ヱビスビール記念館から始まった

2017-08-06 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
前々から恵比寿駅の近くにあるヱビスビール記念館に行こうと思っていて、ついにその日が来た。というほどのことはない。確かにガイド付きツアーは500円(ビール2杯付き)だが、無料とはいえ北海道のサッポロビールの工場の見学にいくよりもずっとお手軽だ。

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もともとヱビスビールは独立した会社で、明治20年に東京市の郊外だった場所に工場を建て、3年後からビールの生産を始めた。ビールのブランドがヱビスで、それが駅名になった。

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そして発売直後からヱビスはトップブランドであり、工場の稼働はどんどんよくなってくる。そして、今の物価感覚でいうと、高級ワイン程度の値段だったようだ。当時の製品の意匠が展示されているが、技術的に指摘すべきは、まだ金属製の王冠は使われず、コルク栓に紙の封印が貼られていた。何しろ、人気ブランドには偽物が多発。それにより経営が圧迫されていたようだ。

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また、日本で最初のビアホールもヱビスが銀座に建てている。となると銀座ライオンの場所かと思うのだが、そこではなく銀座の端であり、今は天ぷらの天國ビルの場所だそうだ。注意すべきは看板の文字で、ドイツ語のbierではなく英語のbeerになっている。そもそも日本のビール発祥期にはドイツ語的にビールといわず英語的にビアと言われていたらしい。

いつの時期にビールになったかはいまのところ不明だが、第一次大戦の時にドイツの租借地だった青島を日本が奪還した時に、青島ビールを接収して運用をはじめた頃からドイツ語読みが増えてきたのかな、と推測。

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そしてこのビアホールの当時の名物料理はなんだったのだろうか。フランクフルトソーセージでもジャーマンポテトでもないのだ。

おでん。それも「冷やしおでん」だったそうだ。おでんの何点盛という感じのようだ。しかし、現代でもおでんは日本料理ベスト10に入賞するかどうかという人気メニューだが、「冷やしおでん」というメニューはみたことがない。キャズム感が漂う。

そして、戦争中は、ビール会社の集約化が図られ、戦後はそれが分割するも、結局は王者麒麟麦酒に対抗するため、ヱビスはサッポロと合併。恵比寿の土地を売却し、船橋に工場を移転したはずなのに、なぜかヱビスの土地を売らずに不動産事業を開始し、一時は経営に行き詰る寸前だった。

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ともあれ、既定のガイドツアーの最後には試飲会(といっても数十分前に500円を先払いしているのだが)。当日は、お中元用の特別ビールとしてヱビスプレミアム・ザ・ホップ2017という缶ビールを試飲。最近の流行の苦みが強い(強すぎる)ビールだ。なぜ、お中元シーズン用に新ビールが発売されるのか、この時はよくわからなかったのだが、後日、自分がお中元を百貨店に買いに行った時に感じたのだが、ビールの種類が少ないと、箱詰めするときに横幅が大きく取れない。つまり、小さな箱で売る=少額商品ということになる。ビールを5種類持っていれば上下二段で組めば前面に10本、二段重ねにすれば20本セットができあがる。

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そして多くの人が初耳だったのだが、瓶ビールのラベルだが、恵比寿様が鯛を釣って帰るところを図案化しているのだが、200本に1本の割合で、鯛を二匹釣った幸運の恵比寿様がいるそうだ。ラベルを水に濡らしてからきれいに剥がして、乾かしてから額に入れても、単なる自己満足に終わるが、蒐集という趣味はそういうものだ。

そして、深い理由もなくヱビスビールに行ったことから始まり、次々と・・
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