アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

アンティークマン66歳に!

2014年03月17日 | Weblog
 本日は私の誕生日。名実共に66歳でーす!名実ともにはどーゆー意味か?名目上も、実際もということで…。何を言っていることやら。それにしても、よく生きているものです。有難いです。また、桜を観ることができそう。

 私が幼少の頃は、「数えでいくつ」「満いくつ」と、年齢の数え方に二通りありました。それで、名目上も、実際もと書いたわけ。
 「数え年」と「満年齢」には、ちがいが出る期間があります。子供の頃は、なかなかややこしかったものです。
 昨今、「数え年」という言葉自体が消えかかっております。

 で、本日は私の誕生日で、満66歳となりました。数えでは、元旦に66歳になっている。
 生まれた時がすでに、1歳。新年を迎えると、2歳。つまり、12月生まれの人は、1か月経たないうちに2歳となる。羨ましくはありませんがね。

 人の年齢を生まれた時からとするのではなく、母親の胎内にいたころまでさかのぼり、胎児の期間の「十月十日」も含めているのが数え年。
 これって尊いんじゃないでしょうか?と、いうか厳密に言うと、こちらの方が正しい?
 「胎児は人間じゃない」って?私は、胎児は人間だと思いますが。

 えっえーっ?「胎児、幼児、成体…は、生命体の成長期間の違いを示す区分。人間、犬、猫…種類の違いを示す区分。よって、胎児は人間か否かは土俵が違う。卵は鶏か否かを議論するようなモノ…」だって? 「基本的人権」の場合、「生まれながらにして…」だから生まれる前は人権がない?よって胎児は人間ではない…。
 
 話をそのように難しくするつもりはなかったのにぃ。「人間の胎児は人間だろう」と、単純に考えたのです。犬、猫さらには鶏まで持ち出されるとは思いませんでしたよ。基本的人権までも!
 …人間かどうかの審判は、神の領域も入ってくるらしいので凍結しておきましょう。ともあれ、「数え年」という考え方には、「命への愛おしさ」が、感じられます。