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おっくんの元気の源…四方山Dialy!

京都東山で冥界霊界巡り

2016-09-12 | ぶらぶら
とりわけ冥界、霊界、パワースポット等々興味があるわけじゃないし、
どっちかといえば幽霊怖い方なんで、出来れば近づきたくないと思っています。
しかし何故かこの夏はいろんなテレビ局が京都の冥界を特集していました。

       5月20日 NHK 「 歴史秘話ヒストリア 」~ 京都で旅する地獄と極楽 ~

       6月12日 BS日テレ 「 船越栄一郎 京都の極み 」~ 東山冥界散歩 ~

       8月17日 カンテレ 「 横山由依がはんなり巡る 京都いろどり日記 」
                        ~ 怖くて涼しい京都 六道の辻は冥界の入り口 ~

まあそう遠くない将来お世話になる世界なんで、ここは一つ予習がてらに巡ってみることにしました。



まずはその昔刑場があったとされる三条河原へ向かいます。
今ではのどかに等間隔に並ぶカップルで有名なデートスポットですが、歴史をたどれば、
平将門、石川五右衛門、千利休、豊臣秀次、石田三成、近藤勇等々・・・
枚挙に遑がないほど数々の血なまぐさい公開処刑が行われ晒し首になった場所です。
また応仁の乱の時には、死体置き場だったとか・・・

考えてみたら、お~~~怖っ (~_~;)!



ということで、これから体験する恐怖を吹き払おうと、弥次さん喜多さんと力水で乾杯です。
・・・ こんなんいらんやろ!? ・・・



次に訪ねたのは三条河原にほど近い木屋町の「 瑞泉寺 」

数ある処刑の中でも最も悲惨であったと思う、時の関白豊臣秀次の一族一統皆殺しの処刑。
ご存知の通り在らぬ謀反の疑惑をかけられた秀次自身は高野山で自刃するんですが、
何をするねん秀吉さん!?
自身の身内でもある秀次さんの側近側室またその幼い子たちまでもをことごとく粛清したという・・・

そして江戸の時代になって地元の富豪が菩提寺として建立したのがここ瑞泉寺です。



処刑の後、この地に秀次の首を入れた石櫃を上に乗せ、処刑された者たちの墓石が渦高く
積み上げられていたらしいが、鴨川の氾濫で流されてしまったとか。



その後石櫃の一部だけが発見され、それが墓石の一部にくみもまれています。(中央下の少し黒い石)



そして秀次の墓石を取り囲むように側室たちのお墓が建っています。
なんとも悲惨で思わず絶句してしまいます。



三条通を東に歩き、白川の畔まで来ました。
京都のドラマのロケの聖地だけあって京の雰囲気ムンムン漂います。 ( ムンムンは変やろ・・・ )



この日は休みでしたが、何の変哲もなさそうな和菓子屋さん 「 餅寅 」



この店の横の路地を入ったところに、明智光秀の首塚があります。



光秀は本能寺で信長を討ったのち、山崎の戦いで秀吉に敗れるんですが、
領国坂本へ逃げ帰る途中に落ち武者狩りに合い自害し、
”わが身は知恩院で灰にしてくれ ”と言い残したそうな。
そして家来たちが知恩院まで遺体を運ぶんですが、あと数百メートルというこの地で
追っ手に捕えられそうになり、しかたなく首を落として埋めたのがここだったとか・・・



その後、ここの餅寅さんが供養の首塚を建て、400年以上も守り続けているそうです。
敗者にも慈悲を施す京都人の気性がうかがえるいいお話です。
ちゃっかり光秀饅頭であやかる京都人の気性も・・・



光秀首塚からほんの500メートル程で知恩院の黒門前へやって来ました。



黒門前の広いT字交差点のど真ん中に策で囲まれた大きな石が頭だけ出して埋まっています。
一見な~んだと見逃してしまいそうですが、これがとんでもない伝説を持った石だとか。

「 瓜生石 」 (うりゅうせき)
一夜にして石の下から瓜が芽を出して花を咲かせ実をつけたとのこと。
そしてその実に文字が浮き出し・・・「 牛頭天王 」と・・・

そう、世の中に疫病をまき散らす強力な祟り神、牛頭天王が降臨した石!!
人々は祟りを恐れて八坂神社に祭神として祀り上げたんだそうです。



ですから京都の人は祇園祭の間は瓜の親類である胡瓜を食べないんだとか。
そして、祭りに軒先に下げる魔除け粽には ”蘇民将来子孫也 ”というお札がついいますが、
”我が家は牛頭天王に宿を貸したことがあるから子孫まで疫病を免ると約束されています ”
という意味なんだって d(-_^)v



この前、といっても一昨年、紅葉の夜間拝観に来た時には工事中だった三門がきれいになっていました。

ここから円山公園を抜けて、西に下り、建仁寺にほど近いところに・・・



京都最強の怨霊 「 崇徳天皇御廟 」

保元の乱に敗れた崇徳天皇は讃岐に流刑となり、その地で没することになるんです。
都に戻ることを願っていた天皇は ”日本国の大魔縁になる ”と宣言して亡くなったんだって。

北野天満宮、八坂神社しかり、ここもまた災いをもたらすものを崇めて守ってもらうという
御霊信仰による京都人の篤くもありうつろな気質の現れなんでしょうか?



東山通りに戻り八坂の塔付近ではまだ夏の風情が残っています (^o^)丿



そしていよいよ今回のハイライト! 冥土へ続く道 「 松原通り 」の六道の辻にやって来ました。
人間誰しも、死ねば閻魔様のお裁きにより ”天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道 ”の
六つの世界のどれかに行くといわれており、まさにここはその分かれ道なんです。



「 轆轤町 」 髑髏からくるおどろおどろしい町名までついています。



そしてその辻の角にどの番組でも取り上げられていたお店が・・・



「 幽霊 子育飴 」   その由来は・・・



出来ればじっくり読んでみて下さい。なかなか面白い表現をしています ( ^o^)



ひとつ所望 (^o^)丿



この通りを東に上がれば清水寺へと続くんですが、昔からこの通りは清水寺の南にあった
鳥野辺と呼ばれる葬送地へ死者の亡骸を運ぶ時に使われた道だそうです。
何処となく、賑わう他の通りに比べて鬱蒼とした雰囲気が漂っています。



そして最大のお目当て 「 六道珍皇寺 」 へ



冥土へ通じる井戸があるという不気味な謂れを持つお寺ですが、ごくごく普通の清楚な境内です。



まあこんなのをみると少しばかりは雰囲気を感じますが・・・



そして平安時代の貴族にしてエリート官僚の小野篁が夜ごと閻魔大王の補佐役として
冥土に通った井戸がこの先あるんですが、どうも普段は非公開のようです。



知らなんだ・・・("^ω^)・・・



こそっと飛び込んでみようと思ったのに・・・



これが小野篁の木像です。等身大ということで、大柄な人だったんですね。
その横には閻魔大王の木像も鎮座していましたが撮影禁止だったもので、
残念ですがお願いだけはしておきました。
“ これからはまじめに生きるので、どうか人間道以上へ送ってください m(__)m ”

六道珍皇寺・・・人々に今をどう生きるかを考えさせてくれるお寺なんでしょうね。


今日はいいもの見せてもらいました、教えてもらいました。少しは人生の教訓になったかな!?

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