伊藤初代のその後 〈美神〉の蘇生 「母の初恋」(5)
「母の初恋」の最終行
……民子から雪子へと貫いて来た愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりだつた。
康成が書きたかったのは、まさにこの1行だったのである。
民子は死んだが、その愛は生きていた。地下水のように脈々と流れて雪子に至り、雪子の心の奥深く、清冽な流れとなって、流れつづけてきた。
〈美神〉の蘇生
1922(大正11)年冬、不可解なままに愛を喪った康成だったが、その真剣な思慕は、ちゃんと初代に通じていた。
初代が不如意な結婚生活に苦しんでいるあいだに、康成の愛は初代によって思い出され、次第に大切な思い出となって、苦境にある初代の心の支えとなった。
10年後に、思いあまって初代は上野桜木町の康成の家を訪ねた。
しかし、すさんだ生活のあいだに、初々しさも、若さも、美しさも、すべてを失ってしまった零落(れいらく)した姿に、康成がその後も内部ではぐくんできた〈美神〉の像は、がらがらと崩壊した。
――ここまでが、川嶋至のいう「実生活における川端とみち子の恋愛に基づいて描かれている」部分である。
けれども、1度消えたかに見えたみち子――初代への想いは、康成と別れたあと、初代が康成の代わりに育んでいてくれた。その想いが、娘に引きつがれて、何10年にもわたって愛の稲妻となって戻ってくる。
すなわち、康成のなかに固着した伊藤初代という〈美神〉は、いったん崩壊しても、そのままでは終わらなかったのである。康成の内部に、痛切な希求(ききゅう)として生きつづけ、ひそかに成長しつづけた。
それが、母の愛が娘のなかに生きつづけるという発想につながったのである。別れたのちも想いつづけてくれた初代の愛は、娘に受け継がれるという思いがけないかたちで、ふたたび甦ったのである。
〈美神〉の蘇生――「母の初恋」は、そのような康成の悲痛なまでのねがいが成就された作品である。
">※ 筆者の言葉 ※
拙著では、ここで第3章第5節が終わり、次に、昭和17年(1942)年から発表のはじまった「名人」について述べた第6節が入る。
小説「名人」は、その4年前、昭和13年(1938)に行われた「本因坊秀哉(しゅうさい)名人引退碁(ご)」の観戦記を書いたことを機に、秀哉名人を畏敬した康成が渾身(こんしん)の力をこめて書いた、康成前期の代表作の一つ(もう一つは「雪国」)である。
しかし、このブログでは、伊藤初代と、初代への思慕を〈美神〉としてきた康成のその後を読者に語ることが目的なので、「名人」については飛ばして、次の「第7節 新しい〈美神〉「故園」(こえん)と「天授の子」(てんじゅのこ)」の内容へ進むことにする。
乞うご期待
「母の初恋」の最終行
……民子から雪子へと貫いて来た愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりだつた。
康成が書きたかったのは、まさにこの1行だったのである。
民子は死んだが、その愛は生きていた。地下水のように脈々と流れて雪子に至り、雪子の心の奥深く、清冽な流れとなって、流れつづけてきた。
〈美神〉の蘇生
1922(大正11)年冬、不可解なままに愛を喪った康成だったが、その真剣な思慕は、ちゃんと初代に通じていた。
初代が不如意な結婚生活に苦しんでいるあいだに、康成の愛は初代によって思い出され、次第に大切な思い出となって、苦境にある初代の心の支えとなった。
10年後に、思いあまって初代は上野桜木町の康成の家を訪ねた。
しかし、すさんだ生活のあいだに、初々しさも、若さも、美しさも、すべてを失ってしまった零落(れいらく)した姿に、康成がその後も内部ではぐくんできた〈美神〉の像は、がらがらと崩壊した。
――ここまでが、川嶋至のいう「実生活における川端とみち子の恋愛に基づいて描かれている」部分である。
けれども、1度消えたかに見えたみち子――初代への想いは、康成と別れたあと、初代が康成の代わりに育んでいてくれた。その想いが、娘に引きつがれて、何10年にもわたって愛の稲妻となって戻ってくる。
すなわち、康成のなかに固着した伊藤初代という〈美神〉は、いったん崩壊しても、そのままでは終わらなかったのである。康成の内部に、痛切な希求(ききゅう)として生きつづけ、ひそかに成長しつづけた。
それが、母の愛が娘のなかに生きつづけるという発想につながったのである。別れたのちも想いつづけてくれた初代の愛は、娘に受け継がれるという思いがけないかたちで、ふたたび甦ったのである。
〈美神〉の蘇生――「母の初恋」は、そのような康成の悲痛なまでのねがいが成就された作品である。
">※ 筆者の言葉 ※
拙著では、ここで第3章第5節が終わり、次に、昭和17年(1942)年から発表のはじまった「名人」について述べた第6節が入る。
小説「名人」は、その4年前、昭和13年(1938)に行われた「本因坊秀哉(しゅうさい)名人引退碁(ご)」の観戦記を書いたことを機に、秀哉名人を畏敬した康成が渾身(こんしん)の力をこめて書いた、康成前期の代表作の一つ(もう一つは「雪国」)である。
しかし、このブログでは、伊藤初代と、初代への思慕を〈美神〉としてきた康成のその後を読者に語ることが目的なので、「名人」については飛ばして、次の「第7節 新しい〈美神〉「故園」(こえん)と「天授の子」(てんじゅのこ)」の内容へ進むことにする。
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