「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20160918

2016-09-18 | 矮小布団圧縮袋

〇凄まじい豪雨が断続的に来る。一日中外が真っ暗で、強い時は外が真っ白で何も見えなくなる。昼頃、一瞬止んだ。レーダーを確認し、「次に降るのが来る前に、30分以内で戻るぞ」と決めて、近所のスーパーで食料を補充してすぐ戻る。降り出すと、また外に出られなくなる。
 (写真は先日の特急かもめ車内で、博多駅で買ったキムラヤのまるあじをお昼にいただいていた時のキイロイトリ)


 偶然昨日がこの天候だったら、全然動けなかっただろうな、と思われるほど、日頃仕事であちこち回っている区域のレーダーがことごとく真っ赤で、警報が出まくっている昼間の各地の気象情報図。結局、今年も放生会には行けなかった。
 降りこめられたまま、家に残って、再び服喪の一日となる。

 BGM:真田丸 #37「信之」(9/18 20:00~)音楽:服部隆之
 家族群像劇と関ケ原戦後とをつなぐ回。伝聞で語り伝えられていく人々の最期。自分もその場にいなくてお別れできなかった気持ち、というのは、人の心に却って様々な深い意味を残してしまうものだと、人生の中で何度かあった経験上のことを思い出しながら見ている。それをどう引き受けるかがそれからの問題なのだ。(大泉さんがどういう俳優なのかだんだんわかってくる)信之はじめ、(この場合悪役的な、退場音楽まで憎々しい)家康まで含めてこの配役陣の全員で、一人ひとりの切実さが読み取れるように制作されているのが見どころと思う。
 見ている視聴者の自分としても、深い喪失感の中で感情の動く反応のスピードが非常に落ちていて、異常に冷静に淡々と目の前のことを(ところどころ抜けてるんだけど)処理している状況の中にあることもあって、ドラマを見ていると、ひどく他人事でなく迫ってくる。今もリアルタイムの豪雨災害で大変な地域や、その他のこれまでの様々な災害で苦難が続く人たちがいることも思ってしまう。
 イチゲンさんと水曜どうでしょうと関ジャムをとりあえず留守録にして小さい音で流しておきつつ、一人で考え続けてノートを書いている夜である。(20160918)


※補足:しみじみと心打たれているのではあるが、ツイートを見ていて。生き地獄を味わってもらおう、って、そこはわりとまさしく思い出しましたよ、この9か月近くの学習成果を経て。
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