2009年4月号(通巻444号):目次

《V時評》
もっと議論を! もう一つの民意の回路「討議デモクラシー」
 ・・・吐山継彦

《特集》
若き市民のソーシャル・アクション
 ・・・久保友美、千葉有紀子、山中大輔

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
あなたに 地球に 優しい1週間 布ナプキン
 ・・・岡村こず恵

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
ヘッドスタート
 ・・・ラッキー植松&山中大輔

《語り下ろし市民活動》
サロンは“知縁社会”へのエントランス(2)
山村雅治さん(山村サロン 代表、
市民=議員立法実現推進本部 事務局長)
 ・・・村岡正司

★新連載
《ぼいす&シャウト!大阪ボランティア協会・事務局スタッフの仕事場から》
市民活動支援センターでのインターン生受け入れを考える
 ・・・白井恭子(大阪ボランティア協会)

《ゆき@》
鹿児島、ITを道具に医療革命進行中です(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
大田昌秀さん(元・沖縄県知事)
 ・・・大門秀幸

★新連載《ファンドレイジングが社会を変える》
第1回 ファンドレイジングって何?
 ・・・鵜尾雅隆(日本ファンドレイジング協会)

《コーディネートの現場から・現場は語る》
「派遣切り」相談から考えたつながりの必要性
 ・・・熊谷紀良(東京ボランティア・市民活動センター)

★新連載《おしゃべりアゴラ》
カンボジア料理店すろまい(大阪府高槻市)
 ・・・大谷隆

《わたしのライブラリー》
タンガニーカ湖から琵琶湖まで
 ・・・千葉有紀子

《私の市民論》
「北海道」に生きるピープルとして
 ・・・小泉雅弘(さっぽろ自由学校「遊」)

《市民活動で知っておきたい労務》
「就業規則」PART2
 ・・・石田信隆

《リレーエッセイ 昼の月》
オバマの国で

《パラボラ・NEWS》
定額給付金をめぐるNPOの動き
ほか

《特設誌面》
「わたし」の定額給付金の使い道
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2009年4月号(通巻444号):V時評

もっと議論を!


 もう一つの民意の回路「討議デモクラシー」

編集委員 吐山継彦

■政治的シニシズムからの脱却が必要

 「鼻くそが目くそを笑う永田町」
 あるテレビ番組で、司会者が話題にしていたシニカル(冷笑的)な川柳である。その番組では、最近の日本の政治状況について、視聴者からメールとファックスを募り、それが1週間でなんと1千100通にも達したそうである。その内容はほとんどが憤りで、「日本の政治家は本当に情けない」など「外国に対して恥ずかしい」といったものばかりだった。
 この番組を見ていて思ったのは、日本の庶民のなかに鬱屈する怨嗟とシニシズム(冷笑主義)が、なぜもっと公開性と双方向性をもった発展的な議論(討論・討議・協議)に向かわないのか、ということだった。
 政治討論番組への辛辣なコメントや新聞への投書、サラリーマン川柳欄への投稿などは、権力批判の有効な手段を持たなかった江戸時代の庶民の落書のようにも見える。また、庶民の不満が膨らみすぎて爆発すると困るので、ところどころ針を刺して、ガス抜きをされているようにも思える。
 “鼻くそ川柳”の作者は、目くそも鼻くそも永田町の政治家だと思ってシニカルに詠んでみせたが、政治家にすれば、「鼻くそがわれわれだとしても、目くそは“庶民”と呼ばれる君たちのことなんだよ」とほくそ笑んでいるのかもしれない。
 重要なのは、政治や行政の怠慢や欺瞞、悪徳は合わせ鏡のようにぼくらの背中を映しているのだということをきちんと認識し、政治的シニシズムと投書的政治参加からの脱却をいかに図るかということだ。
 確かに、現在の日本の政治状況と、政治家が演じている体たらくは余りにもひどい。2兆円という莫大な税金を、ほとんど景気押し上げ効果がないと思える定額給付金に使うことを決めたり、現職の大臣が外国での記者会見に呂律が回らぬくらい酩酊して臨むなど、“百年に一度”と言われるこの不況下の年度初めに、日本の政治は完全に機能不全に陥っている。
 政府首班が3代続いて選挙を経ずに政権についている、という事実に多くの国民は呆れるとともに、政治に対する無力感を強め、無関心に陥っているように見える。代議制民主主義を中心に据えた国と地方自治体の在り方への懐疑は、主人公であるはずの市民(国民)が各自1票の権利(選挙権)と納税義務のみによって真に主権者足りえるのか、というところにある。つまり、何年かに一度、1票を投じて議員を選ぶ権利と、コツコツ働いて税金を払う義務だけで、ぼくらはデモクラシーの主人公だと言えるのか……ということなのだ。
 小泉政権時代の05年9月11日に行われたいわゆる“郵政選挙”で、現在の自公政権が誕生して以来、小泉、安倍、福田、麻生と4人の総理大臣をぼくらは見てきたが、主権者としての貴重な1票を行使できたのは最初の1回だけ。場合によっては、このまま今年9月11日の任期満了衆議院解散総選挙まで、4年間まったく主権者としての意思表示をできないままになる可能性も出てきた。また、裁判員制度やソマリア沖への海上自衛隊の護衛艦派遣といった重要な事案が、市民への問いかけも市民間の議論もなく、国会での討議もほと
んどないままどんどん実行に移されている。定額給付金だって、税金から支給されるのに、市民は一度だって意見を求められたことはない。

■民主主義の基盤は市民間の広範で深い議論

 しかし、嘆いているだけでは何も始まらない。
 そこで考えるのだが、民主的な政治システムが健全に機能するためには、市民による広範で深い議論が必要で、それこそがデモクラシー(民衆による統治)の基盤なのではないのか……と。そして、その基盤が日本社会の現状では決定的に不足していると思うのだ。社会や政治の現状に対するシニカルな居酒屋談義はあっても、フツーの市民による社会的課題についての広範で真剣な議論はとんと聞こえてこない。ブログ的モノローグで、個々の政治家を揶揄したり、政治状況について憤ることと、他者との議論の中で課題を冷静に分析し、可能な解決策や対案を練り上げていくプロセスとは全く違う。議論を尽くしたあとの連帯行動によって社会を変えていく、というのが「〈市民〉としてのスタイル」だろう。
 ここで読者に問いたいのは、民意の回路が間接民主制だけで、果たしてよいのか、ということである。
 そこで参考になるのが、欧米で試行されているもう一つの民意の回路である「討議デモクラシー」だ。例えば、ドイツでは、「プラーヌンクスツェレ(計画チーム)」と呼ばれる、討議デモクラシーの手法が70年代に創案され、いくつものプロジェクトが実施されてきた。この手法の特徴をまとめると次のようなものだ。

 ①都市計画や環境政策など、解決策を要する多様な課題について実施される。
 ②参加者は、利害関係者から選ぶのではなく、住民台帳から無作為抽出されるため、性別や年齢、職業構成などはほぼ地域社会の縮図となる。
 ③参加者には日当が支払われ、4日間程度の継続参加が必要とされる。
 ④実施については、行政ではなく、大学などの中立的独立機関が行う。
 ⑤関係者や専門家が参加者に対して必要な情報を十分に提供する。
 ⑥4~5人程度の小グループがメンバーチェンジを繰り返しながら討議する。
 ⑦最終的には文書の形で委託者(行政など)に対して「市民答申」を行う。

 日本でもすでに、いくつかの自治体でこの手法が試されているし、日本プラーヌンクスツェレ研究会が別府大学内に置かれている。
 『市民の政治学~討議デモクラシーとは何か~』(篠原一著岩波新書)によると、「(前略)一九九〇年前後から、参加だけでなく、討議の重要性が再認識され、とくに政治の世界の討議だけでなく、市民社会の討議に裏づけられない限り、デモクラシーの安定と発展はないと考えられるようになった。これが討議デモクラシーである」とされる。
 プラーヌンクスツェレのほかにも、討議制意見調査やコンセンサス会議といった手法が開発されており、これからの民主主義のあり方として、市民の参加と討議は欠かせないものとなるだろう。そこで、当協会でも、新しい事業として「討議デモクラシー研究会(仮称)」の発足を予定している。現在の日本社会には、代議制だけではなく、直接民主主義的なもう一つの民意の回路がぜひとも必要だろう。
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2009年4月号(通巻444号):特集

《特集》若き市民のソーシャル・アクション



久保友美、千葉有紀子、山中大輔

■特集「こぼらばなし」 ウォロ編集委員・談

・特集の取材先、学費ゼロネットのみなさんとお昼ご飯を一緒に食べることになり、とある定食屋さんへ。食券を買って店員さんに渡し待つことしばし。私が頼んだのはお手ごろ価格で美味しそうなおろしカツ定食。さて食べようとテーブルを見渡したら、なんと3人とも同じおろしカツ定食。普段は人見知りする私ですが、今回はそこで何となく相手との距離がぐっと近づいて、取材がはずんだような気がします。共通性ってやっぱり大事だな、と思いました。(久)

・今回の取材で某大学の研究室へ。取材相手は2人。その内のお一人に大学の入り口まで迎えに来て頂き、研究室のドアを開けたら、そこに友人が坐っていて、びっくり。結局友人はその取材には関係なく、すぐそのあとにもう一人の取材相手が現れて、ちょっとほっとした。友人はその研究室に来ていただけだが、今回取材した団体にも所属しているという。地球は6人でつながるというけれど、本当にそんな気がしてくる。(千)

・リサイクルショップでの取材の時のこと。レコーダーを使おうとボタンを押すとなんと電池切れ!取材先にも関わらず、思い切って「単4電池、売ってませんか?」と尋ねたところ、単4電池があったんです。しかも、頂いてしまいました。松本さん、本当にありがとうございました。こうやって「つながり」ができてくるんだなと実感しました。(山)
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2009年4月号(通巻444号):この人に

国益だ、国の安全だ、と言いながら、
本土からは見えない沖縄に
米軍基地を押し付けて、平気でいる。
なぜ他人の痛みが感じられないのですか。

大田昌秀さん(元沖縄県知事)

 第二次大戦中、日本で最大の地上戦として、一般住民を巻き込んだ熾烈な戦闘が行われた沖縄戦。
 全住民の4人に1人が犠牲になったとも言われるこの悲惨な歴史の事実を、自衛隊の海外派遣や有事法制の動きが顕著になっている現在、私たちは忘れてはいないだろうか。
 そして、今もなお日本国内の米軍基地の75%を、国土全体のわずか0・6%の小さな沖縄の島に負担させ続けている現実に、目を背けてはいないだろうか。
 身をもって沖縄戦の惨禍を体験したことを礎いしずえに、沖縄県知事として平和行政や基地問題に取り組んで来られた、大田昌秀さんにお話を伺った。
※08年11月2日、龍谷大学社会学部開設20周年 記念講演より

■住民を巻き込んだ沖縄戦の教訓

 私が参議院議員をしていた当時、所属していた外交防衛委員会で、外務大臣と防衛大臣に「あなたは沖縄戦について何か書物を読んだことがありますか? 防衛省スタッフから沖縄戦についてレクチャーを受けましたか?」と聞きましたら、何も読んでいない、レクチャーも受けていないというんです。私はがっかりするというより、あきれてしまいました。
 現在も沖縄には多くの米軍基地が残り、危険と隣り合わせの被害に悩まされている。その安全保障問題の責任者である大臣が、沖縄戦について何も知らないし、何の教訓も学んでいないのは、あまりにも非常識すぎると思います。
 沖縄戦は、日本本土の防衛のための“捨て石”になるということが、最初からわかっていた戦いでした。沖縄を攻めた米軍は延べ54万人。当時の沖縄の全人口が約43万人程度でしたから、それをも上回る大部隊です。対する日本の沖縄守備軍は8万人。結果は明らかです。約2万5千人の地元住民を徴用したが、それでも足りずに、沖縄の12の男子中等学校からは、徴兵年齢以下の学生により結成された学徒隊である「鉄血勤皇隊」に、10女学校からも従軍看護婦などにと、年若い学生までが動員されました。当時学生だった私もその一人として、38式の銃と120発の銃弾と2個の手榴弾を腰に、半そで半ズボン姿で戦場へ駆り出されたのです。またこれらの動員は法律の根拠もなく行われました。そのための法ができたのは、後になって沖縄守備軍が自決した日のことでした。
 日本軍の大本営は、本土決戦の準備態勢が整うまで、勝ち目のない沖縄戦で時間稼ぎをする計画でした。沖縄が玉砕することは前提として、軍の玉砕後も住民を巻き込んでのゲリラ戦を続けさせるために、スパイ養成で有名な陸軍中野学校の工作員までが沖縄に送り込まれていたのです。

■軍隊は住民を守らない

 沖縄戦の教訓は、「軍隊は住民を守らない」ことが実証されていることです。
 自衛隊に関する論議では、よく「私たち国民の生命・財産を守るために必要だ」とみんな口を揃えて言います。しかし、みなさんは自衛隊法を読んだことがありますか? 第3条「自衛隊の任務」を見ても、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」としか書いていない。果たして、ここに言う“国”は、“国民”と同じでしょうか?
 沖縄戦では、敵国である米軍によるものではなく、味方であるはずの日本軍に殺された一般住民の数が非常に多いのです。沖縄に対する日本軍の見方は、沖縄は昔、琉球国という別の国だったから、天皇陛下を敬う意識が薄い。だから沖縄住民は信用できないし、監視の手を緩めたら敵側に行ってしまうかも、というショッキングなものでした。“残置諜報員”として、身分を偽って離島の村などに潜入した軍の工作員が、住民を監視していました。また沖縄方言も、本土の人には話している内容がわからないことから、方言を話しただけでスパイと見なされて処刑されるという、信じられない理不尽な犠牲となった方がたくさんおられます。私の出身地、久米島では、40人が戦争の犠牲となりましたが、そのうち実に20人までが日本軍によって殺されたのです。それも、米軍の捕虜となっていたからなどの理由だけで、何の罪もない女性や、生後数か月の幼い子どもたちまでも含めて、一家全員が処刑されたのです。
 現在、沖縄の離島での住民の集団自決に、軍の強制があったかどうかで裁判が争われています。当時の沖縄での状況は「軍・官・民が一体となった“共生共死”であった」と言われています。しかし現実は、軍が住民から食料を強奪したり、住民が避難している壕に対し、自分たちの安全のために住民を追い出して軍が居座るなど、共生共死と言いながら、実は共に生きるという発想はなく、住民に死ぬことを強制するばかりだったのが実態なのです。

■安保は必要、でも基地は要らない

 安保条約は日本の安全を守るために必要だ、とみんな言います。でも、安保のためにある米軍基地を引き受けようとは、どの都道府県も言いません。また、沖縄に駐留している米軍の海兵隊部隊8千人を、グアムに移すための費用だけで、実に7千億円が日本から支出されようとしています。一部の人たちは「なぜ沖縄のために、俺たちの税金を7千億もかけなくてはならのか」という言い方をします。じゃあ私達は「お金は一銭もいらんから、あんたのトコに基地を持っていきなさい」と言うんですね。でも、いくらたくさんのお金をもらっても、基地を引き受けてもいいという人は一人もいない。
 アメリカでも同じような格言があります。「軍を持つのは賛成だ。でも自分の家の裏庭に兵舎を作るのはダメだ」。国益だ、国の安全だ、と言いながら、本土からは目に見えない沖縄に圧倒的多数の米軍基地を押し付けておいて、平気でいる。その感性が理解できません。なぜ他人の痛みが感じられないのですか。これが私たちが一番苦労しているところです。そういう人々の意識が、平和を作り出せない原因のひとつとなっているのではないでしょうか。

■「沖縄は基地収入でもっている」の誤解

 沖縄の基地問題で必ず言われることに、「沖縄は、実は基地収入でもっているのだから、本当は基地がなくなると沖縄自身が困るんだ」という見方があります。でも、現実は全く違うんです。確かに1960年代では、外部からの収入の55%は基地収入でした。でも、今はわずか4・6%しかない。沖縄県の全41の市町村のうち、半分の25くらいが基地を抱えていますが、所得の多い順に並べると、一番は基地が全くない、さとうきび畑の収入が占めるのどかな南北大東村です。基地のある町が発展しているかというと、決してそうではないんですね。
 沖縄は全国一の貧乏県で、所得は最下位で全国平均の75%しかないが、失業率は2倍以上でトップです。もし基地が返還されれば、広大な跡地利用での沖縄らしさを生かした産業振興とまちづくりにより、雇用は今より10倍くらい確保できることははっきりしています。今や基地収入よりも、基地があることによる経済的損失の方がはるかに大きいのです。
 費用の面で言うなら、在日米軍に対する日本側の法的根拠のない経費負担、いわゆる“思いやり予算”は、途方もない額に膨らんでいて、こんなに負担している国はほかにありません。世界で米軍が駐留している22か国の全部の駐留経費を合計しても、日本の思いやり予算の方がはるかに大きいくらいです。なおかつ、まだこの上に1兆5千億円もの税金を投じて、沖縄県北部・辺野古地区に、絶滅危惧種のジュゴンが棲む貴重なサンゴの海を埋め立てて、ヘリポート基地を作ろうとしているんです。

■沖縄の平和思想を現実の力として

 みなさんに、沖縄の平和思想について、お伝えしたい事例があります。
 石垣島で、戦時中に不時着した米軍機の米兵捕虜を不当に処刑したとして、関わったとされる日本軍関係者が、戦後になって裁判にかけられるという事件がありました。その中に7人の沖縄出身者がいたのですが、1人を除くと正規の軍人ではなく、農民や17歳の少年らで、事件の2週間前に入隊させられたばかりの人たちだったのです。しかし、第1審の判決では死刑とされてしまいました。
 そこで本土在住の県民組織、沖縄連盟による減刑の嘆願活動が取り組まれました。沖縄連盟の仲原善忠会長は、著名な沖縄郷土史家で、“沖縄の万葉集”と称される『おもろさうし』の研究者として知られていました。『おもろさうし』は、12~17世紀にかけての、人々の暮らしに関わる古歌謡1千530首を集めたものです。仲原氏は、沖縄の伝説や説話142篇を収録した説話集『遺老説伝』も合わせて、計1千672首をつぶさに分析したのですが、これらの記述には「殺す」という言葉が一切出てこなかったんですね。それを根拠として、沖縄の思想では、そのようなむごいことをする意識文化がないことを証明しようとしたのです。
 また、ハワイ大学の研究者ウィリアム・リブラー氏の著書『沖縄の宗教』でも、沖縄と日本本土の文化との違いが示されています。日本では武力を讃え、死ぬことを惜しまない「侍の文化= Warrior's culture」が中心であったが、それに対して沖縄の文化は「非武の文化= absence of militarism(軍国主義が欠落した文化)」であることが説かれています。15世紀の琉球王朝が武器の所持を禁止して以来、沖縄は武力を用いない平和外交の守礼の民の国として、海外にも広く知られていました。これらの主張が裁判でも認められて、最終的には、沖縄出身者全員が死刑を免れる結果となりました。
 「平和思想なんて役に立たない。机上の空論でしかない」という声もよく耳にしますが、沖縄の伝統的な平和思想とその実践は、単なる理念ではなく人々の心を動かし共感させ、実際に7人の人命を救うことになる、現実的な力を持っているのです。

インタビュー・執筆 
編集委員 大門 秀幸


■プロフィール
1925 年、沖縄県久米島生まれ。1945 年、沖縄師範学校在学中に「鉄血勤皇隊」に動員され、沖縄戦で九死に一生を得るが、多くの学友を失う。琉球大学教授として、ジャーナリズムと社会学や沖縄戦の研究を続ける。1990年、沖縄県知事に就任。多くの平和施策の実現や基地問題の解決に取り組む。2001年、参議院議員に社民党から当選。沖縄の声を国政に反映させるべく活躍。2007年、参議院議員引退。現在、大田平和総合研究所を主宰し、講演・執筆活動等に取り組みを続ける。『有事法制は、怖い。沖縄戦が語るその実態』『沖縄差別と平和憲法~日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ』ほか、著書多数。
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2009年4月号(通巻444号):わたしのライブラリー

タンガニーカ湖から琵琶湖まで
編集委員 千葉 有紀子

『ゆりかごは口の中 子育てをする魚たち』
桜井淳史著、ポプラ社 2006 年 950 円

『生物界における共生と多様性』
川那部浩哉著、人文書院 1996 年 2,000 円

『琵琶湖の魚』
今森洋輔著、偕成社 2001 年 2,200 円

 子どもの頃、川魚を飼ったり、めだかの卵を孵化させては大きくするのが好きで、部屋を水槽だらけにしていた。庭にはおたまじゃくしを放し、真冬に魚を捕まえようと鴨川にはまって、一張羅を台無しにする。そんな私も普通のOLとなった。魚たちの面倒が見きれなくなって、今はブルーベリーが手一杯だ。

『ゆりかごは口の中 子育てをする魚たち』

 生き物は今も大好きだが、魚たちと何も関係ない生活を送っている私にとって、本は有難い。最近夢中になったのが、桜井淳史さん『ゆりかごは口の中 子育てをする魚たち』。著者は写真家で、サケや川魚の図鑑など著作も多い。この本は卵を生んだ後、口の中で子育てをする魚を中心に、何種類かの魚の恋の様子から、
子育てまでを紹介している。エンゼルフィッシュなどの熱帯魚を飼って、卵を生んで子育てするところを写真に撮ろうとするのだが、なかなか思惑通りには進まない。うまく仲良くペアをつくってくれなかったりと、試行錯誤しながら写真をとる姿に共感を覚えながら読み進む。
 口の中で子育てをする魚は本当にえさを食べないのか、そんな実験もする。ちょっと可愛そうではあるが、私もやってみたい実験である。著者の疑問は膨らむ。魚はどうしてそんな子育てをするのか? それは進化なのか? 飼育だけではわからない。そして、著者はその鍵は、熱帯魚の故郷の湖、アフリカのタンガニーカ湖にあるとにらみ、湖の中で多様な子育てをする魚がうまく棲み分けているところを見る。「魚の世界には、まだまだ発見とおどろきが、たくさんかくされて」いるのである。実はこの本は『地球ふしぎはっけんシリーズ』という子ども向けの本、わかりやすいけれど、もうちょっと知りたいが膨らむ。

『生物界における共生と多様性』

 次に、手にとるのは川那部浩哉さんの『生物界における共生と多様性』。現在、琵琶湖博物館の館長である著者が、就任直前に出版した「日本の川や湖、アフリカ・タンガニイカ湖の魚たちの生態を調べ、食い分けや棲み分けを通して“多様な生物の共存する仕組み”を明るみに出」した本だ。タンガニイカ湖は、世界で2番目に深く、7番目に大きな湖である。300種類もの魚がいて、それらの共生をひもといていくのだ。いろんな魚がいるものだ、と楽しくなる。もちろん専門的な内容もあるが、すでに他のところに書かれていた短いめの文章をまとめたものでとてもわかりやすい。そのときどきでの、生のエピソードも楽しい。たとえば、タンガニイカ湖の帰りにミュンヘンに寄って、二晩続けて音楽会に赴いた著者は、帰りの飛行機のなか、生物群集のもつ複雑性を音楽にたとえて分析する。「個々のところですでに複雑な音楽が、さらにオーケストラの作品のように積み重なって出来たものだということになるのではないか」。いろいろな読み方のできる本だと思う。

『琵琶湖の魚』

 本というのは著者を好きになるためにあるのではないかとも思う。そう、大好きな著者と言えば、今森洋輔さんの『琵琶湖の魚』も紹介したい。
 私はなかなかタンガニイカ湖まで行くことはできないが、琵琶湖なら毎週でも可能である。琵琶湖にも多くの魚がいる。その中には、独自の進化をとげた固有種もいる。しかし、いかんせん、そんなに簡単に見られるという訳でもない。そんなフラストレーションの解消がこの本である。琵琶湖の魚55種を、精密画で描いている。今森洋輔さんとは、本を見るよりもご本人にお会いしたのが先で、その人柄が絵から文章からにじみだすようだ。琵琶湖の大切さや、守っていくことの大切さも訴えているし、本当にそうだと思う。本書の帯にコメントを寄せている川那部さんも書くように、あまりの絵の上手さに「この魚、美味しかったなぁ」と琵琶湖の魚の味も思い浮かべてしまう。わが家の冷蔵庫には、琵琶湖の川エビと豆の炊いたのが入っている。琵琶湖を思い出しながら、ちょこっとつまみ食いでもしたくなる気分だ。

注)桜井さんの本ではタンガニーカ湖、川那部さんの本ではタンガニイカ湖となっているので、そのまま表記しています。
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