冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して25年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

自ら死を選ぶということ

2012年02月10日 | 生活
日本は年間の自殺者数が30万人を越えるという。過去10年以上ずっと30万人以上、という統計となっている。
この数は、いわゆる先進国のなかでも一番多くて、私の見たネットの記事によればアメリカの2倍以上の数字となるらしい。
確かに、日本のニュースをネットで見ていると自殺者の報道が多いと私も思う。
ただこちらのニュースでは自殺のニュースそのものが報道されないことが結構あると思うので、もちろんこちらではそういうことがないと言うわけではないのだ。

自殺者が多いという日本の社会について論ずるつもりはまったくない。もう12年以上も離れていると、わからないことだらけだ。自分が住んでいた頃の日本とはいろいろ変わってきているだろう。

自ら死を選ぶ、そこまで追い詰められてしまった人の心の暗闇を想像すると暗澹たる気持ちになる。
特に、子どもの自殺のニュースがつらい。
12、3歳くらいの子どもが、もう死ぬしかない、と考えてしまう、その心のうちがどんなものなのか。そこまで追い詰めたのはどんなことなのか。
私がそれくらいの年だったとき、自分を取り巻く世界はのんびりしたものだった。もちろん子どもながらに嫌な事、辛いこと、悩みなどもちろんたくさん抱えていて「もう逃げ場がない」と思ったことだって何度もある。
辛くて「明日を生きていく自信がない」と思ったことがある人はたくさんいるだろう。
それでも、明日は来てなんとか生活していって、すこしずつ自分を取り巻く空気がちょっと軽くなって、そのうち楽しいこともあったりして、そんなことを繰り返して大人になってきたと思う。

死を選ぶことしか逃げ道がなかったのだろうか、と考えてしまう。また自分が子どもだったときのことを今思い返すと、子どもの頃の世界は狭かった。私なんか自分のまわり半径10キロ以内くらいしか行動範囲がなくて、それ以上の場所は私1人では行かず、親などの保護者または友人同士でたまに部活の試合で、とかという程度。中学生くらいまではそうだった。高校生になるとさすがにもう少し広がったが。

視野も狭かった。世界にはいろんな人がいて、いろんな国があって、いろんな生き方があって、とは聞かされていても自分の体験としてそれを実感を伴うことはなかった。
そして、思春期の頃はいろんなことで悩みがちだ。大人になって思い返すと何であんなことでクヨクヨしてたのかな、と思うことも当時は本当に真剣な問題で絶望感も深かった。

だから思春期の頃の子どもは不安定なんだろう、と今は分かる。
本人が意識する以上に危なっかしいところがある子もいる。

それでも、親の立場としてそして人間として、自ら死を選ぶことは「やめて!」と言いたい。
子どもが自殺をしてしまった親の気持ちというものは親の立場として想像がつく。自らの痛みと同様に感じる。
残された親や家族は深い深い喪失感の中に沈み込むだろう、そして「こんなに追い込まれていたことをわかってあげられなかったのだろうか」とか「思いとどまらせるためになにかしてあげられなかったのか」と自責の念に苛まれるだろう。
いつまでもいつまでも。

死んでしまえば楽になる、そう思って自殺を選んでしまう前に、家族の思いをもう一度考えてみて欲しい。やっぱりわが子はかけがえのない存在なのだ。居てくれる、それだけでいいんだ、ってそういう存在なんだ、って思う。
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