清洲城天守は美しいが

2017-04-09 00:00:20 | The 城
先日、2013年に公開された「清須会議」という映画を観たが、本物の清州城を見に行きたくなった。清須会議とは、織田信長が明智光秀の謀反で殺された後、秀吉を中心とした弔い合戦の末、明智勢力が撲滅され、それでは次の織田家の家督を継ぐのは誰にするかという議題について、秀吉と柴田勝家が争う。(清洲と清須は実際には同じで、混用されているが、戦国時代は主に清洲で江戸時代は清須、現代はまた清洲がよく使われるが市の名称は清須だ。)

実は、もう一つの清須会議がある。時代はもっと下って、秀吉が亡くなり家康と石田三成が関ケ原で戦う直前に、東軍の先鋒部隊がここ清洲までやって来た時に、軍勢の中が疑心暗鬼になる。というのも先鋒部隊に続く後方隊が江戸からやってこないわけだ。

つまり、家康の陰険な性格は東軍の武将も承知済み。家康の捨て駒に使われているのではないかと疑い始める。裏で家康と三成が手を握っていて、東西挟み撃ちされるのではないかと、この清洲城で軍議が始まる。


ところで、清洲は織田信長の居城として有名で、桶狭間の戦いで、戦国時代の「信長の野望ゲーム」のトーナメント1回戦に勝った時も、この城から出陣している。しかし、静岡から名古屋まで東海道沿いはおおむね平野であり、堅固な城を築くことが困難で、清洲城もさして大きくない五条川しか守るものがない。

ということで、清洲城に向かうのだが、事前研究では最寄駅はJR清洲駅と名鉄新清洲駅となっていて、名鉄の方が行きやすいと書かれていた。確かにそうかもしれないが、実はJR清洲駅から行き、名鉄新清洲駅から帰るのだが、JR清洲駅からは道は複雑だが、親切すぎるくらい行き先表示板が充実していて、道に迷う心配はないが、名鉄線からは案内板がないので、特に帰り道に名鉄駅を目指すと、相当不安になる。

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そして、現代の清洲城は、きわめて美しい。信長が後に築いた安土城とイメージが重なる部分がある。すっきりしたフォルムと最上階の手すりの朱色、観賞用には最適だろう。しかし、大きな問題が二つあるようだ。

一つ目は、その美しいフォルムだが、実際の清洲城は家康の命により1609年に取り壊しになり、その材木が名古屋城に転用されている。残念ながら、歴史上の重要建造物なのに、屏風や絵巻物などの視覚的データが残っていない。ということで、想像の産物なのである。ある意味、だからこそ、現代人が見て美しいのかもしれない。

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二つ目は、天守閣の位置が実際とは異なること。これは実際の場所がわかっている。礎石のあった場所は円形に低木が植えられているが、土饅頭みたいで縁起が悪い。ではなぜ、その場所に天守閣を再建しなかったかというと、この清洲城の城郭エリアだが、中央に東西に新幹線が走り、河川工事の結果、五条川が南北に貫くことになってしまったわけだ。しかも、実際の天守閣跡の近くには市役所関連施設があることにより、もっとも使いにくく空いていた場所に復元されたのだろう。

天守閣内には、思いのほか織田信長の偉業がデジタル化されていて、武器、武装なども豊富だ。陣太鼓もあり、入館者は好きに叩くことが認められている。お客様ファーストだ。実際に景気よく連打してみたのだが、これからの人生で、どこに向かって出陣すべきかまでは、思い浮かばない。

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そして、家康が岡崎城を10年で出たように、信長も10年で清洲城を離れ、美濃(岐阜県)に向かって進撃を開始する(トーナメント2回戦)。
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