アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

柿を食っていたら…どの寺の鐘がなった?

2017年04月20日 | Weblog
 法隆寺では、ちょうど正午に居合わせたので、「鐘」を聴くことができました。で、鐘と次の鐘との間が長い!観光客にとっては、長い時間鐘を楽しめるのでうれしい事ですね。

 「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」
 正岡子規の句。知らない?国語の時間、寝てたんじゃないの?国語の教科書にも必ず採用されていますから、日本人であれば赤ちゃん以外知らない人はいない。
 この句の意味は、「奈良を旅し、好物の柿を食っていると、法隆寺の鐘が聞こえてきた」ということ。
 …だからなんなんだって?「法隆寺を、興福寺に替えても、法起寺に替えても、いいんじゃないか?そういう俳句を、『カートリッジ俳句』というんだ!」って? はいはい、「カートリッジ俳句」は、元々は私が言い出したもの。
 で、私は、正岡子規ともあろう人が、カートリッジ俳句を詠むはずがない。きっと、「法隆寺」でなければならない何かがあるはずだ。と、考えておりました。この度は桜が満開。柿は…ないけれど…。
 
 子規は、松山市で夏目漱石と50日ほど一緒に暮らしました。漱石は俳人でもありますが、師匠は子規。この松山暮らし50日に、高浜虚子(どこの子だって?有名な俳人ですよ!男です)も参入していたそうですから、凄い顔ぶれですね。
 おっと、子規に柿を食べさせなきゃ。子規は、松山をあとにして東京へ帰る途中に憧れの奈良へ立ち寄った。奈良を訪れることは年来の念願だったってんだから…その気持ち良く分かります。私と同じ気持ちだったんですね。
 子規の随筆に、「くだもの」というのがあります。その中で、子規は東大寺の近くの宿で柿を食べているんです。さてさて、法隆寺ではないのかぁ…。
 「くだもの」で、柿を食べる子規に、東大寺の鐘が聞こえています。なお、法隆寺は斑鳩町、東大寺は奈良公園の近く。…直線で20km以上離れています。お互いの「鐘」は聞こえない。
 なぜ、「柿食えば鐘がなるなり東大寺」にしなかったのか?私は、「くだもの」に載っている文章から、東大寺を法隆寺にした理由が分かったような気がしています。
 本当は、「柿食えば鐘がなるなり東大寺」にしたかったのでしょうが、そうしてしまうと、「誰に柿をむいてもらったのか?」が分かられてしまう。
 「くだもの」に、東大寺の近くの宿で柿をむいてくれた女の子の事が詳しく書かれています。
 「年齢は16~17歳で、肌の色は雪のように白くて、目鼻立ちまで申分のない美人」と。子規は、この娘が気になってしょうがない。しかし、そんな自分の気持ちを他人に悟られたくない。まして、この娘さんに悟られたくない。そのため、「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」と、しなければならなかった。
 なぬ?東大寺以外なら、どこの寺でも良かったんじゃないか?なぜ法隆寺なんだって?それは、東大寺に匹敵する、「格式、規模」の寺でなければならなかったからでしょう。あと、東大寺からできるだけ離れた所の寺にしたかった。
 法隆寺の隣の中宮寺では役不足だった。中宮寺に失礼だって?「柿食えば」の話であって、中宮寺を軽く見ているわけではありません。何しろ、聖徳太子の御母様と深い関係があるお寺ですから。中宮寺の名物は、「山吹」。私どもは非常に幸運に見舞われ、満開の山吹を見る事が出来ました。
 ロダンの彫刻に、「考える人」がありますが、中宮寺のご本尊は、「考える姿の仏像」なんです。お顔も美しい。それまで、仏像の顔など気にもならなかったのですが、古稀近くなりますと気になるのです。「仏像の顔」がわかるようになるんです。齢を重ねることのよさの一つでしょうか。

慈光院…寺なのですが、寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られている。もちろん、慈光院では、「お茶と御菓子」をいただきました。美味かったですよ!何しろ、300年続いた味ですから。
 慈光院を建立したのは、片桐石見守貞昌。号は、「石州」。片桐石州のほうが通りが良い。片桐石州は、な、な、なんと、「徳川四代将軍家綱の茶湯指南」でした。そのような話を住職から聴いたもので、いただいた「お茶」が超美味だったわけです。水戸光圀公(黄門様)も、石州に茶の湯を学んだという。ポジティブに考えると、「水戸の御老公が飲んだお茶と同じお茶を飲んだ」…無理がありますね。
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