土俵に登ったら
誰にも負けない。
第十章 われ、日本の柱とならん! ・5・
自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」
<67>
--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
第十章 我、日本の柱とならん!
5・土俵に登ったら誰にも負けない
私は過去10年余に亘り、中央の政財界の多くの方々とも何かにつけて折衝を持つことが屡でした。
それだけに世の中の仕組や、権力の威力を直接肌で感じて来た経緯があります。
従って、もし自分が代議士として議席を握ったらどれ位の事をやれるかは充分過ぎるほど認識できる立場にありました。
その視点から見ると今の政治家は余りにもサラり-マン化し、かって一国の大名然とした風格や信念を貫くために命をかけるといった気迫が全く欠落した存在に堕してしまったかに見受けられます。
人間の味わいと魅力の片鱗も失せ自己保身の既得権死守のみに汲々としてる卑怯者同士が群れあっているとしか表現のしようがないほどに質の劣化に加え小粒化してます。
之が正しい競争原理を封殺した異常格差の小選挙区制が招来した弊害の実態です。
さながら物や金や世間体のみに振り回される衆愚政治の代表選手であることを如実に物語っているわけで、実に情けない話です。残念なことです。
こんな輩の、存在はもとより、莫大な議員歳費や政党助成金という名目で国民の血税をいつまで支給し続けるのか、おめでたい、お粗末な日本の有り様が問いただされなければならない局面にあります。
道理からみても至極当然のことではありますが、今日の日本の経済繁栄の裏には数々の歴史があり気骨のある政治家の果たした役割の大なることは枚挙に暇がありません。
然し今の永田町の既成議員は旧来とは様変わりし、廃頽堕落の極みにあり、日和見官僚臭が漂う真っ向勝負を回避、リスクを負わない勇気と信念を喪失した卑怯者集団に他なりません。
之はとりもなおさず選挙民と候補者の悪しき馴れ合いの蓄積の結果であり、このようなシステムが継続する限り政治の活性は望むべくもなく、国民不在の人災政治が依然として続くことになる訳です。
旧い話になって恐縮ですが、変革期に突入したにも拘らず、平成5年6月の解散、7月の総選挙はとても国民の信を問うなどとはほど遠い状況下にありました。
種種悩んだ末、
出馬するに値しないとの決断をしました。
そして下記の声明文の如く出馬断念の記者会見を県庁で行い、おもな支援者に下記文書を送付しました。
出馬断念と次回への決意
「諸般の事情」と「次回に満を持すことに勝算あり」との同志の意見に基づきこの度の衆院選挙の出馬断念の已む無きに至りました。
真の変革は本質的な問題にメスを入れることのない今のような政局一連の動きからは決して実現できるものではありません。
選挙と政治に対する根本的問題を何よりも優先して早急に論議の俎上にあげなければ惰性と腐敗の政治は未来永劫にその根を絶つことはできません。
私は、このことを軸に訴え注目の新潟3区が全国に先駆けて目覚めるための戦いを実践せんと真剣に考えておりました。
半面、混迷の政局の現状から今後数年間はいつ解散があるか判らない不測の事態が間断なく起きることは必死であります。
従って、今回は出馬を見送るものの早くも近く予想される次回のチャンスに万全を備え全てを賭け、皆様の長年のご支援にお応えすることを茲にお約束し出馬断念の弁と次回への新たな決意とさせていただきます。
以上
平成五年六月三十日
西川 おさむ
予期した如く上記の選挙は史上最低の投票率を記録。
表層的義務感を抱く軽薄な選挙民と利害の絆で動く有権者と、事の本質を報道しないマスコミが一体となった狂騒劇のなにものでもない結果を将来したものでした。
政党離れの現状を踏まえ、政治上のこ弊害拡大の元凶、政党交付金の即時を廃止するなど之の解決が先ず為される必要が迫ってきているやに感じます。
国家国民のために無一物であっても命を賭けて真っ向勝負に向けて戦う勇気なきパホ-マンスやテクニック用いて議席にしがみつく政治屋が横行してます。
既存の政党に留まらず、保身のために新党をつくり連立を組み交付金を 確保するためにまともな政策のないまま野合する卑しき姿を冷厳に見る目を私たちは失ってはなりません。
永田町の廃頽堕落の現状一掃を担うだけの真の政治家が登場するには余りにも現在の政治を取り巻く全てがお粗末で情けないと言う他ないくらい多くの障碍が立ちはだかっております。
もっと本質的問題にメスを入れることを優先することの重大さに立脚して今後の対応をしなければ取り返しのつかない出鱈目政治が今以上に日本にはびこることは明らかです。
私が当時、「次回のチャンスに万全を備え・・・」としたのも、真の見識層の奮起と開拓に賭けていたからであります。
そして必ず、惰性と衆愚体性を刷新し、変革の旋風を喚起せんとの燃え滾る熱い思いがあってのことでした。
世界恐慌が予知されるにも拘らず、依然として国民不在の政治により老後の不安が高まり全国民が萎縮の状況下にあります。
この時こそ、ぬるま湯や惰性に取って代わる真の力を発揮できる強力政治家誕生が希求されて参りました。
将にしかるべきとき、
到来の時が、
今です。
国民も
惰性と
ぬるま湯政治刷新に向けて
真剣勝負を挑み、
厳しい対応をする時なのです。
平成24年7月31日
西川攻(さいかわおさむ)でした。