冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

春たけなわ

2013年04月28日 | 生活
4月ももうすぐ終わり。日も長くなって天気のいい気持のいい日が増えてきた。・・・とかいって、今日は雨だけど。
春はなんとなく忙しい。特に今年は、娘が学校卒業とあって関連するできごとがあれこれとあるから。

日本の実家と電話で話していていて気がついたが、日本は今ゴールデンウィーク真っ最中だ。そういう時期だったなぁ、と思い出す。もう自分が日本にいた時にゴールデンウィークをどう過ごしていたかよく覚えていない。ということは特別何か思い出深いことがなかったんだろう。
私はわすれっぽいたちなので、余計に覚えていないことだらけ、っていうのもある。

それよりも実家の母親と話していてまた気分が落ち込んだ。よくあるのだけど。
でもそういうのもなるべくならなくしたい、というか、せめて回数を減らしたいなあ、と思い考えてみた。で、どうしてそのループに落ち込むかというと、触れてはならぬ話題にふれちゃったんだなあーと思い至る。
この話題をふったことで地雷を踏んでしまった・・・という感じ。または、その話題そのものは問題ないのだが、そこにこのコメントをつけたのが間違いの元だった・・・という感じ。
こういうことを踏まえて、次回より会話にはもっと気をつけよう、と思うのだった。
実際、もう何度も同じことを言われて、その度に気分が落ち込むのだから、もうこれ以上は避けていくように努力したい。

さて、この前、友人たちと話していて「いまさら日本には戻って住めないなぁと思う」という意見となった。
そこにいた人たちはみんな10年以上をこちらで過ごしている。私は14年ほどだが、長い人はもう20年ちかい。
ここで暮らして生活の基盤を作って家族もいてとなれば、たしかにいまさら日本に戻ってもどうやって住んでいけばいいのか、また一からやり直し、ってことになるだろう。
とくに子供がいる場合、自分だけが戻ってやり直すってわけではないので困難は何倍にもなる。
いないあいだに、日本の状況だっていろいろ変わってきている。
年に一度とか帰省してちょっと過ごすくらいだったら、楽しくて終わるが住むとなると話は別。
もう日本には自分の帰れる場所はない。
帰るんじゃなくて、新しい生活をスタートするくらいの覚悟でなきゃ、となる。

私は自分ひとりならば、新しい生活をスタートするってことで帰るってこともできるかな、と思う。
というのも、こちらで仕事もきちんとしていないし、一人になって残ってもこっちでも大変だから。どっちにせよ大変なら日本のほうがいいかな、という感じだ。
もっともすごく年取ってからだとどうだろうか、それは今はなんともいえない。
ただし、うちの母にしてみると、「あんたなんか日本に帰ってきてもしょうがないじゃない」という。
彼女の意見では、海外で長く住んでいる日本人は日本での生活に適合できないから海外にいって住んでいる、ということで、そういう人たちは日本に帰ってくる必要はないんじゃない?ということだ。
「だって、日本がイヤで出て行ったんでしょ?帰ってこなくてもいいんじゃない?」という。

うーん、そういう側面もあるかもしれないが、そこまでいわれちゃうと辛いところである。
日本の人はみんなこんなふうに排他的なんだろうか。
私はいつも考え込んでしまう。
私が日本に戻って住むのは難しいな、と思うときは、こうした意見を聞くときである。
応援してくれる人がいないってツライよ。

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サンラン

2013年04月23日 | 生活
バンクーバー春の名物(?)サンランが今年も開催された。
バンクーバーさんという新聞が主催らしいので、その新聞を近所の人からもらって読んでいる私は、その時期が近づくと特集記事などよく目にしていた。
年が明けると、サンランに向けてトレーニングしよう、というような記事も定期的に載る。
しかし、私にはすべて他人事であった。
マラソンは昔からキライだった。根性と体力がない私はすぐにくじけるし、諦める。マラソン向きではないのだ。
バンクーバーサンランは、名前の通り、マラソンではなくて、距離は10キロ。フルマラソンをするのに比べれば距離はずっと短いものの、10キロなんてすでに私には無理、な話だ。
歩いてだって、10キロなんていっぺんに歩いたことない(とりあえずここ20年くらいは・・・)。

毎日犬の散歩で外には出るものの、1時間くらい歩いてたって実際の距離はせいぜい2キロくらいだ。犬と歩いていると、すすんではとまり、またすすんではとまり、とだらだら歩いている。
他に運動は何もしていない。こんな私なので10キロ程度でも、無理~~と思うってもんでしょ。

子どもが通う日本語学校でスクールチームとして出場しようということになったのが、今から数年前。
その時、「やろうよ」と誘われたが即お断りさせてもらった。やってみたいなーーって気持ちにまったくならないし。
それで、今年も「どう?」と誘われても私は無理だわ~と言っていた。しかし、人数が少し足りないのよね、考え直してみてよ、と言われ、うーん、考えた挙句トライしてみることに決定。その後、ちょっと後悔したけど(でも後の祭り~~)
娘にも一緒に出るか聞いたら、もちろん即却下。あのぐうたら娘を引っ張り出してくるのは無理だろうとは思っていたが。息子に聞いたら「うん、出る!」とこちらは即決。のりやすいタイプである。
息子の場合、10キロってのがぴんときてない様子だが、いつもの「根拠なき自信」が発揮されて「ぼくは走れるけど、マミーは無理なら歩いたら?」などとぬかしやがる。あんただって、走り通すのは無理だって~!!
サンラン出場には大人が30ドルくらいかかる。それでTシャツ一枚もらうだけだから、なんかつまんないのよね、と言っていた人がいた。

10キロという距離的にトライしやすいからか、出場者は毎年すごく多い。今年も5万人近くが出場するとか。
当然、スタートはいっぺんにみんなというわけにはいかない。
申し込む時に大体どれくらいで完走するかを自己申告して、早い順に5~6種類の色別ゼッケンをもらう。その色別にスタートラインも分かれて、早いほうの人から先にスタートしていくわけ。
私なんかがいるあたりは、実際のところ早いのも遅いのも渾然としている。
一番最初のほうにスタートするのは本当に早い人たちばかりで、30分くらいで走ってしまう。その一番目がスタートするのが9時ちょうど。それから少しずつスタートをしていって私たちがスタートしたのは9時半ごろ。てことは、一番早い人はもうゴールしている頃ってことになる。

いちおうランなので私も最初のうちは走る。最初の数百メートルでくじけ気味。えー、辛い~~~(涙)
私と息子ははぐれるといけないので一緒に走る。ちょっと走っては歩き、早歩きしたり、また走ったり、というのを繰り返していく。息子は疲れるとスローダウンして歩き「ちょっとゆっくり」とかいうくせにいきなり走り出して「マミー、はやく!!」なんて急かす。勝手だのう。
沿道には応援する人やらがいる。そういう応援する声を聞くとちょっと頑張って走る気になる。
橋に到着、そこに「ハイファイブステーション」と自作のサインを掲げて、走ってくる人とハイファイブをして応援する人がいた。息子は嬉々とハイファイブしていた。

私たちを追い越しながら「オハヨウ!」と声をかけていった人がいた。最初、何を言っているのか分からなかったのだが、数秒後分かったものの返事をしようにももうその人は前のほうへ。無視してゴメンね~~
チームとして出場すると背中にそのチーム名を入れたTシャツをくれるのだが、私たちのには日本語学校とはいっていたので、日本語で挨拶してくれたんだろうと思う。
そのあと、おじさんが「ヘイ、ホー、マー」みたいなことを言いながら通り過ぎていったことも。
「おじさん、それはきっと中国語・・・」とつぶやく私であった。

4キロ地点までは「あと6キロあるよ・・・」と悲しくなっていたのだが、5キロを過ぎれば半分過ぎた!あとは減っていくのみっていうのが嬉しくなってくる。
今日は朝のうち雨が降ったが走っているときは天気が回復。晴れ間も見えて暑くなってきたのか着ていたジャケットを脱いで道端においていく人がたくさんいた。あれ後で取りに行くんだろうけど・・・めんどくさくないのかな。私はやはりジャケットを着ていたが脱いで腰に巻きつけていくことにした。

もう一つの橋を渡るのは9キロ地点で、ゴールまであと一息。
ここらになると、最後の力を出して走り出す人が増える。私と息子も早歩きから走り出して頑張る。
しかし途中でくじけて息子に「先にいってゴールしていいよ」というと、だーっと走り出した。
ああーー、若いっていいわね、体力がある・・・
その後を私は歩いたりちょっと走ったりしてやっとこゴール。
はーーー、疲れたよ。
かかった時間は大体1時間半。

普段運動していない足がすごく痛い!ふらふらしながらゴールの会場にいってお菓子やら飲み物やらをもらう。たくさんの人がいるので当然行列。これも辛いところ。
でもありつけたジュースの糖分がおいしい~~たくさん飲んでしまいました。

帰ったらもうヘロヘロだ。疲れたし、眠いし、ってことで、ちょいと昼寝してしまいました。
足は痛いし、次の日はしっかり筋肉痛。ああ、日ごろ何もしてないとこうなるんだよね。
それでもきっとやっぱり私は運動もしないんだろうけど(怠け者)
走ってみて爽快!気持ちいい!とかははっきりいって感じなかったけど、イベントとして参加するのは結構楽しいかも、と思った。
初めてだから分からないことばかりだが、次回はもっと楽しめるかもしれない。しかし次回があるかどうかは・・・・不明。

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夢と現実

2013年04月21日 | 子ども・家族
娘が日本語学校で作文を書くとき、お題が、私の夢、ということだった。
しかし娘は「夢なんかない」という。うーん、それこそ見も蓋もない、が、作文に「私には夢はありません、おわり」って書くわけにもいかない。
私があれこれてきとーに(って!いい加減すぎ)こんなのはどう?あんなのはどう?と提案してみるが、そもそも本人の夢でもないことを提案されてものってこないってもんだろう。
結局、しばらく困った挙句先生にも相談してなんとか書き始めたようだ。心の中ではなってみたいな、と思える職業はあるらしい。それを書いてそのあとに、「でもこんなことは実際に無理だと思います」と続けている・・・
そして次にもうすこし可能性があるものとして、他の職業をあげている。
さらに、他の職業もあげて「これにも興味がある、がこれもなるのは難しいと思う」としている。
なんかネガティブ全開だが、これが娘の正直な気持ちなんだろう。

実際のところ、自分がなりたいもの、やりたいことを職業にするということはすごく難しい。
小さい頃に「将来なりたい職業」としてイメージしたものにつけるということはほとんどないだろう。小さい頃の夢は長じるにつれて変わってくるというのも理由のひとつだが、好きなことを職業にするということがとても困難であるという現実がある。

夢と現実のギャップってことでとくにありそーなのが、たとえば、歌手になりたい俳優になりたい、とかそんな夢。日本でテレビを見ていると、若い可愛いお嬢さんやかっこいい男の子たちがアイドルとしてたくさんでていたり、有名子役が活躍していたりする。聞けばそういう道を目指させたくてわが子をタレント事務所に入れたい親がたくさんいるという。
まず第一に私はテレビにでるとかというような仕事をなぜしたいのかまったく分からない。こういう職業を目指したいっていう人は、当然人前に出ることが好きな人なんだろうけど、私にはその人前に出ることが好きという心理がとても不可解である。
そんな私の考えはどうでもいいのだが、そういう仕事をしたい!と夢を持っている人は本当にたくさんいるんだろう。そして成功する人はほんの一握り。

成功した人には「夢を持ち続ければ実現する、好きなことを続けていたら仕事になる」などと、かる~~くいってくれるひともいるんだが、まあ、勝手なことをいっているなと思う。
しかし成功した人にしてみたら自分はそうやってきて今の地位にいるのだからそれしか言いようがないのだろう。
「夢見ていてもなれない人はなれないよ」と現実をいったりしたら、傲慢だと叩かれるに違いないしね。

夢を持ったり希望を持ったりすることはいいことである。
それが原動力となって何かを成し遂げることは実際にあることだし、心の支えになるってこともあるだろう。
ただ、単に夢を持てだの、言うのではなくて、夢を持ちつつ現実も見据える、夢をかなえるために自分ができることを考えて実行していく、かなわないと判断して他のことに切り替えることのできる強さと柔軟さを持つってことを教えていくことも必要なんだろう、と思う。
夢を持ち続け頑張って、挫折して、やり直したり、方向転換したり(ちなみに必要に応じて方向転換することは重要だと思う、よく「ぶれない」とか褒め言葉で使われているけど、人間ぶれてもいい!と私は思う)、そうやって人って生きていくんだろうね。

どこかで読んだコラムに、子どもに対して好きなことを職業にしなさい、と教えるのはやめよう。というのがあった。好きなことを仕事にするのは競争率が高く、なれない可能性が高い。それよりも、ひとのためになるようなこと、ひとに喜んでもらえることが自分の喜びとなる、そんな仕事につけるようにしよう、と教えたほうがいいと。
自分本位か他人本位か職業選びの観点がシフトしている。
好きなことを仕事にするのは、自分がやりたいから、で、ひとのための仕事はほかのひとに還元し喜ばせるというもの。そこに、仕事をした本人が誇りを感じ、喜びを得て、社会を動かしているひとりになっている実感も湧くんではないだろうか。
そういう観点からの仕事選びはもっと選択肢が広がるだろう。
私も自分の子どもに将来の仕事に関して聞かれたら、好きなことをしなさい、というのはやめよう、と思った。
いままで私は「自分の生活が困らない、人に迷惑をかけない、そういう仕事をしているなら、基本的に何でも良い」と思っていた。これからはそれプラス「人のためになる仕事を探してみたら?」というのもくわえようか、と思っている。
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卒業パーティー

2013年04月19日 | 子ども・家族
娘は7年生でこの6月に小学校を卒業する。
7年生は、いわゆる生徒会みたいな組織に参加する子も多い。生徒会長はいないようだが、うちのこの学校の場合、2つのグループに分かれていろんな活動をしたようだ。
たとえば、寄付集めの活動をする、とか。最近では、ベイクセールというのがあった。毎年この時期に生徒会主催でおこなわれるらしい。クッキー、マフィン、カップケーキ、などといった手作りお菓子を持ち寄って売るというもの。売る相手は学校の生徒(と先生やスタッフも?)。
娘が「ベイクセールがあるんだ。みんな何か持っていかないといけないの」という。なんか偉そうにいってますが、それ作るのは私ですよね・・?
自分で作って持っていく子もいるかもしれないが、大抵の子は親が何か作る、か、親子で一緒に何かを作って持ってくるかであろう。
おかげで、私はベイクセールの前日、クッキーをせっせと焼く羽目になった。焼いた後は、子ども達がデコペンみたいなもので飾る。
大変でしたよ・・・・・

7年生はおそろいのスウェットパーカを作る。記念品だからおそらくほとんど全員購入するだろう、と思う。
大抵、色は黒で、背中の部分のデザインを選んで、そこに名前と苗字の頭文字を自分たちで書き込むのだ。
どの学校も大抵やっている事で、パーカが出来上がり始める一月過ぎくらいからあちこちで同じようなパーカを着た子を見かける。
娘もしょっちゅうこのパーカを着ていっている。

卒業式というほどのものはないが、卒業パーティーがある。
例年、学校の体育館で金曜日の午後3時間くらい開かれているようだ。
7年生しかもちろん入れないので、いままでどんなものか見たことはない。
今年も卒業パーティーが開かれるので、お手伝いしてくれる人募集、という紙をもらった。
手伝いならできるかーと気楽に連絡したのだが、私はどうした勘違いか、パーティーを企画するグループに入り込んでいた。
ミーティングがあるから、と聞きたくさんの親が来ていることをなぜか勝手に想像していってみたら10人くらいしか人がいない。あれー?
ミーティングが始まればあれこれと話がすすみ、ついていけない・・・人の話を聞いているだけで精一杯
ひえー、なんで私こんなことに足を突っ込んでるんだ?

パーティーは飾りつけもしてDJも呼んで結構本格的。
出す食べ物はどういうものにするかとか話しあうことはたくさんある。
こういうパーティーでは親はその場に残らず、子ども達同士で楽しめるようにする。
子ども達も普段着ではなくて、セミフォーマルくらいで来る必要がある。
いうなれば、ちょっとしたプロムパーティーなんである。
セミフォーマルとは・・って話になって、男の子はドレスパンツにシャツ、ネクタイ、ってとこでシンプルでよいなぁ、と思う。
女の子はどういうのを着せるのが一番その場にあっているのかしら。
他のお母さんが「うちの子のドレスはもう買ったのよ」というのを聞いて私は心の中で「やべー、うちなにもしてない」と焦る。
ドレス選びは難航中なのは、この間も書いた通り。

娘はこういうパーティーとか嫌いでもないが、積極的というほどでもなく、それでもちょっと楽しみにしているみたい。楽しみだという気持ちを出すのが恥ずかしいというか。
娘心は複雑である。
それより私は、パーティーがきちんと開催されるか心配だったり、自分がどこまで貢献できるかが心配だったり、と余計な負担を増やした気分である・・まぁ、こどものためにちょっとは頑張るか。


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怒涛のガレージセール

2013年04月16日 | 生活
子どもの通う日本語学校でガレージセールがおこなわれた。
実際のところ違う名称にしているのだが、ま、結局はガレージセール(にちょっとプラスアルファ)みたいなもんなので、ここではそうしておく。

去年とその前と私もテーブルを買って何かしらを出したのだが、もう売るようなものはたいしてないので今年は学校のほうの手伝いをすることにした。
娘が誕生日パーティーに呼ばれていて、途中抜け出して連れて行かなくてはならない。シフトを一緒に組んでいる人にお願いして連れて行った。帰りは迎えにいけそうにないので、パーティー主催の人に送ってもらうように頼んでおいた。(ありがたし・・・)

息子はガレージセールと聞くとなんだか張り切って喜んでいる。そんなに楽しいことでもないと思うのだが・・とそこで突き詰めてなんでそんなに楽しみなのかを探求しなかったのがまずかった・・
当日、息子が「売るものは?」と聞いてくる。今年はうちは売るものがないからテーブルは出さない、学校のテーブルの手伝いをするんだよ、というと、すごく驚いている。どうもことしも何か売るんだと思っていたらしい。
それまでに売るものを用意しているとかの様子もなかったんだから、予想もついたんじゃないかとか思うが、子どもにそこまで読む力があるとは、まあ思えないか。

息子が喜んでいたのは、テーブルを出して買いに来た人に「これはいくら」とか「xxドルになります~」とかいいたかったから、だという。
それなら、学校で出すテーブルでも物は売るのだからそこで手伝ってそれをやってくれてもいいんだけど?と提案。お金のやり取りは大人が監視していれば息子でもできるだろう。
しかし「でも売ったもののお金は?」「それはもちろん、私たちのものではなくて、学校のものになるよ」というと「それならやだ・・・」と落胆。つまり売り子をやってお金を得る、ということを楽しみにしていたようなのだ。
でも、たとえうちがテーブルを出してお金を得てもそれはほとんど私のものになるはず(息子のものにはならない、そりゃそうだ)。
それはそんなに構わないらしい・・収益の中からちょっとはお母さんがお金をくれたら、何か自分の欲しいものを買いにいけるしね・・とか思っていたようだ。

息子の勘違いにも困ったもんだが、説明したら納得してくれるというなら、まだ話は簡単だったのだ。
しかし息子は落胆してぎゃーぎゃー騒ぎ出した。話が違う!みたいに。
っていうか、話も何もないもんだ。別に息子にあれこれ話して許可をもらうようなことでもない。
手伝ってもらおうとかも考えてなかったし。
当日は、なんかゲームでも持ち込んで遊んで時間をつぶしたり、他の子達と遊んだり、ってことをしてくれていれば十分だったのだから。

出かける前にこのことですったもんだして、いつまでも息子がなんだかんだというので私も頭にきた。
息子の嫌なところは、こういうことでいつまでもいつまでもいつまでもしつこく騒ぎ、文句を言い、泣いたり、すねたり、っていうことが延々と続くところである。
準備をしたりと忙しくしている私にそのようにしていつまでも絡むので(ひとりでぐずぐずすねている分には無視できるからまだマシだが、この子はやたらと絡んでくる)堪忍袋の緒も切れようってもんだ。
「いいかげんにしなさーい!!」と一喝するのだが、それでおとなしくなるような子ではない、さらにエスカレートしていくのだ・・だから普段は私はひたすら無視するようにするか、道理を冷静に説明することを心がける。
が、この日はさっきも書いたとおり、忙しかったのでついついイライラが嵩じまして。

絡んでくる(酔っ払いのようでほんとアタマ来るんである)息子を蹴散らし(?)怒り散らしながら、準備を終えて出発。もう始まる前から超疲労だ。

そのうち息子もいつまでも起こっていることに疲れたらしく、だんだんと普通に戻っていった。
しかし会場に着けば今度は、「何をすればいいの?」と聞いてくる。
これが息子だけでなく娘からもやられて、「邪魔にならないようにどっかで遊んでいたりしててくれぇ~~~」というが、えー?!と不満げ。
どうしてやればいいというのだ。準備といっても30分程度だ、それくらいどうして待てないんだ!すごく小さい子でもあるまいし。
とまたまた怒りながら、準備する。
そのあいだ、息子と娘がかわるがわる、「なにしていればいいの?」「もうなんか買ってもいい?」←まだ開場まえだってっば!「お金ちょうだい」「売るところはどこ?」「マミーはなに売るの」「退屈なんだけど」などなどなどなど、言いに来る。
おかげで私の眉間には皺が増えそうだわよ。(白髪も増えそう)

どうしてこうもあれこれお世話をしてやらないと駄目なのか・・・忙しそうにしているお母さんを見て「大変そうだから、何か手伝おうか」とか「邪魔しないようにしよう」とか考える思いやりのある子どもでないのは、やっぱり私の育て方に問題があるとしか思えん。
このままじゃ、「手伝ってくれてもいいじゃん」というと「だって手伝ってって言われなかったから」というようなことをのたまう、北米流だんなみたいな人になるわね・・・(危機感)

ちなみにガレージセールそのものは、無事に終了しました・・やっと心の平和が訪れましたよ。
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学校への送り迎え

2013年04月13日 | 子ども・家族
うちの子供たちは学校まで私が送り迎えをしている。
歩いて30分かかろうが、小学生でも歩いて学校に自分で通っていた自分からすると、ありえない話ではあったのだが。私の場合、小学校1年から5年までは学校までバスで通学していた。バスでも20分くらいはかかるような距離だったので。それだって自分ひとりで(または妹と一緒に)通っていたのだ。

しかしこちらの場合、キンダーは親がきちんとドアの前で待っていて先生から引き渡される。親が働いていてデイケアという託児所に入っている場合は、そのスタッフに。
ともかくキンダーや1年生の子が1人で学校から家まで帰るということがありえない、ということになる。

いつから1人で学校に通っていいのかははっきりした決まりはないようだ。家が学校の裏、とかですごく近い場合、3年生くらいから1人で通う子もいるようだ(しかしこれくらいの年齢だと、どんなに近くてもやっぱり親とかが送り迎えしているケースが多い)
大体、鍵っ子っていうのがある程度大きくなった子どもじゃない限りありえない、ってことらしい。

うちの子たちは4年生と7年生。もう私が送り迎えをしなくても大丈夫になってきた。
途中の道のりでは1箇所だけ、ちょっと車の通りが多い道を横断するので、そこだけは十分気をつけるように、何度も一緒に歩いて注意をしてきた。
その通りも、学校の近くなので登下校の時間は通る車もある程度注意して走行してくれてることが多い。学校の近くはスクールゾーンといって、時速30キロで走らなくてはならないことになっているから、ゆっくり目に走っている車がほとんどだ。たまに無視して普通のスピードで走っている車もある・・・ただ抜き打ちで警察官がそこらにいて捕まるケースもあるのでやっぱりスクールゾーンの速度は守るほうが良いのだ。
それでなくても学校周辺の道路は送り迎えの車が駐車して狭くなっていたり、見通しが悪くなる。
子どもは結構みないでわたろうとするので、ゆっくりはしっていても車の間からひょいっと人が出てきてびっくり!ってこともあるから本当に注意が必要なんである。

閑話休題。
最近、息子はキックスケーターで学校に行きたいと言い出すようになった。
もう1人で行かせても大丈夫なのだが、近所に住むクラスメートも一緒に行くようになった。
それもまた構わないのだが、慣れてきて2人でふざけながらいったりしたら危ないかな、とそっちが心配だったりする。
まあ大丈夫だとは思うのだが。

一方娘は自転車で学校に行こうかな、と考えたらしいのだが、かばんが大きくて重いのでそれをしょって自転車こいでいくのがすごく大変なんだそうだ。バランスが上手く取れなくてふらふらしちゃうときがあるらしく、それは危ないので止めてもらった。本人も自転車通学はキツイのでやりたくないみたいだし。
ということで、息子がスクーターで学校にいっても娘を連れて行かねばならず、結局私は何も楽にはならない。
楽をしようなどと思ってはいけないのね・・・

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ウクレレ

2013年04月10日 | 子ども・家族
子どもが通う学校で、放課後にウクレレのレッスンがあるという。
子ども向けレッスンを提供しているところが、うちの学校にもやってきたというわけだ。
放課後に学校でやってくれるのは私が連れて行かなくて済むのがとってもありがたい。
息子は前からギターを習いたいなどとのたまっていた。
私の知る限り、ギターのレッスンは9歳くらいからしかない。それに子供用のギターを買い求めるのもなんかなぁ、と思っていたので、適当に言って流していた。
本音としては、ギター習いたいなら、自分でバイトしてギター買えるようになってから、にしてくださいよ・・的な感じ。いまから習わせるとか考えも及ばない。

そこにこのウクレレレッスンのお知らせが来た。こりゃー、ちょうどいいではないの。
ウクレレなら小さいし、安価だし、お知らせにも「ギターの前段階としてぴったり」みたいなことが書いてある。
息子もやるやる~~と乗り気だ。
ウクレレというと、私の頭に浮かぶのは「は~~やんなっちゃうな、は~~おどろいた♪」ってフレーズである(ふるい!!!!)
それできるようになるかな?って日本のだから、教えてもらえないよね。
ウクレレというと、ハワイアンってことで、あとは思いつくのは「アロハ・オエ」?
果たしてテキストブックには載っていました。サビの部分だけだけど。これも習ってくるのかな?

レッスンは8回、料金にはウクレレ購入代金も含まれているのも助かる。
ギターとかバイオリンとかのレッスンは自分で楽器を用意して来い、とか書いてあるが、そういうものに縁がない生活をしてきたものとしてはどこで買ってくるのか、どんなものがいいのか、ちっとも見当つかないから、考えるだけで面倒くさくなってくる。
(そんなわけで、自分でできる年齢になってからやってくださいよ~~と思う)

さてレッスン初日を受けて帰ってきた息子。
楽しそうである。
ここを通して購入したウクレレは12色くらいある色パターンから選べる。息子はグリーンを選んだ。
グリーンのウクレレがグリーンのプラスチック袋みたいなケースに入っていた。(つまりペラペラの袋である)
ウクレレって初めて手にしたけど、ほんとに小さくて可愛らしい。軽いし。
弦が4本しかないから初心者には入りやすいかも?

息子は早速本を見ながら練習、そして私にも教えようとする。
まあ、ちょっと興味はあるので教えてもらう。
母に教えるっていうのが楽しいらしくて張り切っている。
遊びみたいなものだけど、まあ私も楽しいからいいか~~


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ドレス選びは難航中

2013年04月08日 | 子ども・家族
娘は7年生である。私の住む市では小学校は7年生まであり、今年の6月は卒業ということになる。
大体において、小学校に入る時にも入学式というものがなくて、普通に学校に連れて行き普通に授業が始まるっていうような感じだったので、今まで式のための洋服(親子ともども)というものが必要がなかった。

卒業式、というものも、小学校ではないのだが(中高一緒のセカンダリーという学校だと卒業式はある)、学校の一番最後の日には式、というほどでもないが卒業生を送る集会、みたいなものがある。
これには卒業生と親が参加して、スピーチがあったり、スライドショーがあったりする、らしい。
なんといっても私も初めてなのでどんなものかははっきりは分からないのだ。

式というほど堅苦しくはないが、一応この集まりでは生徒たちもきちんとした格好をしてくる子が多い。
中にはいつもと同じようなカジュアルな服装で来る子どももいるらしいが(それは知らなかったからなのか、わざとなのかは人それぞれ・・・)大抵の子はいつもよりはきちんとした洋服らしい。
男の子の場合は、それでもシンプルだから楽である。
ドレスパンツと呼ばれる、ちょっときちんとした感じのボトムに、襟付きのシャツ(ポロシャツって子もいる)、ネクタイをするもよし。さらにきちんとした感じにしたい子はジャケットを着てくる。(スーツ姿とか)
こういう服を売っている売り場に行けばすぐそろう。

対して女のこの場合。どんな服を着せたらいいのか悩むところ。
去年6月はこの集まりをそっと覗き見してきたのだが、全貌はみえにくかったものの、女の子はいわゆるワンピース姿が多かったようだ。
それもあまり華美じゃない感じ。
ふむ。
そんなところから、私が「こういうのがいいかも?」と考えたのが、「日本の入学式とかでも着られそうなきれい目なワンピース、色は紺とか・・」。いかにも日本の感覚のものしか私のアタマではイメージできない。
でもそういうものの方がやっぱり目立ちすぎず、かつ、きちんとした印象でよろしいんではないか。

それにしてもそういう服はどこで手に入るのだろうか。
今までこちらでそういう服を買ったことがないので見当がつかない。
それどころか、こちらで服をあまり買わない(日本にいって買ったりすることが多いので)ので、あまり店を知らない。
ということで私はいくつか店を回ってみてどこにどんな服が売っているかをリサーチしてみた。

夏が近づくとサマードレス、といわれるいわゆるワンピースがいろいろと出てくる。
そのあたりを狙って店を回ったが、なかなかこれ!というのに出会わない。
なんか思ってたより難しいなぁ・・・・(疲労感)
まず、私のイメージするきちんとした感じのワンピースっていうものがない。やっぱりあれは日本じゃなきゃ駄目か。

プリント柄だとなんか派手派手しいのとか、可愛いじゃない?と思っても「しかしこのような色は絶対娘は着ないだろう」というようなものだったり。
子供用の服だとちょっと小さい(とかデザインが幼いとか)が、大人用のだとデザイン的にいきなりこれってどう?というのがあったりして、ちょうど狭間にいる難しさもある。

それでも、この店なら何とか見つけられるかな、という候補を2つくらいに絞って今度は娘を連れて行かねばならぬ。結局は選ぶのは娘であり、試着もしてもらわなくてはどうにもならないのだし。
いろいろいいのがたくさんあって選ぶのが大変、というのも困るが、どれもこれもいまひとつ、というのも困る。むしろそっちのほうが問題である。買わないわけにはいかないのだから。


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離婚という選択

2013年04月05日 | 子ども・家族
ネットをいろいろ見ていて、日本の雑誌の特集記事を読んだ。
きれいになったのは離婚したから・・といったタイトルで、離婚してよかった!的な話を紹介していた。
なんというか・・・絶句。
そんなに軽々しく離婚してよかった~、とか言っていいのかなぁ、って思う。

最近、日本でも離婚する人が増えているようだ。昔は離婚というとよっぽどのことだった気がするのだが、最近は周りの反応も「あの人は別れたからね・・ヒソヒソ・・」みたいな陰口を言われるようなことが少なくなっているのだろう。
カナダは離婚率50%近いという。つまり2組のうち1組は離婚するってことだ。
これってすごい数字だなぁ、と思う。
日本も近づきつつあるのだろうか?まだまだだろうか。

別に離婚しないことのほうがエライとも思わない、が、離婚したから良いってこともない。どっちがいいってことはないのだ。
こればっかりは人によるので、その人にとって離婚がベストな選択肢であっても他の人にはそうとは限らないというもんだろう。
私自身は離婚というのは(頭をよぎったことはあるにせよ!)いまのところ選択肢にはない。それは、離婚する理由がないからである。ギャンブル狂で家計を脅かす、浮気がひどい、暴力(肉体的&精神的)をふるわれる、などといったことがあれば私も生命の危機も感じるので離婚の理由になる。うちのだんなはマジで宇宙人かと思うくらい変人だが、一緒にいて生命の危機を感じることはない。

知り合いの子が「私は結婚したくない」と言っていた。
自分の父親が愛人を作って家庭を顧みず、両親は離婚に至ったので、それを見ていて自分にも同じようなことが起こりそうで怖いという。男性が信じられない的なことも言っていた。
また他の知り合いのパートナーはやはり両親が離婚しており、子供心にそのことが深い傷になっていた。結婚して家族を作ることへの恐れがあるようで、作り上げたものを壊してしまいそうな、そもそもそうした家族関係を作り上げることそのものが自分にはできない、と思っている感じらしい。
それで、その知り合いの子とも付き合っているけど結婚というコミットメントには踏み切れないでいて、結局わかれましょ・・となったということ。

こういうことを考えると、離婚というものが思った以上に子どもの心に傷を残すことが多いのが分かる。
親にも自分の人生があり、どうしても一緒にいられない、結婚している限り自分は病んでいきそうだ、とか、危機感があるとかなら、「子どものために」と我慢することが良いとは限らない。
またケンカばかりしている様子を子どもに見せているほうが弊害があって、別れたほうがいいということもあるかもしれない。
離婚をするときに一番大切なのは子どものケアであるとおもう。夫婦は自分の人生の建て直しのために別れるのだろうけど、それに巻き込まれる子どものことを考えてあげないといけないとおもう。別れても子供にとってはお父さん、お母さんなんだし。(やっぱり、産んだからには責任を持たないと・・・)

この雑誌の特集を読んで違和感を感じたのは、離婚後いかに自分が生き生きとした毎日を送っているか、自立できたことへの喜び(ほんとなら、結婚していても自立している自分を確立できるのが理想なんだろうけどね・・)、キレイになったね、といわれるだとか・・ってことばかり書かれている点。さらにそんな美しい女性たちの美容法だとかもあって正直、それと離婚とどう関係あるんだ?と不思議。
そもそも離婚したからってそんなに上手いこといくのか?!って思っちゃう。
まあ、そういう人だけを取り上げているからなんだろうけど。それとか、子どものことはどうしているんだ?!とかそっちのほうが私は気になる。
そういうひとばかりではないのが現状であり、こんな記事だけをみると「離婚もいいかも?」って安易に思っちゃう人がいたらいかんよなぁ、とか思うが、まあそんなわけないか。

カナダの離婚率は50%近いと書いたが、再婚をした人の再離婚率は更に高くて70%くらいになるという。
一度、離婚を経験するともう2度も3度も同じこと、になるのかもしれない。
もうあの時のようなことはゴメンだわ・・と、2度目はあまり苦しまないうちにさっさと見切りをつけるのだろうか。
離婚というのは簡単なものではない、プロセスも大変だし、精神的にも苦痛だ。それを乗り越えたら、確かに吹っ切れてキレイになるっていうのもあるのかなあとは思う。




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花の季節

2013年04月01日 | 生活
この週末はイースターで4連休。金曜日はグッドフライデー、月曜日はイースターマンデー。もっとも月曜日は休みとはならないところも多いのだが、(BC州ではイースターマンデーは法定祝日ではないらしい)学校は休みである。
4連休、そして天気が良くて暖かく、まさに行楽日和となった。
雨が多い冬は鬱々としてみんな気分が滅入るが、こうして晴れると気持ちも晴れ晴れする。

ということで素晴らしい週末であるが、我が家は特に出かけることもなく、まさにのんびりと過ごしている。
まあ、特にどこかに出かけるというのでなくても、友達の家に遊びにいったりして過ごすだけでも十分楽しい。
私はそう思うが子ども達はそうでもないかもしれないか。

さて暖かくなったので、花があちこちで咲いてきれいな季節になった。
早い時期から咲く花としては水仙やクロッカス、これらは少し前から見かけていたけど、ここのところ桜がどんどん咲いて目を楽しませてくれる。

そんな話をこのあいだ実家の母と電話でした。
母が「あなたのタウンハウスに入るところにある木、赤っぽい花が咲くやつ、あるでしょ、あれは咲いたの?まえにいった時に咲いていた・・」という。
うーん、どれだっけ?と一瞬考えてああそういえばそういう木があったなぁ、と思い出す。
でもあれはまだ咲いていない。
以前、母がうちのほうに来たのは随分と前のことだが(8年位前・・)確かそれは5月ごろだった。
「あれはまだ、5月くらいじゃない?」というと、「あー、そうだったね、それと、黄色いちょっと垂れ下がるように咲く花もあるでしょ、あれも咲いてたね、あれはうちのほうで植えているお宅があったんだけど・・」という。
ああ、そういえばそういうのもあったな、あれも5月くらいに咲くんだったと思う。

どちらも私は名前が分からない植物だ、「名前を確かめておこうか・・」と思うけど誰に聞いたら分かるだろうか。
その花が咲いたら、誰かれかまわず聞いてみるか・・誰か知っている人に出会うかもしれない。
そして、その写真を撮って母に送って「咲いたよ」と便りを出すのもいいかもしれない。

また「ライラックはまだ?」と母が聞く。
うちのまえの広場には以前各家庭の前に花壇があった。私たちが越してくる前からそこにはライラックの大きな木と、むくげが植えてあった。その他にもルバーブやらバラやらごちゃごちゃとあったが、どれも私のような全然手入れをしない人がほっといても自然に時期が来れば花を咲かせていたりした。
しかし、広場は一昨年から去年にかけてコンクリートをしきなおしたため、花壇は全部取り払われて今はただのコンクリートだけになってしまったのだ。
ライラックやむくげはタウンハウスの敷地内のどこかに移送されたらしいのだけど、うちの前にあったのがどこにいっちゃったかはよく分からない。

ライラックはもうないんだ、というと母は残念がっていた。
確かにライラックの季節(それはやはりまだなのだが)には、花がたくさん咲いてその香りがかすかに家の中に紛れ込んできたりしたもんだ。
鳥がやってきて木に止まっていたりもした。
そんな景色はうちの前から消えてしまった。

友達の家にライラックの木があるので(花の色はうちの家の前のものとは少し違うのだが)、咲いたらやっぱり写真を取らしてもらって母に送ろうかな・・・
そんなことを考える花の季節である。
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