宇都宮城址まつり元自衛官爆死事件について思うこと

2016-10-25 00:00:56 | 市民A
まず、今回の事件の巻き添えになり負傷された方々、鉄片が肝臓まで届き長期入院を余儀なくされた方や鼓膜が破損した方、臨家の火災で自宅外壁と自動車2台が燃えた方には、深くお見舞いを申し上げたい。冷めた愚論を書きそうなので最初にお許しを乞いたい。

事件から一日経ち、およその流れが見えてきて、その都度、思うことが色々あるが、別れた妻とのDV裁判の内容についてはまったく根拠を持っていないので書けないが、最近の裁判官の調査能力はとんでもないので実のところよくわからない。

結局、元自衛官は、唯一の資産である自宅土地建物を失うことになり、生きる道が亡くなったと考え、本人にとっての宝物であった自宅を吹き飛ばし、自分も爆死を選ぶ。まつりの日など選ぶなよといいたいが、そのあたりの事情はわからない。精神医療関係の仕事をしていたようで、少し残念だ。

不謹慎ながら、自分の最も大切な自宅と自家用車までが人手にわたることが、本当に嫌だったのだろう。歴史の中におなじ動機をもって爆死した人物が、松永弾正久秀。日本工芸史上最高傑作の茶釜である「平蜘蛛釜」を信長に奪われるぐらいなら、と信長に攻められた際、爆薬を釜に詰め、一緒に爆死した。日本史上では、悪役列伝に属する裏切り系人物だが、戦国武将の中では、もっとも派手な最期を遂げた。

重ね重ね不謹慎だが、祭りでの大事故といえば、ガソリンポリタンク大爆発とか花火大会の際の歩道橋事故とか暴発などが近年起きているが、1807年に起きた江戸の永代橋の崩壊事故は世界最悪の事故とも言われる。深川八幡(相撲で有名)の祭礼の夜、群衆の重みに耐えきれず隅田川に落橋。推定死者数は1400人と言われる。わたしと同音だが、狂歌師大田南畝は、『永代と かけたる橋は落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼』とクレージーに詠んでいる。


そして、宇都宮城。歴史の第一線にはあまり登場しない城だが、一歩踏み込んだ第二線でいうと、歴史上のイベントには事欠かない。どちらかというと、謀略系に近い城になっている。築城時期は平安時代後期で藤原慈円につながる家系が宇都宮氏を名乗る。

しかし戦国時代まで続いた家系も、内紛があり謀殺などが起きる。しかも秀吉のお気に入りの浅野長政の政略により、宇都宮氏は宇都宮を追い出されることになる。浅野長政はさらに出世を続け、関ケ原以降は家康にしがみつき息子は広島城主にまでなるのだが、その傍系の赤穂藩主浅野内匠頭は江戸城内某事件で切腹することになる。

そして、浅野長政が宇都宮城を出世の肥やしにした後、城主はめまぐるしく変わり二代将軍秀忠の時代は本多正純が入り、町の整備を行った。が、これが家康亡き後の権力抗争の餌食になり、「宇都宮城釣天井事件」に発展。秀忠公が日光参りの帰りに立ち寄った時に、事故を装って天井を落下させ、将軍を亡き者にしようとしたと冤罪をかぶることになり、失脚の上追放。

そして、幕末から明治にかけ起こった戊辰戦争では、驚くことに二度も戦火があがることになる。一回目は江戸から敗走中の旧幕府軍が勝利し、町が焼ける。そしてまたたく間に新政府軍が押し寄せてきて、旧幕府軍は敗退。今度は街のほとんどが灰燼となる。旧幕府軍は大鳥圭介や土方歳三をはじめ会津若松に向かう。

というように、重要な城ではあるものの、縁起は悪い方の城なのである。


そして、まったく違う観点で、彼が元自衛官ということについて。パイロットをめざす新人自衛官に気象学を教えていたそうだ。爆発物からは縁遠い存在だったのだが、・・

内勤の自衛官でも、たった一人で手製の爆弾を作り、大爆破作業を行うことができる、というのには周辺国も震撼だろう。日本軍人は結構怖いということになるのだろうか。元々、対ソ戦が前提で、ソ連占領下の北海道で山中に潜み、ゲリラ戦を行うように考えていたわけだから。
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