福山自動車時計博物館はバラエティ過ぎる

2018-02-11 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
福山駅から北に10分ほど歩くと、福山自動車時計博物館に到着する。隣のマンションの屋上に巨大な看板塔が立っているので、驚くのだが、博物館はその隣だ。いや、道の反対側にもある。いや、その隣にも隣にも・・

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屋外展示は、バスや作業車、などの大物の車両や元車両(半スクラップ)も並ぶ。バラエティ感があふれている。

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そして館内に入ると、所狭しと各種クラシックカーが並ぶ。国産車、外国車、360CCの軽自動車や、いまや見ない三輪車など。しかも飛行機(チェロキー)まである。

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しかも、自由に運転席に乗れるのだ。もちろん、中には座席のスプリングがへたっているものもあるし、チェロキーの狭く低い座席に潜り込むと、お尻が抜けなくなる危険も感じる。

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現代のクルマと比べても、基本的には、アクセルとブレーキとギアがついているだけなので、基本的にはあまり変わっていない。100年前と変わっていないのに商業的理由で変わっているように自動車会社が見せかけているだけかもしれない。

そして、壁には壁掛け時計が並んでいる。自動車時計博物館というのは「自動車の時計の博物館」ではなく「自動車の博物館でもあり、時計の博物館」でもある。

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館内の入口の方に、日本独自の「尺時計」という珍品が並んでいる。日本で使われていた、〇の刻という時間制は夜明けと日没を規定してそれを12等分するのだから、夏は昼間一刻の方が長く、冬は夜の一刻の方が長い。

そのため、一刻の長さが調整できるように尺を刻むようにできているのが尺時計というそうだ。

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従業員の方に聞くと、これらは館長の趣味で集めているらしいとのこと。蝋人形まであり、あまり似ていないペリー提督の隣に並ぶのが、幕末の英才、阿部正弘だそうだ。老中首座で切れ者だったらしいが、25歳で老中になり39歳で急死し、その後、井伊直弼が大老になり、以下は大混乱となり明治維新を迎える。その阿部正弘は福山藩主だったそうだ。

その他、咸臨丸の水夫で米国に墓のある人物のカリフォルニアの墓石の拓本も展示されていて、館長は幕末史にも蒐集の手を延ばしたいような感じが見えるが、もはやこれ以上蒐集しても館内に展示できる隙間はないだろう。


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