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太閤秀吉、不遇の御廟を訪ねて ~その2~

2016-10-15 | ぶらぶら
都合により、ずいぶん間が空いてしまいましたが・・・m(__)m

秀吉ゆかりの豊国神社を後にして、いよいよ豊国廟へと向かいます。



東山通りから智積院と妙法院門跡の間を東へと真っすぐな坂を200m程上ると、
通りを遮るように神社があり、道がクランクになっています。



旧日吉神社です。
ここもまた家康が人々に秀吉のお墓へ行けなくするために、わざわざ智積院の南から移築させたそうな。
どこまで意地汚いねん (;´Д`)ハァ



豊国廟へと続く坂の両側には京都女子大学、京都女子高校・中学と
女子校が立ち並んでいて、い~い香りがしてきます。



女好きの太閤さんにとっては絶好のロケーションですね ♪(*^.^*)エヘッ



さて、東山通りから5~600m程上って豊国廟の麓に着きました。



家康によって取り壊され廃墟荒地となっていたのを明治31年に全国の浄財により造営再建されました。
今は麓の現豊国神社の飛び地となっていて、豊国神社が管理しているそうです。

ここで登拝料100円を納めて廟内へ入ります。



正面の石段の左奥には豊臣家最後の男子、国松の墓があります。
大坂夏の陣の後、捕えられて打ち首になる際に、わずか八歳ながら
家康の豊臣家への背信行為を糾弾し、怯える様子もなく堂々と散っていったとのこと・・・
さぞかし無念だったことでしょう。



さて、果てしなく続くような真っすぐな階段を登っていきましょう。



下りに数えたんですが、三百三十三段ありました。
しかし登っていく途中、不思議とそれほど疲れを感じないんです (^_^;)?



ふと足元の石段を見ると、1段ごとに幅が違うんです。この効果なのかとても歩きやすいです。
太閤さんの事と関係ないけど・・・



三百三十三段を一気に登り切ると、
阿弥陀ヶ峯の中腹に元々御廟、豊国神社があった平らな土地が開けます。
だが、修復前は墓石も見つからないほど荒れ果てていたそうです。



そして新たな墓石のある頂上へ続く最後の石段を登ります。



そう広くはない頂上にそれはそれは立派な五輪の石塔が厳然として建っています。



栄華を誇った豊臣家も、時代の流れとともに次の盛者に飲み込まれていった・・・
盛者必衰の痕跡を目の当たりにして、今の日本を築き上げてきた兵たちの生きざまがが忍ばれました。
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