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技術の伝承と経営

2017-06-17 13:20:32 | ブログ
昨年末からハリの成型担当従業員が、病気で入院・自宅療養でその分野の製造が止まった
ハリの製造が止り在庫が尽きれば、この仕事もエンディングを迎えることになる
任せていた分野で、人員補充をして伝承するには、私だけの知識では少な過ぎる
今年になって体力を取り戻して出社できるようになってから、従業員を補充し技術の伝承を始めてもらった
しかし、新人が中々独り立ちできない
当然かもしれないが、初めてハリを扱うのだから・・・・
個人差があるかもしれないが、習得時間の長短はある
だから、人を増やして・・・・今の、鮎バリ製造業界では無理
どんどん同業者が廃業!
釣人が減り、年間必要量が減少
当初は頑張っていた製造機械も30年以上になっているはず
金属も長く使えば擦り減り、軸穴が大きくなって調整できない位に変形
人間も機械もガタがきて、中々言う事を聞いてくれない
また、その機械を治す職人もいない
また、その機械を扱う職人も高齢化が進んでいる
ハリの手曲げの分野は、特に厳しい
鮎バリは、個人では大量のハリを使っていると思っておられるが
製造する者にとっては、一種類10万本はほしい
5月中旬に入って
自宅療養していた従業員が、緊急入院した
退院できると思っていたら、6月に入ってから急変、帰らぬ人になってしまった
まだまだ、聞かねばならないことが多々あったのだが・・・
急遽従業員を補充
若手が入社、熱心に覚えようとしている
何よりも釣り(渓流・バス・磯)人
ハリ製造を伝授しがいがある人材
と言っても、未経験者
ゼロから・・
ハリ屋の職人が始めに覚えるのが、直線機
(線材を真直にし、ハリの号数に必要の長さにカットする機械)
鮎のハリの号数は、いまだ尺貫法の長さ
切断した材料の両端を尖頭(ハリ先研磨)するので号数の長さ×2+1.5厘
10号だったら・・・10分×2+1.5厘=21.5厘に切断する
1.5厘は研磨の際の減りシロ、または両掛の管シロ
切断された材料を杓子という道具ですくい取り、箱に整列させながら収める
すくう道具の形状は、羽子板の面の部分を湾曲させ、先部分を刃物状に研いでいる
長く使えば、両端が丸くなり、合わせがズレてハリが落ちてしまう
いま、8.5号の一本ハリを曲げている、そのハリの長さは約25.5mm
機械にセットする際は、息を止めゆっくりと杓子をずらさないように持ち上げてセットする
久し振りで、最初にハリがバラバラに
少量だったが、ハリ先を揃えるのに1時間も掛かってしまった
ちょっとしたミスが、時間のロスとなる
コツを掴んで失敗は無くなったが、機械にセットする時は緊張する
この機械は製造50年経った御老体
途中、大改造した際に担当したので、機械の癖が判る
でも、この度注文した部品交換のレールは、届くまでに1週間も・・
同じような部品の種類では3か月待ちとか・・・(韓国で携帯の製造機械用で大量発注)
同じものではなかったが、似たようなものを代用
部品の研磨・・・摺合せ・・・調整・・・フライス加工・・旋盤加工
研磨以外は、我が社の機械で削った
今でも、時たまストライキを起こすが、製品はできている
新しい機械と言っても10年以内の機械でも、調整が必要となる
やはり、部品の摩耗によるガタツキ
交換すればといっても、直ぐには手に入らない
結果は、スプリングでガタを解消することに・・・
製造機械は、知らぬ間に摩耗してガタつきがおこる
ハリの形状のムラは、こういった原因でも起きる
ハリ造りは、難しい割に単価が安い
他社は2年前に大幅値上げしているので、来年は・・・・
技術の伝承の為には、利益率を上げていかないと
同業者がやめて行った理由の多くは、儲からないから・・
鮎バリは、個々で趣向が異なるので、数多くの形のハリがある
地域でも異なる
鮎一匹の成長と河川の状態、釣りの方法の違いで、ハリの型が半端でない位多い
この型も伝承しないといけない・・
そのハリの型が無くなると、その鮎釣りの文化が途絶えることに繋がる
総てを維持する事は、一企業では限界がある
経営に無理が無いよう皆さんに協力を願うしか・・・

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2017鮎祭り・・⑤

2017-05-02 17:25:52 | ブログ
鮎釣りは、特に勉強して上手くなるものではない
鮎名人が解説するDVD見ても、構えは上手くなるかもしれないが・・
川の色、深さ、水温、放流魚の種類、天然遡上と養殖では追いが違う
特に、海産か琵琶湖産では、かなり違いがでる
道具だって金属糸を売りたいメーカーが造るDVDは、仕掛は複合ラインの仕掛けの説明が多くなる
実際、釣り大会では本音が見える
特によく判るのがJFTの鮎トーナメントと言いたいが、鮎王座選手権が面白い?勉強になる
同じ選手に付いて3日試合を見れば、王座の選手全員の釣りが見れる
たった三日でだ・・
門前の小僧のように、お経を諳んじれる
本人の域までは届かないにしても、かなり近づける
実際の釣りを見ることが、一番の勉強になる
特に、緊張感のある試合は、見ていて面白いしタメになる
また、朝一の水温が低い時のオトリの操作
オトリが、尻尾を振るまで動かさない!何もしない
その前に、水合わせ
囮缶の水温と川の水温を合わせる
それも急激でなく、ゆっくりと効率よく
見ていて、なるほどという光景は多々ある
DVDでは省略されがちな箇所が、意外と大切なポイントなのだ
鮎釣りでは、細糸が基本
囮に負担を掛けず、泳いでもらう為だ!
その為、結束が重要な位置を占める
メーカーは、強い糸を作っても、仕掛け造りで強度を落としては泣くに泣けない?
いや、もっと切れた方が・・・(メーカー禁句)
本当に強い結束と思っていても、案外強度は落ちている
締めこむ強さ
その時に、結束部分を湿らすことだけでも結構違う
オトリの扱い方
仕掛の造り方
竿の扱い方
色々と覚えることは多い
恰好は一人前でも、釣果が伸びない
と、思われる方は、是非、見学することを勧める
見ていて、選手のポイントの見切りが、同じように判るようになれば
実践してみると見違えるように、釣果はのびる
川の見切りのスピードが、速い選手ほど上手い
何でそのポイントを見切るか?
オトリの動き
目印に現れる僅かな変化を、読み取っている
エサ釣りではないので、縄張りを持つだろうポイントを次々と攻める
今まで以上に、忙しい釣りになるかも
5月1日解禁情報が、フェースブックに登場している
良くも悪くも、解禁日は、祭りだ!
楽しい!
短い期間の釣り故の解禁の祭り
さあ、今年も始まった・・・
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2017鮎祭り・・④

2017-04-27 18:36:19 | ブログ
知りたい!
見たい!
が、ついに実現した
JFTの重鎮で名人の服部義正さんとの出会い
太田川で鮎釣りをしていた際、私の釣りをご覧になりJFTに推薦となったのです
その結果、和歌山の日高川で開催される鮎トーナメントの予選会(現:フレッシュトーナメント)に応募
出場が決定しました
広島から3人参加し、初めての日高川に挑戦しました
その時の支部長が、相台広美さん
名前の広美??
お会いすると想像と真逆の天狗のような方でした
自らが天狗会というクラブを結成されていて!理解ました
相台さんには、鮎の神髄を学びました
想像だにもしなかったポイント選び
移動!の速さ
当時の太田川のように、動かず幾らでも釣れるのは皆無
海産鮎の性格は、未知の世界でした
さて、初めての日高川
最初に釣れたのは、石
マルトのハリは石も貫くのか??
ではなく、この川の特徴なのか?穴ぼこだらけの石にハリが掛かったのです
初めての経験なので、鮎ではないのは判ったが
重い!引かない!でも、寄って来る??
近づいて見ると、オトリの後ろに石付いてきていました
オトリはヘロヘロ
オトリを交換しても、またまた石が邪魔して万事休す
他の選手を見学することになりました
悔しい思い出ですが、石に掛かリ憎いハリを考えるきっかけにはなりました
また、前泊した宿には、彼方此方の腕自慢が集まっており、情報の宝庫でした
生の話を聞けるチャンスは、広島で釣っていたら皆無だったでしょう
何回か挑戦した結果、広島の三角さんがトーナメントの出場資格を得ました
やっと、大会に同行するチャンスが生まれました
選手でなくても見て聞いてが、成長の早道なので・・・
と、格好良く言いたいのですが、JFTの選手の釣りを見て、諦めました
レベルが、違いすぎました
と、諦めたのが、後に幸いをもたらしました
つづく・・・

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2017鮎祭り・・③

2017-04-20 17:28:15 | ブログ
さてさて、展示会場に行くまでに困った事が・・・
行ったことが無いので、メーカーが着る服装が判らない
遊び着ではダメだし、迷った挙句がお決まりのスーツ
ネクタイ締めて、説明にあたった
声掛けをするのではなく、黙々とイカリラクラクを使ってハリ巻き
気になった方が、立ち止まり質問し始めると・・
段々と人だかりができた
人が人を呼ぶ
結構な方が、見て感心していた
『いつから発売するのか・?』
『良く考えたな~』
『簡単に自分でも作れるな~』
大体が、そのような会話
そうこうしていると、白衣を着た二人組がやってきた
「すみません、どのように使うのか見せてください」
丁寧にお願いしてきた
早速、実演して見せると・・
「素晴らしい」と一言
「お客様から、新発売のハリ巻き器の説明をしていたら、そんな高くてややこしい道具より
安くて簡単な仕掛け巻きの道具があるよ」といわれて来たとの事
松下の方でした
そんなこんなで、ドキドキでの業界デビューでした
あとは、営業の方が仕掛け方法を覚えて、問屋さんに持ち込んで販売して頂きました
厚紙の台紙にイカリラクラクを二枚と説明書を入れたビニール袋を、ホッチキスで止め1袋100円で販売
結構、売れました
しかし安い商品では、手間が掛かって儲けが余りなかったと、記憶しています
ただ、業界にデビューするタイミングは良かった
この時期から、うなぎのぼりのように、友釣り市場が好調?劇場化しました
友釣名人が、雑誌でどうこうと書くと、みな熱心にその技術を会得しようと読みふけった
全国大会規模の友釣り大会が始まり、釣り人が参加し始めると・・
スター選手の釣りを見学に、多くの釣師・・鮎師が会場に集まった
選手としてでなく、観客としてだ
まだまだ、大会なんぞに出る腕では・・と、思っていたのだろう
私もその一人
最初にダイワマスターズ広島大会を見学したとき、目を見張った動きでトップを取った選手がいた
村田さんの弟子の尾崎さんだった
見切りの速さと、引き抜きの技
当時の私達は、引き寄せが主流だった・・・当時は、引き抜きは下品、漁師の業とまで言う人もいた
試合後、ハナカン周りの仕掛けと、三本イカリの仕掛けを本人からもらった
帰ってからは、その仕掛を分解
ハリスラインはカメレオン
当時、ホンテロン1.5号のピンピンのハリスを使っていたので、そのしなやかさに驚いた
まだ、フック式ハナカンが主流の頃で小さい内径8mmをつかっていた
井の中の蛙とは、よく言ったもんで
余り考えなくても釣れていたから、仕掛けも最初に習ったまんま
しかし、あれよあれよと、掛けまくる凄技を見たら、もうだめ
どうしたら学べるのかと思っていた所、鮎の雑誌で見たのがJFTだった
当時の雑誌に載っている殆どの選手のベストには、JFTのワッペンが縫い付けてあった
調べると、鮎、グレ、チヌ、ハエの四魚種のトーナメントや王座といった大会をおこなっていた
色々な事を学びたいと思ったが、入会には審査があり、それなりの腕が無いと入会ができなかった
そこそこ釣れる位の私では、到底足元にも及ばない
でも、その中に入って知りたい、経験したいという思いが募っていった
続く・・・・




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20173鮎祭り・・②

2017-04-16 13:43:19 | ブログ
さて、薄いアルミ板??
皆さん何を想像されますか?
缶ビールのアルミ缶
当然ですよね
ただ、我社の別事業?で、スレーダーという便利グッズを製造しておりました
スレーダー?・・とは、針の穴に糸を通す際に使うもので、よく縫い針セットの中に入っていたもの
アルミにローマ調の御婦人の肖像を刻印し、薄いアルミを補強するために、凹凸加工を施したものです
日本で超一流の縫い針セット等を販売していた、クローバーのスレーダーも作っていました??
作っていましたとは、中国製品が入るようになってから急激に需要が減り
機械と、材料をスレーダー購入先のメーカーに買ってもらい、この稼業は取りやめとなったのです
オートフィーダー付プレス機や、ステンレス線の曲げ機・・総てのノウハウも付けて・・・
当時、ステンレス線でも0.1mmの絹縫いバリ用と、0.13mmの普通の縫い針用と二種類作っていました
私の仕事は、内職さんに半製品を渡し、出来上がった製品を持ち帰る
二週間に一度、内職工賃を支払いに廻ること
一度に50万円くらい小額紙幣を持って出ていました
・・話がそれました
その機械と材料を使って何万枚とつくり、両面テープ自動寸法カッターを使い、アルミ板に貼り付けていました
元の素材と機械が有ったからこそできた製品かもしれませんね
ハリ結びの小道具?の開発を思い立ったのは・・・開発・・格好良い言葉ですね
自分自身が三本イカリが結べなかったからです
当時のハリの号数の基準は、7.5号ハリスホンテロン1.5号
大きい、太い
でも、結ぶことができなかったのです
当時は指に持ち、この商品の説明書に書いたあるように根巻糸を使わずハリス一本で仕上げていました
ハリが中々持てなくて、ハリを厚紙に乗せてやっても安定が悪いので、セロテープで貼り付けたのですが・・
失敗・・で、セロテープをリングにして外側を粘着部分にしてハリを付けたら・・中々良いじゃない
でもグラグラと安定性が無い・・そこで、アルミ板の登場となった訳です
大成功でした
後は、アルミ板の補強プレス型の製作
型は、大阪の刻印メーカーに依頼し、抜型はプレス型メーカーに
出来上がった二つの型を、ダイセットにセットし、いざプレイスに装着
最初に出来上がった時は感動しました
実用新案も申請し、あとは、製造・・・
しかし、販売方法が判りません
当時、我が社は営業活動をしておりませんでした
兄が受け持っていた分野ですが、釣りよりゴ○フクラブを乗せての営業
展示会で説明し、使ってもらって、初めて理解できる小道具
名前は、『イカリラクラク』安直なネーミングに命名
さて、どうしようか!と迷っていた所
広島で、磯関係雑品販売で全国展開をしていた業者さんを知りました
で、交渉開始・快く引き受けて頂きました
製造元『(有)中徳商店』(当時の社名)、発売元『新日本産業㈱』で販売開始
最初のアタックは、大阪で開催されていた釣具見本市、今の『大阪フィッシングショー』の前身
製造分野の私がテーブルに座ってお客さんに説明する・・・・人見知りが人一倍強かった私が
しかし、内職周りをしていて、おばさん相手に話すようになってから少しづつ慣れてきていました
しかし、今度は、鮎師の方々
専門知識と経験の持ち主を相手に、格闘しなければなりません
続く・・・・
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