冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

卒業パーティー

2016年06月29日 | 子ども・家族
プレイランドへ一日お出かけした翌日は、卒業パーティーだ。
といっても、日中は普通に学校に行く。パーティーは6時半から3時間。
卒業パーティーは、基本的に親たちが企画運営する。取りまとめするよ~というひとが、名乗り出て他のボランティアできる親たちを募る。そして、集まった人たちがコミッティーというグループ結成、話し合いを重ねてパーティーを実現させるわけである。
3年前、娘がエレメンタリースクールを卒業する際にも、卒業パーティーコミッティーに入った私。今回息子の卒業にあたっても参加することにした。

当然、親たちのメンツが違うので、卒業パーティーの中身もその年その年で変わってくる。3年前は、パーティーの場所は学校の体育館で、ダンスパーティーということに早々に決定した。というより、もうそれが前提のような感じだった。今年は、ミーティングでまず、「パーティーを学校の体育館でやるか、他の施設でやるか」というところから話し合いが始まった。そして、他の施設でやるとするならどこにするかということで候補地をいくつか選出。そして、卒業生たちにどこでやりたいかのアンケートを取った。で、決まったのが、6パックビーチ。6パック(シックスパック)とは、いわゆる割れた腹筋ってこと。ビーチだと上半身裸とかになるから割れた腹筋、って言葉とつながるってことか・・・?

ビーチとはいうが、ここは工場ばっかりが集まる場所の中にある倉庫みたいな建物の中に、砂をたくさん入れた人口砂浜をどかーんと5~6面くらいいれた人工ビーチって訳である。水は全然ないので、ビーチっていうかただの砂浜っていうほうが近い。そこで、ビーチバレーだとかして遊ぶってわけだ。オプションとして、我らが卒業パーティーコミッティーは、アーチェリータグなる遊びもつけた。アーチェリーで相手チームの敵にあてて、あてられたらコートの外に出るというもの。
子供たちはグループ分けされて、施設のスタッフがアクティビティの手助けとかまとめ役をやってくれる。
卒業パーティーっていうと、ダンスパーティーを想定していた私としては、ちょっと違う感じ~とこれはこれで面白いかも、と思った。もちろん、ダンスパーティーのほうが好きな子どももいるわけで、特に女の子なんかはそっちのほうが楽しいみたいだ。ちなみに我が家の女の子は、ダンスパーティーが嫌いだそうで、息子がダンスパーティーでなく、人工ビーチで遊ぶっていうプランなので「いいな~~~」とやたら羨ましがっていた。

卒業パーティーというのは、通常、子供だけが参加するもんであり、そこには親たちは入り込まないものである。
娘のダンスパーティーのときも、親たちは食べ物とかを用意したら体育館の外に出ていた。いちおう何かあった時のために待機はしていたが、会場の中には入らず。
今回のビーチパーティーでは、コミッティーのメンバーは中で手伝うことがあったり、監視も兼ねて残ったが、それ以外の親は基本的に入場しないでもらった。中には見ていたい親がいるんだけど(やや過保護気味)、親たちがいるスペースはそんなに大きくないので、何も手伝わないのにいられるのはちょいと邪魔。しかし、そのうち見ていても退屈になってきて、外に出てしまう人もいたようだ。

パーティーの企画のために、コミッティーではミーティングを何回もした。3年前より熱心だったなぁと思う。ただ3年前は私は食べ物係の1人で、前日に買い物、当日はフルーツのお皿の準備のため、メンバーの1人のうちに行き、せっせと果物を切った。そして当日夜は寿司プレートを取りに行ったり・・・
今回は、ファンドレイズ(資金集め)の仕事を手伝ったり、当日会場内で手伝ったりという感じ。
ただ、当時は1時間前に行くことになっていたのに、どっぷりと交通渋滞にはまり、45分も遅刻した・・つまり事前準備に全然貢献せず。
挽回すべく、パーティーの間はなるべくお手伝いにいそしんだ。

ミーティングの回数も多かったせいか、コミッティーのメンバーがよりいっそう打ち解けていて、パーティーの間も親たちもワイワイ楽しむことができた。
かなり成功したパーティーになったんじゃないかなぁ、と思う。

子供たちは、思いっきり砂浜で遊び、綱引きでは親たちも駆り出されて親VS子供で対戦。見事親たちの勝利。親たちグループのほとんどはお母さんだった。さすがのお母さんパワーである。
帰るころには道も空いて、行きに1時間以上もかかった道のり、帰りは25分くらいで着いてしまった。
着々と卒業のイベントが終わっていく。大きなウォータースライダーなんかがあるウォーターパークへの遠足にも7年生たちは出かけるが、これには私はボランティアしないため(遠すぎるので!)私はのんびりできる。
あとは、卒業式があるのみだ。

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遊園地につきそい

2016年06月25日 | 子ども・家族
学年末であり、息子はエレメンタリースクール卒業の年であるため、なにかと忙しい6月。
6月の後半ともなると、もう勉強はほとんどしていないようなイベント続きになってくる。
6月の始めには、吹奏楽のコンサートがあった。この市の公立校では大抵7年生になると音楽の授業が吹奏楽になる。それぞれが楽器を担当するのだが、息子はクラリネットから始めて途中からアルトサックスに変更。
6月半ばには、シェークスピアのころの英語で演ずるスターウォーズなるものを、披露。ほとんどの子がもごもごと話すうえ、シェークスピアの英語だから余計わかりにくい。何言ってるかわからん・・ってな状態が続いたものの、劇そのものは手作り感満載ながら楽しかった。

先週は、バンクーバーの遊園地プレイランドへ4クラスが遠足へ行った。毎年、この時期にここへの遠足をする学校が多いため、プレイランドでもきちんと受け入れ態勢。息子が行った日はあいにくの雨だったが、やっぱりたくさんの学校が来ていた。

さてこの遠足、親たちが子供たちを現地に連れていく。さらに何人かは現地で子供たちの監視をするボランティアってのもある。正直言って、子供たちの監視なんて大変だから嫌だわい、と思っている、が、最後だし、やってみてもいいかな、と思い、車で送り迎えも子供の監視もできますよ、と書いて紙を出した。
その後、息子が、友達のお父さんが来てくれるそうなのでそちらのグループに入りたいから、私には来なくてもいいと言い出した。それなら、私も助かるなぁ~と思い、いったんボランティア可能ですという紙を出しているから、先生にお知らせしておかねば、と思った。これこれこういうわけで、息子は私と一緒に行動しないと言ってますので、現地でのボランティアはしませんが、送り迎えはしますという手紙を書いて息子に持たせた。

さて、当日、朝から雨。でもまぁ送り迎えだけだからね~と気楽な気持ちで車を出したら、後ろの席から息子が「あ、お母さん、プレイランドに残って一緒に動くんだよね」などと言い出した。「はぁ?!」思わず、車を端に寄せてしまう。「だって、友達のお父さん来られないっていったからさ」・・・って!?そういうことはもっとはやくに知らせてくれなくては。当日に言うもんじゃないだろう?!しかし、一番最初にボランティアできますと書いてしまったし、先生は私ができるもんだと思っているんだろうから、などと考えると放棄するわけにもいかない気がする。
車をまた家の駐車場に戻し、ぶーぶーと怒りながらレインジャケットを持ち、長靴をはいて再び出発。もちろん車の中でも怒りっぱなし。その間、息子無言。

教室に入ったら早速先生に事情を話す。先生は私の書いた手紙をもらっていないという。やっぱり・・・。
さらに、私がボランティアすることになったというのももう何日も前に息子には通達ずみだが、私には伝わってなかったというわけだ。先生は同情して「来なくても大丈夫ですよ・・・」と言ってくれたが、もともと最初にボランティアは出来ると申し出ていて、その後、やらなくてもよくなったみたいだから~という流れになっていただけなので、断るのはなんだか仁義にもとるって気がしたので、「いや、大丈夫です。行きます」・・ということになった。

車には息子を含め、3人の男どもを乗せて出発。プレイランドでも大雨。はー、ほんとなら子供たちを送ったら家に帰って、「今日は雨の中、遊園地で大変だわねぇ」なんて思いながらコーヒーでも飲んでよう~なんて思ってたのに、まさか自分が雨の中子供たちと遊園地を歩き回る羽目になってしまった。とほほ。

私が一緒に行動するグループは男5人と女の子2人。この女の子2人はいつも行動を一緒にしているようだが、お互いしか友達がいないらしい。このプレイランドの次の日に卒業パーティーがあったのだが、片っぽが欠席。もう1人の子は常に1人で行動していた。なんか寂しい。
当然、男の子グループと女の子グループは別々に行動したい、ってわけで、徐々に2つのグループはそれぞれ別行動になってくる。自然と、私は傘のあるベンチのところに残り「じゃ、終わったらここに戻ってきてね」という感じになってきた。荷物を持ってきた子は邪魔な荷物を私に託していけるので助かったみたいである。

ほとんどの時間を私はベンチで座って待っていたりして過ごしていたので意外と楽だった。みんなが勝手に行動して迷子になったりしたら一番困る・・と思っていたがそういうこともなく、意外とみんな、きちんと元の場所に戻ってきており、7年生ともなるとしっかりしてくるんだなぁと改めて思った。

監視する親も何か乗り物に乗っていいよ~と言われたけど、女の子2人グループもなんとなく一緒に乗ろうよ~というような雰囲気の子でもないし、1人で何かに乗るのもさすがにつまらない。なにもそんな思いをして乗りたいというようなものもないしね。ってことで、ぼんやりと座って待ってました。

そして2時半ごろにはまた3人を乗せて車で学校に戻る。雨はお昼過ぎからだんだんとおさまっていき、帰るころにはすっかりと止んでいた。
実はこの日は、夕方から取材が入っており、家に帰ってからしばらく横になって休憩・・・そして重い体を引きずって取材に出かけた。
夕食の支度などもちろんする気分になれず、私と入れ違いに帰宅するだんなに託していった。ま、だんなも何かを作るわけではなくピザを買ってきておりましたが。

さすがに疲れた・・おかげでよく眠れました。

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人を招く

2016年06月19日 | 生活
私はもともと実家でも親が人を家に招くというような家庭ではなかった。
友達が遊びに来ることも少なかったし(私自身も友達の家に遊びに行くことは少なかった。遊ぶのは大抵が外だったので)、一時期、父の弟が居候していた時期があった以外、親戚が来るということもほとんどなかった。
そんなわけなので人を家に招くというのがあまり慣れていない。

子どもが生まれてからは、時折子どもが友達をお泊りに誘いたいというようになってきた。
娘はそれほどないのだが、息子は結構気軽に人を呼びたがる。子どもが小さいときは世話することも多くて泊まりに来るのは困ったけど、大きくなってきたら、ご飯を適当に食べさせればあとは放っておいてよいので大変ではなくなった。ただ、他人が自分の家にいるという状況にはやっぱりいまだに、ちょっとした違和感を感じてしまう。

母はいわゆるママ友みたいな存在がほとんどいなかったようなので、家にママ友とその子供たちがくるということもなかった。
今、私はママ友というような友達が何人かいるので、うちに来てもらったり、尋ねていったりということが発生する。ただこれも子どもが大きくなるにつれて形態が変わってきているし、お互いの家の行き来もずいぶんと減ってきた。

今度、私のうちに友達をよんだ。そのときふと思いついて、共通の友人も誘おうかと思い、「○○さんにも声かけようか?」と聞いてみた。その友達がぜひ!と言っていたので誘ってみた。
同時にその友達が「XXさんにも声をかけました」と言ってきた。こちらも共通の友人で、私もしょっちゅう会っている人だから異存はない。けど、私のうちに来るという状況で、遊びに来る人がホストである私に「声かけてみる?」と聞かずに、声をかけちゃうというのは、うーん、どうなの?と微妙にひっかかるものがある。今回は、よく会っている人だし、人間関係相関図的にも自然な流れでもちろん私もイヤだと思うことは全然ないから良かったようなものだけど。

でもここで私は、これ以上他の人に声をかけるのはちょっと・・と思ったので、「うちは散らかっているし、子どもの数も入れるとすでに、人数もたくさんになっているので、これ以上は声をかけないことにしますね」と来てくれる人に伝えた。そうじゃないと、来る予定の人が「あ、あの人にも声かけてみる?」と思って、誘ってしまっては、来る人が増えるばっかりでちょっと困るので。

会っておしゃべりするのは楽しいんだけど、うちにくるとなると、あれこれ問題点を発掘されてしまって、恥ずかしいということが、正直なところある。
私がずぼらで掃除が嫌いってことから、うちは散らかっている。謙遜して「散らかってますから」と言っている人の家が「きれいじゃん!」と思うことはよくあるのだけど、うちの場合は、文字通り散らかっている・・・ってことは、すでに他人の証言もあるので確かなのだ。
綺麗好きで細かい人でも、「汚いなぁ、ここのうち」と思っても心の中に収めてくれていればまあいいのだ。
言わずにいられない人にいろいろ指摘されると(教えてあげようという親切心なのかもしれないが)、「そんなこたぁ、もうわかってますよ。すいませんね、散らかった家で!」とイラッとしてしまう。

さらに、うちの子の日本語がへただとか、うちの犬が小太りだとか、「分ってます、そんなこと」的なことを、うちに来るたびに言って、傷口に塩を塗るようなことをしてくれる人もいる。

言われるのが嫌なら、掃除をきちんとすればいいじゃん?と言われれば、反論の余地もない。
でもできるくらいなら、もうやっている。それなら、そういうことを言う人をどうやってかわすか、または家に呼ばないようにするかを画策するようになっちゃうんだよねぇ。
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贈り物

2016年06月12日 | 生活
友人が遠くに引っ越してしまうことになった。もうそうそう会うことはないだろう。
以前は近くに住んでいて、よく会っていたのだが、数年前にちょっと遠い所へ引っ越してしまってからは、お互いに尋ねるのも大変で会わずじまい。最近は、フェースブックとか便利なもので連絡をたまにするってことができたけど。

さらに今度は遠くへ引っ越してしまうのでいよいよ会うことがなくなってしまいそう。
ということで、この前がんばってその人のうちまで行ってきた。初めて行くところだし、おそらく1時間はかかるだろうと思う。さらにその日は、午前中違うところに行っていた娘を拾ってから行くことになり、遠回りをするぶん、時間もさらにかかった。おまけにちょっと迷ってしまったので、そのへんでも時間ロス。結局家を出てから2時間後にやっと到着。後ろの席に座っていた子供たちはぐったりしていた・・・運転していた私もどっと疲れたのは言うまでもない。

さて、この友人にちょっとしたプレゼントをしようと思い、あれこれ考えた。引っ越しの荷物を増やすような大きなものはあげたくないし、またモノにすると好みの問題や、使う使わないの問題も出てきそう。最近会ってなかったからこれがいいじゃない?といったヒントも浮かばない。そこで、消費してしまえるものにした。日持ちする調味料と紅茶。ちょっと近場のスーパーには売っていないものを選んだので、ちょっとはギフトっぽくなったかな。

プレゼントは難しいものだと思う。これならばっちり、きっと気に入ってもらえると自信をもって渡せるものはなかなか見つけられない。けっこういいセンいったかな、と思うものを選んでも差し上げてみて、その時の相手の様子や、その後の様子を見ていて「あー、それほど喜んでもらえなかったかも。悪かったかなぁ」と思う時もある。
日本に行った時のお土産をなにか差し上げても、あまり反応がない人もいる。これ、使えるかも、とか、おもしろそう、と私が思ったものはその人には同じようには感じられなかったのかもしれない。

私は前から、親に誕生日のプレゼントなにがいいかと聞かれると、欲しいものが浮かばず困ってしまうことがあった。私の親は誕生日のプレゼントに、現金をあげるというのをあまり好まない。「お金」と答えると、そういうのはあんまり・・と渋られる。
プレゼントなんだからモノをあげたいらしい。プレゼントにお金っていうのは、なんかさびしい、というのだ。
もう私も海外に住んでいるし、年もとっているから、さすがに親からプレゼントに何がいい?なんて聞かれないのだが、今では、ふと気がついた折りに何か買っておいて、私が日本に行くとプレゼントとしてくれたりする。

そろそろ学年末で、先生へのギフトも考えなくてはならない。
これまたなににするか悩んでしまう。
ただ、セカンダリースクールへ行くようになると、担任の先生がなにもかも教えるエレメンタリーとは違い(音楽とか体育は違う先生が教えるというケースもある)、科目ごとに先生が変わる。そうなるとそれぞれの先生とのつながりが薄くてギフトを差し上げるという感じじゃなくなってくる。特にお世話になったなぁ、と思う先生がいればギフトもあげるのだろうけど、娘は特にそういう先生はいないという。
だから、息子が今年エレメンタリー最後の年で、今回で先生へのギフトも最後になるだろうと思う。


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検査

2016年06月06日 | 生活
貧血のためにまた血液検査に行った。
もう何回か行っているが、1.検査する→2.結果がドクターに送られる→3.ドクターからクリニックに来てくださいと連絡してくる→4.予約を取る。この4の段階で少なくとも2週間後の予約しか取れないので、私自身が結果を知るまでには結構時間がかかる。
もちろん、これが急を要するような結果であれば、すぐに予約も入れてもらえるんだろうけど、貧血だったらすぐ死んでしまうことも、あまりあるとは思えない。
先週血液検査に行ったが、その結果を知るためにドクターに会うのは今から2週間後だ。長い…

先週行ったときには、検査をするラボが混んでいた。
ビルの2階なのだが上がってみたらラボの外にも人がいる。あー、こりゃ、混んでるなぁ。中の待合室が一杯で外に人があふれているのだろう。
ここでは、まず番号札を取る必要があるので、中に入り札を取る。私の番号48番。電光掲示板には28番と数字が出ている。私の前に20人も待ってるのかぁ。げんなり。
なかで検査をしているのは、時間帯にもよるけどだいたい2~4人くらいだ。でも4人体制の時はあまりないようだ。
こんなことが分ってくるようになったのも、何回か検査に来ているからなんだよね。

少し外で用事を済ませようと思い、20分くらいしてから戻る。多少進んだようだけど、戻ってきた段階ではまだ中の待合室に入れなかった。人が何人か出てくるのを待って中をのぞいてみたらようやく席が空いていたので中へ入る。それからもずっと待った。結局自分の番が来たのは番号札をとってから1時間超経ってから。は~~。待っているだけで疲れる。

血液検査とかだと、番号札をとって待つ必要があるが、家で採取したものを持ってくる人の場合は、札を取らず窓口に直接持って行って渡すことが許されている。渡すだけだから時間もかからないからね。
待合室はすし詰め、満員御礼状態の中に(ここのラボは小さいので待合室も狭い)一人の女性が入ってきた。モノを置いていくだけみたいなので、さっさと中に入って窓口に置いていく。その人は入ってくるなり「あらまぁ!!」といって、「昨日来てたらよかったのにね。昨日は空いてたわよ」といって出て行った。
この言葉にむっとしたのは私だけではあるまい・・・
こうした誰にともなく話していく人って結構いるんだけど、それにちょこっと対応するような人も結構いる。知らない人同士なんだけど、気軽に話したりするのはこっちではよく見る光景だ。(日本じゃありえないけど)
しかし、このときは誰も何も言わず、その女性のセリフを黙殺。
その心のうちは、大体わかる。

やっと私の番が来て検査をするスペースに入った。今日の検査技師は男性。手先が器用であることを祈りつつ、椅子に座り手を出す。ところが思っていた以上にささっとすばやく針を刺すときもあまりいたくなくやってくれた。おおー、上手やんけ~~
あっというまに採血は終わり。しばらく針を刺した場所を押さえている必要があるのでそこで1分くらい待ちすべて終了。検査行っただけでどっと疲れてしまった。

貧血は改善されているのだろうか・・・実感としてはされていない感じがする。だから、検査に行くのも、ドクターからクリニックに来てくださいと連絡を受けるのも、憂鬱な気分。だって自分としてもあいかわらず、疲れやすいのが全然改善されていないのを感じてるからね。
同じように貧血だという友人と話していたら、鉄剤をとると2か月くらいすれば結構改善したというのを聞くと、あー、私はいまひとつ鉄が効いてないなぁと感じる。
なんとかならんかのう。



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自己啓発

2016年06月01日 | 生活
いわゆる自己啓発系の書物を私は読むことはめったにない。
そういうことに興味がないから。
たとえば、「夢を実現させる方法」「成功する生き方」「眠っている能力を引き出す5つの方法」云々…といった本は、山のように本屋さんに並んでいる。その手の本は私には面白くなさそうなので手に取ることはない。
同様に、自己啓発セミナーといったものにも行ってみたいと思ったこともない。

実現したい夢もないし、成功したいとも思わないし、私なんかに眠っている能力もないだろうから探し出そうとするのも無駄って気がする。そんなふうにネガティブな私なので、自己啓発の必要性も感じないのだ。
私は、日々、家のことや子どもの世話や、犬の世話、そんなことをやるだけで疲れ切ってしまう。それ以上何かをする気も起きない。(いちおう、仕事もちょっとはしてますが)
目の前にあるやらなくてはならないことをこなしていくだけで精一杯な毎日で、それ以上の何物かになることなんて考えもつかない。
もちろん、自分には実はなにかできる能力があって本気出してないだけ、的な考えも浮かばない。

そんな私だが、いわゆる自己啓発セミナー的なお話を聞いてきた。そのパワーには感心するが、私は「そうですか・・」と力なくうなずくしかない気分にしかなれなかった。逆に聞いているだけで疲れてきてしまった。情けない。
好きなことをしてその道で成功し、楽しい人生を送ろう、という趣旨なんであるが、結局私みたいななんにも考えてませんというような、ぼけっとしたタイプには、もっと具体的に「これこれをせよ」、というようなことでも話してもらわないと、全部抽象的で終わってしまう。
楽しいと思えることをして輝いた人生を送ろうというような漠然としたメッセージに対しては、じゃ、実際どうしたらいいんですかー?という気分になる。
かといって、私は人から「これをせよ」と押し付けられるのが嫌いだ。「まずはこれこれこうしたらいいですよ」といわれたら、一応聞くそぶりを見せつつやらないっていう嫌なタイプなのだ。
(ただ、そういう態度は、やっぱいかんな!と、年を取ってくると考えるようになってきた。ので、改めるようになってきました←自己弁護)

大体において、私が好きなことって何かな、ってところからして思いつかない。もう第一歩からつまずきまくっている。
夢を実現させるには具体的にどうするかという部分は人それぞれ自分で考えよ、ということなんだろう。そういうことを考えて実行に移せる人が、こうした自己啓発セミナーを受けて成功する人なんだろうな。

そんなわけなので素晴らしいお話だったのは確かなんだが、やっぱり私の心には響かなかった。一緒に周りで聞いていた人たちはとっても目がきらきらしていたからきっとパワフルなメッセージを受け取ったんだろうと思う。若い人たちが多かったから、それもさもありなん、である。その吸収力はやっぱりうらやましい。
こういうお話を聞いて「よし、やってやる!」と思えるのはやっぱりいいことなんだろうな。

それでもやっぱり私は今やっていることをすることで精いっぱい。子育てとかいつか終わって、そうしたら喪失感とか感じたり、この先どうしたらいいの?といった虚しい気持ちになるかもしれないよ、という話も聞いた。
そうしたら、その時にまた考えればいいや、と思ってしまう。
成功しない人の典型的タイプかも~、あはは。

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