徐々に本質的問題が変わってきている

2014-04-10 00:00:40 | 市民A
STAP細胞についての論文疑惑を持たれている小保方氏の会見と、先日の理研の会見とを考えると、最初からズレている点が、やっと見えてきている(というか最初から見えているのだが)。

つまり、理研の言い分は、あくまでも「論文の不正」であり、STAP細胞が存在するかどうかではない。

で、小保方氏の言い分は、「論文の誤りはミス」であり、またSTAP細胞は存在する。200回も作ったということだ。

となると、実験ノートにきちんと200回書かなかったとしても、せめて10回分ぐらいは画像を持っているような気もするわけだ。

で、冷静に科学として考えると、別にネーチャーに論文が掲載されることが終着目標であるわけはないので、論文の誤りについての悪意かどうかを調べることが重要ではなく、例えば理研にしても、STAP細胞の存在の白黒をつけてから白なら論文の訂正(あるいは加筆)を行い、黒なら論文撤回というのが本筋なのではないだろうか。理研の態度も三流企業の食品偽装問題の釈明会見以下という感じがする。

で、正しそうでもない仮説があって、それを再現するまでに時間がかかるというのは、科学ではよくある話なのだが、量子力学ではなく細胞レベルの研究なのだから、およそ1~2年で、何らかの結果が出てくるはずである。今のところ、誰も再現できないようだが、小保方氏によれば、「ちょっとしたコツがある」ということだが、もしかしたら、その「コツ」について書かないということの方が問題なのかもしれない。ないことをあることのように書くのは問題だが、あることを書かないというのも問題のような気がする。

あるいは本人はSTAPと思っていても、まったく未知なる異なる現象ということもあるわけだ。

ということで、なんとなく本質は「論文」から「STAP再現」にうつり、さらに「ちょっとしたコツ」のところ進んでいき、「真偽」の決着がつくような気がする。理研があえて「STAP存在の真偽」に踏み込まないのは、「存在しない」と宣言した後、「存在すること」になったら、それこそ組織壊滅となるだけに、関ヶ原の戦いでの小早川某のように、うまく立ち回りたいのだろうと思うが、「世論」という勝馬に乗るのが早すぎるような気もする。


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