夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

鶏之図 吉村周山筆 

2013-11-28 05:00:46 | 掛け軸
どうも最近は日本酒を飲む機会が多いが、飲む相手が日本酒党のせいのようだ。しかもいつもそこに同じメンバーがいるための、そして同じ銘柄・・。痛飲で昨夜もバタンQ。

本日の画家の作者は実は根付師として、かなりの高い評価を受けている画家です。

鶏之図 吉村周山筆 
紙本水墨 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦2010*横650 画サイズ:縦1350*横510



落款には「法眼周山行年七十二歳筆 押印」とあり、亡くなる前年?の最晩年の作であることが解ります。「探興斎」の朱文白丸印が押印されています。



狩野派の画法どおりに描かれた作品が下記の双鶴之図です。



67歳の作品ですが、72歳の本作品と同一印章というにはちょっと違うように見えますが・・。

両方真作に相違ないが、なんらなかの理由でちょっと印章が違う、というか違うとまではいえない・・、この辺が印章のあてにならないところ・・と思っていたら、実はちょっと回転させてみるとほぼ一致するようです。

 

吉村周山:生年: 生年不詳~没年:安永2年(1773)歿、73才。 江戸中期の画家、根付師。大坂の人。名を充興,通称を周次郎といい、別号に探仙叟・探興斎、法眼を称した。性川充信に絵を学び、中国の神話や神仙伝に取材した作品を多く遺した。江戸時代中期に大坂で活躍した画家。橘守国、大岡春卜に次いで大坂で活躍した狩野派系画家として知られています。

ただし、本作品は狩野派どおりの画法とはいえない奔放な描き方といっていいでしょう。




多くの門弟を養成し、江戸中・後期の大坂における狩野派系画家の隆盛の基礎を築いた。門弟の中では、森周峰(森狙仙の兄で、森徹山の実父)が知られる。一方、懐徳堂の三宅春楼、中井竹山らとの交流もあったようで、周山の作品にこれらの儒者が着賛した作品も、しばしば見受けらます。

彫刻を得意とし、特に根付師として著名であった。三宅春楼・中井竹山・履軒らと交わる。彼の根付は檜の古材に彫刻をほどこし,さらに彩色を加えたもので,数多い根付師のなかでも独特の作風を築いています。自らの作品に銘を刻むことがなかったため,周山作と確認できるものは少ないです。

吉村周山は画家よりも根付師としてのほうが評価が高いのです。狩野派の形式に縛られた絵がほとんどである吉村周山の作品にあって、本作品は根付のような自由奔放さがある絵として珍しいかもしれません。



絵師でありながら根付彫りをし、檜に漆で磨きをかけ色とりどりに染色された仙人列伝や山海経をモチーフにした斬新で大振りな根付は迫力あるものです。海外における蒐集家及び研究家らから最も重要かつ古典的根付師として評価されている。吉村周山なくしては、根付を語る無かれとも言われています。

羽の描ききかたなどは四条派のよう・・。



雛の描き方なども極力簡略化されています。



吉村周山は吉村派の創始者とされ、吉村家三代(周山・周圭・周南)が続くこととなります。

吉村周山は狩野派の画家で弟子もかかえ法眼を叙せられた一流の絵師の立場であり、狩野派の絵師として一派の狭苦しい格式重視の伝統に縛られており、主題、扱い、あるいは様式が限定されていたが、周山は、根付彫刻として、様式にとらわれない作風を示した言われています。



席画のような簡略された画ですが、根付の下絵としてみると親鶏の目つきの鋭さなど根付と共通する部分があることに納得できますね。



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