新札関係の展示の一角に常設されていたのが「日本のあゆみ」。明治時代以降の日本のあゆみを公文書という切り口で展示している。
いくつか特記事項となるできごとについて。
まず、明治28年の日清講和条約。日清戦争の後のいわゆる下関条約。朝鮮が清国の隷属国だったものを独立国にすることを保証(その後、日本に併合)。また台湾は日本領になる。展示されているのは朝鮮独立の部分。
その右側にあるのは明治23年の教育勅語(戦後は教育基本法に置き換わる)。内容はともかく、紙の色に驚かされる、茶色の用紙に黒い文字とは読みにくい。どうしてこうなったかというと文部省に保管されているものが関東大震災で焼け残ったということのようだ。耐火金庫に入っていて金庫内の酸素不足で蒸し焼きになったのだろう。もっとも、教育勅語は全国の学校に送られたので、これが最後の一枚と言うことではない。
昭和11年2月26日。戒厳令。2・26事件の当日、戒厳令が公布。大蔵大臣の署名がない。殺害されたからだ。
昭和16年12月8日。太平洋戦争の開始の日の宣戦の詔書。後に総理大臣になった岸信介の名もある。
ところで、第二次大戦開戦に関する書類の件だが、30年程度前のことだが、ある年配の知人男性から相談を受けたことがある。手書き書類のコピー(白黒)だった。印刷ではなく手書き文字なのだが、開戦直前の海軍の中の書類で、開戦時期が明示してあった。もちろん「厳秘」の朱印もある。
その文書のコピーではなく原文を持っている別の人物が、その文書を換金したがっているとのことで買いそうな筋を知らないだろうかということ。
入手ルートを聞くと、その人物は終戦直後に犯罪(空き巣)を定職としていたそうで、ある家に入った時に見つけて持ってきたと言っているそうだ。十分に犯罪的だ。
今、調べ直したところ、おそらく開戦直前の12月1日に軍令部(永野海軍大臣)から連合艦隊司令長官(山本五十六)あての命令書、大海令第9号か第12月2日に軍令部から山本司令長官及び全国の司令官あてに送られた大海令第12号であったと思われる。9号ならこの文書は1枚しかないのだから、12号の方だったのだろうと思う。
大海令第九号
昭和十六年十二月一日
奉勅 軍令部総長 永野修身
山本連合艦隊司令長官ニ命令
一、帝国ハ十二月上旬ヲ期シ米国、英国及蘭国ニ対シ開戦スルニ決ス
二、連合艦隊司令長官ハ在東洋敵艦隊及航空兵力ヲ撃滅スルト共ニ敵艦隊東洋方面ニ来航セバ之ヲ邀撃撃滅スべシ
三、連合艦隊司令長官ハ南方軍総司令官ト協同シテ速ニ東亜ニ於ケル米国、英国次デ蘭国ノ主要根拠地ヲ攻撃シ南方要域ヲ占領確保スべシ
四、連合艦隊司令長官ハ所要ニ応ジ支那方面艦隊ノ作戦ニ協力スべシ
五、前諸項ニ依ル武力発動ノ時期ハ後令ス
六、細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ之ヲ指示セシム
大海令第十二号
昭和十六年十二月二日
奉勅 軍令部総長 永野修身
山本連合艦隊司令長官
古賀支那方面艦隊司令長官
豊田呉鎮守司令長官
平田横須賀鎮守府司令長官
小林舞鶴鎮守府司令長官
谷本佐世保鎮守府司令長官
坂本鎮海警備府司令長官
山本馬公警備府司令長官
大熊大湊警備府司令長官
浮田旅順警備府司令長官
小林大阪警備府司令長官ニ命令
一、帝連合艦隊司令長官ハ十二月八日午前零時以後大海令第九号ニ依リ武力ヲ発動スべシ
二、支那方面艦隊司令長官、各鎮守府司令長官及各警備府司令長官ハ連合艦隊ノ開戦第一撃ノ報ヲ得次第、夫々大海令第十号及大海令第十一号ニ依リ武力ヲ発動スべシ
三、蘭国ニ対シテハ米国及英国ニ次デ機宜武力ヲ発動スべシ
オリジナル文書のバイヤーを探すことはできたかもしれないが、盗品と知っての取引ではまずいのでお断りした。自分で買い取っておけばよかったのだろうか。