します)
笑顔で友人を祝福したのもその成功の喜びだったのかもしれません。
最後の最後で科学者として報われて死んでいったという見方もできます。

だからオペラのリューよりは幸せかもしれません。
ゴジラが感動的に終わるのは芹沢博士の笑った顔があるからかなと思います。




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