2009年5月号(通巻445号):目次

《V時評》
寄付が進める信じ合える社会づくり
 ・・・早瀬昇

《特集》
「検定」という市民運動
 ・・・千葉有紀子、華房ひろ子、早瀬昇

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
なにわ伝統野菜
(浪速魚菜の会、なんばオリエンタルホテル「和ぎ」)
 ・・・杉浦健

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
ワクワクテカテカ
 ・・・ラッキー植松&杉浦健

《語り下ろし市民活動》
サロンは“知縁社会”へのエントランス(3)
山村雅治さん(山村サロン 代表、
市民=議員立法実現推進本部 事務局長)
 ・・・村岡正司

《私のボランティア初体験》
「さらばボランティア」からはじまった
 ・・・宮道喜一(まちなか研究所わくわく)

《ゆき@》
審議会・検討会です(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
折本慶太さん(邦楽演奏家)
 ・・・杉浦健

《ファンドレイジングが社会を変える》
ファンドレイジングのマーケット(市場)を知る
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《コーディネートの現場から・現場は語る》
「え!?」と感じる福祉施設(現場)のボランティア受入の実態
 ・・・坂口平(りんどう信濃会、上田悠生寮
 生活支援員 ボランティアコーディネーター) 

《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
寄贈:モノがめぐる、社会のスキマ
 ・・・奈良雅美(大阪ボランティア協会)

《リレーエッセイ 昼の月》
富山ブラック

《わたしのライブラリー》
公害Gメンの遺したもの
 ・・・梶川伸

《トピックス・NPOの会計》
NPO法人の会計基準ができる?!
 NPO法人の信頼性向上の一つのツールになりうるか?
 ・・・水谷綾(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

《ウォロ・バルーン》
新歓さんいらっしゃーい!
 学生ボランティアサークルに、人集めのコツを聞きました
 ・・・久保友美

《レポート》
アフガンに緑の大地を
 伊藤和也さん 追悼写真展
・・・千葉有紀子

《どーなる?どーする!裁判員制度》
推定無罪or推定有罪
 裁かれるのは被告ではない!?
 ・・・大門秀幸

《パラボラ・NEWS》
社会創造のための緊急提言「ニュー・コンパクト」

新連載★《某覧提案》
 ・・・浅石ようじ
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2009年5月号(通巻445号):V時評

寄付が進める信じ合える社会づくり



■「托鉢主義」掲げた児童福祉の父、石井十次

 5月5日は子どもの日だが、今から134年前のこの日に生まれたのが、後に日本の「児童福祉の父」と呼ばれた石井十次(1865(慶応元)年~1914(大正3)年)だ。
 今も大阪市浪速区にある石井記念愛染園などにその名を残す石井は、お遍路さんの子どもを預かったことをきっかけに22歳で岡山に孤児教育会(日本初の児童福祉施設である岡山孤児院の前身)を創設。ペスタロッチやルソーの影響を受け、イギリスの先進施設バーナードホームの実践にも学んだ石井は、その施設運営にあたり「岡山孤児院十二則」と呼ばれる先駆的な運営方針を示した。すなわち…
 ①家族主義(少人数での分舎制)、②委託主義(乳幼児期は里親に委託)、③満腹主義(十分な食事の提供)、④実行主義(大人が子どもの手本を実行)、⑤非体罰主義、⑥宗教主義(神への感謝を重視)、⑦密室教育(褒める時も叱る時も自室に呼び一対一で)、⑧旅行教育(社会体験を重視)、⑨米洗主義(米を洗うように子どもたちの切磋琢磨を何度も繰り返す)、⑩小学教育(幼児期は遊び重視、学習は小学校から)、⑪実業教育(職業訓練と自活の重視)、そして⑫托鉢主義だ。
 最後の「托鉢主義」とは、運営費を一部の篤志家や資産家の支援に頼るのではなく、寄付という行為を通じて多くの人々に事業の意義を理解してもらうことが大切だというもの。一時、基金を作り、その果実による安定経営を考えたが、それは「地に財蓄うこと勿れ」というキリストの教えに背くと考え、臨時の寄付で施設を支えることにしたのだ。実際、1万人を超える賛助員らの寄付などで、現在の貨幣価値で月6千万円もの施設運営費をまかなった時期もある。
 「日本には寄付の文化がない」と訳知り顔で解説されることがある。確かに現代の日本社会は、寄付が活発だとは言いがたい。しかし、明治の時代に広く寄付を募り、その呼びかけに応える多くの人々によって3千人を超える孤児の暮らしが支えられたという事実もあったのである。

■社会を信用するから、寄付を募る!

 その寄付への関心が、今、改めて高まっていると思う。本誌3月号で紹介したように、今年2月、寄付の拡大をめざす日本ファンドレイジング協会(代表理事 堀田力氏)が誕生し、記念フォーラムに全国から360人を超える人々が集う、ということがあったからだ。
 本誌で先月号から「ファンドレイジングが社会を変える」の連載を始めた鵜尾雅隆氏は、この協会の常務理事。その鵜尾氏の講座を聴講する機会があった。寄付が進みにくい現状の課題を共有した後、その克服に取り組む事例を具体的に紹介する内容で、寄付の可能性を実感し参加者が少しずつ元気になっていく、という雰囲気の講座だった。そして、その講座の最後にあった鵜尾氏のまとめは、とても納得のいくものだった。
 「我々は寄付に頼らず、事業収入でやっていく」と言われるNPOがあります。私も事業収入は大切だと思います。しかしNPOに寄付が寄せられるのは、寄付者から信用されているからです。そう考えると、「寄付に頼らない」と宣言することは「社会を信じない」と言っているようで、僕は嫌なんです。逆に言えば、社会を信用することから始まるのが寄付集めだと思います。寄付集めを進めることは、互いに信頼し合う社会づくりを進めることでもあると思うのです。
 その言やよし。寄付集めを、資金不足を補う手段としか考えないなら、寄付をする側の視点が消えてしまう。提供する側と受ける側の協働作業だと寄付をとらえることによって、鵜尾氏の視点が開けてくる。

■「社会を信じられない」という状況の深刻さ

 もっとも、現実は「社会を信じる」状況からはるかに遠く、不安が募る一方だ、という意見もあろう。確かに、かつてはこの国に漠然とあったはずの安心感が急速に失われている。国民生活に関する世論調査でも「日常生活で悩みや不安を感じている」人は91年以降、ほぼ一貫して増加し、91年の46・8%が07年には69・5%にまで増えた。終身雇用が大きく崩れ、不安定な非正規雇用者が増え、社会保障の圧縮も続く。人々のつながりも薄れ、「どうにもならなくなった時、社会や誰かが支えてくれる」という実感を持てなくなってきた。
 ホームレスの自立支援を進める雑誌「ビッグ・イシュー」の近刊、115号~6号に掲載された対談「いま、経済より、生きる意味の不況が深刻」に、以下のような指摘があった。自殺対策支援センター・ライフリンクの代表・清水康之氏と、岩波新書『生きる意味』の著者で文化人類学者の上田紀行氏との対談だが、そこで上田氏は「人間っていうのは絶対に見捨てられる存在じゃないんだという確信が必要だと思う」、(去年、秋葉原で無差別殺人を犯した青年は)「自分は使い捨てで、自分はいてもいなくても社会にはどうでもいいんだ。俺のことケアしてくれる人間なんか誰もいないと言って、突っ込んでしまう」、「信頼感がなくて永続していく文明っていうのはほとんどありえない。信頼感を失ってしまったら人間は生きていけない。社会は崩壊してしまう」と語っている。
 しかし、11年間も自殺者が3万人を超える現実と向き合うと、その「崩壊」は近づいているようにも思える。

■寄付の募集が社会に示すメッセージ

 では、どうすれば社会への基本的な信頼感を回復できるのだろうか?
 一般的には社会保障の充実などがあげられるのだろうが、ここでは寄付を募ることの意味に焦点を当ててみたい。
 先に「寄付に頼らず事業収入でやっていく」というNPOについて触れたが、現実にそうした団体が少なくない理由の一つに、寄付を依頼することは、何らかの商品やサービスを提供して対価を得る事業収入の確保に比べ、しんどいものだということがある。しかし、それでも寄付を募ろうとするのは、人権の擁護や経済的困窮者の支援、環境の保全など、収入を得にくい活動に取り組んでいるからだ。
 そして、この寄付を募って頑張っている団体があると知られることが、実は社会の希望をつなぎとめる手掛かりの一つになるように思う。この世の中はギブ・アンド・テイクだけで動いているわけではない。あるいは、募集に応じて寄付をすれば、自分も誰かを支える存在となれる。そんな気持ちが、その動きに接した人たちに生じると思う。
 寄付を拡大しようというにはあまりに厳しすぎる時期のスタートとなったが、このような意味でも、日本ファンドレイジング協会の今後の取り組みに、大いに期待したい。
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2009年5月号(通巻445号):特集

《特集》「検定」という市民運動



千葉有紀子、華房ひろ子、早瀬昇

■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

・今回、詳しく取材した2団体以外にも市民発の「検定」が結構あるものの、中には「?」というものも。その質を決めるのは「まとめ」部分に書いた関係者の結集の程度と事務局にあるようです。その取材とちょうど並行して、漢検・理事長らの不明朗な行状が明らかになり、2団体との乖離に驚くばかり。両団体の取材を通じて、運営に多くの市民が関わっていたら、あんなことにはならなかっただろうと感じました。(漫)

・環境畑でのボランティアが長い私。「3R検定か、おもしろそう」と取材を始めたものの、書くとなるとやはり大変。それになまじっか知り合いが多いだけに、「あの人にも聞こう」とどんどん取材者が増えてしまい、結局紙面には載らなかった友人にもいろいろ教えてもらったりもした。そして、まとめるのも大変になった。どんなことにも、原因があって結果がある。それをどう切り取るか。人によって感じ方は違うのだろうが。とても勉強になりました。(千)

・得意分野、興味のある分野だったらちょっと受けてみたくなるのが、検定。自分が受けたいから受ける、純粋に力試しや遊び感覚で受ける検定は、学校や仕事上での試験と違って楽しめそう。まとまった知識を普及させたい時に、検定というのはなかなかいい方法みたいだし、真面目なのとか面白いのとか、増えないかな。こんな検定やあんな検定、あったらいいな。級が何段階もあったら気軽に受けられるし……などと、想像はふくらんだ。(ひ)
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2009年5月号(通巻445号):この人に

「誰かのために、ではなく
自分のために」が基本ですね。

邦楽演奏家
 折本慶太さん

 日本の古典芸能、和楽器の伝統の音色を活かしつつ、現代人にも親しみやすいパフォーマンスで定評のある若手邦楽家の折本さん。なかなか普段は扉を開けにくいイメージの邦楽の世界にあって、その屈託ないキャラクターによって、新しいファン層の広がりを作り出している。そして、そこでのさまざまな思いは、ボランティア活動にも通じるようなきらりと光るものがある。
 そんな折本さんに、普段着のままお越しいただき、お話を伺った。

■まず最初に、和楽器の演奏を始められた動機についてお聞かせください

 私の場合、幼いころに誰かの演奏を聴いて影響されたからだとか、演奏家の家系の出身だからとかではないんですよ。昔から外国の方と交流したいという思いがあって、そのために日本的なものを何か伝えられるようになりたいと、大学では国文学を専攻していました。和楽器の演奏はそれ以前からやっていましたが、動機は、たとえば海外旅行で、「あなたの国のものを何か紹介してください」といわれたとき、持ち運びの便利な和楽器が一本あって、それを出してるのか、リード(注2)はあるのかとか。箏は桐の木、尺八は竹でできています。尺八にリードはなく、単なる筒状のものに5つ穴が開いているだけの、とても単純な構造です。それを見せて説明したら、確かに驚かれますよね。

■演奏旅行に行く目的はどこにあるんでしょうか?

 そうですねえ。(しばらく考えて)自分のため、っていうんでしょうか、こういういい方が適切かどうか分かりませんが、「お客様のため」だとか「日本の音楽を広げるため」だとかいうようなおこがましいことは考えていません。とりあえず自分が一生懸命丁寧に演奏していければ、それがベストだと思っています。そのために練習もするし、そして最高の演奏をしたい、という思いはあります。演奏したあとに、お客様から「ありがとう」という声をいただくと、うれしいですね。特に、とにかく丁寧に演奏することを心がけていますから、「すごく丁寧に演奏されていましたね」という声は、非常にうれしいです。

■やり方は全然違いますが、市民活動やボランティア活動に通じるものがありますね

 誰もいないところで演奏するわけではなく、必ずお客様がいるわけですから、「自分のため」に演奏するというと、少し矛盾があるようですが、ちょっとでも「やってあげてる」という感覚があると続かないと思います。それじゃあ対等な立場でなくなってしまう。だから、まず自分のことをしっかりやって、そこから何かが付随してくるのがいいし、むしろそうでなければならないと思っています。これってボランティア活動にも通じませんか?
 当初の和楽器を演奏しようと思った動機……海外の方と交流がしたいという目的を実現する手段として、自分のために始めたことが、今では演奏することが仕事となって演奏旅行に行く。昔は漠然と思っていたことが、きちんと形になり実現しているということでそれが証明されているような気がします。

■変化が求められる時代ですが、「おとぎ」(注3)のような古典的な世界に新しい風を吹き込む活動への思いは?

 和楽器でジャズバンドとセッションを組まれる方も最近では多いのですが、おとぎの活動でいえば、「和楽器で」というのが根底にあります。三曲合奏(注4)などの定番の組み合わせではなく、それに琵琶や朗読を加え、取り上げるテーマも民謡だとか、唱歌だとか、親しみのあるものをベースにしながら、違った視点から音楽をとらえることができたらいいな、と考えています。伝承されてきた昔話や、『平家物語』をはじめとする文学作品に、琵琶の語りも入れながら音楽劇のスタイルで演奏することもありますし、取り上げたテーマを単に器楽曲として合奏する場合もあります。また、おとぎのような新しいスタイルの活動だけではなく、もちろん三曲合奏の世界でも活動をしていますし、和太鼓といっしょにやったりなど、幸いにもいろんなフィールドで演奏する機会をもらっています。

■若い年齢層の方に対してはどうお考えですか?

 若い年齢層の方に対して、演奏を聴いていただくためにこれといってやっていることはありません。でも一度、和楽器の演奏を聴くという実体験をされた方は次からも足を運んでくださってます。つまり、きっかけなんですよね。堅いイメージがあっても、ひとつ壁を越えれば案外大丈夫なことも多い。こちらとしても、もう離さないぞ、という気合いもありますし(笑)。ただ、離さないために斬新なことばかりやっても続かないと思います。要は、そこからどうやって続けていくのかが大切になります。
 当たり前かも知れませんが、どんな曲にでも自分なりの解釈を加えていき、自分らしさが出せればいいと思っています。邦楽の世界では、習ったようにやる、ということが多いような気がします。手順が違っただけでも指摘されたりします。でも、そんな中でさりげなく自分の個性が出せるような演奏を心がけていますし、もちろんそれを押しつける気持ちもないです。基本は誰かのためにではなく、自分のために……。ふと気が付けば、それが若い方を始め、多くの方に受け入れられていたというようになっているとうれしいです。無理はしないで、でも続けていきたい。そのための努力、なのかも知れません。
 自分のスタイルも、あるとき振り返ってみたら、そういう積み重ねが、さまざまな形で広がりを持っているっていうことですね。ボランティア活動を長く続けていくヒントを伺ったような気持ちです。

インタビュー・執筆 
編集委員 杉浦 健

●プロフィール●
1993 年より尺八を橋本岳人山に師事。1994 年より箏・三絃を生田流新絃社二代目家元、狩谷春樹に師事。1997 年、都山流尺八大阪府コンクール1 位受賞。同年、都山流師範首席合格。2001 年、NHK 邦楽技能者育成会第46 期卒業。同年、生田流新絃社師範取得。2003年より十七絃箏・二十絃箏を宮越圭子に師事。現在、神戸薬科大学箏曲部顧問。愛媛県出身、大阪市在住。

【注1】舞太鼓あすか組:1990 年結成。世界各地で年間100 を超える公演を行う。フランス五大陸国際音楽祭、イスタンブール国際音楽祭などに出演。また07 年世界最大の芸術祭であるイギリス「エジンバラ・フリンジ」での1 か月公演は、英国の各メディアより五つ星の評価を得る。さらに08 年公開の黒沢映画のリメイク版『隠し砦の三悪人』(樋口真嗣監督)に出演、劇中「火祭りのシーン」では、振り付けと演奏も担当した。

【注2】リード:管楽器の管の端に取り付けるパーツの一種。息を吹き付けると振動し、その振動が管に伝わる。すると管の中の空気そのものが振動し、その管楽器は音をつくり出す。たいていは木製だが、唇をリードに見立てて振動させ、音をつくる楽器もあり、それを金管楽器として分類する。それ以外の管楽器を木管楽器として分類する。尺八は厳密にいうとエアーリード(目に見えない、息を空気の束にして振動させて音をつくる木管楽器)に分類されるが、実際にリードは使わない。同じ原理の楽器にフルートやリコーダーがある。

【注3】おとぎ:2007 年結成。川村旭芳(代表、筑前琵琶・歌・語り)、木場大輔(胡弓・作曲・編曲)、安田知博(尺八・笛・朗読)、そして折本慶太(箏・十七絃・三絃・尺八)によって結成された関西で数少ないプロの若手邦楽ユニット。和楽器の伝統の音色を活かしつつ、現代人にも親しみやすいステージづくりを重視し、アジアなど世界の音楽も取り入れた独自のサウンドは、若者からシニア層まで幅広い世代からの支持をうけている。

【注4】三曲合奏:もとは地歌三味線(三絃)、箏、胡弓の三種の楽器による合奏編成だった。江戸中期頃から胡弓が尺八に変わっていく。
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2009年5月号(通巻445号):わたしのライブラリー

公害Gメンの遺したもの
編集委員 梶川 伸

『なにやってんだ行動しよう 田尻賞の人びと』
田尻宗昭記念基金、アットワークス、2000 円+税、2008 年11月発行

公害Gメンの志継ぐ人々

 戦後の日本の高度経済成長は、大阪万博のあった1970年ごろにピークに達した。その繁栄の裏側では、公害や薬害、食品汚染、労働災害といった負の要素も積み重なっていた。その年の12月の国会は公害国会とも呼ばれ、公害対策の14法案が成立し、公害問題に明け暮れた年だった。
 私は70年に新聞記者になり、初任地は和歌山だった。やがて、田辺海上保安部の警備救難課長に着任したのが、田尻宗昭さんだった。田尻さんは前任地の四日市海上保安部(三重県)で警備救難課長の職にあった時、石原産業などの工場排水垂れ流しを、港則法違反という奇手で摘発していた。公害を刑事事件として責任を問うた初めてのケースと位置づけられている。田尻さんは「公害Gメン」と呼ばれ、不正義に立ち向かうヒーローだった。公害を取材する者にとって、田尻さんは憧れの的の一人で、田辺海上保安部に取材に行き、会って話を聞くのが楽しみだった。

経済成長の裏の証言集

 田尻さんは73年に美濃部亮吉東京都知事(当時)に請われて、東京都公害局に転進するなど、公害防止に生涯を打ち込み、90年に亡くなった。田尻さんの志を引き継ぐため田尻宗昭記念基金が設けられ、公害反対、環境保全、労働災害や職業病追放に地道な活動を続けた個人や団体に対し、92年から田尻賞を贈ってきた。この本は受賞者やその関係者が、受賞式の時に語った話をまとめている。内容は熊本県・天草のじん肺、宮崎県・土呂久(とろく)公害、香川県・豊島(てしま)の産業廃棄物不法投棄、チッソ水俣病、チッソ水俣病関西訴訟、スモン訴訟、名古屋市の藤前干潟、カネミ油症、瀬戸内海環境保全など多岐にわたる。当事者が語る言葉は、日本の公害・環境史の生きた証言なので、大変興味深い。  
 共通しているのは、効率ばかりを求めて進んできた日本で、その蔭の部分を活動の地としていることではないだろうか。そこには、国や自治体や大組織・企業という大きな力と、個人という小さな力とのぶつかり合いが見られる。大きな力の前では人権が踏みにじられることも多く、その点で活動は困難をきわめている。しかも、小さな力の運動は地道で、なかなか目立たない。賞の基本理念は「世間からの正しい評価を受けずして埋もれている人に光を当てよう」だと、本の中で鈴木武夫代表世話人が語っている。

良心に基づく内部告発
 
 02年に受賞した大鵬薬品工業労働組合も、果たした役割の大きさに反して、当事者たちの苦難は続いた。81年、会社は発がん性が疑われる研究データを隠して、新薬を発売した。「自分たちの研究結果が無視されている。薬害は出したくない」と考えた研究者が中心になり、労働組合ができ、この新薬の発売中止を訴えた。薬の全面回収、薬事審議会の再審査と進み、87年に会社は販売を断念した。
 研究者の良心が、疑わしい薬を止めたケースである。さらに、83年には薬事法施行規則に「医薬品の品質、有効性または安全性を有することを疑わせる資料は、厚生大臣または都道府県知事に提出しなければならない」という項目が付け加わったと、本の中で元委員長が語っている。
 告発者に対する会社の攻撃は容赦なかったようだ。80人いた組合員が8人まで減ったが、脱会工作は「出身大学の教授を通じて、地域の有力者を通じて、家族を通じて」と、あらゆる手段で行われたと明かしている。しかも「降格人事、賃金差別、配置転換、仕事の干しあげ」といった攻撃も続いたという。当時、組合員の一人から「大丈夫です。私には鳥がありますから」という言葉を聞いたことがある。辛い状況に置かれても、大好きな野鳥の観察などで耐えていける、という決意だった。そんな厳しい状況下でも、組合は危険性が疑われる自社の薬をもう一つ止めた。頭が下がる。
 内部告発の先進的なケースだった。受賞は活動が始まって21年たっていた。世間的評価がやっと定まったといえる。公益通報者保護法が制定されたのはさらに3年たった04年だった。

「環境」の落とし穴

 71年に環境庁(現環境省)がスタートした。73年のオイルショックで高度経済成長は終わりを告げるが、その最終段階でのことである。「環境」は国民の言葉となった。しかし、「公害」という言葉が示していた深刻性は薄らぎ、責任の所在があいまいになっていったのではないか。
 田尻賞は07年に、田尻宗昭記念基金は08年に幕を閉じた。寄付金などをもとにした団体だったが、思うように集まらなくなったことや、運営メンバーの高齢化が理由と推察される。
 反公害の一つの象徴が消えたわけだが、「時代の流れ」で済ましたくない。そのことを、本に登場する何人もの人が訴えている。「水俣病の問題が未だ解決していない。患者さんたちは毎日苦労していらっしゃる」(93年受賞、新潟水俣病に取り組む斎藤恒さん)、「現在でも、七百人近い公害病認定患者の方々がいます。(中略)もう公害は克服した、もう公害はない、ということになりますと、公害そのものの被害者、公害患者さんというものは居ってはいかんということになりかねない」(96年、四日市公害を記録する会の澤井余志郎さん)。
 本の中の言葉は受賞式の時点ではあるが、現時点でも大きくは変わらないだろう。「行動しよう」という田尻さんの叱咤は、いまだに意味を持つような気がする。

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2009年5月号(通巻445号):レポートL

アフガンに緑の大地を
伊藤和也さん 追悼写真展
                編集委員 千葉 有紀子

 菜の花がいっぱいの会場で、その優しい写真に囲まれていると、気分がほのぼのとしてくる。故伊藤和也さんはペシャワール会の現地ワーカーとして、03年から約5年にわたり、アフガニスタンに緑の大地を取り戻すため、現地の人々と共に懸命に働いてこられた。しかし08年8月26日、心ない者の凶弾に倒れ、志半ばにして31年というあまりに短い生涯を閉じてしまった。その伊藤さんを偲んで、彼が撮影したアフガンの子どもたちの写真と、彼の足跡をたどる写真を展示した追悼写真展が4月10日から19日まで京都で開催された。会場となった、かぜのね(京都市左京区)には、毎日のように菜の花が届けられ、写真の中の菜の花とイメージが重なって、一層無くしたものの大きさを感じる。
 12日には、ペシャワール会の農業指導員であった高橋修さんの講演会が行われた。中に入りきらず、会場の外まで溢れた人の前で、3時間にわたって伊藤さんとの日々や、現地での実体験が語られた。ケシだらけだった大地は、伊藤さんを含む日本人ワーカーや、現地の人々の努力によって、農業が少しずつであるが復活しつつあったこと。ペシャワール会の活動が、現地の人の目線で行われていること。地道な活動や伊藤さんの実直な人柄で、現地の人とも垣根なく受け入れられている中で起こった残念な事件であったこと、などに触れた。伊藤さんの5年の日々が、大変な中でもやり甲斐のあるものであったことなど、現地の人との深い信頼関係を感じる講演だった。
 「アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。しかし、現地に行かなければ、何も始まらない」これは会場に貼られた、伊藤さんのペシャワール会への入会志望動機だ。
 この展覧会は各地を巡回する予定である。機会があれば、ぜひ彼の優しさに触れてほしい。


追悼写真展の巡回スケジュール
■千葉県・松戸市  
5月26日(火)~31日(日) 
10時~18時(初日13時より、最終日16時まで)
会場・松戸市文化ホール(松戸ビル4階)
運営・問合せ:東葛実行委員会(04-7129-4297)

■宮城県・仙台  
7月24日(金)~29日(水) 
10時~19時(最終日は17時まで)
会場・せんだいメディアテーク5階ギャラリー
運営・問合せ:ペシャワール会をみやぎから応援する会(070-6954-2366)

その他、下記を巡回予定
6月中旬/神奈川・逗子市、6月下旬~7月中旬/北海道(札幌、函館、苫小牧)、8月上旬/岩手・盛岡市

■書籍の紹介
『アフガニスタンの大地とともに―伊藤和也遺稿・追悼文集』
ペシャワール会・編集、石風社、2009 年3 月、1575 円
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