冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

ウィスラー(でも、スキーじゃないよ)

2011年12月31日 | バンクーバーとその周辺
いきなり今日はウィスラーに行くことにした。前から娘が行きたい、とかいっていたのだが、冬休みって結構イベントが多くて忙しい。
しかもここのところ雨続きだった(ちなみに気温が高めな日が多くて、平年より暖かい)、つまり山のウィスラーでは雪だろうからうちの車じゃ心配だ・・というわけでいける日をうかがっていた。

今日は雨はあまりふらなそうという予報だったので思い切っていくことにした。そんな思いつきで出かけたのでちょっと出は遅くて11時近く。まあスキーに行くわけではないからこれくらいでも大丈夫でしょう・・

ウィスラーはバンクーバーから120~130キロくらい(多分)北に位置する。
車で行くと大体2時間くらい。
ずっとハイウェイで行くのだが、ハイウェイ#1はホースシューベイというところまで。ここはバンクーバー島やサンシャインコーストなどへのフェリーの発着所がある。
ここからはハイウェイ#99となる。別名シートゥスカイ、海と空がつながっているそうな。
途中大きな町としてはスコーミッシュを通るが、そこまでの道のりは入り組んだ海岸線や山、入り江に浮かぶ島など景色は抜群である。この海岸線沿いを走るバンクーバーからウィスラーまでの電車があるのだが、これに乗ると車からは見えない絶景まで見れるという。
乗ってみたい・・・
電車旅が好きな上に、電車の中で食事ができるっていうのもすごく魅力的。この路線は運行中の食事もセットになっているのだ。
乗ってみたいーー!
ただ問題はウィスラーで1泊しないと無理というスケジュールになっているので、「犬はどうする?」ってことになっちゃうのよね。

横道それました。
スコーミッシュを過ぎると、山を少しずつ登っていく感じになる。
周りは森になってきていかにも山の中を進んでいく景色になってくる。そして退屈・・・みんな同じ森、木、としか見えん。しかし道路はそれなりに曲がっていたりしてぼんやり運転するのはちと怖い。私が運転してませんが。

ここまでくるとさすがに雪が積もっている。
先ほどまで雨がぱらぱらだったのが、雪に変わった。

ウィスラーはスキーリゾートとして開発された土地であり、カナダだけでなく他国からもたくさんスキーヤーが訪れる。日本人にもおなじみ。
オーストラリアとかからもたくさん来ているらしい。
スキーシーズンは11月終わり頃から始まるが、そのちょっと前くらいが一番ホテル代も安いということで、その頃に安い料金で宿泊できるという招待でいったことがある。もう5~6年前の話。
ウィスラーのホテルやレストランなどで働いて休みのときにスキーやスノボーをするのが目的でその期間住み着く若者が多く、11月始めに訪れたときはちょうどそういう人たちが集まり始めたのか活気に溢れていた。またリゾート地だからか人がフレンドリーで親切。

そんな印象を持っていたが、今回久しぶりに訪れて、やっぱり同じような印象を持った。
2010年に冬季オリンピックのメイン会場になったため、ウィスラーまでのハイウェイが整備されてきれいになっていたのも良かったし、ビレッジという中心地(お店が集まっている)の広場には記念モニュメントや屋外スケート場ができていたり、とまたキレイになったなぁ、と思った。

で、ここにきているひとはリゾートを楽しんでいるので、雰囲気がうきうきしているわけです。
お店に入れば大抵の店員は実に親切でフレンドリーで笑顔で接客。
だからこちらも自然と気分が上がるわけですね。
スキーをしに来る人がほとんどであるが、ビレッジをそぞろ歩く(たいして大きくはない)とか、レストランに入ったりカフェでくつろいだり、といったことを楽しむ人も多い。なにをしていても楽しめるような感じ。
リゾート地っていうのはそういう風にデザインされているんだなぁ、と改めて認識。
たまに来ると楽しいねー。
スキーをしないのであれば、たまに来るくらいでちょうどいい、それでなきゃさすがに飽きます。

長くなってきたので続きはまた次回!
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日本から流れ着いている?

2011年12月30日 | バンクーバーとその周辺
新聞に載っていた記事であるが、BC州の太平洋に浮かぶ島バンクーバー島の、西側に位置するトフィーノの海岸に日用品みたいなのが流れ着いてきているという。
太平洋の向こう側から流れてきたものがたどり着くとしたらトフィーノあたりだろうけど。

それを拾った人たちが「これは大震災のときに津波で流されたものではないだろうか」と考え、いちおう保存しておくことにしたという。いずれこうした品をカタログみたいにしてウェッブサイトで紹介することも考えているとか。

トフィーノの市長さんがビーチを散策していたときに見つけたのは歯ブラシと赤ちゃん用靴下、だという。どちらにも日本語で何か書かれているとのこと。

太平洋を越えて日本などから流れてくるものはこれが初めてというわけではもちろんないのだが、12月にはいってからその量が増えてきたという。
それでこれは津波にさらわれたものたちが流れ着き始めているのではないかと考えたというわけだ。

専門家の意見は、カナダなど北米の西海岸にそうした漂流物がたどり着くのは2014年までないだろう、というものらしい。
早くとも震災の2年後、つまり2013年くらいであろうというのが大方の見方らしい。
そんなときにこのニュースで、ある専門家は「潮の流れとか風の向きとかで早まるってこともあるかもしれない」などと話したみたい。
専門家の意見っていうのもあてにならないもんだ。

一方、それでも多くの専門家は早まる可能性を否定はできないとしても、この漂着物がほんとうに津波によってさらわれたものであるかどうかは、判断のしようがないとして、明言を避けているようだ。
そりゃ、そうだ・・歯ブラシだとか靴下だとか、たとえ津波の被害者がその写真を見ても「これは私のです!」って分かるようなはっきりした特徴があるとは思えない。どこにでもありそうなものだろうし。
これが写真だとか個人の思い出の品とかならもっと分かりやすいんだろうけど。

ともかく、可能性はゼロではないということでトフィーノではこうした日本から来たと思われる漂着物は保存しておくらしい。

しかし・・・
その記事に写真が載っていて、市長さんがペットボトルの空き容器と歯ブラシを持っているのだが、モノは半分くらいで切れていてよく見えない。どうせなら全部うつして分かりやすくして欲しいのに・・・
モノの写真ははっきり載せないでくれとでも要請があったのだろうか?
このペットボトルなんだが・・これは中国の漢字だな。日本語ではない。
ボトルのデザイン的にもこれは日本で売られているものというより、中国で売られているものという感じだ。
うーん・・・まさかこれも日本語が書いてあるから、というんじゃないだろうね??
記事にはペットボトルのことは触れていなかったから、違うのかな、それなら何故それを持って写真に納まっているのだ?
歯ブラシと靴下の日本語表記ていうのもなんとなく怪しくなってきたけど。

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コンサートなどでの電子機器使用

2011年12月29日 | 生活
新聞記事に載っていたのだが、アメリカのいくつかの劇場では「ツイッター席」なるものを用意しているそうだ。
席の場所は端のほうになるらしいのだが、そこでならスマートフォンやiPadを演奏中などでも使用していいという。
その席に座った客は、そうした機器でもってツイッターしたりフェースブックを通して、ライブの様子をお友達にナマ中継するんだそうだ。

そういう人が増えてきているだろうことはちらほら聞いていたけど、自分が全くそういうのをやらないため思いもかけなかった。(時代遅れ)

バンクーバーではそういう取り組みをしようと考えているところはまだないそうだ。とりあえず市が経営するところでの現状であるからそれ以外はしらないが。
市としては、公演中の電子機器の使用は禁止というポリシーである。劇場側もそのようにお客に伝えるが、どれくらい厳しく取り締まるかは劇場ごとに任されているらしい。

たとえばクイーンエリザベスシアター。12月始めにスティングのコンサートが会って見に行ったときのこと。公演中に電子機器を使用しないでというお知らせは出ている。が、あちらこちらでさっと写真を取る人、とかなにやらほの明るいスクリーンがちらちらって見えたりしているのには私も気がついた。
劇場側としては案内係のような人が気がついた範囲で注意しに行く、というスタンスを取っていたそうだ。電子機器を使っている人がいないかどうかパトロールをしてまでとはいかないので、一瞬光ったなぁ、と思ってもそういう人のは見つけ出せない。

完全に使わせないようにするためにはそのための見回り役を雇わなくてはならないということで、実施はなかなかできないのが現状みたい。
実際、スティングのコンサートでもこっそり撮っている人(ずっと撮りっぱなしだと見つかりやすいから、ちょこちょこと撮ったり隠したり)も見受けられた。
そして一番凄かったのは2番目のアンコールのとき、スティングが1人で出てきてアコギで歌ってたときは、みんな大喜びで立ち上がって盛り上がりつつ、あちこちでシャッターの光がパラパラと。
もう最後の最後だもんね、追い出される心配はないもんね。それにこれだけたくさんの人がやっていたら、取り締まりは無理というもの。
ちなみに私は、撮っても無駄ね・・・ってな遠い席に居りましたのでトライもしませんでした。

記事では公演中の模様を録音、録画、写真を撮るといった行為について云々というより、こうした電子機器を使用するとスクリーンがほの明るいのが他のお客さんに迷惑でしょ、だから止めようよね・・という論旨だった感じ。

コンサートだけでなく、こうした劇場ではオーケストラの演奏、バレエの公演なんかも催される。主催する団体側としては、「ツイッター席」を作ることには難色を示しているケースが多いようだ。
劇場の構成上、他のお客さんに迷惑にならない位置でそういうのを作るのが困難だろうとか、ツイッターとかをやるよりも公演をじっくり見て楽しんで欲しい、とか。
確かに演っているほうとしては、お客さんが聞き入っていたり、見入っていたり、一緒に参加している感じだったりする姿のほうが見たいよね、スマートフォンの画面をせっせと動かしている「ながら」姿よりはね・・

「ツイッターもフェースブックもやってくれていいんです。公演を中継してくれて、それを見た人が「私も公演を見に行きたいわー」と思ってきてもらえるかもしれないんだし。ただ、休憩中とか終わった後とかにしてくれると嬉しい」というのが本音というところ。

しかしこうした電子機器を使用して常に誰かとつながっていたい、という人は若い世代を中心に増えつつある。
こうした層を無視するわけにも押さえつけるわけにもいかなくなってくるだろう。押さえつけようとしてもなんとか違う道を見つけてくるんだろうし。
これからはどのようにそうしたメディアを使用させるか、使わないで純粋に公演を見たいだけの人とどう共存させていくか、などといったことを考えながら、ルールを作っていく必要が出てくるんだろうと思う。
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なんだかなぁーって思うこと

2011年12月28日 | 生活
ほら、日々の生活のあちこちで出会う、「これってなんだかなぁ」って思う出来事。誰にでもありますよねー。
誰かが決定的に悪いわけでもなく、私がひどい被害を受けたわけでもないのだけど、ちょっとモヤモヤする感じ。

今日はそんなモヤモヤがいくつか発生したので、ここでぶちまけてすっきりしようという魂胆である。

スーパーで買い物して会計をしようと並んでいたら、後ろに男の人が一品だけ持って立っていた。セルフチェックアウトにでもしてくれたらいいのにーとか思いつつ、まぁあれは慣れてないと逆に面倒くさいしな・・
で、「1つだけだし、お先にどうぞ」と言ったら、にこっと笑って「ありがとう」と言った。いえね、きちんとお礼も言ってくれたのでいいですよ。
でもなんとなく譲られて当然、というような表情だったのがちょっと気に食わなかっただけですよ。
まぁ、これくらいのことでモヤモヤされてはその人もちとお気の毒ですね。
いつも行かないスーパーで買い物して思うように物が見つからず疲れていたのでね。

郵便局で私は1通の郵便を出すだけだったが、前の人がすっごく時間がかかっていて、永遠に待つかと思うくらい待っていた。
私の番が次・・ってときに、横のほうにいてなにやら書類に書き込みをしていた人が、俺は先に来てたんだー、ってなオーラを出して、列には並ばずなんとなく横で待っている。
これって、入れてくれよ、ってサインよねぇ。
確かに私より先に来ていたようだけど、必要書類を書いていたときにどんどん人が並び始めちゃったって感じ。
私だったら、ここできっと列に並びなおす・・気弱です。
でも入れてあげるべきかなぁと思い、「先に来ていたのならどうぞ」というと、「うん、自分は先に来てたしね」って感じではいっていった。
そ、その態度はやっぱりちょとむっとしますけど?!
やっぱりちょとお礼の一言くらいいってくれてもいいんじゃないかなぁ、って少しモヤモヤ。
でも、これもこんなもんなのかなぁ、と思ったりもする。気弱です。
ちなみに私の番が来て数分で終了・・・待っていた時間のほうがその20倍くらい長かったです。

そして、今日はちょっとした知り合いが「うちに来ませんか」と人をたくさん招待した様子。
それほど、親しくしてはいないけどせっかく誘ってもらったし、いつもなかなか会うことがない人だからこういう機会にでも、と考え直して出席することにした。
ところがクリスマスが明けたら、気が抜けたらしくまた風邪気味に。
こんどは咳が結構出てしまい、人が集まるところに行ったら迷惑かなぁ、という具合。
あまり親しくない人の集まりだから余計に気をつかって「やっぱりやめておこう」とメールを出して「誘ってもらったのにごめんなさい」と連絡した。
彼女からの返信はなし。
不参加の人にはかかわっていられないのだろう。
これまた、それほど親しくもないしこんなもんかな、とは思うもののちょとなんだかなぁーと思う。
結局、こういう感じだからこの人とはそれほど親しくはならないままなんだろうと、再認識した。
これからも親しさ程度は変わらず、ってことなのでしょう。

それにしても、もう年末。
今年はうまくいかないことが多い、いわゆるツイていない年だった。
嘆いていないで、大掃除でもしてすっきりして新年を迎えるかー。
とかいいつつ、小掃除くらいで終わりそうです。(←根性なし)
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ボクシングデーに買い物に繰り出す

2011年12月27日 | 生活
クリスマスの翌日26日は、ボクシングデーである。
この日は法定の休日ではないので仕事がある人も多いが、政府関係、市職員とか郵便局員とかは休みである。

そしてボクシングデーは買い物デーでもある。
多くの店が朝早く6時くらいとかから開けて大セールをするのである。
特に家電を売っている店なんかはいくつかの目玉商品を用意して(凄く安い)限定何台とかにしていたりする。そうすると開店の数時間前からそのために行列を作って待っている客がいる、というのは毎年の風物詩みたいなもん。
それが欲しいからっていうのもあると思うけど、ちょっとお祭り気分もあるんだろうなぁ、と思う。

去年のボクシングデーはだんなは友人に誘われて家電などを売っている店に買い物に行った。おそらく友人は欲しい物があったんだろうけど、だんなは特にそういうものはなかったようだが、行ってしまえば「お!これ安いじゃん」と買ってきてしまうもの。このときはブルーレイプレーヤーを買ってきた。これはそのうち使う必要ができたので無駄にはなってはいないが。

今年は娘がギフトカードをプレゼントの1つにもらったのでそれで買い物をしたいという。ボクシングデーに買い物に行くのは混んでいるから気が進まないが、午後からならまぁいいだろう、と思いお昼ちょっとすぎに連れて行った。
ついでに買いたいものもあったので(それはセール品ではないけど)。
それと私は来年のクリスマス用にカードとラッピングペーパーを仕入れておこうとも考えたのだ。
クリスマスが終わるとこうしたクリスマス製品が半額以下で売られるので、来年用に買い込む人が多い。今までたくさん手元にあって買い足す必要がなかったのだが、ついに切れてきたので買っておこうと思ったのだ。

しかし、クリスマス製品は午後にいったんでは遅いのである。と、友人にも言われた・・・「朝も早い時間に行かなきゃダメだよ~~」
私も午前中に行かないと品薄にはなるだろうな、とは思っていたが12時半でももうほとんどなくなっていようとは思ってなかったのは甘かったな

1軒の店はもうカードが売り切れ、ラッピングもちょっと残っているのみ。もう1軒はカードはあったもののほんとに少しで選べるほど残っていない(のでさっさと買うものが決まった、それしかなくて、ってことなんだけど)。リボンとかもきれいなものは無くなっていて、シンプルな面白みのないタイプとかは残っていた。
店が7時くらいから開いていることを考えればこれも当たり前かもしれない。
ボクシングデーは数限定の激安商品を狙ってくる人が多いので早い時間から押し寄せてくる。午前中は人がたくさんなんだろうと思う。今までボクシングデーの午前中に買い物に行ったことがないので予測だけど。
それで人ごみをちょっと避けて、と思い午後に行ったのだけど、やっぱり欲しい物があるときは早く行かなくちゃいけないってことなんですね。
でもとりあえず手に入れたし、やっぱ、こんなペースで出かけていってもなんとかなるからいいか、とも思う。

午後に行っても人がたくさんなことには変わりない。終日セールはやっているので、限定品を求めるのでない限りはいつ来たっていいわけだし。
ただしだんだんと売れ残り状態にはなってくる。
たくさんの人人人・・・みんな嬉々として買い物をしている。
買い物って楽しいもんね、たくさん買うと「買った~」っていう充足感もあるもんね。

私は毛糸(セール品ではない)と、ラッピングペーパーとカードと買いたいものは買ったので満足。
娘もアクセサリーを買い、おもちゃ屋でゲーム用のフィギュアを買い満足したようである。
用が済んだらさっさと帰る。長居をすると疲れるので。
家を出てから買い物すんで家に戻るまでで1時間。それでも人いきれで疲れた私でした。

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メリークリスマス!

2011年12月26日 | 生活
クリスマスですよ、今日は。日本ではもう終わっちゃいましたけど。
今日25日はクリスマス本番。
昨日の夜、私たちからのプレゼントをツリーの下に並べたら(多くの家庭ではラップした家族間でやり取りするプレゼントをクリスマスちょっと前から並べておく)、息子はすでに興奮状態。
ここには欲しかったアレが入っているに違いない、と箱を振ったりして調べている。まぁ、クリスマス当日にあけてのお楽しみである。
さらに子どもがいる家庭の場合、イブの夜、子どもが寝たらサンタがやってきてプレゼントをおいていってくれるわけだ。

そのサンタプレゼントはちょっとしたものを別に用意しておいたが、タグに書くときにふと「筆跡を変えたほうが良いだろう・・」と思いつき左手で書いた。利き手じゃないので当然変な文字になってしまった。
息子はクリスマスの朝、サンタからのプレゼントについているタグを見て「これ、サンタが書いたの???」と怪訝な顔。
「そうでしょ」ととぼける私であった。

休みだしのんびり寝てよう~と思った私は7時半におきた。
最近横になっていた状態から起き上がるとめまいがしてくらくらするので、起き上がるとまず座った状態でしばらく過ごす。
そしたら息子がのそのそやってきて「起きる」とか言い出した。
どうも興奮して寝てらんないらしい。
でもみんな起きてからじゃないとプレゼント開けられないよ、というと、
なんとか我慢していた。が、そのうち待てなくなってきて他の2人を起こしまくり。
そのあいだに私は犬の散歩に行き、帰ってきたらみんな起きている状態になっていた。ご苦労さん。

で、プレゼントオープン。息子は欲しかったものをもらって(本人が欲しいと申告していたものだから当然だが)大喜び。娘もやはり自分で選んだものをもらったので大喜び。
とても満足度が高かった様子である。
ちなみに私やだんなはすでに自分の欲しいものをちょろっと買ってしまったのでそれをプレゼントとした。

それから私はご飯作り。今回はローストビーフだ。思ったより時間がかかったのは「これくらいでいいか」と思うとだんなが「もっと焼いたほうがいい」といったので延びていった。うーん、ちょっと焼きすぎではと思ったが、それくらいしっかり焼けているほうがいい、と言われるとどうしようもない。

日本のお正月だとお節を作って女性が楽できるように、ってことらしいが、クリスマスの場合は結局クッキングが必要になる。レストランもスーパーも閉まっているから、外で買ってくるって訳にはいかないもんね。
まぁ、うちの場合たいしたごちそうをどっさり作るわけではないので、大変ではないが。

クリスマスはこちらでは当然、とても大切な行事だ。私からするとお正月のほうがしみじみしてしまうのだが、こちらはクリスマスがそれに当たる。家族で過ごすっていうのはクリスマスには大切なことである。
グリンチというクリスマスキャラクターに、小さい女の子シンディー・ルーが「クリスマスを一人で過ごしちゃダメ」と言うが、それに尽きる。
様々な事情でクリスマスを一人で過ごさなくてはならなくなってしまった人は、やはり悲しい思いをするものだ。

日本ではクリスマスというと恋人と過ごさなくてはならない日だが(そしてそれを言うと、こっちの人は「おもしろーい!」とウケる)、一方、キリスト教徒でもないのにそれほど騒ぐのはおかしい、というさめた人も多い。でもこっちだってキリスト教徒でなくても、または教徒だがそれほど熱心でない人もやっぱりクリスマスには、大切な人とつどい、ギフトを交換し、美味しいものを食べて・・っていうことになる。

前は、私も日本のようにクリスマスを本来の意味とは少し違った騒ぎ方をするのはどうなの?って思っていた。でもこちらのクリスマスを何回も経験するうちに、そういう形のクリスマスもありかもなぁ、と思うようになってきた。
日本はキリスト教文化ではないのだからこちらのようなお祝いの仕方をする必要はないと思う。お祝いを必要としない人はしなくてもいいのである。だけど、クリスマスにかこつけてパーティーしたり、友達や家族や大切な人とわいわい過ごしたり、ロマンチックに過ごしたり、どんな形であれ、楽しんだって別にいいじゃない。

クリスマスに必要なのは、改めて自分の周りにいる大切な人たちと一緒にいられることを感謝したり、その大切な人たちが幸せで健康な日々を送れるようにと祈ったり、そんな自分の周りの小さな範囲でいいから平和なときを過ごせることを願うことじゃないだろうか。
過ごし方やお祝いの仕方は、北米と日本とは形が違っても底にある気持ちは共通しているんじゃないかなと思う。

ただし日本では、クリスマスなのに恋人がいないと焦ったり、うつうつしてしまったりするという人がいるのは残念な気がする。友達には一緒に過ごす彼がいるのに自分にはいない、と劣等感に苛まれるのも無用なことだと思う。それこそクリスマスの意味を取り違えている気がする。
こういう人は、そんなに神聖視する必要ないでしょ、ただのクリスマスだし、って考えたほうがいいんじゃないかって思いますがどうでしょうか。
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愛とは?

2011年12月25日 | 生活
日本ではもうクリスマス当日であるが、まだこちらはイブである。
今月始めから新聞記事に連載されたアドベントについて、最終週である4週目(先週の日曜日)は、愛についてだった。
アドベントの4本目のろうそくを意味するのが愛ということで、愛について記事には語られていた。
読み返してもなんか意味が分からず、メッセージが伝わってこない。
結局、愛っていうのは語るに難しいことなんだなぁ、と思った。

大体において、日本では昔は愛という概念はあったんだろうか。私の知るうる限り、日本での愛というのは慈愛に近いもの、つまり相手をいつくしむ気持ち、とかかなぁ、と思っていた。
愛の定義というと、昔、倫理の授業でやったなぁ、古代ギリシアの哲学。
エロスは肉体的な愛、フィーリアは友情愛、アガペーは無条件の愛、神様の愛。
キリスト教での愛とは神様が与えてくれる無償の愛、また、人類は神が創ったってことで神様のもとには人類は皆平等であるので汝の隣人を愛せよ、っていうところか。

昔日本では恋人に「愛している」というようなせりふを言わなかったと思う。好き、大好き、恋している、想っている、って感じかなぁ。
愛という言葉は最近よく使われるが、例えばドラマなんかで女が男に「私のこと愛してる?」「愛しているよ」みたいな感じで。
私が日本の男性と愛を語った(?)ことがあるのははるかに昔であり(20年前くらい・・)その頃は相手に「愛している」というような表現はした覚えがない。
でも人によってはしていたかもしれないが。
で、カナダ人の今の夫に「アイラブユー」などといわれると、「ふーん、やっぱ外人は愛しているっていうんだなぁ」なんて認識したりしてた。

そんな古い頭の私にはドラマでやたらと「愛してる」が出ると不思議な気分になる。ドラマで言っているってことは実生活でも交際する男女もしくは夫婦は「愛している」と言っているんだろう、きっと。
もしももしも私が今日本の人と結婚する、もしくは恋愛するということになっても、私はきっと「愛している」とは気恥ずかしくていえない気がする。
愛していないわけじゃなくて、それを口にするのが恥ずかしいといいますか。それに替わる「好き」とか「大好き」とかならいえると思うのですがね・・・

さて新聞の記事に戻って。
キリスト教で神は愛である・・・とは何故なのかに対しての明快な答えはないようである。
シェークスピアがロミオとジュリエットの中での科白にあらわしたのは、
私の想いは海のように果てしなく、私の愛は海のように深く、あなたに与えれば与えるほど、自分にも返ってくる。それは永遠なのだ。
愛とは精神的な力を自ら満たすためのものである。与えることで自分も愛を受け取ることができるということらしい。
やっぱり愛の世界はギブアンドテイクなんですね。与えられることばかり求めていては、なにも手にいれることはできないものらしい。
それにしても、この科白のようなことを思えるというのは幸せなことではないのでしょうか。

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男の子あれこれ

2011年12月24日 | 子ども・家族
友達と子どものことについていろいろ話していると、出てくる出てくる、男の子の話題。
なんで男の子はこうも話題が多いのか、と思うくらいいろいろ提供してくれる。
うちには女1人男1人だが、うちなんてこの女の子の方も個性的で話題がたっぷりあっていいのか悪いのかわかりゃしない。

さて男の子、私の周りにはタイプとして大きく分けて2つある。
どっちかっていうとぼやーんとしていて、要領はちょっと悪く、忘れ物とかぼけた行動が多いが、憎めない。
または要領は良くて周りの反応を見て取るべき行動を取っている賢いタイプ。
うちの息子は最初のタイプで、「バカか?!」って思うようなことをいろいろやらかすが、まぁ面白いともいえるときもある。

息子の犯す大罪(?)のひとつにおねしょがある。おねしょ自体はまぁ、仕方ないとしよう(もう8歳なんだけど!!!って憤慨はしつつも)おねしょといってもさすがにしょっちゅうはしない。ほんとにたまにだ。
ただ、おねしょ歴(というのはつまり夜のオムツが取れてからの)1回という娘に比べると断然多いが。
そのこと自体よりも私を憤慨させるのは、それを隠そうとすること。
大抵朝は着替えをちょっと手伝ってもらいたがるのだが、天使の笑顔で「自分でやるから~」などといわれてついだまされてそのままにしておくと、午後の遅い時間になってからやっと発見!なんておぞましいことになっている。
パジャマはご丁寧にもたたんでおいてあったりして余計に「あら、えらいわねぇ・・」と思わせる戦法。
それは濡れた部分を巧妙に隠すためであった。
それで、うっかりそのパジャマを無造作に取って濡れているところを触って「ぎゃーーー!!」と雄たけびを上げることに。
しかもおそろしいことに、「パンツがない、パンツはどこ??」
学校から帰った息子に「パンツはどこなの?!!」と聞くと、ニヤニヤと笑って、自分のお尻あたりをさす。ぎえーーー、おねしょしたパンツはいたまま学校いったわけ??
「いやー、もう乾いているし」って!!そういう問題ではない!

そのあとは当然雷がどかーーーんと落ちる。おねしょしたことよりもそれを隠して言わないでおくことのほうがよっぽど悪いのだ、と散々怒ってもまたやるのである。
これは雷ばかり落としてもダメか・・?と思い
今度は諭すように「おねしょは仕方ない。だけどそれを言わないでおいておかれるほうがずっと困るのだよ。怒らないから教えてね?」
「うん」
しかし、実際はやっぱりちょっと怒っちゃうんだけどね(←悪い母親の見本)

友達の息子は隠しておいた棒つきぺろぺろキャンディーをこっそりと持っていかれたとか。いっぺんにごっそり持っていったのですぐバレ。「ちょっとずつ持って行くとか知恵を働かせればいいのに」・・いや、それも困りますって。
このタイプはそのようなちょっとした悪いことをやってその方法が稚拙で絶対ばれるでしょ!っていうような間の抜けたことが多い。
あまり巧妙にやられるのも子どもにしてはイヤな感じもするし、こんなもんなんだろう。
自分の子ども時代を思い出しても、自分ではけっこうバレナイだろうと思ってやったことが親にはすぐにバレていて「どうして??お母さんは超能力者?」なんてバカなことを思ったもんだ。
大人になって考えると、子どもの作戦は浅はかで穴だらけで「そりゃー、ばれるよな」とやっと分かる。

思考が複雑でなんかよく分からない、ってのが女の子だが、男の子は単純で分かりやすい。
ものすごい狭いところに入ってみて「きつい・・くるしい・・」とか言っているから「なんでそんなところにはいっているの?!」と聞くと、
「なんかやってみたくて・・」というバカぶりも男ならでは。

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クリスマス前、モールに行く

2011年12月23日 | 生活
今日は22日。クリスマスまであと3日。日本ではイブである24日のほうが重要でありこの日に恋人いられるかどうかが焦点になるわけだが、こちらでは24日はあくまでもイブ。25日が本番である。

このあたりになると多くの店が営業時間を延長して、大手の店だと24時間開いているところもある。
そしてショッピングモールもおおにぎわい。
モールの駐車場は大抵かなり広いので、混んでいるときでも端っこのほうへ行けば問題なく駐車スペースを見つけられる。
が、この時期は別である。端っこのほうに行っても一杯・・・えー、ここまでいっぱいなの?!と絶望的な気分になる。
こんだけの車が止まっているってことは中にはどれだけ人がいるんだ?

たくさんいるんである。

とにかくクリスマス前のメールは大混雑。
人ごみが好きな人もいるが私は大嫌い。人ごみに入るだけで疲れるし不機嫌になる。だからなるべくクリスマス直前にはモールには行かないようにする。実際私のクリスマスショッピングはほぼ完了している。
なのに、今日やんごとなき理由で行かなくてはならなくなってしまった。

息子と一緒にバスで行くことになった。それというのも車はだんなに使われているため。もっともこういうときは車で行くよりバスで行くほうが気が楽かもしれない。当然道も混んでるしさ。

バスはもちろん空いている。バスでいく人なんざいません。もともと車社会のカナダでは(アメリカも同様)、車を持っていない貧乏な人がバスに乗るという傾向があるのでバスは空いているわけである。昨今はダウンタウンなど駐車状況などよくなかったり、環境問題などで通勤等にバスや電車を使う人も増えて「貧乏だから公共交通機関を使う」ということはなくなってはきているけどね。

買い物に行くのにはバスより車のほうが当然いいのは、荷物が大きくなったらバスだと持って帰るのが大変だから。
それでみんな車で行くわけです。

モールで用事が済んだらさっさと帰るため来た道を戻っていった。そしたら誰か見覚えのある男の子がこっちを見て何かいっているのが見えた。近づいたら、息子のサッカーで同じチームの子だった。おかあさんとお兄さんと一緒に買い物に来たようだ。
「あらー、こんなところで~」とか挨拶して
「買い物?」と聞くと
「そう最後の買い物よ~」とかいっていた。そして入った先が、女性のランジェリーショップ。
女性のランジェリーばかり売っている店(しつこいが男のものは売っていない)に男の子2人(9歳&8歳)つれて入るとはツワモノよのう・・・と思っていたら、
息子が「あの2人、あの店に入るの??」とびっくり仰天していた。
私なら息子を連れてあの店には入れない・・・けどね、というと「絶対僕は入らない!!ネバー!!」と英語で強調。
心配しなくてもこういう店自体に私が行かないからね。(下着は日本でまとめ買い)
まぁこの人がここに入るのは彼女でもできてプレゼントを一緒に買うときかもね。それだってティーンエイジャーの頃なら恥ずかしくてできないだろうから、大人になってからだろう。

子ども達はクリスマスを心待ちにしている。それもこれもギフトがもらえるから。いいねぇ、子どもは。
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クリスマスツリー

2011年12月22日 | 生活
クリスマスの飾りの代表格はクリスマスツリーだろう。
我が家にはそれほど大きくない安物の人工ツリーがある。これは何年か前に30ドルくらいで買った。安いものは枝振りがお粗末ですかすかした感じ。でもオーナメントやライトなんかを飾ればそのすかすかを多少埋めることができてそれなりに見えるようなものにはなる。

ずっと前にほんもののもみの木を買って飾ったことがあった。さすが本物は枝ぶりも立派で存在感もあるし、木の香りもあってクリスマス気分も高まるというもの。
アイケア(イケア)で本物の木を販売するのだが、これが結構安いので買ってみることにしたのだ。
本物の木は大変なんである。まず店から家に運ぶのに車の屋根にくくりつけている人も多いが、木は結構重いので乗せるのが大変。のせるのは手伝ってもらったとしても、家に帰ってほどいて下ろしてって作業はこれまた大変だろう。
うちが買った木は思った以上に大きくていえの中に入らない!で、だんなが外で幹の部分を少し切り落としてさらにてっぺんも少し木ってようやく中に入れた。
この作業だけですでに家の玄関からリビングルームまで葉がどっさり落ちて掃除が大変。←当然私の仕事、しくしく・・・・

ツリースタンドなるものに立てたり飾り付けをしたり、いやはや作業が大変すぎる。飾り付け終了後にはまわりがやっぱり落ちた葉だらけ。もうすでにイヤになってきた。

その後も葉が毎日たくさん落ちるので掃除をしたり(たまに葉以外のもの、虫とか落ちてきておののきっぱなし・・)乾燥しすぎると良くないというので、霧吹きで水をかけたり。
まぁ手間のかかること。
最後に、クリスマスが終わったら片付けるのだが、木だからそのままゴミ箱にドサンと入れるわけにはいかない。タウンハウスの場合、ツリーを決まった日に所定の場所に出しておくと市のゴミ集めの人が収集してくれるが、入れるのも大変だった木なので出すのももちろん大変。
重いんですよ・・それにもちろん落ちた葉で大変に汚れる。

1回やってみて本物の木にはこりごり。それからは人工ツリーにしている。

昔々、電気もなかった時代からクリスマスツリーは飾られていたとか。当然この頃は本物の木だろう。電気がないからライトは本当のろうそくを灯して飾ったという。当然、火事の危険がかなり高い。で、ツリーの側には水の入ったバケツを置いておいたのだという。というか、さいしょからろうそくなんか飾らなければいいのに、と思うのだが。
でもツリーにライトは欠かせないものらしい。
またキラキラした紙や鉛の飾りまで使われていたことがあったそうだ。髪はいいとしても、鉛は近年健康を害するものとされていてこれで作られたオーナメントなどありえない時代になった。
昔は鉛は全然OKだったわけで、多用されていたようだ。子供向けアクセサリーなんかも鉛使用が多くて、問題になって今はそういうものはなくなったもんね。

私はクリスマスの文化で育っていないため、ツリーに対する思い入れはほとんどない。小さいときに我が家にあったのはほんとに小さなおもちゃのようなツリーだった。それを飾るのは楽しかったけど、小学生くらいまで。あとは家の中にクリスマスの飾りというものは皆無に等しかった。
街や店にはクリスマスの飾りがなされていて、クリスマス気分にはなったけど、最近の日本はもっと飾りも多くなっているんだろうな。
私の記憶の中のクリスマスは一般家庭で外にライトアップしているところはなかった。やっているのは店とかくらい?

カナダに来て12年以上、その間冬には日本に帰っていないので今のクリスマスの様子は全く分からない。
話によると一般のお家でもきれいに飾り付けしているところが増えたとか。欧米化しているのですね・・

私はクリスマスがきても特にどう思うわけではない。忙しいなぁ、って感じるくらい。
息子はこっちで生まれて育ってきたせいかすでにクリスマスには特別な思い入れを感じ始めているようだ。クリスマスを連想させるような模様のついたシーツを出して広げていたら、「あー、クリスマスだねぇ。なんかキューッて、キューってなる」と分けの分からない発言をしてた。
でもいおうとしている感じはなんか分かる。クリスマスという言葉からのイメージはノスタルジックであり、美味しい食べ物やお菓子、プレゼント、家族が揃って暖かい雰囲気、きらきらしたクリスマスの飾り、などなど心が締め付けられるような、そして心から嬉しくなるような気持ちになるんだと思う。
8歳でもそういうのをすでに感じるんだ・・となんか不思議。私とは違った子ども生活を送り、違った文化圏を背負っていくんだなぁ、と改めて思った。
私は私自身の日本の文化圏を背負い、子どもが背負っていくであろう北米の文化圏を客観的ながら眺めることができるのは、ラッキーなのかもしれない。
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