阪神淡路大震災から、もう15年も経つんですね。
嵐の櫻井君主演のドラマを見ながら、当時の光景が鮮明によみがえってきました。
地元が神戸の私は、震災当時、神戸市東灘区という所に住んでいました。
私も大勢の被災者の一人です。
記憶力の悪いこの私でも、地震の事は昨日の事のように覚えています。
それ位衝撃的な光景でした。
最初は『ドーン
』という凄い音で目が覚めました。
家の近くに阪神高速(あの倒壊していた高速)が通っていたので、トラックでも事故ってぶつかったのかな
と寝ぼけながら考えていた瞬間、視界が揺れました。
尋常じゃない揺れでした。
12階建てのマンション住まいだったのですが、マンションが倒れる
と本気で思いました。
その時、頭に『死』がよぎりました。
どれくらい揺れてたか分かりませんが、とても長く感じましたね。
何が起こったのか…理解するまで少し時間がかかりました。
ただ、『生きてる』、良かった…
最初の揺れがおさまって考えてたのがそれでした。
布団から出て、すぐそこにタンスが倒れていました。
揺れてる間は布団にもぐりこんでいて気づきませんでしたが、あと数センチでもずれていたら私はタンスの下敷きになっていました。
ゾッとしながら、まずは暗かったので電気をつけようと思いましたが、つきません。
テレビも震度がどれくらいだったか確認しようと思いましたがつきません。
懐中電灯があるリビングへ行こうと扉をあけ、部屋を見渡しぼう然…
新婚生活をはじめて1ヶ月、真新しい家具や電化製品が倒壊して散乱してへやがめちゃくちゃでした。
食器棚からは食器が飛び出して割れてたり、冷蔵庫は倒れて扉が開き、中の食材が散らばっています。
足の踏み場もないというのはまさにこのことだと、部屋を見渡しながら思いました。
余震が続いていましたが、歩ける場所だけでも確保しようと片付けながら懐中電灯を探し出した頃、夜が明けてきました。
明るくなってきたので、外の様子を見に行こうと玄関へ。
ですが、扉が開きません。
地震で建物に歪みが生じたのか、数センチしか開かないのです。
その隙間から、『すいません
すいませ〜ん
』と助けを呼んだのですが、他の部屋も出られないのか人が通りません。
3、40分、扉と格闘しながら人が通るのを待って、ようやく1人男性が通りかかり助けていただいて外へ出る事が出来ました。
お礼を言うと、その男性は『スゴい事になってるで
もうめちゃくちゃや
』と外の様子を教えてくれました。
本当にその言葉通りでした。
道路はあちこちひび割れて、家は傾き潰れていて、『これは…とんでもない事になってる…』と、その時初めて事の大きさに愕然としました。
実は、地震の起こった数日後に結婚式を挙げる予定だったのです。
(先に入籍だけ済ましてました)
こんな大変な事になっているとは思ってなかったので、結婚式は大丈夫だろうと楽観視してたのですが…瓦礫の山となっている街の姿を目の当たりにし、結婚式どころじゃない…と考え直しました。
それからは本当に大変でした。
ライフラインが全滅、それがこんなにも大変なのかと日頃どんなに便利な暮らしをしていたか思いしらされました。
学習したのは、お風呂の水は残しておくと便利
トイレを流すのに使えます
トイレには本当に困りましたので
電話も繋がらなくて本当に困り果てました。
実家に電話してみんなの無事を確認したいのですが、それもままならず…。私の住んでいる所からだと車で20分位のとこに実家があったので、とにかく無事を知りたくて歩いて実家まで行きました。
幸いにも家族全員、そして近所の方々も近くの保育所に避難しており、幸運にもケガもなく無事でした。
しかし、実家は半壊。
私の住んでいたマンションは古い建物だったのもあり、倒壊の恐れがあると全壊と判断され、住めなくなってしまいました。
どうすれば良いかと悩んでたところに、主人が大阪へ転勤になり引っ越すことに。
会社も壊滅的な被害を受けて、仕事が出来る状態ではなく、神戸で働いていた人全員が大阪の支店へ行く事になったそうです。
結局、結婚式の式場との連絡が取れたのは、式を挙げる予定日の2日前でした。
式は挙げる事は出来ませんでしたが、地震の数ヶ月後に写真撮影だけその式場でやってもらいました。
大阪で式を挙げる事も写真撮影も出来たでしょうが、私はどれだけ待とうが、どうしても神戸でやりたかったんです。
数ヶ月って長く感じますが、復興には全然足りないくらい短いですね。
写真撮影で神戸に帰った時、まだ震災の爪跡がいたるところに残ってました。
15年経った今は、もうその爪跡は見当たらないくらいキレイな神戸に戻りました。
神戸を元気にしようと街の方々が頑張ったおかげです
ただ、被災者の心の爪跡は消える事はないと思います。
忘れられない、阪神淡路大震災。
いや、忘れてはならない…かな。
少しでも地震の悲惨さ、大変さを伝えていけたらとガラにもなくマジメに語ってしまいました。
ここまで呼んでいただ方、本当にありがとうございます
私のつたない文章で、どれだけの事が伝えられたか分かりませんが、《何か》を感じていただければそれだけで嬉しいです。
そして、被災者の方々、ツラい経験でしたが、これからも前を向いて頑張っていきましょうね
がばいばあちゃんに、貧乏なのになんでそんなに前向きなの?とたずねたら、
『後ろ向きじゃ歩きにくい』
名言です(*^┴^*)
よつば
嵐の櫻井君主演のドラマを見ながら、当時の光景が鮮明によみがえってきました。
地元が神戸の私は、震災当時、神戸市東灘区という所に住んでいました。
私も大勢の被災者の一人です。
記憶力の悪いこの私でも、地震の事は昨日の事のように覚えています。
それ位衝撃的な光景でした。
最初は『ドーン

』という凄い音で目が覚めました。家の近くに阪神高速(あの倒壊していた高速)が通っていたので、トラックでも事故ってぶつかったのかな
と寝ぼけながら考えていた瞬間、視界が揺れました。尋常じゃない揺れでした。
12階建てのマンション住まいだったのですが、マンションが倒れる
と本気で思いました。その時、頭に『死』がよぎりました。
どれくらい揺れてたか分かりませんが、とても長く感じましたね。
何が起こったのか…理解するまで少し時間がかかりました。
ただ、『生きてる』、良かった…
最初の揺れがおさまって考えてたのがそれでした。
布団から出て、すぐそこにタンスが倒れていました。
揺れてる間は布団にもぐりこんでいて気づきませんでしたが、あと数センチでもずれていたら私はタンスの下敷きになっていました。
ゾッとしながら、まずは暗かったので電気をつけようと思いましたが、つきません。
テレビも震度がどれくらいだったか確認しようと思いましたがつきません。
懐中電灯があるリビングへ行こうと扉をあけ、部屋を見渡しぼう然…
新婚生活をはじめて1ヶ月、真新しい家具や電化製品が倒壊して散乱してへやがめちゃくちゃでした。
食器棚からは食器が飛び出して割れてたり、冷蔵庫は倒れて扉が開き、中の食材が散らばっています。
足の踏み場もないというのはまさにこのことだと、部屋を見渡しながら思いました。
余震が続いていましたが、歩ける場所だけでも確保しようと片付けながら懐中電灯を探し出した頃、夜が明けてきました。
明るくなってきたので、外の様子を見に行こうと玄関へ。
ですが、扉が開きません。
地震で建物に歪みが生じたのか、数センチしか開かないのです。
その隙間から、『すいません
すいませ〜ん
』と助けを呼んだのですが、他の部屋も出られないのか人が通りません。3、40分、扉と格闘しながら人が通るのを待って、ようやく1人男性が通りかかり助けていただいて外へ出る事が出来ました。
お礼を言うと、その男性は『スゴい事になってるで
もうめちゃくちゃや
』と外の様子を教えてくれました。本当にその言葉通りでした。
道路はあちこちひび割れて、家は傾き潰れていて、『これは…とんでもない事になってる…』と、その時初めて事の大きさに愕然としました。
実は、地震の起こった数日後に結婚式を挙げる予定だったのです。
(先に入籍だけ済ましてました)
こんな大変な事になっているとは思ってなかったので、結婚式は大丈夫だろうと楽観視してたのですが…瓦礫の山となっている街の姿を目の当たりにし、結婚式どころじゃない…と考え直しました。
それからは本当に大変でした。
ライフラインが全滅、それがこんなにも大変なのかと日頃どんなに便利な暮らしをしていたか思いしらされました。
学習したのは、お風呂の水は残しておくと便利

トイレを流すのに使えます

トイレには本当に困りましたので

電話も繋がらなくて本当に困り果てました。
実家に電話してみんなの無事を確認したいのですが、それもままならず…。私の住んでいる所からだと車で20分位のとこに実家があったので、とにかく無事を知りたくて歩いて実家まで行きました。
幸いにも家族全員、そして近所の方々も近くの保育所に避難しており、幸運にもケガもなく無事でした。
しかし、実家は半壊。
私の住んでいたマンションは古い建物だったのもあり、倒壊の恐れがあると全壊と判断され、住めなくなってしまいました。
どうすれば良いかと悩んでたところに、主人が大阪へ転勤になり引っ越すことに。
会社も壊滅的な被害を受けて、仕事が出来る状態ではなく、神戸で働いていた人全員が大阪の支店へ行く事になったそうです。
結局、結婚式の式場との連絡が取れたのは、式を挙げる予定日の2日前でした。
式は挙げる事は出来ませんでしたが、地震の数ヶ月後に写真撮影だけその式場でやってもらいました。
大阪で式を挙げる事も写真撮影も出来たでしょうが、私はどれだけ待とうが、どうしても神戸でやりたかったんです。
数ヶ月って長く感じますが、復興には全然足りないくらい短いですね。
写真撮影で神戸に帰った時、まだ震災の爪跡がいたるところに残ってました。
15年経った今は、もうその爪跡は見当たらないくらいキレイな神戸に戻りました。
神戸を元気にしようと街の方々が頑張ったおかげです

ただ、被災者の心の爪跡は消える事はないと思います。
忘れられない、阪神淡路大震災。
いや、忘れてはならない…かな。
少しでも地震の悲惨さ、大変さを伝えていけたらとガラにもなくマジメに語ってしまいました。
ここまで呼んでいただ方、本当にありがとうございます

私のつたない文章で、どれだけの事が伝えられたか分かりませんが、《何か》を感じていただければそれだけで嬉しいです。
そして、被災者の方々、ツラい経験でしたが、これからも前を向いて頑張っていきましょうね

がばいばあちゃんに、貧乏なのになんでそんなに前向きなの?とたずねたら、
『後ろ向きじゃ歩きにくい』

名言です(*^┴^*)
よつば











