おせっちゃんの今日

平凡な主婦の平凡な日々のあれこれ帳です。
自分への応援歌でもあります。

福寿草の群生

2017-03-21 15:03:44 | 雑記
昨日の「天声人語」から。

長野県松本市の四賀地区は信州屈指の福寿草の群生地だ。多くの人が見に訪れる。
「地面から宙が始まる福寿草 宮坂静生」。地面に顔を寄せてみると黄色の花ばかりではない。金色に近いものもある。陽光を吸い込んで体内で濃縮したかのような輝きを放つ。

「北向きの斜面で長く雪の下にあった株は茎が太く、濃い色の花が咲く。あまり早くに日を浴びて咲きだした株はひょろひょろです。花の色も濃くありません」と、福寿草祭りの主催者は話す。
幼いうちから甘やかして日の当たる場にばかり置くと、たくましくは育たない。人にも通じる教えだろう。

これを読んでいて、突然子供から学生時代まで携わった農業の作業を思い浮かべました。「麦踏」という作業です。当時食糧不足でした。今のように減反政策で米作りを制限するなんてとんでもない。冬場の裏作には、麦を作っていました。その育成の過程の作業の一つが、麦踏でした。

周防のお殿様、毛利様が遠浅の瀬戸内海を干拓して、田んぼを広げていました。戦後の農地改革で、我が家に残った田圃は、4反でしたが、子どもも手伝わなければできないほどの作業でした。今のような耕作機械などありませんでした。

麦踏は寒い寒い冬の作業です。畝に一列に生えてきた麦を踏むのです。横歩きで、歩幅は広げず、ず~っと踏んでいくのです。こうして負荷を与えると麦の株分れが促進されて出来がよくなるのです。単純作業です。子どもも一人前に手伝える作業でした。

ある時母が言いました。「男の子は話し相手にならんねえ。話しかけても生返事で会話にならんねえ」と。何故だか、この言葉は忘れられません。
思えば兄たちは中学校から高校大学と成長してきていました。成績はいい、理系の兄たちでした。農作業をしているよりは勉強がしたかったのだと思います。きっと、単純作業をしながら、頭の中では代数や幾何の問題を解いていたのだと思います。
親離れしていく兄たちは母には寂しかったのかもしれません。

それに反して幼い私やらい太は,幼稚ではあってもおしゃべりに興じながらの作業だったのでしょうか。

国語の文を暗唱したり、九九も田圃で覚えたような気がします。案外幸せな教育環境だったのかもしれません。
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2 コメント

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いつもの場所に (チーママ)
2017-03-22 04:14:40
フクジュソウを見るのは、2月に毎年同じところ・・・
やっぱチョイ日かげのとこで、黄色にチョイ金色とかオレンジがかかった色のような
子どもで麦踏の経験してたのねぇ
やっぱ昔から男は無口?
おせっちゃん達のにぎやかな畑のおしゃべり、
今じゃ懐かしい雰囲気が残っているだろうね~
チーママ様 (おせっちゃん)
2017-03-22 15:05:50
今は、麦など作っていないと思います。
食料自給率が低いのに、田んぼは遊ばせているのですよね。
麦踏、不思議と寒さは覚えていないのです。
防寒着もなかった時代でしたが。
綿入れ半天だったかな。

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