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2009年10月号(通巻449号):目次

《V時評》
ボランタリズム研究所が目指すもの
 ・・・早瀬昇

《特集》
「ベーシック・インカムがやってくる!」
 1)入門!ベーシック・インカムって何なんですか?
  ・・・お話し:山森亮(同志社大学)、まとめ:久保友美
 2)ベーシック・インカムの財源って?
  ・・・監修:小沢修司(京都府立大学)、マンガ:ラッキー植松
 3)【寄稿】なぜベーシック・インカムは実際的な政策なのか
  ・・・関曠野(思想史家、評論家)
 4)ベーシックインカム・実現を探る会  ・・・山中大輔
 5)ベーシックインカム要求者組合 ・・・吐山継彦

《語り下ろし市民活動》
介護はプロに、家族は愛を。×住み慣れた地域で暮らしていくために(3)
石川治江さん(NPO法人 ケア・センターやわらぎ 代表理事
         社会福祉法人 にんじんの会 理事長)
 ・・・早瀬昇

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
「ソープディッシュ」(!-style)
 ・・・石田信隆

《ゆき@》
伊丹・尼崎・西宮だれもが暮らせるまちです(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
大石芳野さん(フォト・ジャーナリスト)
 ・・・千葉有紀子

《ファンドレイジングが社会を変える》
ファンドレイジングのシナジー(相乗)効果
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《コーディネートの現場から・現場は語る》
多文化共生社会・国際関係のボランティアコーディネーションの日常
 大阪ボランティア協会に寄せられた相談から
 ・・・奈良雅美(大阪ボランティア協会、ボランティアコーディネーター) 

《トピックス・ホームレス支援(芸術とスポーツ)》
オペラを演じる路上の賢者たち
 ストリートワイズ・オペラ ・・・川井田祥子
×
諦めきれないゴールを目指せ
 ホームレス・ワールドカップ ・・・吐山継彦

《わたしのライブラリー》
ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』
 ・・・吐山継彦

《どーなる?どーする!裁判員制度》
眠れる宝を揺り起こせ
 裁判員時代の新たな国民審査の役割
 ・・・大門秀幸

《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
市民活動家に求められるマインドとは
 ・・・永井美佳(大阪ボランティア協会)

《おしゃべりアゴラ》
チャイ工房(大阪市大正区)
 ・・・西岡篤史

《共感シネマ館》
『風のかたち』(2009年、監督:伊勢真一)

《リレーエッセイ 昼の月》
盛者必衰

《某覧提案》
 ・・・浅石ようじ
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2009年10月号(通巻449号):V時評

ボランタリズム研究所が目指すもの


編集委員 早瀬昇

■「学者・先生」お断り

 「原稿のすべては、現実に闘争を担っている方々のものであり、『ルポライター』『評論家』『学者・先生』はお断りします。」
 これは70年に創刊され、全国各地の市民運動の実践を紹介し続けてきた雑誌『月刊地域闘争』の巻末に掲載された編集方針の一節だ。同誌は92年に月刊『むすぶ~自治・ひと・くらし』に誌名変更し、編集方針の表現も「原稿のすべては、現実に運動を担っている方々のものです。一人一人の主体性のもとに日常性に立脚した文章をお願いします」と少しタッチは変わったが、今も運動に直接関わっていない研究者などの寄稿はない。
 この『月刊地域闘争』の編集姿勢に象徴されるように、市民活動の推進にあたって、時に「学者・先生」、つまりは研究者の関与がネガティブにとらえられる場合がある。「研究」という作業には、客観的に事態を見ていく視点が不可欠だ。複雑な現実の中に隠れる体系や法則性を見出そうとするには、活動・運動の現場で起こっている事象だけにとらわれず、周囲の状況や歴史的背景にも視点を広げ、他の実践例との比較なども必要になる。そこで、活動・運動の現場から一歩離れ、事態を「観察」する立場をとることもある。
 しかし、このような姿勢が、時に実践の苦労に寄り添わない高みの見物的評論と受け止められ、鋭い批判が寄せられることにもなる。

■実践と研究の連携を目指して

 当協会の岡本榮一前理事長を所長に迎え、来る10月17日に大阪ボランティア協会の新しい部門として「ボランタリズム研究所」が発足する。当日は創設記念フォーラムが大阪NPOプラザで開催される。
 「ボランタリズム」という耳慣れない言葉を冠する研究所だが、この「ボランタリズム」にあたる英語は2つある。voluntarism は組織維持のために自発的活動を信頼する姿勢を示す言葉で、哲学
用語では人間のもつ理性や知識よりも意思の優位を強調する立場を示す「主意主義」の意味になる。
 一方、ism の前に“y ”が加わるvoluntaryism という言葉もある。こちらはイギリスで非国教会の自由教会(FreeChurch)が教会の国家からの独立、つまり教義や教会運営に対する国家の干渉を排除すると同時に、税金による教会財政への援助も拒否する思想を表現するものとして生みだされた用語で、信仰や思想、またその組織の国家(権力)からの独立を象徴する言葉だ。
 この二つの意味を持つ「ボランタリズム」を名称に掲げ、研究所は市民の自由な意欲を高め、市民団体の独立を守るための研究活動を進めようと計画された。
 筆者もその創設に参加してきたが、この「研究所」の運営でまず重視するべきなのは、冒頭にあげた事例の逆、つまり実践家が励まされる研究活動の展開だ。
 研究所は、協会伝統の“やりたい人が中心になって運営する”「推進チーム制」で個々の研究プロジェクトを動かすことになるが、この推進チームに実践家と研究者が集い、実践の中で障害となっている課題に正面から向き合った研究を進めなければならない。
 先日、開かれた準備会でも、当面の研究テーマの一つとして「大規模イベント時のボランティアコーディネーションのあり方」が候補に挙がった。これは来年11月、大阪で開かれる知的発達障害者のスポーツ大会「スペシャルオリンピックス」へのボランティアの組織化を協会が担うことから取り上げられたテーマだ。短期間にきわめて多数のボランティアが参加する大規模イベントでは、丁寧なボランティアコーディネーションができず、参加するボランティアに消耗感をいだかせてしまう場合もある。そうした事態を起こさないため、過去の事例を検証するなど研究を進めようというものだ。
 こうした実践的研究だけでなく、市民活動の原理や歴史、政策に関わる研究にも取り組もうと考えている。

■課題の資金確保で新たな挑戦

 もっとも、この志を実現する上での課題も少なくない。中でも一番の課題は、やはり研究活動のための資金確保だ。商品開発のための研究などと異なり、市民活動に関わる研究で経済的な価値を生み出すことは難しく、投資的な形で資金を集めるわけにはいかない。当協会発行の研究誌『ボランティア活動研究』の復刊も計画されているが、この種の書籍の売り上げは、そう多くはない。
 岡本所長は、このたび第一生命保険が実施する「保健文化賞」を受賞したが、その副賞100万円を全額、研究所開設のために寄付。また研究プロジェクトの一つ「日本におけるボランティア・NPOの活動歴史年表作成事業」に対して、三菱財団から100万円の助成を得ることができた。このような寄付や助成金を積極的に得て、市民が支える研究所となることを目指したいが、それだけで研究資金のすべてを確保することはなかなか難しい。
 そこで新たに挑戦しようと準備を進めているのが、文部科学省が日本学術振興会を通じて支出する科学研究費補助金(科研費)の指定研究機関になることだ。この補助金の支出対象は、以前は大学に所属する研究者に限られていたが、数年前に規定が改正され、企業やNPO法人、社会福祉法人などの研究機関も、要件を満たせば補助対象になれるようになった。そこで、既に何十冊も書籍を発行し、数多くの研究活動を進めてきた当協会も、その実績を整理し、ボランタリズム研究所も指定研究機関の一つとなれるよう申請を準備している。
 日本の科学研究を広く支えてきた科研費が得られれば、研究所の活動を大きく飛躍できる可能性が高まる。

■経験主義を超えて論理を磨く

 今回の研究所開設は、99年に協会の将来構想検討委員会が答申をまとめた際にも情報・研究機能の充実として構想されていたが、当面の課題への対応に追われ、実現できずにいた。研究活動はすぐに効果が生まれるものばかりではなく、ついつい後回しになってきたのだ。
 しかし、冒頭で実践をふまえることの重要さを指摘したが、一方で実践の蓄積だけでは「経験主義」にとらわれてしまいがち。それに、権力はもとより資金力も弱い市民活動が社会の改革を進める際に、説得的な提案力、つまり論理や合理性を磨くことは必須の要件だ。
 皆さんの実践に関わる研究テーマを、是非、研究所にご提案いただきたい。「市民の論理」を、共に磨く場として研究所を発展させたいと思う。
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2009年10月号(通巻449号):特集

《特集》ベーシック・インカムがやってくる!



 1)入門!ベーシック・インカムって何なんですか?
  ・・・お話し:山森亮(同志社大学)、まとめ:久保友美
 2)ベーシック・インカムの財源って?
  ・・・監修:小沢修司(京都府立大学)、マンガ:ラッキー植松
 3)【寄稿】なぜベーシック・インカムは実際的な政策なのか
  ・・・関曠野(思想史家、評論家)
 4)ベーシックインカム・実現を探る会  ・・・山中大輔
 5)ベーシックインカム要求者組合 ・・・吐山継彦


■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

BI(=ベーシック・インカム)は夢物語でなく、さまざまな実現可能性を秘めていることが分かった。その可能性を形にしていくのは市民のリアルな声。自分はBI をどうとらえるのか。この特集での出会いをきっかけに、じっくり考えていきたいな、と思う。(く)

 BIと言えば、「馬場(B)・猪木(I)タッグ」です!……が、それはさておき。うぉろ君のように自分の欲を基準に考え過ぎてると世の中まとまりませんよねぇ。みつをさんも言いました「うばい合えば足らぬ、わけ合えば余る」。余るかどうか分かりませんが、気持ちはちょっと豊かになると思いますね。1・2・3・ダーー!! (ラ)

 今回は久しぶりの取材でしたが、毎度の事ながらまたしても目から鱗。取材を終えて、BIの奥の深さと今後の可能性にわくわくしています。さらに、白崎さんの博学ぶりには脱帽しました。ベーシックインカムの話から、地域通貨の話、経済論、哲学まで発展するとは取材中は頭の中がフル回転でした。その白崎さんがさらに絶賛する関先生は想像がつかないです汗。そんな博学な大人を目指して頑張ろうと思う今日この頃です。(山)

 9月に反オバマ政権の百万人規模の大デモがワシントンであった。要求は、「景気をもっと良くしろ!」。日本でも鳩山新政権への期待を街頭で訊ねると、多数が同様の答え。でも、日米等で真の景気回復がBI抜きで間もなく起こるとは考え難い。今号の特集に関わって、そういう確信めいたものがぼくの中で育ちつつあるようだ。(吐)
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2009年10月号(通巻449号):この人に

戦争は終わっても、苦しみは終わらない。
戦争は永遠に終わることはないのです。

大石芳野さん(フォト・ジャーナリスト)

●プロフィール●
日本大学藝術学部写真学科卒業後、ドキュメンタリー写真に携わる。戦争や内乱を経験した人々のその後の姿を、記録し続けている。世界平和アピール七人委員会委員。『無告の民』(岩波書店、1981)で、日本写真協会年度賞を、『ベトナム 凛と』(講談社、2000)で、第20回土門拳賞を受賞。写真集・著書に『〈不発弾〉と生きる―祈りを織るラオス』(藤原書店、2008)、『魂との出会い―写真家と社会学者の対話』(藤原書店、2007)、『コソボ絶望の淵から明日へ』(岩波書店、2004)ほか多数。

■戦争はどうやって起こる
 私の仕事は、現場に行って、その現場をカメラで切り取り、同時に言葉を聞いて、できるだけ真実を知り、それをちゃんと伝えることです。よく、写真は一瞬だからいいと思われがちですが、逆に言えば、その一瞬に、自分の考えが全部でてしまうとも言えます。私の写真を通して、その地を知ってもらう。私はフォト・ジャーナリストとして、長年、カメラと共にあちこちをまわって人と会い、話を聞いてきました。特に、紛争の起こっていた地域に行って、写真をとって、そこで話を聞いて、日本の人に、言葉にならない心を知ってもらいたいと思いました。
 そもそもなぜ戦争というのが起こると思いますか。戦争をしたい人がする。そういう人に群がる人がいる。流れができると、止めることができないのです。途中から止めようと思うと、逮捕されたり、拷問にあうなど、命も危うくなってしまいます。声をあげられなくなり、どんどん戦争のムードになっていく。そういう流れで、戦争が起こっていったと言えると思います。
 今の日本の社会では、戦争が起こるという状況は考えられないかもしれませんが、風船が大きく膨らんでいる状態になっていても、それがわかりにくい状態になっているのです。
 戦争をしようと決めるのは、たとえ反対したとしても、女性も含めて大人です。子どもはまったく決める権利がない。それなのに、一番始めに犠牲になるのは子ども、もっと弱い赤ちゃん、もっと弱い胎児です。
 日本は今、政府が一生懸命になって、子どもを増やそうというキャンペーンをしています。でも、本当に子どもを大事にしているかと言うと、ムードを作ろうとしてはいますが、実は子どもを大事にしていない。一般の人たちもそうです。子どもたちを、殺すところまで行ってしまう。こういう社会をどうしたらいいのでしょうか?
 日本も昔、戦争をしていました。おじいさん、おばあさんがいるからこそ、自分たちがいる。日本の子どもたちや若い方たちが、縦につながる命を意識して欲しい。その頃の人たちが、どんな顔をして苦しんでいたか? 今、海の向うにいる人たちのような顔を、戦争のとき、していたのです。いろんな犠牲を背負わされた子どもたちはこういう顔をしていた。写真の中から、そうしたことを感じとっていただけたらと思っています。

■今も続く枯葉剤の影響
 ベトナム戦争(注1)は随分前に終わっています。でも、戦争は続いています。それはどういうことかと言うと、戦争で、アメリカ軍に大量のダイオキシン(注2)を撒かれました。その影響でベトナムの人々がいまでも苦しめられているからです。戦争が終わって、生まれた子どもに障害がでました。私が写真を撮ったある子どもは14歳でも、3、4歳にしか見えませんでした。それはおそらく、父親が枯葉剤を浴びた影響でしょう。その子の顔は、何か怒っているようにも見えました。
 日本にも来たベトさんとドクさんの兄弟(注3)は、分離手術をして成功しました。松葉づえをつくドクさん。一方、ベトさんには重い脳障害が残ったままでした。ドクさんは結婚をし、ベトさんは、結婚式の時は元気だったのですが、まるで見届けるようにその後亡くなりました。
 枯葉剤は75年まで使われていたと言われています。それからもう34年も経つわけです。ある一家には、家族に共通して同じような障害が出てきています。ダイオキシンは体内に蓄積して本人は気がつかないけれど、遺伝子を壊します。何世代も続くかもしれない。61年から散布が始まったといわれていますが、最初に浴びた人は四世代にもなるかもしれません。

■コソボ・内戦のあとを訪ねて
 コソボには、だいたい200万人の人が住んでいます。80%がアルバニア系の人、セルビア系が18%、その残りがロマ人などです。そのセルビア人によって結成されたセルビア武装勢力が反乱(注4)を起こしました。アルバニア人は隣のアルバニアに行けと言って、家を燃やしたり壊したりしたのです。私が見たコソボには、ぞっとする光景がひろがっていました。電信柱とか電線や木は残っているのですが、家は破壊されているのです。アルバニア人は高い塀に守られた構造の家に住んでいるのですが、家は壊れているのに塀は残っているという状態です。ある街では70%の家が破壊されていました。
 あちらこちらの小中学校を訪ねるごとに、「家族が殺された人は?」と尋ねました。30人ほどの教室で、少なくとも5、6人の手が挙がりました。地域によっては10人を超えることもありました。
 ある学校で、手を挙げた男の子に話を聞こうとしたとき、「父さんは……」と言って、大粒の涙が出ました。自分でもなんとか止めようとしましたが、止まらない様子でした。あとで彼の住まいを訪ねて話を聞くと、お父さんはなんと目の前で7発もの銃弾を受けて殺されたんだそうです。家族を守ろうと必死になっていた父親は、銃を突きつけたセルビア武装勢力を睨みつけ、顔ばかりを撃たれていました。
 ある男の子は、「とってもやさしいお父さんでした」、と言って涙が出て、お母さんにしがみつきました。
 ロマ人はセルビア系、アルバニア系、それぞれについた人に分かれました。あるロマ人の女の子の家族はセルビア系につき、逆にアルバニア人が戻ってきた時には、追い出されてしまいました。「私たちはなんにも悪いことはしていないのに」。民族戦争に子どもも巻き込まれていくのです。

■チェルノブイリの放射能汚染
 私は、チェルノブイリ(注5)も一つの戦争だと考えています。チェルノブイリ原発の4号炉が爆発し、放射能が拡散しました。退去した人の家では、人形が置きざりにされていました。放射能のために子どもたちもお気に入りの人形も置いていかざるをえなかったのです。子どもをはじめ、多くの人たちが生活の変化を余儀なくされたのです。

■戦争は終わらない
 戦争中はもちろん苦しい。でも、戦争は終わっても、苦しみは終わらない。写真を通して、私の言いたかったことはこのことです。先にも言ったように、戦争は始めたい人が始めます。戦争が終わるときは、調印という形でサインで終わることが多いようです。一握りの権力者の事務的な手続きの背後に、数知れない人びとの苦しみが続くことになるのです。
 戦争が終わると、確かにゆっくり寝られるようになったと人々は言います。でも、苦しみは終わらないということです。人間の心からも体からも、苦しみは終わることはありません。戦争は始めてしまったら、永遠に終わらないということです。そういうことが言いたくて、私はこの写真を撮りました。写真には力が必要です。写真は想像力をかきたてるものです。撮る方にも見る方にも力が要求される。それが写真だと思います。

まとめ・執筆(脚注も)  編集委員 千葉 有紀子

2009 年7月7日 龍谷大学社会学部・主催「大石芳野さん講演会」より

(*1) ベトナム戦争:1960 年代初頭から1975 年4月、南ベトナムと北ベトナムとの武力衝突。南ベトナムについたアメリカと北ベトナムについたソ連、中国との政治的な戦争が背景にある。アメリカは巨費と大量の軍人を投入したが、北ベトナムが勝利し、アメリカ軍はベトナムから撤退した。南北ベトナムでは300 万近い人が犠牲(アメリカ兵は5万8千人)になったといわれている。多くのカメラマンが命を落とした戦争でもあった。

(*2)ダイオキシン(枯葉剤):ベトナム戦争中にアメリカ軍が使用した枯葉剤には、強い毒性を持つダイオキシン類が含まれていた。枯葉剤の散布は、マラリアを媒介する蚊や蛭を退治するためと弁明しているが、実際はベトナム人のゲリラが隠れている森林の枯死、農業の破壊が目的であったという。ベトナム人、アメリカ従軍兵士など、枯葉剤の被害者は多く、深刻な後遺症で今も苦しんでいる。

(*3)ベトさんとドクさんの兄弟:1981 年2月、ふたりは下半身がつながった状態で生まれた。ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤による結合性双生児とみられる。88 年には分離手術を受けたが、ベトさんは重い脳障害で寝たきりの状態が続いていた。分離手術後、ドクさんは歩けるようにもなり、その後結婚。べトさんは肺炎と腎不全で26歳で死去。

(*4)コソボ紛争:ユーゴスラビア連邦のコソボ自治州内で人口の8割を占めるアルバニア系住民と少数ながら支配権を握っていたセルビア人との対立。98 年ごろからコソボ独立を求めてアルバニア系武装勢力(コソボ解放軍)が活動を活発化させ、それに対しセルビア系住民も武装勢力を構成した。99年3月、アルバニア系住民を支援する目的でNATO 軍が空爆に踏み切り、6月にセルビア軍と警察がコソボから撤収し紛争は収束。1万人以上の死者と、80 万人に上る難民を生んだ。現在コソボは国連の管理下におかれている。

(*5)チェルノブイリ:1986 年4月26 日未明、ウクライナ共和国(当時はソビエト連邦)にあるチェルノブイリ原子力発電所の4号炉で、大きな爆発事故が起こる。この事故により、原子炉内にあった大量の放射能が大気中へ放出され世界各地に広がった。原発労働者の町「プリピャチ」の住民のほとんどは、その日のうちにチェルノブイリ原発で事故が起きたことを知ったが、翌日になって避難勧告が流されるまで普段どおり過ごしていた。
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2009年10月号(通巻449号):わたしのライブラリー

ビートルズのアルバム
「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」


聴いたことのない音の厚みと斬新性に驚嘆

 去る9月9日に、ビートルズの全アルバムの最新デジタルリマスター音源CDが22年ぶりに世界同時発売された。日本におけるアルバム単位の合計出荷枚数が、初回100万枚を突破したという。ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのが62 年、そして70 年には解散しているから、すでに40 年以上も前に活動を終えたロックバンドとしては破格の扱いだと言えよう。
 「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」は、ビートルズによる第9作目のアルバムである。67年6月1日に英国、同2日に米国で発売された。ぼくらが聴いた時期は、日本で発売された67 年7月5日以降のことである。40 年以上前のことだが、わりとよく覚えている。
 日本でも発売される前から評判は上々で、ぼくらはものすごく期待して待った。自分で買ったのか、誰かが買ったレコードを聴いたのか覚えていないが、南大阪ベ平連の事務所があったアベノ近鉄百貨店裏の安アパート「近海荘」で、確か2~3人で聴いたと思う。ソニーのウォークマンが79 年に発売されてから、音楽は一人で楽しむのが主流となった
が、それ以前は、たいてい何人かでステレオスピーカーの前に陣取って聴くことが多かった。新鮮な驚きで頭と心が満たされた。それまでに聴いたことがない重層的なサウンドだった。音が空中を左から右へ(左右反対だったかも)移動した。
 ぼくはエレキ音楽のことは何も分からないのだが、ネットで調べると、「サージャント・ペパーズ」は、4トラック(一度に録音できるチャンネルが4つある)のテープレコーダー(MTR=マルチトラックレコーダー)を2台つなぎ合わせて、計8トラックで録音されたという。現代なら音楽制作につきもののパソコンもデジタルシンセサイザーもなかった時代だったので、まずその音の厚味と斬新性に感嘆した。
 そして、時どき自分の耳がキャッチする英語のフレーズ、例えば、「Oh, I get by with a little help from my friends.」とか、「It’s getting better all the time.」などにシビれた。「友だちのちょっとした協力があれば、なんとかやっていける」とか、「チョトずつ、ず~っとよくなってきている」という歌詞は、そのころのぼくたちの気分にぴったりだった。まだ友人同士の親密な仲間意識が健在で、確実に将来はよくなっていく、という楽観主義がまかり通っていた時代だった。60 年代後半の世界はあちらこちらで激動していたが、日本は経済が上向きで明るい時代だったのだろう。
 また、「Try to realize it’s all within yourself, no-one else can make you change」(気づこうとしなさい、全ては君の中にあり、他の誰も君を変えることはできないことを)という「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」のなかの一節には、彼らの思想性を感じた。

思い出深い曲:「シーズ・リーヴィング・ホーム」

 このアルバムには13 曲が収録されており、幻想的・抽象的な楽曲群と現実的・日常的な楽曲群が入り混じっていると思う。
 前者にはもちろん、ドラッグ体験の影響とも言われる、ジョン・レノンがリード・ヴォーカルの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンズ」や、ジョージ・ハリソンがインド音楽の影響を受けて作った「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」、最初と最後から二番目に出てくるテーマ曲「サージャント・ペパーズ…」などがある。
 また、後者には「娘の家出」を歌った「シーズ・リーヴィング・ホーム」や、歳をとってからの自分を想像した「ウェン・アイム・シクスティフォー」、また駐車違反取締りの婦警さん(meter maid =ミーター・メイド)をデートに誘う「ラヴリー・リタ」がある。これらの3曲では、ポール・マッカートニーがリード・ヴォーカルを取っている。
 ぼくにとって「シーズ・リーヴィング・ホーム」は思い出深い一曲である。70 年代初頭、二十歳代にしばらくロンドンにいてイタリア・レストランなどでバイトをしながらカレッジに通って英語の勉強をしていた。ある日、先生がこの曲の歌詞を教材に使ったのだ。
 Wednesday morning at five o’clock as the day begins( 水曜日の早朝5時)Silently closing her bedroom door( 寝室のドアを静かに閉めて) Leaving the note that she hoped would say more(「もっと言いたいことがありました」とメモを残し) She goes downstairs to the kitchen clutching her handkerchief(ハンカチを握り締めて台所へ続く階段を下りていく)Quietly turning the backdoor key(裏口のカギを音をさせないように回して)Stepping outside she is free.(外へ一歩踏み出し、彼女は自由になる)
 先生は、これらの歌詞がいかに英国の労働者階級の家庭の現実を表現しているか、について語った。おそらく娘のためを思って、厳しく、理不尽にも家に縛り付けてきた両親。娘はもっと自由に青春を楽しみたかったに違いない。日々口論も絶えなかったのかもしれない。しかし、「あなたのためよ」と言われると、口答えできない娘。たまらず水曜日の早朝、家を出る。英国の労働者階級の小さな持ち家の間取りまで目に浮かぶようだ。
 生徒の誰かが、「clutching ってどういう意味ですか?」と訊いた。先生はハンカチを出して強く握り締めて、「こうすることだよ」と動作をして見せた。そして、「このclutching という言葉が効いているよね。彼女の緊張や決意が本当によく伝わってくる」というような解説をした。
 「サージャント・ペパーズ」は、世界初のコンセプト・アルバムと言われている。基本的なコンセプトをもとに、サウンドからアルバム・ジャケットのデザインまでトータルに創作したものだ。ビートルズが扮する架空の「胡椒軍曹の寂心倶楽部楽団」が主題曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で音楽ショウを始め、続いてリンゴ・スター扮する歌手、ビリー・シアーズが「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を独特の声で歌う。そして、楽曲間に間を置かず、リード・ヴォーカルを替えながらショウが続いていく。そして最終曲の前に、再びテーマ曲「サージェント・ペパーズ(リプライズ)」を演奏。最後に、アンコール曲として「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を演奏し、音楽ショウの幕を閉じる。
 このアルバムは、現在までに全世界で3千200万枚以上のセールスを記録しているという。

編集委員 吐山 継彦
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