大津バプテスト教会blog

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2017-06-19 14:12:09 | 日々のこと


また・・ドラマの話です。会社の食事会のシーンから。
部長が、過去の自分の思い違いを、部下たちに話していたときの、まとめの一言。

「手前の出来事に目が行きがちなんだけど、
 根本的な問題は、もっと最初の方にひそんでいたりするんだよね。勉強になったわー。」

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今回のメッセージは、Ⅱ列王記5章1~14節「少女と将軍ナアマン」、少女とおじさまのお話です。
預言者エリシャ先生も出てきます。

不治の病を抱えたアラムの国の将軍ナアマン、敵国イスラエルから連れてこられた少女は、ナアマンの妻の召使いでした。彼女が妻に「ご主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに」と言ったところが事の始まり。癒されるまでの間に、いろんな人物が関わり、その道のりは真っ直ぐではなかった。

アラム王の「うちのナアマンを癒してください」という手紙に、イスラエルの王が「言いがかりや!」と衣を破るほどに怒ったり、その後エリシャ先生がナアマンに会うことになるものの、先生はなぜか自分で直接会わずに、使いの者に「ヨルダン川で体を7回洗ったら清くなりますよ」とだけ告げたものだから、ナアマンは自分の想像と違う答えとエリシャの態度に怒って、エリシャの家から離れてゆく。

国のトップといえるおじさま2人が、めっちゃ怒ってます。エリシャ先生も、自分から会うと言って家に呼んでおきながら会わないなんて、対応がちょっと雑すぎる、もうちょっと上手にできなかったんやろか。それとも、急に会えなくなった事情ができたんやろか。わかりません。ひとりひとりが強く出てぶつかっています。

でも、ナアマンの部下がいい仕事をしました。
言葉でなだめて、ナアマンは、最後には、神の人エリシャに従い、子どもの体のように清くなりました!

想像でしかないけれど、部下に正されたときに、ナアマンは、少女のことを真っ先に思い出したのでは、と思う。
敵国の小さな女の子の信仰によって、彼は、神様の前にへりくだる人と変えられ、神様によって癒された。
小さな祈りが、大きな癒しへとつながったのでした。

新約聖書でも、重い病をいやされた人々はたくさん出てきます。イエス様の言われることに、ただ、従った人たちでした。
誰かのために祈ることのできる人生は、大きく用いられていきます。そして、何か壁にぶつかったときは・・最初の頃、神様がわたしにしてくださったことを思いだしてみよう。そして、希望をもって、愛をもって進んでいきましょう!

【今週のみ言葉】
「アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。」(Ⅱ列王記5:1)











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