2012年7・8月号(通巻477号):V時評

参加で課題を解決する-「中間支援組織」の役割

編集委員 早瀬 昇

■元気がない「中間支援組織」!?
 「NPO法ができて、どんどんNPOが生まれたけれど、中間支援組織は少し元気がなくなりましたよね」
 6月16、17日に栃木県・日光で開かれた「全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」(通称「民ボラ」)で、とちぎボランティアネットワークの矢野正広事務局長から、こんな発言があった。
 「民ボラ」は1983年、社会福祉協議会(社協)とは別に、独自にボランティア活動の推進に取り組む民間団体が集い、運営面での課題共有や合同でのスタッフ研修を目的に始まった。しかし今は、社協も含め「民間性」を意識しつつボランティアやNPOなどの市民活動推進に取り組む民間団体、いわゆる「中間支援組織」の合宿研修として開催されている。その「民ボラ」で矢野さんが指摘した「元気のない中間支援組織」とは、どういうことだろうか?。 

■NPO支える〝黒子〟の役割
 「中間支援組織」とは1990年代後半から普及した言葉だ。米国のIntermediary Organization を紹介した田中弥生氏(大学評価・学位授与機構 准教授)の論文(※1)が注目されたことから、広く知られるようになった。
 田中氏は、米国で社会課題解決のため膨大な数のNPOが活発に活動を進める背景に、中間支援組織の存在があることに注目。特にNPOと応援者の間に立ち、ボランティアや寄付、助成金、経営ノウハウなどの資源をつなぐ「仲介機能」に注目し、その役割を分析した。
 もっとも、田中氏の紹介以前から日本にも多様な中間支援組織が活動してきた。当協会をはじめ「民ボラ」に集うような各地のボランティアセンターや市民活動支援センターがそうだし、共同募金会、助成財団、さらにNPOの融資に取り組む労働金庫なども、その一角をなしている。その活動は多様で、米国の定義でも、仲介機能だけでなく、奨励・促進、連携作り、団体の運営指導に関わる機能などもあげられている(※2)。要は黒子的立場で支援者の思いを形にし、NPOを支える役割を果たす組織ということになる。
 NPO法の成立前後は、こうした「中間支援」の必要性に注目が集まり、全国各地で続々と「NPO支援センター」や「市民活動センター」が設立された。それが、今、〝元気がない(ように見える)〟のはなぜだろうか。

■「仲介機能」のジレンマ ― 現場との距離
 中間支援組織の主たる役割である「仲介機能」は、行政や企業と異なる、市民活動特有の課題に応える意味がある。
 行政の事業は議会などを介した全体の合意に基づいて進められる。そこで行政の事業経費は税金などの形で保障されている。一方、企業はギブ・アンド・テイク。活動の提供する量や質に応じて対価を得ることができる。
 しかし市民活動、中でも制度の枠組みを超えた活動では、保障された財源がない場合が多い。またボランティア活動はもちろん、有償活動を進める団体も、十分な対価を得られなくても果敢に活動を進めることは少なくない。この場合、「自腹」での努力となるが、資産家でもない限り、そこにはおのずと限界がある。そこで、ボランティアや寄付、助成金など外部からのサポートを得ることが必要になる。中間支援組織の仲介機能が意味をもつのは、こんな時だ。
 ただし、この仲介役を担う中間支援組織は、一種のジレンマに陥ってしまう場合がある。
 というのも、NPOと支援者をつなぐ活動を広く進めようとすると、中間支援組織には一定の「中立性」が求められる。特定の活動分野に肩入れすると、他の活動分野で取り組むNPOや、他の活動分野に関心がある支援者の期待に応えられないからだ。さまざまな課題に取り組むNPOを広く応援することによってこそ、幅広い支援者の思いに応えることができる。しかしこれは、特定の課題に深くコミットしにくくなることでもある。 
 それに支援者とNPOを仲介する立場では、具体的な課題はNPOの向こう側にあり、個々の課題との間に距離をもちつつ、間接的に支援することになる。このため、現場の熱い思い― 怒りや悲しみや希望や踏ん張り ― を感じにくいまま、「つなぎ役」に陥ってしまうことにもなる。直接的なやりがいや成果を感じにくく、次第にぼやけた存在になってしまうというジレンマが存在する。

■市民と課題の〝中間〟に
 中間支援組織は、市民や企業が市民活動とつながり、NPOの孤軍奮闘を防ぐ役割を果たす存在だ。ただし、ここで「中間」という場合の位置を、より広くとらえていくことが大切だと思う。この点を考える上で、米国と日本の状況の違いを踏まえることも必要だ。
 米国の場合、建国以前から始まるNPOの厚みがある。NPOの専門性も高いから、中間支援組織は個々の課題に深入りするよりも、仲介役として黒子的にNPOと支援者をサポートすることに力を注げば良い。
 しかし日本では、市民活動の成長はあるものの、未だ米国ほどの分厚さはない。課題はあるのに、その課題に取り組むNPOがなかったり、NPOの体力がついていない場合もある。このような場合、中間支援組織は、その状況を座視せず、課題と市民や企業などとの間に立って、課題解決に向けた参加を促していくことが必要だ。当事者や課題自体と、市民との「中間」に立つ。つまり「参加による課題解決」を推進する役割を担うということになる。
 中間支援組織が課題に直接向き合う場合、自ずとその課題は解決の糸口が見えにくい難しいテーマとなることが多くなる。そこで、面倒な相談にも丁寧に対応する、気になりながらすぐに解決策が思い浮かばない課題も自らの課題として受け止め続ける、などの姿勢が大切になる。「それは無理!」と撥ね返したり、「うちの仕事じゃない」などと逃げないことが、第一歩だ。
 そして市民参加を促すには、新たに市民が参加できるプログラムを生み出す「プログラム開発力」も重要だ。当協会が取り組む「ボランティアスタイル」―「3時間でできるボランティア活動」を作り、企業人などの活動参加のハードルを下げる事業 ― も、そうした工夫の一つだ。
 課題と直接向き合うことは、辛さ、しんどさを共有する一方で、解決に向けたエネルギーを分かち合える場であり、課題解決に関わる参加者自身も元気になれる機会ともなる。日本ボランティアコーディネーター協会は「参加の力を信じよう」をスローガンに掲げているが、これはすべての中間支援組織が大切にしたい価値観だと思う。

※ 1:慶應義塾大学大学院の修士論文『非営利組織と資源提供者間の仲介機関≪事例と理論的考察≫-非営利セクターの「インターメディアリ」の機能と役割-』
※ 2:米国中小企業庁(Small Business Administration)の定義
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2012年7・8月号(通巻477号):共感シネマ館


『生きることを考え続ける人たち』

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2012年7・8月号(通巻477号):特集

《特集》裁判員制度と市民参参加



■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

もともと低調な裁判員制度の見直し論議の中でも、「市民が参加する意義とは?」という根源的な議論は、報道等でもほとんど見受けられない。欧米では「陪審制度は民主主義の学校」と言われるが、その理念が我が国の市民社会に真に根付くには、まだまだ工夫と努力が必要である。「脱お客さま」、市民が主権者として、司法を・社会を、みんなで考え作ってゆくにはどうあるべきか。ボラ協・Voloならではのそんな切り口で、特集に関わったメンバーは議論を重ねてきた。“人が人を裁く”ことの限界や、“罪と罰”を社会でどう位置付けるか等、どこまでいっても絶対的な正解はない司法という奥深いテーマについて、主権者である私たちは、「判決がおかしい」「制度が悪い」ではなく、自らが試行錯誤し悩み続けた上で、何らかの答えを出さなくてはいけない。裁判所よりも制度よりも、問われているのは、私たち市民の側なのである。 (だい)
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