冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

ジュラシックワールド(注意!ネタばれ満載!)

2015年06月29日 | 生活
注意:映画「ジュラシックワールド」の大いなるネタバレがあります!

娘の誕生日のお祝いとして、友達何人かを招待して映画に連れていった。子どもが小さい頃は、パーティーをしてあげたんだが、さすがにこの年になるとそういうのもねー、ということになる。
もうお祝いを特にしなくなるか、ご飯を食べに友達を招待するとか、映画を見に行くとか、そんな感じのことをする人もいる。

今回は、7時からの映画なのでちょっと早めの夕食をとってからにしようということに。
映画館の近くにあるので便利だから入ってみようと思った日本食レストラン。私は初めて入るからオーダーをどういう風にしようかなとちょっと悩む。来てくれたのは娘の友達3人。1人は日本食になじんでいるからいいとしてもあと2人はそれほどでもないようで、特に1人はほとんどのものを、「これは・・・なに?」という感じだった。
バンクーバーでは日本食はかなりポピュラーなので、ほとんど食べたことがない人がいるほうが私にとっては驚きだったんだが、それは単に自分の周りだけで判断していたことだったのかもしれない。
それでも、食べやすいかな、と思われる、鶏の照り焼きだとか頼んだからまぁ、なんとか大丈夫だっただろう。
(握り寿司はハードル高い・・)

映画は「ジュラシック・ワールド」をみた。もう公開して3週間経ったため、混みあっていないのもよろしかった。席が簡単に見つかるからね。
娘が「恐竜を見たいんだよぉ」というのでこれになったんだけど、3Dだから結構迫力。
友達はちょっと怖がってた子もいたけど、大丈夫だったかな・・・

ずいぶんと昔の映画となってしまった「ジュラシックパーク」の続編というほどではないけど、このジュラシックワールドというテーマパークは無事にオープンして、2万人を超す人が訪れるような大規模なテーマパークとなっていた。ジュラシックパークと同じ島で開業したらしいのだが、パークは大失敗だったということでその轍を踏まないようにというか、封印してしまえ、という感じで、パークの部分は鉄の扉の向こうにかくしてしまっている。
ここでは、恐竜だとか蛙だとかいろんなのを入れた新しい恐竜を作り出していた。
ケージの中に閉じ込めてあったのだけど、恐竜にしては知的なこいつは逃げ出してしまう。そこから大パニックとなるわけだ。

ジュラシックパークと基本的なつくりはよく似ている。家族を持たず仕事に没頭する有能な女性と、恐竜と心を通わすワイルドな男性が主人公で、子どもが2人出てきて危機的状況に何度もあいながらなんとか逃げ切る。
ジュラシックワールドを乗っ取りたい悪い考えを持っている男も登場して(これがまた登場した瞬間からこの人悪い人だな、とすぐ分かる)、結局は恐竜に殺されちゃったり。主人公たちは何度も危機的状況に陥りながらも、なんとか生き延びる。

それにしても、ワールドでは、たくさん人が犠牲になって、ちょっとやりすぎ感がある。特に、子ども2人の世話役を押し付けられていた女性が殺されちゃったのは、無用ではないの?!と思わずにはいられなかった。

他にも、映画を見た後にいろいろと突っ込みたくなってくる点がたくさんあった。
娘とも話したのだが、主人公の女性がふわふわスカートはいて、高いヒールを履いているのだが、その格好で恐竜から逃げ回り、泥の中を走り、森を駆け抜けるのが、現実的ではない!
あんなヒールを履いて走り回ることが不可能だと思うし、足をくじくか折ったりする可能性の方が高い。
ありえないよねー、と私と娘。

あんなにたくさんの観光客が訪れているところでの大パニックで、逃げた恐竜に襲われて大けがをした人(もしくは死んだ人もいるかも?)も多数いた。その後の補償問題が気になる・・・
また、スタッフもたくさん死んでしまうのだが、こちらの補償問題も気になるし、先にも触れた恐竜に食べられちゃった女性に、もともと自分の甥っ子の面倒を見させていた主人公の女性が、その死んじゃった女性をきちんと悼んでいるのだろうか?とか思っちゃったり。

主人公の子ども2人も目の前で恐竜に人が食べられるのを何回か目撃したり、恐竜におっかけられたり、とさんざ怖い目に遭っているのだが、のちの心理的トラウマが心配だ・・・
最後に、主人公女性と男性が(じつはこの2人は過去に一度だけデートしたことアリ)、またよりを戻そう・・みたいな感じになるんだが、そんなこといっている暇あるか?!
事件後の処理が大変だろうに・・・などなど、言っても仕方のないことばかりだがあれこれ考えてしまった私。
エンタテイメント作品にあれこれ難癖つけてもしかたないけどねー

私としては、主人公男性が、小さいときから手なずけて絆を築き上げた4頭のラプターとかいう恐竜が、犬のようでなんか可愛くてツボだった。もちろんほんとの犬みたいには飼えないけど、猟犬のように恐竜ハントに走ったり、4頭のうち1頭がうちの犬と名前が同じだったりしたのも、ツボにはまっちゃった。

娘と友達はけっこう興奮しちゃって終わってからも「こわかったー」「どきどきしたよねー」とか、きゃぴきゃぴと言い合っていた。うーん、ティーンだねぇ、とオバサンはつぶやくのであった。
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日本ってこうだよね~

2015年06月27日 | 日本のこと
この夏、娘が日本へ行く。いやもちろん今まで何度も行っているのでそれ自体は珍しくはない。
ただ、今回は私と行くのではなくて、スカウトの人たちと日本でキャンプをしたり、ホームステイをするのである。
いつもは私の実家に泊まるので、気楽で気をつかったりすることもあまりなく過ごしているが、ホームステイとなるとやっぱりある程度は気をつかってもらわないと。

特に、娘の場合、半分日本人であるから、日本っぽいマナーも身についているほうがよかろう、と私は思ったりする。
もっとも、カナダ育ちなんだから、仕方ないよね、と思ってはくれるんだろうけど。
しぐさとか顔の表情とか、やっぱり我が家の子たちは、日本人とは違うのである。
そういう点はまあ直すこともないのだが、気になるのはいわゆるマナーの点である。たとえば、娘は箸をなめたりする。それは日本の食事のマナーとしてよろしくないのだが、家ではあまり厳しく言ってこなかった。
これも直した方がいいかなぁ・・とか思うのだ。
それよりも、娘は足音がうるさいのでそれこそ直すべきかもしれない・・・・

娘が最近、日本に滞在しているカナダ人が作ったビデオを見たという。日本に旅行で来る外国人向けに、日本で気をつけたいことなんかを取り上げたりしているらしいのだ。
それをみて、娘が「日本の人は、なんでも人と同じようにしなくちゃいけないんだよね」という「そうしないと、変な人と思われたり、仲間外れになったりするって」
うむ。確かにそれはある。こちらでは、自分がこれがしたい、とか自分はこう思うとか、はっきりいっても大体大丈夫だが、(もちろんなんでも大丈夫ってわけではないけど)日本ではあまり良く思われないだろう。
周りをみて、他の人と同じようなものを選んだり、他の人と同じようなことを言っていたほうが安全だ。

そういえば、カナダに来て他のお母さんと話していてびっくりしたのは、こちらの親は自分の子どもを褒めることを厭わないってことだった。
おおっぴらに、「もう~、うちの子ってなんでもできるのよ~~」というような人はさすがにいないが、口調はちょっと控えめに「うちの子、絵を描くのが得意だから」というくらいのことはよくある。
あと、他の人に、「xxちゃん、スポーツも得意よねー」と褒めてもらったときも、日本人なら「いやいや~、そんなことないですよ」って言っておいた方が無難だが、こちらでは「ありがとう。そうね、結構得意な方かな」とさらりという。
けっしてそれを自慢してるぅ、と取る人はいないようだ。

なので、私は娘に「もし、だれかに、『あなたは絵を描くのが上手ね!』と褒められたら、『いやいや、そんなことないです…』といったほうが日本人の人には印象が良いと思う」と言った。一応、褒めてもらったことに対しては、「ありがとう」と伝えたほうがいいとは思うが。
そこで、「そうですね、結構上手だと思います」などと自分のことを言ったりすると、相手は「ん?」と思うだろう。
日本の人はなんとなく難しい・・と娘の感想。
私のように日本で生まれ育っていれば、自然とそんなもんだと思っているんだけど、外国育ちの子どもにはちょっと不思議なんだろう。

私も、海外で暮らすようになってから、日本ってこうだよね~ということを感じるようになってきたとはいえ、もともと育ってきた環境だから、違和感はやっぱりそれほど感じないのだ。
娘が日本に行って、どんなカルチャーショックをうけるかな?と楽しみでもある。



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夏も近づく忙しさよ

2015年06月18日 | 子ども・家族
しばらくブログも更新せずにいた。
年度末(カナダでは6月に学校が終わる)というのはなにかと忙しい。
忙しいが、書くようなことも特にない・・という、なんかネタにならない生活をしている。つまりただ忙しいだけってこと。つまらんなぁ。

息子の野球シーズンが終わった。春だけかと思っていたら、他の時にも野球をやることは可能らしい。コーチの1人と話したところ、夏のシーズンは選ばれた選手のみができるというらしいので息子には関係のない話である。しかし秋にあるといい、それは参加を希望すればだれでも入れるようだ。うーん、秋になるとサッカーが始まるからなぁ・・と私としては積極的に入れたくない気分。
サッカーがあり、スカウトがあり、日本語学校があり(そうなんです!なんとかまだ通わせてます!親が大変です!)、現地の学校の宿題なんかもあるだろうし、などなど考えると時間的にかなりきつい感じ。
やっぱ、次の春までお預けにしてもらいたい。

娘の学校は期末試験が終了した。学校に行くのはもう終わりで1週間後に通知表を受け取りに学校に行くだけである。10年生(日本で言う高校1年)以降は、州が実施する全国テストみたいな感じのテストをみな受ける必要がある。だから、学校が早めに終わっちゃうのは今年が最後だ。
娘は学校が終わっていきなりのんびりモード。
息子はその1週間後に学校が終わる。
新学期は、9月のレイバーデーの次の日から始まるのが通例なのだが、今年はレイバーデーが遅いので(9月の第1月曜日)夏休みが実質的に長くなるのだ。
それでなくても、いつも2か月もあってすでに長いってのに、更にって・・・

私の方は、日本語学校のお手伝いをしている関係でその年度末のあれこれやらなきゃいけないことをしていて、これまた大変。
そんな合間にちょろちょろっと、新聞の記事を書く仕事をしている。
そして、「ねこあつめ」にはまって、せっせとねこをあつめて喜んでいるところ。

なぜか犬の世話の方も忙しくて、まぁ、これは私がうまく調整してないせいなんだけど、毎年の検診と予防接種、歯のクリーニングがほぼ同時期に入れなくてはならなくなってしまったり、暑くなってきたので毛刈りも必要でその予約を入れたりしている。
カレンダーに予約日を書き込んでいて、「犬、歯」「犬、毛」と書き入れて自分でウケてしまった・・・

今年は早くから暑くなっており、すでに水不足が心配されている。
いつも夏は水が不足気味ではあるが、今年はすでに芝生がからからの茶色になってしまっているところが多く、確かにその影響をひしひしと感じる。
暑いのは基本的に好きで、ましてやこちらの夏は日本に比べたらずっと過ごしやすい暑さだから、暑くっても私はいっこうにかまわないのだが、こうもカラカラ気味だとやっぱりいろいろ心配になってしまう。

まだまだ私の忙しさは終わらないけど、とりあえず、子どもの学校が終わったらお弁当作りと送り迎えがなくなる分、ちょっと楽になりそうだ。
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認識能力

2015年06月05日 | 生活
私は人の顔の認識能力が低いようだ。
名前を覚えるのが苦手、という人もいるが私はそれに関してはそれほど苦手ではないと思っている。
しかし、顔を覚えておくことのほうが苦手みたいだ。たまに、記憶の中では顔がぼやーんとしているのに名前は覚えているという時も、ごくたまにだけど、ある。

以前、2度も人違いをしてしまった。誰かを見て「あ、xxxさんかな?」と思う。「うんうん、そうだ」と思って声を掛けたら「え?違いますけど?」とものすごい怪訝な顔をされてしまった。
1人は優しい人で、うろたえている私に気をつかって、あたりさわりない世間話をして場を和ませてくれた・・・
どちらも、間違えてしまった人は、1回か2回しか会っていないのでなじみのある人でもなく、もしかして本物にあったとしても、私のことを覚えていないかもしれない程度なのだ。
だから私の方もよく覚えていなくても仕方ないのだ。
それなら、声など掛けなければいい、ということになるが。

ただ、私の方はほぼ覚えていなくても相手の方がなぜか私のことを覚えていてくれることがあるので、私も覚えている人には声をかけて、「この前はどうも」とか挨拶しなきゃな、と思ってしまうのだ。
もしかしてあちらも私のことを「あ、あの人・・」と思っているのに、無視してしまったら失礼かもしれないと思ったりするのだ。

しかし、人間違いしていたらどうにもならない。その方がよっぽど失礼だ。
なので、2度の失敗で懲りた私は、ほんとに確信を持つまではこのような声がけをしないことにした。
間違えたら、相手にも失礼だし、なにより私自身が恥ずかしい!

そうなると今度は、確実に本人なのに声もかけずに素通りしてしまったということもやらかした。
すでに以前何度もあっているから言い訳のしようがない。
あちらはおそらく、私が気がつかなかったんだな、と思っただろう。素通りと言っても実際は、その人との距離がすごく離れていたので、正面切って無視した形にはならなかったので。
しばらくしてから、「あ、やっぱりあの人、△△△さんだった・・・」と、あわあわしたけど後の祭り。

人の顔をよく見てないから覚えられないのかな・・とも思うが、割と有名な人をどこかで見かけても、「この人、○○○さんかな・・?」と思いつつ、自信がなくて「いや、やっぱり違うかも」となってしまう。
やっぱり私の認識能力に問題があるのかもしれない。
さすがに何回もあっている人だと、ほぼ大丈夫なんだけど。

考えてみると・・
あまり会わない人 - たまに会う人 - よく会う人 
というくくりの中で、たまに会う人とあまり会わない人のあたりが、認識面において不安が残る。
不安だから声を掛けないでおこうと思ったことにより失礼をしてしまうということがおきないように、対策を考えないと。
やっぱり、意識して人の顔を見るようにするし、覚えるようにするしかないかな・・・
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いじめ

2015年06月01日 | 子ども・家族
このあいだ、だんなが、それほど最近の作品ではないかと思うが、いじめをテーマにしたアメリカのドキュメンタリーを借りてきたようである。
私はそれを全編通してじっくりみたのではなく、ちらちらと見ていただけなのでそれについて語るほどではないかもしれないが・・・

このドキュメンタリーの中では、いじめにあって自殺してしまった子の話、いじめに耐えられず銃を学校に持っていった子の話(誰かを殺害したわけではなかったようなのが幸い・・)いじめられている中、なんとか頑張って学校に行っている子の話、などが出ていた。
地域によってもいじめの発生率も変わってくるようである。あと学校によっても。その違いは、おそらく住んでいる人たちの違いだと思う。

じっくり見ていたわけでもないけど、やはりテーマがテーマだけに重苦しい。いじめられている子の親は、いきどおっていたり、かなしんでいたり、無力感を感じていたり、といった感じ。いじめられている本人はどうして自分がこのような扱いをされているのか悩んでいたり、突破口を探していたり、あきらめていたり。
スクールバスに乗って学校に通う子の場面では、中での様子が写し出されているのだけど、いわゆるFワード満載でいじめられている子を攻撃したり(その子の顔はモザイクかかってた)、周りの子がいじめられている子を小突いたりしている様子が写されていた。
ああ・・自分の子がこういうことをされていたら、つらいなぁ・・と見ているだけで、切ない気分。
余談だけど、スクールバスに乗り込む子どもたちがカバンを持っていってないのが気になった。教科書やノート、筆記具は学校においてあるのかもしれない。ランチはカフェテリアで食べるようである。

カナダでももちろん、いじめ問題はある。最近は、いわゆるサイバーブリーというSNSとかを通じてのいじめが増えてきている。それが原因で自殺してしまった子がいてそこから一気に認知度が高まったようだ。
私の子どもや友達の子どもの範囲で言うなら、いじめにあっているという話はない。
また、私の子どものクラスの中でもいじめはないようである。あくまで子どもたちが知りえている範囲ではあるけれど。
あまりお友達がいない子というのはいるようだが、いじめられているというわけではない。仲間はずれされているというほどでもないようだ。

私自身の学校生活を振り返ってみると、最近あるような壮絶とも思えるいじめはなかったようだが、仲間外れといったものはあった。ちょっとしたからかいをするということもあった。これがエスカレートすると、本格的ないじめとなるんだろう。
私も仲間外れにあったことがあるのだが、学校に行きたくないと思うほどのひどさではなかった。その時はもう一人私と一緒に仲間外れになってしまった友人がいたから乗り越えられたんだと思う。
周りを見ても、それほどひどい被害があったように思えなかった。自分の見える範囲では、と限られるけれど。

深刻ないじめを身近に感じることがないのはラッキーなのかもしれない。
そうした、いじめのターゲットになってしまった子どものことを思うと、胸が詰まる思いがする。
子どもの世界や視野は結構狭い。子どもにとっての社会というものは、学校だけにほぼ限られる。だからその学校の中で起きていることは子どもにとってはすべてだ。大人になれば、いろんな世界があっていろんな人がいて、ということをもっと実感できるけど、子どもには難しいことだ。
そんな狭い世界の中で、いじめにあってしまえば、この世は終わりだと思っても仕方がないだろう。他に逃げる場所はないと感じるのも無理はない。
大人ならそうした世界から逃げ出す方法もあるだろうことを知っているし、それを模索して実行することも可能だ。それは、ある程度人生をやっていかなければわからない。

いじめられる子には、逃げてもいいんだ、踏ん張らなくてもいいんだってことを知ってもらいたいと私は思う。
逃げるのはズルいかも、なんて思わなくてもいいと思う。
逃げたほうが得策な時には逃げたほうがいい。
消えてしまいたいほど悩むくらいなら逃げてしまった方がいいときもあるだろう。
リセットしてやり直したっていいんじゃないだろうか。
そして、親は、「逃げるな、たちむかえ」なんていっちゃだめだと思う。
子どもがいったん逃げて、やり直しできるように手助けをしてあげられるようにしたい。
ただ、子どもというものは、親に心配を掛けたくなくていじめられていることを表に出さなかったりすることがあるので、そういう変化に気づいてあげられるようになれたらいいと思う。
決して他人事ではないのだ。


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