初期のニポポ

2016-07-24 00:00:17 | 美術館・博物館・工芸品
実家の整理をしていると色々と出てくるのだが、説明者がすでにいないので、手こずる。説明者が理解していたかどうかはわからないが、要するに現物しかないのでなんとも困る。もちろん、実家は大臣でもなく都知事でもないので高額なものがあるはずもないので、一つ一つネットで情報を集めて推定している。

自分がこどものころから記憶にあったアイヌの木彫を発見したのだが、同様なものは新千歳空港の民芸品店でも何種類かみたことがあるが、現代のものよりも実家で見つけたものは表情が怖い感じがする。男女の対になっていて、女性の唇が黒いのは入れ墨だろうか、あるいは黒の紅だろうか。誰が彫ったのかはどこにも記されていない。

本体の高さは19センチであるが、どうも最近はもっと小型で細長いタイプが主流のようで、表情も多彩だ。色も明るく「家のお守り」ということになっている。

nipopo



そして、この木彫のことを調べてみると、名前がついていた。

 「ニポポ」。

南樺太のアイヌの木彫りのお守りだったものを参考に、1956年に網走刑務所の受刑者が製作を始めて、売り出したものだそうだ。今でも受刑者が彫っているそうだ。

それだから、彫師の名前が記されていないのだろう。時代的には安部譲二氏作かもしれない。

もともとは家のお守りというよりも、狩りに行くときの幸運を祈っていたようだ。命がけの生活だったわけだから。

間宮林蔵の樺太探検記によれば、江戸時代末期は、アイヌは樺太南側に住んでいて、北海道のアイヌとは交流があり基本的には日本人とは友好的だったそうだが、北側はロシアと清(中国)の勢力が争っていたらしく、現地住民も日本人でもアイヌ人でもなく領土未確定状態だったようだ。

ところで、網走刑務所だが、このニポポが彫られた頃は、重罪の者が入っていたようで、博物館になっている通り、居住環境は厳しいものだったようだ。怖い表情には理由があったのかもしれない。近年には全館暖房も入り、暴力団関係や刑期の短い受刑囚がオツトメ中のようだ。他人の家に押し入ってパンパンしたような方々が製作した物を「家の守り」にするという不自然さに気が付くが、家の用心棒と思えばいいのだろう。