熊本県出身ではなかった棋士

2016-04-23 00:00:18 | しょうぎ
熊本県出身の棋士を調べてみようと検索すると、WIKIPEDIAの熊本出身の有名人として、棋士として二代伊藤宗印となっていた。本人も五世名人だが、有名なのはその息子たちで、特に詰将棋界では高名な宗看、看寿の兄弟の父親である。

自身でも名人襲位の前に「将棋勇略」を献上。生前には刊行されなかった「将棋精妙」、別名「不成百番」を完成している。なぜ、没後刊行までにかなり長い期間がかかったのか、私の推測だが伊藤家の内部資料だったのではないだろうか。幕末に近づき伊藤家の財政難により刊行したのではないだろうか。

仮に、そういう仮説を立てると、宗看も看寿もそれを見ていたことになるし、伊藤家の秘伝となると宗看も看寿も生涯に百題しか作らなかったこともないだろうし、それらも伊藤家の秘伝になっていたのではないだろうか。と、推理してもそれ以上のことは思考停止だ。

ところで、伊藤宗印だが、将棋家に生まれたわけではなく、地方の英才だった。そして養子として伊藤家を継いでいる。しかし、WIKIPEDIAには、熊本県出身となっていながら肥前国唐津の出身となっている。これはおかしい。肥前は今の佐賀県だし、唐津も佐賀県の海岸だ。

一方、佐賀県出身の有名人には、そもそも棋士というカテゴリーがない。要するに存在感がない県なのだろう。佐賀駅を通るJRだって、JR長崎線と呼ばれている。

今、手元に日本将棋体系がないので、調べようがないが、WIKIPEDIAに書きこんだ人が、佐賀県の存在を知らなかったのだろう。福岡の次が熊本で鹿児島、そして沖縄。東側が大分と宮崎、横の方に長崎があって、とか覚えているのだろう。「佐賀県?あっ、朝鮮半島との間の島のこと・・」とかなのだろう。


さて、4月9日、出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


本日の出題。



根気よく考えることかな。

今度は、修正です。色々すみません。

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わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (市橋宗士)
2016-04-24 12:52:25
葉一郎様

 えーと、2手目の「愛」が、
(斜め後ろに効く)駒どちらでも同手数に
なるような気がするんですが、
何かヒントを頂けると幸いです。
(読み間違いでしょうか?)
                      市橋
Unknown (おおた葉一郎)
2016-04-24 18:26:11
市橋様
ご指摘の通りです。
色々あって、後で気づきました。
後で修正します。
Unknown (市橋宗士 No2)
2016-04-24 19:58:02
葉一郎様

 ああ、よかった、やっぱり。
 手数が長いんんで、
 盤に並べて確認しました。
 金配置で良い手順なんですね。
 自然で、取り組み易い図式です。
                 
                 市橋2
Unknown (おおた葉一郎)
2016-04-25 06:49:21
市橋様、
直してみました
Unknown (蛇塚の坂本)
2016-04-27 11:37:25
最終手○○○の○○手詰みと成りました。
角と金が,加えられてもそんなに手数が,伸びないのに驚く。
Unknown (おおた葉一郎)
2016-04-27 11:39:36
坂本様
正解です。
重複出題発覚→問題張替→受け方非限定発覚→大急ぎで修正→修正失敗→やっと修正終了
ちょっと困りました。

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