2009年7・8月号(通巻447号):目次

《V時評》
「最後は役所にお任せ」は、もう止めよう
 ・・・早瀬昇

《特集》
献体 最後のボランティア
 ・・・青木千帆子、小笠原慶彰、岡村こず恵

《私のボランティア初体験》
Go!ダテ、Go!!
 ・・・岩附由香(特定非営利活動法人ACE代表)

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
雇用関係助成金
 ・・・ラッキー植松&石田信隆

《語り下ろし市民活動》
介護はプロに、家族は愛を。×住み慣れた地域で暮らしていくために(1)
 やわらぎ結成前夜まで
石川治江さん(NPO法人 ケア・センターやわらぎ 代表理事
         社会福祉法人 にんじんの会 理事長)
 ・・・早瀬昇

《リレーエッセイ 昼の月》
こども時代のたからもの

《ゆき@》
やねだん、感動から奇跡が生まれました(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
新聞女★西沢みゆきさん(現代芸術家)
 ・・・川井田祥子

《ファンドレイジングが社会を変える》
面白い寄付の大切さ
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《コーディネートの現場から・現場は語る》
障害者の地域生活を支援する ヘルパー制度とボランティア活動
 ・・・國実紗登美( NPO法人りあん 地域生活サポートセンターじゅぷ)

《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
市民社会ネクスト10年を推進するために
 NPO法人の会計基準の目的は?
 ・・・水谷綾(大阪ボランティア協会)

《わたしのライブラリー》
献体について考えるための本
 ・・・小笠原慶彰

《レポート》
「第27回 全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」に参加して

 ・・・金治宏

《どーなる?どーする!裁判員制度》
もうひとつの市民参加
 検察審査会改革への期待と課題
 ・・・大門秀幸

《共感シネマ館》
『台湾人生』

《パラボラ・NEWS》
テックスープジャパンがスタート
 NPOにソフトウェアを提供 ほか

《某覧提案》
 ・・・浅石ようじ

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2009年7・8月号(通巻447号):V時評

「最後は役所にお任せ」は、もう止めよう



編集委員 早瀬 昇

■「弁当値引き販売制限」の当事者は?

 「弁当類の値引き販売制限は独占禁止法違反だ」と、7月22日、公正取引委員会がコンビニ最大手のセブンイレブンに対し、同社が加盟店に行ってきた賞味期限が近付いた弁当類の値引き販売制限を止めるよう命じた。
 これに対しセブンイレブンは、翌日、売れ残った弁当類の廃棄損失の15%を本部が負担すると発表。これにより、一方的に廃棄損失を負担してきた加盟店は経営圧迫要因を抑制することができるようになった。
 この話を「めでたし、めでたし」と受け止めた読者もいるかもしれない。同社で年間600億円強の廃棄損失が出ていたというから、本部の負担は100億円。直近の営業利益が2千100億円を超えたという同社でも、簡単な決定ではなかっただろう。
 しかし、これはまだ十分に食べられる弁当類を廃棄する状態を維持する、ということでもある。セブンイレブンは値引きが常態化して商品単価が下がり、結果的に売上額が縮小することを恐れているようだが、食料自給率の低さが問題となる中、まだ食べられるものを廃棄する仕組みを続けて良いのだろうか。それに、そもそも食材の原料の大半は生き物だ。この状態は、いのちを粗末に扱う時代の象徴のようにも感じてしまう。

■行政が監視し、仲裁・調整する社会

 さて、今回の事態を指して日本経済新聞は「『もったいない』と思う気持ちに軍配があがった」と評した。軍配をあげたのは公取委。行政(今回は公取委)が行司役となり、事態の改善を「排除措置命令」という形で指示したわけだ。
 しかも、この裁定の前には公取委への加盟店などからの告発があったわけで、公取委は検事役と判事役を共に担う構造になっている。ただし、公取委の判断に不服があれば高裁(さらに最高裁)で不服審判ができるわけで、公取委が超越的な権力を持っているわけではない(事実、本稿執筆の6月26日時点で、セブンイレブン側は値引き販売制限の撤廃という公取委の指示に従うか、不服審判を請求して争うかの方針は示していない)。
 ここで気になるのは、今回のように行政機関が様々な意見を聞いた上で判断を下すという場面の多さだ。
 たとえば、高齢化の進展から医療機関の利用が増え、健康保険財政の収支バランスが厳しくなる中、医療費の自己負担が徐々に増える。そこで「これでは病気になっても医者にかかれない!」と役所に文句を言う。しかし、一方で特に若い人は、毎月、健康保険料を天引きされながら、ほとんど病院を利用しない場合も多く、こちらも「これ以上、保険料を増やすな!」と文句をいう。そこで行政内で両者の立場をふまえた「代理戦争」が行われ、なんらかの決着がつけられるという構図だ。
 利害がぶつかる当事者の仲裁役は必要だが、それは常に行政…ということで良いのだろうか。

■「市民も当事者だ」で社会が変わる…はずだが

 というのも、弁当類廃棄の問題に戻れば、このコンビニでの弁当類廃棄の当事者は、直接的には本部と加盟店だが、間接的には消費者も当事者になりうる。つまり、もし消費者がこぞって「弁当廃棄を続けるコンビニでは買わない」といった行動をとるようになれば、それこそ弁当を廃棄するコンビニの売り上げが下がるため、当然、コンビニ側の対応が変わってくるからだ。
 実際、この弁当類廃棄の抑制も考慮して同じコンビニのam/pm では弁当類を冷凍食品化し、店頭で解凍したり持ち帰りできるシステムを導入している。こうした対応をとる店を積極的に利用することで、私たちはこの問題の傍観者ではなく、当事者として問題解決に関われる。
 問題の解決を行政の監視・規制にばかり期待するのではなく、問題に関わる当事者間で解決策を探ることもできる。そして、この当事者として市民が積極的に関われば、自治的・自律的に合意を探り問題解決にあたれるし、その合意は持続的に守られやすい。
 ただし…。先の冷凍食品化スタイルが環境に優しい、と消費者から支持され am/pm のシェアが伸びているとは、とても言えない。セブンイレブンの売上高シェアは30%を優に超えるが、am/pm は1%未満の業界10位。経営再建中で、頓挫したがローソンへの売却話もあった。
 消費者が買い物先を決める際に、この弁当類廃棄問題は、未だ十分に意識されていないようだ。

■多様な利害関係者が対話する「円卓会議」創設

 そんな中、3月24日に「安全安心で持続可能な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議」なる長い名前の会議の場が生まれた。日本経団連などの経済団体、労働組合、消費者団体、政府、それにNPO/NGOに関わる人々が集い、社会的責任をキーワードに社会の課題解決を話し合おうと開設されたものだ。この円卓会議は、昨年7月、国民生活審議会の答申で設立を提案されたもので、その後、それぞれの関係者が集って会合を重ねて、そのあり方を話し合い、ようやくこの日、設立の総会を迎えることになった。
 当日は政府側から5人の大臣が出席した他、経済団体、労働組合、消費者団体、そしてNPOサイドからは公益法人協会の太田達男理事長、日本国際ボランティアセンターの星野昌子特別顧問、さわやか福祉財団の堀田力理事長が出席。この会議の進め方を話し合った。
 ここで重要なのは、この場が政府の諮問機関ではないことだ。会議の運営方法自体も、それぞれの利害関係者ごとに運営委員を出しあって話し合い、具体的な内容の検討は総合戦略部会で進め、最終的に総会で決める3層構造となっている。このメンバーも、審議会だと行政が選定するわけだが、この会議では各当事者グループが選出。NPO関係では日本NPOセンターや当協会などの呼びかけで「社会的責任向上のためのNPO/NGOネットワーク」を結成(6月25日現在で32団体が参加)し、そこでの話し合いで上記の総会委員3人を推薦し、部会委員や運営委員も選挙で選出した。
 「最後は行政にお任せ」ではなく、企業、労働者、消費者、それにNPOなどが、直接、対等な立場で対話し問題解決を図り、社会のルールを築いていく。この場がそのような形で生かされれば、日本の社会の仕組みも大きく変わっていく可能性があると思う。
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2009年7・8月号(通巻447号):特集

《特集》献体
 最後のボランティア



青木千帆子、小笠原慶彰、岡村こず恵

■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

「献体って、聞いたことはあるけど、実際どういうものなの?」そんな雑談から本特集は始まった。調べてみれば、あまりに知らないことばかりで驚いた。医師と患者、医師と大学、個人と家族制度、生命と身体など、複雑で多様な関係性や価値観を感じずにはいられない。医療関係者には、献体者の切なる思いに真摯に向き合っていただけるよう願うとともに、関心のある人は、ぜひ献体を取り巻く議論にも注目してもらえればと思う。(こづ)

今回直接言及しなかった資料として、粟屋剛『人体部品ビジネス-「臓器」商品化時代の現実』講談社選書メチエ.1999、出口顕『臓器は「商品」か』講談社現代新書.2001、一橋文哉『ドナービジネス』新潮文庫.2002等がある。献体と臓器提供は、単純に同一視できないが、臓器移植が、治療法として確立するにつれて、臓器が商品化する現実があるようだ。献体や臓器提供は、社会の倫理的基盤を向上させる取り組みであってほしいと思う。(釈正眞)

尊厳ある生、あるいは死を巡る障害者の主張を見てきた私としては、献体は首を突っ込まずにいられない題材だった。しかし、実際の記事執筆に当たっては、自分の力不足をひたすら感じた。力だけではなく時間も足りなかった。きり無く反省はつづく。本特集をきっかけに「自分には現場に一度も足を踏み入れた経験が無いことに関して書くことができない」ということを学んだ。(青木)
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2009年7・8月号(通巻447号):この人に

お金も政治力もないけれど、
五感をゆさぶるアートの力で、
世界はきっと平和になるはず。

現代芸術家
 新聞女★西沢みゆき さん

「もうちょっとで完成するから待ってくださいね~」。取材で立呑みギャラリーに行くと、目の前で新聞ドレスの肩の部分を作り始めた。芯になる部分に、ギャザーを寄せながら器用に新聞を貼り付けていく。手際の良さに見とれているうちに完成し、その場で着替え。帽子もかぶって、陽気な“新聞女”が現れた。

■見事ですね。ドレスは、どのぐらいの時間でできるんですか?

 スカートだと1時間ぐらいでできますね。しょっちゅう作ってるので、マッハの速さでできるんですよ(笑)。型紙も何もなくて、いつもそのときの気分で作ってます。

■もともとアーティスト志望だったんですか?

 いいえ、ファッションが好きで、デザイナーになるための勉強をしてたんですよ。関西女子美術短期大学(注1)に入学したんですが、現代アートの講義があって、面白そうだと思って受講したら、嶋本昭三(注2)先生が担当されていたんです。そしたら先生が、「他人がやらなかったことをやれ」「人と違うことはいいことだ」とおっしゃって、目からウロコが落ちるとは、まさにあのことですね。
 子どもの頃から表現することが好きで絵を描いたりしていたんですが、それがアートだなんて思わなかったし、むしろ人と違う感覚を持ってることでコンプレックスを感じることも多かったんです。でも、嶋本先生から「それが天才の証しだ」と言われ、すごくうれしかった。先生と出会ったあの日から価値観が180度転換しました。

■どんなふうに「私は人と違う」と感じていたんですか?

 それまで私が学校で受けてきた教育は、どちらかというと、みんなと同じことをできるのがいい、人のマネをした方が良い評価を受けるという感じでした。でも私はそうすることが苦痛で、ずっとしんどかったんです。たとえば幼稚園のとき、お芋掘りの絵を描いたんですが、みんなは先生の描いたお手本のような絵をマネして描くんです。先生がいてみんながいて、そしてお芋が地面の中に埋まっているというような、同じ構図でね。でも、私はお芋が大好きなので、画用紙いっぱいにお芋をひとつだけ描いたんです。すると先生にすごく怒られて、なぜかそのことが母にも伝わって、「恥ずかしい」と言われました。人と違うのは悪いことなんだと感じて、それからも小学校、中学校、高校と、絵を描いたり文章を書いたりしても誰にも見せず、自分のためだけに表現してた、という感じです。ずっと内向的で、生きることの意味を見出せなくて鬱々した日々を過ごしてた。今とは全く違いますね。

■嶋本先生との出会いによって、そのまま現代アートの世界へ?

 いいえ、大学生のときは就職のためにファッションの勉強を続け、一方、嶋本昭三研究所には毎日通って現代アートのお手伝いをしてました。卒業後は企業に就職し、32歳まではファッションデザイナーとして働いてたんですよ。ファッションが大好きで、最初は楽しかったんですが、仕事で求められることと自分のやりたいこととの差が大きくなって、ストレスを感じるようになりました。デザイナーは、なるべく多くのお客さんに受け入れられるものを作らないといけなくて、奇をてらったものは許されないからです。私の作りたかった服は、たとえば袖が3本ある服とか(笑)。今日は、こことここに腕を通して、明日は別の袖にしようとかね。そういうのを自分では面白いと思うんですが、仕事では絶対に許されませんよね。
 卒業後9年ぐらいは先生のところへ行かなかったんですが、だんだん現代アートの世界に戻りたくなって、再び先生の研究所へ通うようになりました。ファッションデザインという世界にひたっているうちに、改めて現代アートの素晴らしさや、自分にとって必要なものだということを痛感し、アーティストとしてやっていこうと決心したんです。

■さぞ周囲から反対されたのでは?

 もちろん、みんな大反対です。「馬鹿じゃないか」とも言われました。現代アートや嶋本先生の素晴らしさを理解してくれる人は社内にはほとんどいなかったけど、私にはまったく迷いはありませんでした。嶋本先生に出会って初めて自分が肯定できたし、私がアートをやることで自分自身が喜び、そして周りの人も喜んでくれるのを見ると、本当にうれしくて、「もっともっと楽しんでほしい」と思うんです。だから作品もどんどん大きくなるし、相乗効果で喜びも大きくなっていく感じですね。アートでみんながハッピーになるのを見ると、「これほど大事なものはない!」って思うんです。お金を使って人に何かを配るわけでもなく、政治力を使って何かを解決するわけでもないけど、お金も権力も知識も何ももっていない私だけど、アートによってすごく力が湧いてくるんですよ。

■新聞を使うようになったのは、なぜですか?

 新聞は子どものときから好きな素材で、その頃は作品というよりおもちゃを作ってました。たとえばお弁当を作るのは、紙面の黄色いところを探して卵焼きに見立てて切り抜いたり、赤いところは鮭にしたり。
 それに新聞は、ただの紙じゃない。たとえば環境サミットのときには、21か国の子どもたちに自分の国の新聞をもってきてもらって、それをみんなでつないでピース・ドレスを作ったんです。ミャンマーやバングラデシュからも来ていたんですが、幸せな国の子どもばかりじゃないし、記事も幸せな内容ばかりではありませんね。でも新聞女の作品にすることで、仲のよくない国同士でもひとつに、新聞をつなぎ合わせることでみんな手をつないでハッピーになろうというメッセージを込めているんです。
 言葉は通じないけど、新聞をつなぎ合わせる作業を一緒にやって、最後に必ず笑って、ひとつになって終われる。私は外国語を話せないし、お金もない、具体的な問題解決はできないけど、アートの力で一人ひとりの心に訴えかけていく方が、国同士の問題も人同士の問題も簡単に解決できるような気がします。

■海外へ行かれることも多いようですね。

 そうですね。最近、イタリアへは毎年行ってます。嶋本先生がヴェネチア・ビエンナーレ(注3)に招待されてるので、私たちもお手伝いとして一緒に行っているうちに呼んでくださるようになって。
 06年には、元中国国家主席・李先念氏の長女、李小林さんが招待してくださいました。開かれた中国をアピールするために現代アート展を企画され、そのオープニングでパフォーマンスをしたんです。全長約30m のドレスを来て
クレーンに吊されて、ちょっと派手でしたけど(笑)。
■街中で表現しにくいから、この立呑みギャラリーを開設されたんですか?

 うーん、理由はちょっと違いますね。私が嶋本先生にしてもらったようなことを、後輩のアーティストたちに何かできないかなと思って、3年前にオープンしました。
 先生は何も教えないんですが、それぞれの人が自分にしかないものを見つけて、どんどんやっていけるように見守って下さる。それだけで大きな支えになるし、私は先生に引き上げてもらったとすごく思います。だから、これからは私が後輩たちに、アートを楽しみながらやっていってもらうためのお手伝いをしたいんですね。ここはみんなのたまり場というか、新しい人と出会い、作品を発表する場になってます。初めての個展をここでやったり、ここで出会った小説家とアーティストがコラボレーションで新しい作品を作ったりしてます。
 それと、お客さんの中に実業家がいて、自分が欲しいと思った作品はすぐに買ってくださるんです。美術が好きでセンスもすごくいい方なんですが、その方が買うと必ず売れっ子になるというジンクスもできていて、これまで5人ぐらいがそのジンクスによって売れっ子になりました。
 自分が今までしてもらったことを、いろんな形で後輩に返していって、作品を通してだけでなく、ハッピーを伝染させていきたいですね。

インタビュー・執筆 
編集委員 川井田 祥子

■プロフィール
世界中の古新聞を使い、地球にやさしく、平和を願うドレスを即興で作る。クレーンにつられて全長約30mのドレスを着たり、大勢の人を巻き込んでパフォーマンスも行う。国内では、今年5月4日に大阪市北区で全長24m×幅6mの「新聞こいのぼり」を使って子どもたちと遊び、07年の神戸元町200年祭では戦争記事をすべて塗り消した1200mの「peace ★road」を新聞紙で制作した。イタリア、フランス、韓国、台湾、ウクライナなど海外での活動も多い。01年、福井県今立現代芸術紙展最高賞、02年、宮城県知事賞など受賞歴も多数。http://shinbun-onna.com/

(注1)関西女子美術短期大学:現在は統合されて、宝塚造形芸術大学に。
(注2)嶋本昭三:現代美術家。戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーで、「具体」という名の提案者でもある。瓶詰めした絵の具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターからペイントを落とす絵画制作パフォーマンスなどが有名。98年、アメリカMOCA( The Museum of Contemporary Art)で開催された「戦後の世界展」で世界の四大アーティストの一人に選ばれる。
(注3)ヴェネチア・ビエンナーレ:イタリアのヴェネチアで1895年から隔年で開催されている現代アートの展覧会。美術部門だけでなく、映画、建築、音楽、演劇、舞踊の部門もある。

■「立呑みギャラリー 新聞女」
新聞女本人がプロデュースした新感覚バー(ギャラリーと立ち呑みのコラボ)。
ただし、本人は各イベントのために不在の場合もあり。
営業時間:月~木曜 19:00 ~ 23:30
     金・土曜 18:00 ~ 23:30
定休日:日曜日
大阪市浪速区元町1丁目2-2 
浪芳ビル1F
(地下鉄四ツ橋線なんば駅下車30番出口すぐ)
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2009年7・8月号(通巻447号):わたしのライブラリー

献体について考えるための本
編集委員 小笠原 慶彰

氏家幹人『大江戸死体考-人斬り浅右衛門の時代』
平凡社新書. 1999. 714 円

香西豊子
『流通する「人体」-献体・献血・臓器提供の歴史』
勁草書房. 2007. 3500円+税

アニー・チェイニー著・中谷和男訳
『死体闇取引-暗躍するボディーブローカーたち』
早川書房. 2006. 1600円+税


 吉村昭「梅の刺いれずみ青」(『島抜け』新潮文庫・所収)は、明治初期から中期にかけての人体解剖を描いている。表題は、篤志解剖第1号とされる遊女が腕に梅の刺青をしていたことを指している。明治2年のことであった。小説とはいえ、新政府によって西洋医学が認知された後でも、解剖用死体の確保が困難を極めたことがよくわかる。それは日本人の死生観が、たとえ死後であっても身体を切り刻むこととなかなか相容れないためだろうと想像できる。
 ところで、江戸時代には、死体に相当無頓着であったらしい。『大江戸死体考』によれば、水辺に土左衛門が漂っていたとか、道端には行き倒れが目に付いたとかで、死体がゴロゴロしていたというのだ。こんな状況だから死体検死の役人も忙しく、すでに何種類もあった検死マニュアルに準拠しながら処理した。だが、いくら死体がゴロゴロといっても、ただ冷ややかに眺められていただけかというとそうでもない。その死体を腑分けするとなると、つまり刃物でもって切り刻むとなると俄然話は違ってきて、強い拒否反応が起きたということのようだ。ところが、それが刑死体の場合は、また違う。まったく物扱い同然になるのだ。この辺りの機微は、とうてい現代の感覚では推し量れない。
 たとえば、刑死体で刀剣の様斬りをする据物師という専門家がいた。将軍家や大名家から依頼され、刑死体によって刀剣の切れ味を確かめた。様斬りの注文は頻繁であったが、ある時期から代々世襲の山田浅右衛門が、ほぼ独占していた。山田家は、浪人ながら裕福であった。というのは、死体から胆を取り出して製造する薬も販売していたからである。その人胆丸と称される高価な漢方薬の製造は、明治に至ってようやく禁じられたという。
 一方、幕末に刑死体による人体解剖がたびたび許されるようになると、医師と据物師との間で死体の取り合いになっていく。そして明治以後は、様斬りも廃止され、医師が独占して解剖用にのみ利用されていく。だが実際、死体の確保は大変だったらしい。
 このような事情を踏まえた上で『流通する「人体」』では、死体を「資源」と捉えて、その流通システムという視点から献体を描いている。帯には「江戸末期から現在に至る『人体』流通システムを追いながら、『善意による無償提供』『自己決定』といったヒト組織利用に関する倫理的根拠が、そもそも資源調達の経済論的帰結であることを描き出す」とある。つまりは「ほしい人がいて、タダででもあげたい人がいて、丸く収まってんだからいいじゃん」っていうことか。だとすると、妙に納得させられてしまうが、引っ掛かるものもある。その奥歯に挟まったものは、「人体標本展」に言及された部分に至って取り除かれる。つまり、「ほしい︱タダであげたい」の関係が「ほしい︱お金を払ってくれるんならあげてもいい」と変形する可能性を示唆してくれるからだ。だが現在の日本では、合法的な死体の利用となると、本人や遺族の意思尊重は当然として、「無報酬」を抜きにはとても賛同されないだろう。
 ところで、本人の意思や無報酬とはお構い無しに死体流通ビジネスが半ば公然と存在している国もあるらしい。『死体闇取引』は、アメリカにおけるその実態についてのルポルタージュである。本書冒頭の「死体部位別価格一覧表」には、度肝を抜かれる。たとえばこんな具合である。頭部550ドル~900ドル、脳500ドル~600ドル、肩(片方)375ドル~650ドル、胴体1千200ドル~3千ドル、死体一体4千ドル~5千ドル、各種臓器(一個)280ドル~500ドル等々。
 死体は、解剖実習用にだけ用いられるのではない。医療機器メーカーの新製品実演販売用として、骨ペーストや骨ねじの原料用として、地雷防護服の強度実験用として、その他多くの用途が白日の下に曝されている。このような利用は、もちろん本人の意思あるいは遺族の合意に沿っていない。さらにその上、死体の需給関係は、不法あるいは不法すれすれの死体流通によって満たされる。たとえば、火葬場から死体を不法に入手してパーツに切り分けて出荷する業者、解剖実習用に献体された遺体を闇に流して利益を得る人、どこから入手したか等には無関心で医療用の製品に加工する会社、そしてそれらの流通ネットワーク等である。拝金主義の跋扈に唖然とするが、幸い、一部が「闇取引」で、やっと成立しているレベルのようだ。だが、このビジネスが全面合法化したらどうなるのかと思うとゾッとする。
 まあ、これはアメリカの話と高を括っていて良いのか。貧困を背景にした途上国での実態も知る必要があるが、水沢渓『ドキュメント遺体は誰のものか︱朝日大学・献体疑惑の真相』(健友館・91年)には、解剖実習用献体を大学がどのように扱っているか、本書が書かれた時点の日本での一つの例がある。献体された遺体を勝手に売買したり、大学の屋上で焼却したり、別人の遺骨や遺灰を遺族に返却したりだというのである。本書の内容が間違いのない事実であるかどうかを検証する必要はなかろう。当の大学を責めるのが目的ではないことに加えて、その大学の解剖学教授であった医師(実名で登場)の証言に基づいているのだから、全くの出鱈目、作り話ではないと判断できるからである。だとすれば、「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」の趣旨に沿った扱い方ではないことだけは間違いないように思える。
 いずれにしても篤志献体は「医学・歯学の大学で行われる人体解剖学実習の教材として、自分の遺体を無条件・無報酬で提供する篤志行為」とする言説を支える倫理的基盤は、今のところ確かに存在するようだ。それによって、他の目的での利用や死体流通ビジネスの合法化は、紙一重で阻止されているのだろう。だが、手術手技の研鑽目的での利用が何故認められないのか、報酬を得て遺体を提供することがどうして人倫に反するのか。近世以降の死体への対し方を垣間見ただけでも、献体という仕組みは、実に危うい基盤の上に立っているように感じるのである。

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2009年7・8月号(通巻447号):レポート

「第27回 全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」に参加して

金治 宏(大阪ボランティア協会)

 83年に民間の立場でボランティア活動を推進していた全国の8団体22人が大阪に集まり、情報交換と交流の場をつくった。あれから26年。今年も民間のボランティア・市民活動推進組織の関係者約70人が全国から佐賀に集い、「第27回全国民間ボランティア市民活動推進者企画戦略会議」(通称:民ボラ)が6月6日、7日の2日間にわたって開催された。
 佐賀県で開かれた今回の民ボラは、「日本の市民活動やボランティア活動を発展させるための活動推進者の役割、そして中間支援組織はどんなビジョンや戦略を持てばよいか、共に考えましょう」とパンフレットに書かれているように、多様化する現代社会のなかでCSO(Civil Society Organizations)の果たす役割やセクター間の協働について意
見・情報交換が積極的に行われた。
 今回の目玉は、「佐賀から始まった協働化テスト︱ 『協働』という言葉を再考する」というオープニングセッション。佐賀県では全国に先駆けて06年から県庁の全業務を対象に民間が実施したほうが妥当な業務について、実施主体や手法の見直しを図る「提案型公共サービス改善制度(通称:協働化テスト)」が行われてきた。具体的には、佐賀県の全業務約2千300事業(教育・警察事業は除く)について、民間からの提案を受けて事業を、①県が今まで通り直接実施する、②県の業務を外部に委託する、③企業が実施する、④CSOと協力して実施するといった選択肢のなかから翌年度以降いかに実施していくかの検討を行う。質の高い充実した公共サービスの提供をめざした事業、それが協働化テストである。
 セッションでは、協働化テストの実施者である古川康・佐賀県知事に加え、佐賀県で政策提言を行う佐賀県CSO推進機構・川福知子代表理事と協働化テストの名付け親である大阪ボランティア協会・早瀬昇事務局長が、民ボラ参加者とともに「協働」について意見を交換し合った。セッションでは「単なる下請け関係にならないようCSO、行政がともに学び、成長していく仕組みを作っていくべき」といった意見が出され、質の高い公共サービスの提供のために各セクターがいかにパートナーシップを築いていくかが話し合われた。
 民ボラではこのオープニングセッション以外にも政策提言やソーシャルビジネスなどをテーマにした7つの分科会が開かれた。今回、初めて民ボラに参加したが、一番の収穫は全国から集まった仲間とともに共に考え、悩みを分かち合い、課題解決に向けて議論する場を持てたことであったように思う。民ボラのユニークなところは、市民活動に携わって間もない新人(私は中間支援組織の職員1年目である)、そして中堅、さらにこの道何十年の大ベテランが一緒になって場を共有することである(この様々な違いが各参加者に“気づき”を生み出していると思う)。このことは、市民活動の現場で、これまで閉塞感を抱くことが少なくなかった私にとって新鮮な出来事であった。振り返ると、参加して“得した”民ボラだった。
 なお、来年の民ボラは6月5日、6日に静岡で開催される。今後も機会があれば、新しい仲間に出会える民ボラにぜひ参加したい。
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