夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

桐野夏生『グロテスク』と私の高校入学まで(自分史1)

2004年11月09日 | Weblog
今日、「ジェンダーと法」の授業で、読書感想文の課題図書を発表した。
1.小説
 水晶内制度 笙野頼子 新潮社
 女たちのジハード 篠田節子 集英社文庫
 百年の恋 篠田節子 朝日文庫
 グロテスク 桐野夏生 文芸春秋
2.ノンフィクション
 Search きみがいた―GID(性同一性障害)ふたりの結婚
平安名 祐生・平安名 恵   徳間書店
3.評論・エッセイ
 男流文学論 小倉千加子・上野千鶴子・富岡多恵子 ちくま文庫
 結婚の条件 小倉千加子 朝日新聞社
 負け犬の遠吠え 酒井順子 講談社

『グロテスク』については、いろいろな意味で思い入れがある。
私の育った環境抜きにしては語れないので、少々重い話につきあっていただきたい。

私はキューバ危機のあった1962年、10月31日に山口県徳山市で生まれた。
1933年生まれの父は大分県宇佐郡院内町の山奥の貧乏寺の長男で、生母を生まれてすぐ亡くし、後妻に来た継母から生まれた5人の弟妹への遠慮もあり、高校も大学(現九州工業大学)も夜間を卒業し、高校時代からアルバイトで家の経済を支えていたそうである。当時、徳山の石炭会社に勤めていた。
1936年生まれの母は神戸の裁判所通訳の祖父と小学校教師の祖母の間に生まれた6人きょうだいの末っ子で、両親を早くに亡くしたため、高校卒業後、徳山市に嫁いだ姉の家から父と同じ会社に勤めており、父とは職場結婚であった。
私が生まれて2年後に妹が生まれたが、その直後に一家は東京に引っ越した。燃料としての石炭の優位性に翳りが見え始めたため、父が東京の電気会社(住友電工の子会社)に転職したためである。だから、私は出身地はどこですか、と問われると、迷いながらも、徳山の記憶は全くないので、それ以降海外生活を除き離れたことのない東京、と答えることにしている。
父は葛飾区青戸にある工場勤務だったので、はじめ、亀有のアパートに住んでいたが、すぐに青戸の父の工場のすぐ隣(といっても広大な敷地の奥の壁に接しているので父は工場の門まで、今医療過誤で話題の慈恵医大青戸病院等を5分ほど迂回して通っていたが)の社宅に移った。木造平屋建ての二軒長屋で、葛飾区の真ん中を南北に流れる中川の西側の土手のすぐ下という場所であった。
そこでの暮らしが今の私を作ったといっても過言ではない。一言でいうと、両親をはじめとする周りの大人に絶望し、世の中に呪詛にも似た恨みをもち、「絶対にこんな世界から這い上がってやる」という歪んだ上昇志向を自分の中で暗く、その分強く培い、ついに自分自身の人生を破壊するほどの怪物的な情念にまで育て上げた時期であった。
「田舎で育ったよりはましでしょう」という人もいるが、地方都市にはその地方都市ならではの伝統と文化がある。しかし、葛飾区は東京23区に属しながら、東京の山の手にある洗練はそのかけらももちろんなく、かといって浅草のような伝統的な下町の粋や人情もない。長く田畑だった土地に、単に家賃や物価の安さから戦後低所得者が多く住むようになっただけの町は、ある意味田舎より始末が悪い。都心に通勤するホワイトカラーのベッドタウンとなっている千葉県や埼玉県の新興住宅地より格が下がることにも異論はないだろう。葛飾区で育った、このことは私のコンプレックスの中核をなすものであった。

最近読んだ桐野夏生の『グロテスク』は、私の感覚が普遍的なものであることを教えてくれた。東電OL事件にヒントを得たこの作品は、慶応女子高校と思われる学園での過酷な階級社会でのサバイバルを伏線として描いている。語り手は葛飾区と思われるP区に住んでいるが、同級生から「P区に住んでいる人はこの学校ではあなた一人よ、私も実はP区に家があるけど恥ずかしいから親に港区にマンションを借りてもらっているの」といわれるシーンがある。後述する私が入学した山の手の進学校でも、階級差別はなかったが、葛飾区でしかも京成電鉄利用者は私一人だったことからくるコンプレックスや、私鉄がストライキを解除しても京成だけがストライキを断行することが多かったがそれでも学校が休みにならないため、私一人通学するための苦労を味わったことは忘れることができない。

余談になるが、桐野氏はフェミニストの視点(本人はこういわれたくないかもしれないが私にはそのように思える)から人間や人生の闇をえぐることにかけては天才的な作家であり、大傑作『OUT』をはじめ著書は全て読んでいる。一方、東電OL事件は、先進国でありながら女性が良心や自立心があればあるほど過酷な境遇に陥っていく男社会・日本の暗部を象徴する事件であり、私をはじめ、多くのキャリア・ウーマンに「ひとつ間違えば自分も同じことをしていたかもしれない」と思わせるような事件であった(その上事件当時私の職場の銀行は被害者の職場の隣にあったから恐ろしいほどの現実感があった)ので、「桐野氏が描く東電OL事件!」と大いに期待して読んだが、ストーリーはもちろん期待以上だし、こうしたおまけもついてくる貴重な読書経験であった。
「どんな絶世の美女でも、天才でも、諦めるしかない、女に生まれてしまったら」という科白が絶望感とともに、現在「ジェンダーと法」と教える私の胸に迫る。
大楠道代にそっくりな美人で女であるということで得もしてきたであろう桐野氏の筆によるものだから尚更説得力がある。

もうひとつ付け加えれば、最後のシーンは、三島由紀夫の『豊饒の海』終盤で盲目の美青年と醜い狂女が寄り添うシーンを想起させ、また最終章の「彼方の滝音」というタイトルも『豊饒の海』で輪廻転生の証拠となった滝の記憶とシンクロする、と思うのは三島マニアの関連妄想に過ぎないだろうか。

話を葛飾区に戻すと、大好きなサザンオールスターズのコンサートで桑田さんが「どこから来たの」と聴衆に振り、「え、沖縄、北海道、遠くからありがとうね。え、葛飾区?参ったなあ、葛飾とか足立とかいわれた日には」というくらい、あるいはベストセラーになった『金魂巻』でも「千代田線マルビ方面(東方面)、マル金方面(西方面)」と揶揄されるくらいの場所である。
それでも、もちろんインテリや教養人が全くいないわけではない。中島梓氏は青戸出身だし、吉本隆明氏も会社員時代、上野から青戸の会社に通勤していたこともあるそうである。
また、同じ下世話な下町の貧乏暮らしでも、北野武の『菊次郎とさき』(足立区梅島が舞台)のような教育熱心な母親がいればまだ救われただろう。

しかし、私の両親は、教育熱心どころか、知性や教養を生活の敵として憎しみを抱く類の人間であった。だから、私たち子供には徹底して「勉強する時間があったら家の手伝いをしろ」といった。私は本を読んでいると叱られるので、夜中に布団の中で懐中電灯で本を読んだりする小学生であった。京成沿線に住んでいると一番近い繁華街は上野であり、時々母に連れられて上野のデパートに行ったが、当時まだ駅にたくさんいた浮浪者の群れを指さして母は「敦子、ああいう人たちは案外インテリ崩れが多いんだよ。あんたも本ばっかり読んでると将来ああなるよ」と脅すのである。絵本を読んでもらったことどころか、本というものを買ってもらったことはなく、いつも区立図書館で本を借りていた。子供向けの本のコーナー「児童室」にいつもいるというので、小学校の同級生の男子から「アートネーチャー♫」のコマーシャル・ソングの節回りで「じっどうしつネーチャーン」と囃されていた。手伝いは小学生の時から掃除、洗濯、食器洗いとさせられていて、手回しで絞った洗濯物をまず盥で漱いでから洗濯機で漱ぐその冷たい手の感触を今でも覚えている。肌が弱く、台所洗剤で両手は主婦湿疹で赤くずる剥けになり、リンデロンを塗って白い布手袋をつけて寝る小学生だった。高校三年の受験の直前だけは頼んで食器洗いだけにしてもらったが、東大入試の前夜でも夕食後の食器洗いは免除されなかった。

ちなみに、私の夫は家事の大部分を引き受けてくれる人で、とくに私の主婦湿疹を心配して自分の出張中でさえ洗い物はしなくていいといい、出張から台所に直行して着替えもそこそこにまずたまった食器を洗ってくれる人なので、親と同居していた学生時代よりも結婚してからの方が家事の負担が減ったという世にも珍しい状況になった。

中でも絶対に許せないと今でも思っているのは、「基礎英語事件」である。家は貧しく、ラジカセなど買えず、テレビの上に旧式のステレオがあるだけで、ラジオを聴くときはテレビを消さないと聞こえなかった(イヤホンもヘッドホンもなかった)。塾どころか参考書も買ってもらえない私は中学1年生の時、乏しい小遣いの中から基礎英語のテキストを買って毎日ラジオで勉強していたが、ある日、放送時間にたまたま母がテレビで映画を見ていた。「お母さん、悪いけど基礎英語の時間だからラジオ消してくれない?」といった私に母は烈火のごとく怒り、「子供の癖に親の楽しみを邪魔するのか」といってとうとうテレビを消してくれなかった。

母が見栄を張ってジャポニカの百科事典を一式買ったのは奇跡だった。暇さえあれば私はそれを読んでいたが、それを見ると母は怒るのだ、「飾るもんで読むもんじゃないよ、汚れるから読むんじゃない!」と。

もっと許せないのは、私たち子供に小学3年生くらいまで幼稚園児のふりをさせ電車の切符を買わず、中学も1年までは子供用の切符しか買ってくれず、そればかりか、いろいろな駅の入札の鋏の形を研究し(降りる駅と同じ鋏の形の切符でさえなければ、キセルはばれないから)、最低料金分の回数券を乗る駅と降りる駅で使いまわさせるというややこしいキセルを強要したのである。
こうした経験が私を強迫的な規範意識の持ち主に育て上げ、会社では法務部でコンプライアンスをやり、路傍のタバコのポイ捨ては見知らぬ人にでも注意し暴力を振るわれたりし、とうとう法学者になり、大学でも学生に厳しく学則を守らせることで恐れられる教師になる、という生きづらい道を歩ませ続けている。

話を元に戻そう。「絶対にこんなところで埋もれたままにはならない」と考えた時、普通の女の子なら玉の輿コースを狙うのだろうが、私の容姿ではそれが無理なことはよくわかっていた。だから、私は「学歴による階級上昇」を早くから目論んでいた。学歴だけは、生まれ持った才能が乏しくても努力でカバーできる領域である。フェミニスト的には噴飯ものの三島は、「芸術家と女はどちらも生まれ持ったものだけで勝負する点で似ている」というくらいだ。しかし、こんな両親だから中学受験などさせてもらえるはずもなく、高校受験での一発勝負だった。区立の中学から数年に一人しか入れない筑波大学附属高校に幸い入学できた。

さっきから、「子供の癖に知性とか教養とかいって気持ち悪い」と思った読者もあろう、しかし、こんな両親だからこそ、私は余計に知性や教養に限りなく憧れるメンタリティの持ち主になったともいえる。逆に普通の両親だったらここまでインテリジェンスにこだわる人生を歩いてこなかったと思う。もちろんその方がずっと幸せだったと思う。

誰にも引けをとらない知性の持ち主になり、それを世間にもわかりやすく認めてもらえる位置に自分がいないと生きてゆけないという観念に囚われ、実際にそれが少しでも揺らぐたびに恐慌状態になり、そんな状態を何度も経ながら、また、そもそも遺伝的に見れば良い筈のない知能で、東大法学部を卒業し、ハーヴァード大学、オックスフォード大学、香港大学から3つの法学修士号を取得し、オックスフォードでは日本人初といわれる最優秀賞まで獲った、否、そうしないと生きてこられなかった、この苦しさを誰が理解できるだろうか?

東大でも、親は食べさせてはくれたが、高校卒業後一銭の現金も渡してくれなくなったので、学資も本代も全てアルバイトで賄った。そうしながらも、成績は上位数パーセントに入っていたので文科三類という、本来文学部・教育学部にいくコースから法学部に進学できたのである。

成果ばかりを人はいう、しかし、本当にここまでしなければ、否、ここまでしても欠乏感を拭えないこの歪んだメンタリティが苦しくてたまらない。逆に一番でなくても幸福を感じられる正常な神経の持ち主ならこれから話す地獄もなかったと思うのだ。
話を元に戻すと、金も知性も教養も親としての自覚もない両親を反面教師とし、「絶対にこういう人間にはなりたくない」という思いだけで私の子供時代は過ぎていった。

(続きはいつかupします)

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